鈴木敏夫のジブリ汗まみれを文字起こしするブログ

ポッドキャスト版「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」の文字起こしをやっています。https://twitter.com/hatake4633

日本大学芸術学部での鈴木さんの講演会の模様です。 司会:古賀太さん

2015年2月24日配信の「鈴木敏夫ジブリ汗まみれ」です。

http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol356.mp3

 

ーナレーションー

 

鈴木敏夫ジブリ汗まみれ。

 

今週は去年、日本大学芸術学部で行われた鈴木さんの講演会の模様をお送りします。この講演は、博報堂の藤巻さんのご息女が、この大学に在学中ということで実現しました。

 

司会進行は、日本大学芸術学部映画学科の古賀太教授です。

 

鈴木:学生の頃は、アルバイトばかりしていましたね。全部で20何種類。明治神宮でお団子を作るバイトもしましたね。学校の中でウロウロしていたら、バイト先のあるお父さんが「鈴木くん。どうするんだ?」っていうから「どうしたらいいんですかね?」って。そのバイト先で変なことをしていたんです。子供調査研究所っていうのがあって、子供たちを集めて座談会をやるんです。これは厳密にいうと電通博報堂の仕事なんです。例えば、ロッテが新しいアイスクリームを出すっていうときに、5、6人の子供に食べさせて、その味についての調査をするんです。僕もそのときに初めて知ったんですけど、毎年アイスクリームって甘さを少しずつ減らしてきた歴史があるんです。当時なんですけど。

 

古賀:へー。

 

鈴木:その減らし方をどのくらいにするかっていうことがテーマで子供たちに話を聞いていて、その調査報告書を原稿にまとめないといけない。これが結構ギャラがよくて。400字1枚1000円でしたから。いっぱい書いちゃおうと思って。10枚書いたら1万円でしょ?僕らが会社に入った頃、新入社員の給料って3万円でしたから。そこのお父さんが「鈴木くん、文章書いたりまとめるの上手いから、そういうところ行ったらどうだ?」って言うわけですよ。僕は出版社なんて興味なかったんですよ。だけれど「自分の得意なことを活かす」。これがポイントだと思ったんですよ。それで読売新聞とか受けたんですね。

 

古賀:へー。

 

鈴木:学生時代だからこういうことがありました。受験会場にすごい可愛い子がいたんですよね。試験の最中にその子と抜け出して、試験を受けなかったりね。

 

(会場、笑い)

 

鈴木:青春ってそういうもんじゃないですか!で、こんなことやっていたらいけないな、と思う。あとはスポーツニッポンかな。ここは最終面接まで行ったんですけど、当時カノウツカオっていう人が社長で、人の面接に失礼だったんですよ。太ってたからズボンをずり下げていて、パンツが見えてるんですよ。それも青春の1ページだと思って皆さんに披露しますけど、「あのー社長。人が一生を決めるこの大事な場所でパンツが見えるっていうのは何ですか。」って。そうしたら怒っちゃってね(笑)

 

(会場、笑い)

 

鈴木:若かったんですね。で、やっていったら徳間書店というところが採用してくれた。出版社受けたのこの一社だけだったんですよね。徳間書店受けるときも、特に受けたいわけじゃないんです。そうした志望の理由は?なんて訊かれるでしょ?僕嘘つくの嫌だったんで、「やってみたら面白いと思ったんですよ。」って言って黙ってたら訊かれたんです。「お前今までどういう週刊誌読んできたんだ?」って。そういうときに言っちゃいましたね。「読んだことありません。」本当に読んだことなかったんですよ。そういうのが今に通用するのかわかりませんけど。やってるうちにアニメーション雑誌をやることになって、それで宮崎駿と出会って今日を迎えると。

 

古賀:ありがとうございます。

 

鈴木:非常に端折りました!

 

(会場、笑い )

 

古賀:最初、週刊アサヒ芸能という雑誌をやられていて、それからアニメ雑誌徳間書店が立ち上げて、アニメージュという雑誌創刊のときに引っ張られていった。その時に鈴木さんにとってアニメってどういうものですか?

 

鈴木:何にも興味なかったですね。

 

古賀:全く?

 

鈴木:本当に。僕の先輩で尾形っていう人がいたんですよ。このおじさんが面白い人で、この人がアニメーション雑誌を企画するんですけど、テレビで宇宙戦艦ヤマトっていうのがやってたんですよ。これがすごい人気で。

 

古賀:そうですね。

 

鈴木:尾形っていう人の息子さんが18か19で、宇宙戦艦ヤマトの大ファン。この方は自分の息子がヤマトのファンだからヤマトの本を作りたくなるんですよ。理由はそれだけ。それが売れるとか売れないとか何にも考えないんです。自分の息子がヤマトのファンであるがために、ある人がヤマトの本を作らされるんですけど、それが50万部売れたのかな。あの人は面白いことにすぐ飛びつく人、であると同時に良いお父さんだったんでしょうね。

 

古賀:なるほど。

 

鈴木:で、息子はアニメファンでもあるから、アニメーション雑誌を企画するんです。それを企画したのが77年の暮れでしたね。あるアニメーションの研究グループを呼んで、毎日のように僕の横で企画会議やってるんです。自分の息子のためだから、毎日頑張るんですね。すごいなと思って見ていて、そのうち聞こえてきたんです。タイトルは「アニメージュ」って。僕はそのタイトルに感心しました。アニメーションっていう英語とフランス語のイマージュを一緒にしたんです。で、発売日が5月28日に決まったんです。それでゴールデンウィークの直前、尾形さんに呼びつけられるんです。「アニメージュ、やってくんないかな?」って言うんですよ。4月の末で5月28日に本を出すっていうのは、実作業は2週間なんです。本が出来てから世の中の本屋さんに行くまでに2週間くらいかかりますから。その2週間で作ってくれっていうんです。僕びっくりして、「ずっと一緒にやってきた人どうしたんですか?」ってきいたら「喧嘩しちゃって、クビにした。」って言うんですよ。「な?敏ちゃん。頼むよ。」って3時間くらい説得されました。それで「どういうもの作るんですか?」「ウチの息子が見るから、頭の良い子が読む本にしてくれよ。」

 

古賀:(笑)  

 

鈴木:本当にびっくりしちゃって。それで本を作るときって予め見本を作るんですよ。それあるんですか?ってきくと「いや、ない」って言うんですよ。「何にもやってないんですか?」っていったら「何にもやってないんだよ。」っていう。「何となくイメージはあるでしょ?」「そりゃあ敏夫くん、高級な本だよ」って。

 

(会場、笑い)

 

鈴木:「どうしてですか?」ってきくと「ウチの息子が読むからだ。」ってそればっかなんですよ(笑)これ後になると、僕の人生に影響与えるんですよね。つまり、仕事は公私混同で良いっていう。

 

古賀:素晴らしいですね。  

 

鈴木:それで尾形さんが「俺もこの間色んな子と知り合って、アニメファンの高校生の女の子が3人いる。その子達を紹介する。」っていうんで、しょうがなく次の日にその子達に来てもらって朝から晩までアニメーションのこと聞いたんです。それで大体わかったんですよね。そして2日目に内容を決めて、本のページ数、値段。次々と打ち合わせをしなきゃいけなくて、むちゃくちゃ忙しかったんです。3日目には編集部員を選んで、取材期間は1週間しかなかったです。そんなこんなでやってみた本がなぜかたった3日間で全部売り切れたというね(笑)そのぐらいアニメーション雑誌がみんなにとって待望の本だったんですね。

 

そうやってやっていく中で、忙しいから簡単にできるページを作ろう、って思ったんです。そこは自分で担当することにしたんです。で、簡単に出来るページとして、アンコールアニメーション。要するに良い過去の名作を紹介しよう、と。それで女子高生が教えてくれた中に「太陽の王子 ホルスの大冒険」っていうのがあったんですよ。

 

□□□

 

古賀:いま邦画で製作委員会ってありますけど、確か電通の田中さんって方が教えてくれたんですけど、それを考えだしたのが鈴木さんなんですよ、と。

 

鈴木:正確ではないです。

 

古賀:正確ではない?

 

鈴木:色んな企業が連合軍を組むと、それぞれの会社が色々な機能を持ってるじゃないですか?例えば、テレビ会社だったらテレビ。代理店だったらクライアント。そういう出版社だの映画会社だの代理店だのテレビ会社が組めば、それぞれのメディアを持ってますから。それによって一本の映画を大きくすることが出来るっていうもとが、今の製作委員会なんです。それを何となく求めてたのが徳間康快だったんですね。

 

古賀:ああ。

 

鈴木:製作委員会とかそういうことは当時考えてなくて、博報堂さんが乗ってくれればやるんじゃないか。それで徳間社長がそれを聞いた瞬間即決ですからね。そこの会長さんと徳間が親しかったということもあるんでしょう。代理店と出版社が一緒になって映画を作ることに「面白い!」ってなったわけです。それに名前をつけなきゃいけなくって、製作委員会という名前を作ったのは確かに僕なんですよね。

 

古賀:でも今やあらゆる邦画がその方式に従ってますね。  

 

鈴木:そろそろ終わりなんじゃないかって気がするんですけど(笑)

 

古賀:「風の谷のナウシカ」が1984年。そこから30年映画プロデューサーをなさって、高畑監督、宮崎監督とずっとお付き合いになってきたわけですけど、二人の天才を前にして、製作の仕事やキャッチコピーを作られたりされてきてどうでしたか?

 

鈴木:ヒットメーカーっていうレッテルを貼られてますけども、会社って自分でやってよくわかったんですけど、月にかかる経費っていうのが毎月高くなってくるんですよ。一本の映画を作る製作費がどんどん高騰していくんです。映画だけ作っていたいなってずっと思っていたんですけど、中々そういうわけにはいかないんですよ。そこで働いている人や会社の建物をどこに作るか、とか毎月お金が余分にかかるようになるんですよ。

 

普通会社というのは、それを解消するために他の事業をやったりするんですね。映画会社だったら一本の映画を一年二年で作ってたものを、一度に二本作るとか。で、気がつくと一回に十本くらい作るような会社になって、大変な目にあうんですよ。そういうのはわかってたんですけど、僕らは映画会社であることを最後まで諦めない。そしてその作るのを一本に集中することを維持するのが、僕らにとって大事なことだったんです。

 

じゃあ、ヒット作をどうやって作ったらいいのか。これも本当のこというと、わかんないです。

 

古賀︰わかりませんか?

 

鈴木︰わかりませんよ。作ろうってときは何か面白そうだなって思ってやるわけです。その過程でどこかで、世の中の人に向かってどうやって宣伝していくかというのがある。

 

古賀︰それは後から?  

 

鈴木︰後から考えます。その前に前提の話をしたいと思います。製作委員会とは何なのか。

 

例えば、徳間書店というところで僕は映画を作り続けたんですけど、徳間グループというのがあって、出版を中心に映画会社とか音楽会社とか色々やってたんです。それ全部集めると、1600人になる。一家族三人だとすると、4800人。つまり、徳間書店で映画を作れば、5000くらいは観てくれるなって(笑)

 

古賀︰(笑)

 

鈴木︰本当にそう考えたんです。でも博報堂さんが入ってたでしょ?博報堂は当時8000人くらいですかね?8000人だとしたら、3倍すれば2万4000人。徳間書店と足すと3万人。いいですか?皆さん算数出来ますか?  

 

古賀︰そのぐらいであれば(笑)

 

鈴木日本テレビっていうところとヒョンなきっかけで一緒にやることになるんですけど、日本テレビが本体で2000人くらい。グループを入れると3000〜4000人の会社だったんですが、日本全国にネット局というのがあるんです。そのネット局って43もあるんです。そこに社員って何人いるんですかね?さっきの本体と合わせると1万5000人になるんです。そうすると、6万5000人なんです。

 

で、途中からローソンというところと一緒にやることになる。ローソンは全国に当時で8500。一つの店舗で何人の方が働いているか。少なく見積もって5人だとすると、5人×8000=4万。これで10万人超えるんですよ。これに家族を入れると、30万になるんです。

 

で、読売新聞さんとも組んだんですよ。  

 

(会場、笑い)

 

鈴木︰読売新聞さんって、全国に新聞販売店いくつあるか?6000軒なんです。一つの新聞販売店で何人の方が働いてるかというと、10何人。それに6000をかけて、家族を足したらってことなんです。わかります?どんどん増えていくんですよ。

 

それからディズニーさんもいますし、東宝さんもいる。つまり、製作委員会をやるってことは、いま挙げていった人たちが製作委員会の仲間だってことになるんです。それが末端まで浸透しているかはともかく、ウン十万人の人がやるってことになるんです。同時にその人たちが観客になってくれる。

 

僕がやってきたことの一番大事なことは、そのうん十月の人たちに、どうやって一人ひとり仕事のテーマを出すかです。例えば、ローソンだと今回の「思い出のマーニー」でいうと、どの店舗でもマーニーのポスターが貼られました。とすると、少なくとも1万2000人の方がそのポスターを貼ったんです。そうしたら気になるでしょ?「思い出のマーニー」っていう作品が。全員が行ってくれるとは限りませんが、前だとそういう人たちはみんな行ってくれた。

 

以前に郵便局とネットワークを組んだことがあって、郵便局って全国に2万4000もあるんですよ。

 

古賀︰(笑)

 

鈴木︰すごいでしょ?一人だけでも2万4000。3人としたって7万。家族を入れたら20万になるんです。これって映画だけじゃなくて色んな仕事に当てはまると思うんですけれど、自分の仲間を増やしていくことが、成功の秘訣なんじゃないかなって気がしてるんです。

 

古賀︰同時に製作委員会に入られた仲間たちに、仲間だから仕事しろというか、、

 

鈴木︰仲間の印に仕事をやっていただくわけですよ。レンパン状みたいなもんですよね。本当のこというと、そのウン十万人の人たちの名前をクレジットに載せたいくらいなんです。

 

さっき日本テレビでネット局43あると言いましたが、具体的な例を出すと、各局で試写会を開いていただくんです。そうするとテレビで告知をするじゃないですか?スポットがバンバン出てくる。これが凄く大きい。

 

と同時に試写会にやるにあたって、藤巻さんなんかがいつも頑張って探してくれるスポンサーの方がいて、その方たちと地方の方と組んでいただくんです。そうすると、そこでバラバラだった人たちが交流を持ったりするわけです。それによって輪が広がっていく。つまり、一つの作品に関わる人を増やすっていうことがたぶん基礎数字なんじゃないかなって思っています。

 

何のためにそんなことをするのかって言ったら、さっきも言いましたが、製作費がどんどん上がっている。僕は凄い儲けて云々っていう考えではないんです。トントンでいいと思ってるんです。そうすれば、次が作れるから。

 

要するに、それで大きな赤字を作っちゃうと、次が作れません。ここが一番大事なところなんですね。気がついたらそうやってやってました。いつのまにか。

 

というのは、何もわかっていない人に訴えかけるのは難しいんですよ。それよりも仲間になってもらって、同時にその人たちに映画を観てもらう。こっちの方がわかりやすいと思ったんです。それが一番大きいことでした。

 

千と千尋の神隠し」のときも、諸般の事情がありまして、ヒットしなかったら回収出来なかったんですよ。これが大きい理由なんです。

 

ーナレーションー

 

日本大学芸術学部映画学科の大学生を前にしての、鈴木さんの出版社時代、製作委員会の仕組みについてのお話、いかがでしたでしょうか?

 

来週は、鈴木敏夫が語る菅原文太特集です。お楽しみに。