音源です。
今回は番外編として、「Tokyo Midtown prerents The Lifestyle MUSEUM」に出演している、スタジオジブリの鈴木敏夫さんの声を届けたいと思います。
この音源は、「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」2013年11月16日放送の内容と同じもので、今回は後編です。しかし、「汗まみれ」では割愛されている部分がいくつかあるので、今回はその割愛部分にフォーカスしていきたいと思います。内容は映画「風立ちぬ」についてです。
こちらの回と一緒に読んでいただけると、話が分かりやすいかと思いますので、ご一緒にどうぞ。
ピーター・バラカン(以下バラカン):こんばんわ。ピーター・バラカンです。
山内ともこ(以下山内):こんばんわ。山内ともこです。先週はスタジオジブリの鈴木敏夫さんに映画「風立ちぬ」、そして宮崎駿監督の引退などについて、根掘り葉掘りお訊きしたんですけども、到底時間が足りないということで、今週も引き続きお話を伺うことになりました。改めてご紹介しましょう。今日のライフスタイルゲストは映画プロデューサーでスタジオジブリ代表取締役鈴木敏夫さんです。
鈴木敏夫(以下鈴木):こんばんわ。
バラカン・山内:こんばんわ。
バラカン:引き続きよろしくお願いします。
鈴木:はい。
バラカン:スタジオジブリを作る前から、映画を作ってたんですか?
鈴木:いや、僕はその前は出版社にいました。雑誌を作ってました。
バラカン:あ、そうですか!
鈴木:そうです。
バラカン:先週の番組で自分の立場が編集者のようだと仰ってたんですけど、そういう経験があってよくわかってるんですね?
鈴木:いや、そこまでわかってたわけじゃなく、どっちかというと記者の方をやってたんで。
バラカン:そうですか。
鈴木:でも、なんとなくわかってましたよね。だから映画のプロデューサーになるっていうときに、僕だって悩むわけですよ。要するに仕事を変えるわけでしょ?せっかく培ったキャリアを捨てなきゃいけない。映画のプロデューサーか、と。でもその時にハッと思ったんですよ。編集者続ければいいんだなって。そうすると、自分の中で気が楽になったのを覚えてますね。
バラカン:初めてプロデュースした映画は何でした?
鈴木:結局、ナウシカなんですね。肩書とかはあれなんですけど、ナウシカをやろうって言い出して、ちょうど宮崎駿が本人に言わせると、「俺は干されていたんだ」っていうときに彼に映画を作ってもらおうって思ったんですよね。
バラカン:何で干されていたんですか?
鈴木:アメリカとの合作で一本映画を作ろうとしたんですけど、それが上手くいかなかったことが一つ。それと「カリオストロの城」って、彼の初めての映画作品だったんですけど、今でこそ大変な評判なんですけど、実はお客さんが全く来なくて。この二つが理由で、アニメーションから足を洗おうって、ちょっと考えていた時期があるんですよね。
バラカン:うん。
鈴木:その時に僕らが付き合い始めて。で、やってるうちに、せっかくアニメーション映画作れるんだから、一緒にやらないか?ってことで色々やっていったんですけどね。
バラカン:鈴木さんがプロデューサーになったのは、自分から職種を変えようと思ったんですか?それとも、、
鈴木:やってるうちにそうなっちゃったんですよ(笑)
バラカン:あー。
鈴木:最初のうちは、ナウシカのときなんかは、宮さんに映画を作ってもらおう、と。それはいいですけど、じゃあどうやってやるんだろう?って何もわかんないですよね?
バラカン:うん。
鈴木:それまで作ったことがないわけだから。そうして宮崎駿に「この映画を作るに当たって、条件は何かあるんですか?」って訊いたら、ひとつだけある、と。何かなと思ったら「高畑勲にプロデューサーやってもらいたい」って。これ宮さんの要望だったんですよ。
バラカン:うん。
鈴木:で、僕が高畑さんにそれを話しに行ったんですけど、高畑さんって簡単に首を縦にふる人じゃなくて。一ヶ月くらい毎日通ったんですよ、彼の家に。だいたい午後行って、夜中まで。最初はプロデュースの話してるんですけど、話が横道に逸れたりして。その間に彼がノートに何か書いてたんですね。何かといったら、一ヶ月後にわかるんです。「ところで高畑さん、プロデューサー引き受けて下さい。どうなったんですか?」っていったら、ちょっと見てもらえますかって大学ノート出してきたんです。タイトルに「プロデューサーとは何か」って書いてるんです(笑)で、開くと、西欧のプロデューサーは、映画の場合はこう、芝居の場合はこう。それに引き換え日本ではどういうのがプロデューサーと呼ばれてるのかって永遠書いてあるんです。研究してたんですね。で、研究した結果、細かいことは忘れましたけど、最後の一行だけは忘れないんですよ。こう書いてあったんです。「だから僕は、プロデューサーに向いてない」って。
山内:向いてない(笑)
鈴木:で、僕はガックリきて。
バラカン:うん。
鈴木:しょうがないんで宮さんのところに行って、「ダメだって言うんですけど」って。宮さんの方も譲らなくて、高畑さんがプロデュースやってくれないんだったら、僕は映画作らないって。無茶言い出すわけですよ。
バラカン:それでどうして鈴木さんということになったんですか?
鈴木:そこの話が長くなっちゃうかもしれないんですけど(笑)「何で高畑に拘るんですか?」って訊いたんです。そうしたらこんなこと言い出したんです。「俺は高畑さんのスタッフとして、15年間青春を捧げた。何も返してもらってない。返してほしい」って言うんですよ。そこまで聞いたらしょうがないじゃないですか?
バラカン:うん。
鈴木:その足で高畑さんのところに行って、「あなたの友達がプロデューサーやってほしいって言ってるんですよ。それを無碍に断るんですか?」ってかなり強い調子で言いました。そうしたら「わかりました」とか言っちゃって(笑)それでプロデューサーになるんです(笑)
バラカン:へー。
鈴木:それで僕がプロデューサーになるキッカケは、高畑さんのそばでプロデュース補佐をやってたんですよ。高畑さんも特段プロデューサーをやってきたわけじゃない。でもあの人は、事務能力もいっぱい持ってる人なんですよ。企画能力その他。彼からありとあらゆることを学びましたよね。それで本来映画監督ですから、何本もプロデュースするわけにもいかない。それでその仕事が段々僕に回ってくるっていう、それが僕がプロデューサーになったキッカケなんですけどね。
バラカン:気がついたらなってたっていう感じですか?
鈴木:なってたんですよ。やりたいとは一度も思ったことなかったんですけれど(笑)
山内:でも当時日本の映画界で、プロデューサーとはなんぞや?ってみんな思ってたと思うんですよね。どういう仕事をするのか。
鈴木:僕はすごく嫌でしたね。
山内:あんまり一般的には認知されてなかったんじゃないですか?
鈴木:僕アニメーション雑誌やってたんですけど、一応編集長っていうのをやってたんですよ。その編集長がプロデューサーになるときに、何か格が落ちたなって気がしてね(笑)わかりますかね?だから編集長の肩書がなくなるの寂しかったりして(笑)
バラカン:あー。
鈴木:編集長だったら自分のやりたいことを思うように出来るわけでしょ?でもプロデューサーの場合、監督を尊重しなきゃいけない。これがめんどくさいなと思って(笑)
バラカン:(笑)
☆☆☆
鈴木:「熱風」ですね?
バラカン:はい。それをこの前最新号を見せてもらったんですけど、これは憲法改正の特集になってました。
鈴木:そうですね。
鈴木:結果としてそうなったんですよ。
バラカン:結果ですか?
鈴木:どういうことかというと、僕は自分が発言をしていくときに、映画のこと以外は話すつもりは毛頭なくて。
バラカン:あー。
鈴木:とはいえ、この間色んなメディアの人と親しくなってるじゃないですか?そうしたら、今年のゴールデンウィーク前かな。名古屋に中日新聞っていうのがあって、僕が名古屋出身なんで。
バラカン:はい。
鈴木:親しい記者から「ちょっと助けてくれ」って言われたんですよ。何かなと思ったら、憲法特集を色んな人に声かけてるんだけどなかなか人が集まらないんで、最終的に3、4人になるんだけど、そのうちの一人として鈴木さんのコメントを出してくれない?って言われて。映画のこともやります、とかって言われて(笑)つい会ってしゃべったんですよ。 で、蓋を開けてみたら、中日新聞で全15段、僕ひとりだったんですよ。
バラカン:おー。
鈴木:僕見てねビックリしたんですよ。だって3、4人いるはずが僕ひとりしかいない。しかも15段って全面でしょ?まぁ名古屋だけだからいいかって思ってたら、中日新聞って東京で東京新聞ですよね?そこに転載されましてね。大騒ぎになっちゃったんですよ(笑)それが宮さんの知るところになって。色んな人からもこんなこと発言してると、酷い目にあうかもしれないよって言ってくれて、そうしたら宮さんが「俺も発言するから」って手助けを差しのべてくれたんですよ。だったら高畑さんも、と。そういうことに関しては関心がある方だから。で、毎月やってる「熱風」の中で憲法特集をやっちゃおうと。会社として向いてる方向も同じだったし、そういう考えを鮮明にするのも良いんじゃないかなと思って。それでいろいろな立場から発言して、ああいう小冊子にまとめることになったんですよね。
バラカン:部数があっという間になくなったらしいですね?
鈴木:凄かったですね。大反響でした。あんなに反響があるとは思わなかったですね。
バラカン:結果的にPDFの形でネットに。
鈴木:そうです。
バラカン:期間限定でしたっけ?
鈴木:期間限定でやってて、ついこの間やめたんですけど、そうしたら色んな方から抗議がきたんで、これはそのままやろうと。
バラカン:うん。
鈴木:もう一回復活させます。
☆☆☆
バラカン:9条は変えるべきだっていう反応はどれくらいあったんですか?
鈴木:かなりありましたね。
バラカン:ああ、そう。
鈴木:国防軍の問題とか。自分たちで自分たちの国を守るのは当たり前。僕なんかに言わせると、いろんな議論がありますけど、日本の憲法元になってるのはパリ条約ですよね?不戦条約ですよね?不戦条約っていうんですかね。アメリカの国務長官とフランスの外務大臣で第一次世界大戦のあと、二度と戦争は起こすまい。そこで謳われたのが戦争放棄ですよね。
バラカン:なるほど。
鈴木:マッカーサーその他が日本の憲法作るときに、そこで決まってたことを反映させた。そういうことでいうと、ある種の理想が謳われたんだけど、僕は進駐軍の押し付けだ、とか言う意見は全然当たってなくて、その精神をいろんな歴史を体験してきた人たちが作ったものを尊重して、それを日本という国に当てはめたっていうのは、素晴らしいことだと思ってるんですよね。
バラカン:うんうん。
☆☆☆
鈴木:ついでだから言っちゃうと、さっきバラカンさんは「風立ちぬ」の戦闘機の残骸、それによって何を言いたいかわかったとおっしゃいましたが、だけど、現実を知ったじゃないですか?もっと悲惨を伝えるべきだったのかなって。というのは、零戦を作ってるのは1935年くらいなんですよ。
バラカン:はい。
鈴木:最後は45年なんですよね。全然違うんですよ、状況が。これは宮崎駿が随分前に考えたやつだったんですけど、もうそれ以上に世の中は変わってたわけだから、なんてことは考えてましたね。もっと伝えるべきだったのかなって。
バラカン:そういうことをやってる他の映画はアニメじゃないですけど、スピルバーグの「プライベートライアン」。あれの最初の20分間くらいみたら、誰でも絶対にやるべきじゃないって感じるはずですけどね。
鈴木:嫌になっちゃいますよね。
☆☆☆
山内:「風立ちぬ」に続きまして、早くも11月23日に公開される、スタジオジブリの次回作高畑勲監督「かぐや姫の物語」について伺って参りましょう。
バラカン:先程から色々と話に登場している高畑さん。先日、「風立ちぬ」を観に行ったときに予告篇がちょうど流れていたんですけど、こういう古典の物語を取り上げるのは初めてですか?
鈴木:初めてですね。言われてみると。
バラカン:何かわけがありました?
鈴木:これは話すと長くなるんですけど、僕は高畑さんとは「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」「平成狸合戦ぽんぽこ」そして「となりの山田くん」っていう4本を作りまして。一緒に作るの大変な人なんですよ。そろそろ終わりにしようかなって思ってたら、亡くなっちゃったんですけど、日本テレビの氏家会長っていう人が「俺は高畑さんの作品が観たい。俺の死に土産に作ってくれ」って。で、どうしようかなーって思ってたんですけど(笑)死に土産って言われたんで、バチが当たるかなって。デッカイ声で僕のこと怒るんですよ。「俺は観てから死にたい。俺の道楽に付き合え」って言うんですよ
バラカン:おー。
鈴木:悩んだんですけど、それで高畑さんと話し始めたのが2003年くらいなんですよね。
バラカン:10年くらい前?
鈴木:そうなんですよ。最初高畑さんが平家物語やりたいっていうんで、平家物語は黒澤も最後やりたくてしょうがなかった企画なんですけど、僕もやりたかったんです。でも、凄い上手なアニメーターがいて、そいつがいなきゃ出来ないんですけど、そいつが「人を殺すのは描きたくない」っていうんで、何描きたいの?って訊いたら、「子供を描きたい」。それで実は高畑さんが前から、かぐや姫っていうのは日本最古の物語である、と。これを日本の映画界は誰もきちんと映像化してない。誰かがやるべきであろうって言ってたんですよ。それで僕が2005年ですよね。高畑さんに「かぐや姫やりませんか?」って。
バラカン:うん。
鈴木:そうしたら、まぁそういう人ですから「何で僕がやらなきゃいけないんですか?」って。「誰かがやるべきだって仰ってましたよね?それ高畑さんでいいんじゃないんですか?」っていったら「やるべきだとは言ったけれど、自分がやるって言った覚えはない」。
バラカン:(笑)
鈴木:「わかってるんです。ですけど、やりませんか?」って。そうしたら「まぁ検討してみます。」って(笑)
バラカン:それが10年前ですか?
鈴木:いやこれは8年前ですね。それで氏家さんに伝えたら大喜びで。とにかく氏家さんは高畑作品が大好きで、ジブリ作品で一番好きなのは「となりの山田くん」。大好きだったんですよ、あの人。
バラカン:うんうん。
鈴木:で、始めたんですけど、バラカンさんご存知かわからないですけど、月からやってきて竹から産まれた女の子を、お爺さんとお婆さんで育てて、彼女の幸せを願って、都へ連れて行く。それで5人貴公子とお見合い。それを袖にする。ついには帝まで出てくる。と思ったら、月からお迎えが来る。これだけの話なんですよね。
バラカン:うん。
鈴木:そうすると、そのまま映像化すると20分か30分なんですよ(笑)原作がそうなんですけど、起きた出来事は描いてたんですよ。しかし、その時々かぐや姫は何をどう思ったのか、は一切描いてないんですよ。
バラカン:ほー。
鈴木:で、それを付け足していけば、映画になるって高畑さんが言い出したのが2005年ですよね。それでシナリオ書き始めるんですけど、シナリオが1年半だか2年かかって。最初3時間半くらい書くんですよね。
バラカン:3時間!
鈴木:平気なんですよ。「となりの山田くん」は7時間書いた人なんで。
山内:えー凄いですね。
鈴木:その3時間半をそのままやるって言ったら大変なんですから、何とか2時間にって言うことで時間がかかって。やるっていうときに何故時間がかかるかっていったら、長いやつを書いておいて、それをちゃんとストーリーボードに置き換えるんですよ。
バラカン:うん。
鈴木:それでアニメーションとして良いシーンになるかどうかを、一個一個検討なんですよ。良いシーンになるやつだけで繋ぎ合わせようとするんですよ。だから時間かかるんです。そのストーリーボードが完成したあと、色んなアニメーターに描かせることになるんですね。
バラカン:じゃあ、実写の映画と逆ですね。編集作業を本番に入る前に。
鈴木:かもしれないですね。仰る通りです。人間の手で描くわけですから。でも高畑さんというのは、ストーリーボード描いたら、それは一切変更を入れない。普通のアニメーションの映画監督って、余分に描いちゃうんですよ。
バラカン:うん。
鈴木:長くなったりするんですよ。1時間半のやつを2時間くらい描いちゃったり。で、あとで削ったりするんですよ。そういうことは絶対にしない。描いてもらったのは全部使う。それと高畑勲っていう人は、力は凄いんですよ。なんていったって元は宮崎駿の先生だとかあるんで、「となりの山田くん」以来ですから、14年ぶり。そうしたら何と日本中の凄いアニメーター全部集まってくるんですよ。
バラカン:なるほど。
鈴木:名前だけは聞いてる。名前と噂は聞いてたけど、本当に一緒にやったことはない人たちが集まってきて、それで作り始めるんですよね。伝説の人なんですよ。業界では。
バラカン:うん。
鈴木:伝説の男が帰ってきたって(笑)
バラカン:いま何歳ですか?
鈴木:77。もうすぐ8ですね。
バラカン:で、宮崎さんと比べたら細かいことの負担は、同じようなものですか?
鈴木:いや10倍くらいすごいでしょうね。
バラカン:あ、そうなんですか?
鈴木:宮崎駿がそう言ってますからね。これ観ていただくとわかるんですけれど、普通のアニメーションって、背景っていうのがあってその上にキャラクターが乗っかるんですよ。そうすると絵の趣が違う。それが一枚の絵になっちゃってるんですよね。背景とキャラクターが馴染んじゃって。それを全編動かす。これ言葉だけじゃあ中々伝わらないと思うんですけど。ただ「風立ちぬ」を観ていただいた方は、そこに予告篇がついてましたから(笑)
山内:今までのかぐや姫とは、全然違う物語だって期待した方も多いと思いますね。
鈴木:それは意図的にやりましたね。高畑さんに約束したんですよね。予告篇は観ないって。予告篇はこちらで作らせていただきますって。
山内:そうなんですね!
鈴木:当たり前じゃないですか。観たらダメっていうに決まってんだもん。
バラカン:(笑)
山内:ビックリな事実もわかりました(笑)
鈴木:大変なんです。