鈴木敏夫のジブリ汗まみれを文字起こしするブログ

ポッドキャスト版「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」の文字起こしをやっています。https://twitter.com/hatake4633

鈴木敏夫のジブリ汗まみれ:加藤登紀子×鈴木敏夫 対談

ラジオ音源です

http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol346.mp3

2014年12月16日放送の「鈴木敏夫ジブリ汗まみれ」です。

 

この対談は毎日新聞が「人生のさまざまな局面で選択を迫られる女性を応援し、生き方のヒントになるような紙面を目指し、2013年にスタートした「おんなのしんぶん」で加藤さんが担当している「Tokiko`s Kiss」10月6日号の企画として実現しました。

 

・「紅の豚」に込められているメッセージとは?

加藤登紀子(以下、加藤):「紅の豚」のちょうど上映の頃に、くしくも内戦が始まりましたよね? 

鈴木敏夫(以下、鈴木):そうですね。

加藤:内戦でユーゴの民族たち、クロアチアセルビアみんな一緒の国でいたものが、全員がしのぎを削って戦い始めましたよね? 

鈴木:そうですね。バラバラになっていきますよね。

加藤:その時に宮崎さんが、空族たちの顔を描き分けた。この人がギリシャ族、この人がトルコ族、この人がクロアチア族、セルビア族って。アルメニア系とか。アニメージュでこの説明を見て。

鈴木:凄い記憶力ですね。

加藤:いや、それは強烈な印象があったんですよ。画面が何で賑々しく、ワクワクするようなシーンになるのかというと、そんなに多種類の民族の顔が1枚の画面の中に入ってるっていう。それはその後ユーゴが内戦になって、今までサラエボなんかが今まで一緒に住んでたものが、同じ民族じゃないと一緒になれないっていう非常に不自由な社会になってしまうっていうか、そういうことの中で「紅の豚」の1シーンが提案していることというか示していることっていうのは、凄いなって。

鈴木:歴史がその中に詰まってますよね。

加藤:そうですね。それはたぶん観てる人は理由はわからない。それをわかった時に、この画面そのものが活きているってことは、私達の人生というものはワクワクするもので素晴らしくて、生きていることはどういうことなの?っていうことに対する1つのメッセージが込められてる。

 

宮崎駿の絵のディテールと生きる力

加藤:銀行に賞金を取りに行くときに、債権を買え、と言われる。あれは戦争のためのお金を出せということで、彼はそれを拒否するシーン。そこまでは観ている人は気がつかない人もいますよね?

鈴木:そうですね。

加藤:例えば、その後の「崖の上のポニョ」のときも、あれも偶然だけど津波のテーマだったっていう。あれは凄かったです。その直後に津波が来たっていうのはね。あまりの一致があったのでショックだったけど、あの時に崖の上の家がプロパンで自家発電していて、津波になってもここは大丈夫って。

鈴木:よくご覧になってますね(笑)

加藤:5歳の宗介がお家にポニョを連れて行ったときに、説明するじゃないですか?ガスは大丈夫って。自分のライフスタイルを3.11以降みんなが問いかけるようになって、ライフラインというものはデカイところに握られていたらダメなんだって。

鈴木:なるほど。自分たちで。

加藤:しっかり自分たちで自立したライフラインを持ってなきゃダメだっていうことを、ものの見事に宮崎さんはその一瞬の宗介のセリフで言ってるよねって。凄いなーって。先生というか。

鈴木:あのね、彼ってね自分のこと全部自分でやっちゃうんですよね。  

加藤:うんうん。

鈴木:本当にあれは感心するんですよね。信州の山小屋に籠もるときも、ご飯は自分で作る。

加藤:薪割りもね。

鈴木:お風呂もちゃんと沸かす。で、全てやってくれる。もっと日常的なことでいうと、2人で一緒にいてどっか歩いてると、切符まで買ってくれるんてすよ。

加藤:(笑)

鈴木:それで山小屋行ったときなんか、「鈴木さん、風呂湧いたよ」でしょ?僕は入るだけなんですよね。出てくるともうご飯が出来てるんですよ(笑)

加藤:1人で籠もられるんですか?

鈴木:そうなんですよ。おかげで僕は彼と30何年付き合ってきて、全く社会性がなくなっちゃったんですよね(笑)

加藤:(笑)

鈴木:彼のおかげっていうのか。でも何かそういうのがあるんでしょうね。色々きいてみると、お母さんが病気がちだったんで、自分のことは自分でやらなきゃいけない。そういうことがあったみたいだけれど、それが習い性になって好きなんでしょうね。

加藤:私達の世代、私達より上の世代とその後の世代の違いって、確かに生活が大変だった。薪も燃やさないといけないし。

鈴木:そうですね。

加藤:そういう細々としたことをやっていた宮崎さんが小さい頃の時代って、一番大変な時代でしょ?

鈴木:そうですね。

加藤:絵のディテールの中に、ゴミのたまり方とか掃除が行き届かないときにどこにカビが生えてくるとか、そういうのも見て育っている世代。色んなものを見ていると、若い世代が描くものには、私達が経験してきたものが割合整理されていて、無駄なものが置いていない。きちんと掃除が行き届いていて、バイ菌が繁殖しないような状態にされている。そういう時代に育った人たちが、血みどろになって泥の上で生きなきゃいけなかった世代と比べると、描くものの中に無駄なものがないっていうんですか。

鈴木:こういうことをいうと冗談に聞こえるかもしれないですけど、その山小屋へ皆で行くときあるじゃないですか。普段、自分で買い物に行って全てやる宮さんが若いやつに「今日はお前が当番だ。自分で作れ」と。それで買い物は一切するなと。冷蔵庫の中にあるものでやれと。そうしたらそいつが、鍋に水を入れて沸かし始めたんですよ。したら、もう気になるんですよ。側へ寄ってきたの。

加藤:(笑)

鈴木:「お前測ったか?」って言うんですよ。「5人だぞ。こうやってやるんだ」って、お椀で5杯水を汲んで入れるんですよ。「こんだけの量だろ?お前が作ろうとしてたのは10人分だ」って。で、自分で冷蔵庫開けて、ほとんど芯しか残ってないキャベツを持ってきたんですよ。それを切れって。そしてそいつが真ん中の芯を捨てた瞬間「何で捨てるんだ!」

加藤:(笑)

鈴木:「ゴミが出るだろう。これは食うんだ」って。で、それを拾い上げて細かく切って。

加藤:ダシにもなるしね。

鈴木:うん。もう本当に凄いんですよねー。

加藤:凄いなー。

鈴木:凄いんですよー。彼が描いてるものと今のエピソードって関係があるじゃないですか。僕なんか感心してますね。

加藤:映画を作るときに、この人がそれが出来る人で表現する場合と出来ない人の場合をディテールで描いてる。

鈴木:凄いディテールだもん(笑)

 

 ・外の情報を遮断している宮崎駿

加藤ジブリの作品をずっと観ていくと、予想以上に時代と噛み合っちゃうんですよね。時代の人々の心にウズウズしている思い、この時代にどんな思いがウズウズしているのかっていうのを掴んで、そういうテーマで作品を作っているっていうのは絶対だと思うんだけど、その時代を読むということと、時代に迎合しないということが矛盾するようだけど、そこにジブリがあるような気がする。

鈴木:鋭いですね(笑)

加藤:それに尽きるんじゃないかと思うんですよ。それをどうやって鈴木さんは判断してるんですか?いつも。

鈴木:いや、判断というのか、ジブリって数百人の集団で外の人と接点を持つっていうのは限られるんですよ。それでいうと、僕、あと社長の星野っていうのもいますけど、本当に少ないんですよ。すると、外で接点をもって世間で今何が起きているかっていうことを皆疎い。宮崎駿と僕って1978年に会って以来36年かな?僕何やってきたかっていうと、今世間こういうこと起きてますよ、と。そういうことを話題にして、それで雑談することが多かったんですね。彼はせいぜい新聞かテレビ。そういうものじゃないですか?隣近所とか。 

加藤吉本隆明という人は全く動かないで一つのところにいて、全世界を読むということをやってた人なんですね。私は行ってみて確かめないと気が済まないっていうタイプだから、くま無く旅をしちゃう。手で触ったものしか信じないみたいなところがあるんだけど、それでも限界は見たものしか見てないわけだから、それよりもっと凄いものを見ようとした場合は、動かないで、定点観測してる人が本当のことを見てるっていう見方もある。

鈴木:そういう考え方もありますよね。

加藤:そういうのが宮崎さんのどこかにあるような気がする。歴史の本も読まれるでしょうし、いろんなものの見方の中で。その2つが面白いと思う。外に行って確かめる人と自分という世界にいて見ているっていう。

鈴木:でも宮崎駿はね、あの人好奇心強いから割と自分で出かけるんですよね。

加藤:出掛けていく人なんですね。

鈴木:あの人そうですね。そうやって言われると。

加藤:それともっと確かめなきゃ気が済まないのは、横に保育園があるじゃないですか。

鈴木:はいはいはい。

加藤:私が感動したのは、アトリエに遊びに行ったときに、ちっちゃい子が遊びに来ちゃうのね。嬉しそうにして、必ずポケットに飴を入れていて、最後にはいってあげるんです。「また、いらっしゃい」って言って。誘惑するんですよね。それがバレるとエラく怒られると。子供に甘いものをあげちゃいけないですよって怒られるんだけど、「僕はどうしてもあげちゃうんですよ」って。あの保育園が楽しくて、嬉しそうでしたね。そこで私がもう一つ言いたいのが、社会を見るっていうときに、私が例えば子供をもって自分の家にずっといなきゃいけなくなったり、家庭の主婦とかもそうだと思うんだけど、男の人たちは「俺は社会に出てるんだから、社会は見てる」って凄く自慢するんだけど、実際には子供っていうのは物凄く世界に繋がる、全世界の命と共通のテーマに向かって、全世界の命と繋がるような社会性を持っていて、子供と一緒になってると年齢の差もあるから、ものすごい世界があるんですよ。それを男の人はウッカリすると「俺のほうが社会を知っている」って思っちゃう。それをついてるような気がする。その辺の間くらいに子供を媒介にして、アニメーションをやることで広い世界に繋がると思いますね。

鈴木:そうかもしれないですね。最近ここへ来て、引退の前から宮崎はそうだったんですけど、あるゆる情報を遮断してるんですよね。どういうことかというと、前は新聞の見出しその他読んでいたのに、ここへ来て一切読まない。テレビも観ないんですよ。それでさっきからご指摘があるように、座ってて色んな情報を集めるっていうのを全て遮断して、自分の身の回りで喋る人、話す人の情報だけで生きていこうとしてる。だから僕なんか彼のところへ行くと、ふと訪れた旅人ですよ(笑)毎日会ってるんですけど。

加藤:(笑)それはずっと定住していた人が色んな人を見てきた旅人に話を聞いたということですね。

鈴木:東京ではこういうことが起きてるんですよ、とか(笑)本当にそうなんですよ。

 

宮崎駿の引退の本当の原因とは?

加藤:「紅の豚」のときに、映像を撮りましたよね?「さくらんぼの実る頃」を歌うシーン。その時に初めてフランス語であの歌を歌った。まず音を撮って映像を撮りました。音を撮ったときに、観客となって目の前に一番前に僕のために、みたいな感じで宮崎さんが座っていて、私をウットリ見ながら、、

鈴木:もうウットリですよ。

加藤:あの顔がなかったら、「さくらんぼの実る頃」は歌えてないと思います。その時初めてフランス語で歌ったファーストテイクなんですね。

鈴木:そうですね。

加藤:あれはビックリしました。あの後当然本番のレコーディングをするんだと思っていたら、「あれ以上の歌はありません」って言われちゃって(笑)そんなこと歌手の本人じゃなくて、どうして決められるんですか?って思ったのと、もう一つは、その映像を撮ったときに、男性の方に手を出すときは、しっかり目を見つめて、ほんの指先を男性がとったとき、目を伏せてそらして下さいって。それって素晴らしい演出だと思ったんですよ。

鈴木:演出プランですよね。

加藤:そこまでビジュアルが見えてるんだったら、私がやってみなくたっていいんじゃないかって、言ったんですけど(笑)

鈴木:(笑)

加藤:「いや、ダメなんです。ちゃんとやって下さい」って。その時も宮崎さんに申し上げたんですけど、例えば、舞台演出とかもそこまでの色っぽさを出す秘訣を初めて教えられた気がしたんですけど、そういう演出をする人とやったら、私も大した歌手になれるかもしれないって思って、いつか絶対演出してくださいねって言ったんですよ。いつか暇になったらねって(笑)

鈴木:世の中にはこんな便利な機械が出来ちゃったんですよ。人間が芝居をするじゃないですか?それを撮影してCGの機械に入れると、セル画になっちゃうんですよ。そこまで出来てます。

加藤:今もうその手法でやられてるんですか?

鈴木:そう。もう長編もそうだし短編もそれをやってる人は結構出てきましたよね。だからといって、宮崎は「そんなのダメだ!命が入らない。」とか言っちゃってね(笑)ただ、趨勢はアニメーションにおいてもそっちになりつつありますね。あと5年10年経ったら、みんな多分そうなっちゃって。 

加藤:少しだけCGを使っちゃうと、絵で描いてはとても表現出来ないようなことまで、例えば人間が実際動いても、そこまで絶対出来ない程のこともあっさり出来てしまうみたいなことも多くなり過ぎて、それに違和感はありますよね。

鈴木:ありますね。ただね、こういうこともあるんですよ。やっぱりコンピューターを扱う人も、本当に絵心がある人がやれば上手くいくけれど、絵心がない人がやるとダメなんですよ。「ハウルの動く城」の城があって足があるじゃないですか?最初足だけCGでやったんですよ。そうしたら観てて、重量感がないんですよ。

加藤:ほおほおほお。

鈴木:で僕ね、宮さんに珍しく「宮さんあれ、CGでやってるけれど、手でやったらいいんじゃないですか?」って。「何で?」「だって重量感がないですもん」っていったら、負けず嫌いだから「あれはハリボテだから軽いんですよ、鈴木さん」っていってね(笑)

加藤:(笑)

鈴木:でも面白い人なんですよ。次の日から自分で書き始めるんです。

加藤:この辺の、感覚的に何か違うよね、ってことはやっぱり自分でやるしかないんでしょうね。

鈴木:そうですね。あと実際に彼がやったほうが良かったんですよ。でもコンピューターのほうも上手な人がやれば、そういうところに近づけますけどね。

加藤:でもやっぱり最初に言った、何でも自分でおやりになって、土の草を抜くと抜いた途端にそこならミミズが出たりダンゴムシが出たりする。実際にそれをやってる人だからありありと瞬間に何が起こるかって身体でわかってるんでしょうね。

鈴木:身体であるんでしょうね。

加藤:あるんですよね。それがある世代とない世代では、違いますよね。何を描くかって。

鈴木:ある年代まではそういう体験があった。ところがある年代からはそういう体験がないでしょ?そうすると彼が誰と一緒に作るかってときに、そういう体験がある人とやるときは上手くいってたんですよ。で、体験のない人がいっぱい出てきたでしょ?

加藤:そうそう。それが大きいですよね。

鈴木:で、それがね彼の引退の原因ですよね。本当のことをいうと。自分のエネルギーの問題もあるけれど、やっぱり一緒に組んでやることが非常に難しくなった。だって口で言ってもわかってもらえないんだもん。

 

加藤今村昌平さんに昔インタビューしたときに「僕が監督として知りたいのは、戦争というのはどのくらい爪に泥が染み込むかが知りたい」って。「それを知らない自分には何の資格もないと思う」というようなことをおっしゃったことがあってね、映画を撮るっていうのは、それを知ることだって。映画を撮るということは、そのことを経験した人が何を経験した人なのかということを、身をもって知ることだっておっしゃっていて、歌手にしてもアニメーションを作るにしても、若い人は実際に自分の生きた生活の中では経験してない。経験してないんだからわからなくてしょうがないよねっていうんじゃなくて、やっぱり私達は歴史をちゃんと学ばなきゃいけない。だったら出来るだけ経験しようよって。でも勿論戦争なんて経験することはないけれど。でも何によって仮の経験が出来るのかっていうことの中に、宮崎さんの映像があるんじゃないですか?

鈴木:その感覚みたいなものは、アニメーションの中で表現してますからね。

 (ナレーション)

鈴木:やっぱり世の中は良いときもあれば悪いときもあるわけで、そういうことでいうと今の世の中はどんどん悪い方に向かってると思うんですよ。その中でそれに何とか抗おうと頑張ってる人たち、それは本当尊敬に値しますけど、一方で大きな流れって誰にも止められない。止められないけれど、それに抗う人、頑張る人も現実の世界にはいて、一方、小説や文学や漫画、そういう世界でも頑張る人って出てくるし、そういう時こそ面白い作品が出てくるんじゃないかなってどっかで思ってるんですよね。それが過ぎちゃうと、どうせまた良い世の中が来ちゃうんですよね。どのくらいのサイクルなのかわかりませんけど、何かそういう風に思ってますけどね。

加藤:そういうことでいうと、ある程度悪い方に天秤秤がいきだすと、加速して徹底的にいくまで戻れないっていう。でも知的に生きてた人っていうのはどの時代にもいて、それを私達はずっと残されたもの中で見てきたんだなって。

鈴木:さっき鴨長明の話したじゃないですか?あの人が書いたものって何かっていうと、凄い短いサイクルの中で、大洪水だ大火事だ地震が都を襲うって。どこかで世は無常であるっていうのは目の当たりにしたわけでしょ?で、世の無常とどう向き合って生きていったのかっていうのが「方丈記」のテーマなんですよね。「方丈記」っていう作品が生まれたわけでしょ?後世の人は凄いですよ。いまだに読み継がれてるんだもん。

加藤:敢えていうと、そういうことになったりしたときに自分がどの場所で何をして、どう地面を踏みしめて自分自身であり得るかっていうことに、かなり大きな思いを持って生きていかないといけない時代になりましたよね。

鈴木:そうですね。