鈴木敏夫のジブリ汗まみれを文字起こしするブログ

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昭和の銀幕スター「菅原文太」さん特集

2015年2月25日に配信された「鈴木敏夫ジブリ汗まみれ」です。

http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol357.mp3

 

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鈴木菅原文太さんは単なるファンで、ジブリとの関係でいうと、『千と千尋の神隠し』ですよね。

 

文春:釜爺ですよね。

 

鈴木:あの釜爺を誰にやってもらうかっていうのは、宮崎駿がすごく拘ったんですよ。簡単に名前を出さなくて、どうしようかなーと思っていたときに、僕の中でふと浮かんで。

 

文春:鈴木さんのご提案だったんですね。

 

鈴木:そうなんですよ。何でかと言ったら、一つは「それは愛だ」っていうセリフがあるんです。宮崎駿の要望は、それを言って真実味があるいないの?っていう。

 

それで色々考えた結果、文太さんが頭に浮かんだんです。それがスタートなんですよね。実際来てやっていただいたら、一発でしたよね。宮さんがすごい気に入っちゃって。

 

僕文太さんって、脇役の頃からずっと見てきてまして(笑)脇役の頃から目立ってたんですよね。で、悪役をよくやってたんで。若山富三郎の敵役とかね(笑)そうなると何か気になっていて、何となく調べたりして。すると、文太さんって元々新東宝

 

文春:そうですね。

 

鈴木:早稲田を出て新東宝でしょ?

 

文春:モデルを挟んで、新東宝に入られてるんですよね。

 

鈴木石原裕次郎が出てきた頃だから、新東宝として吉田輝雄っていう人と寺島達夫の三人を売り出そうとして、東京タワートリオっていう(笑)

 

文春:へー。

 

鈴木:足が長いから(笑)それでその三人を売り出そうっていうので色々やったんだけど、会社そのものが上手くいかないっていうことがおって。のちに松竹の映画だったと思うんですけど、「見上げてごらん夜の星を」っていうのがあって、この映画の中で文太さん、先生役をやってるんです。それがなんとなく僕は好きで。

 

文春:へえ、そうなんですか。

 

ーナレーションー

 

鈴木敏夫ジブリ汗まみれ。

 

今週は、去年の末に高倉健さんを追うように亡くなられた、昭和の銀幕スター菅原文太さんを特集します。

 

今回は、週刊文春の1月1日、8日新年特大号で鈴木さんが語る「菅原文太 絶対観るべき映画・ドラマ21本」のジブリ汗まみれ版です。

 

 

鈴木:彼が本格的にスターになったのは、『人斬り与太』ですよね。この映画は深作欣二っていう人が作るんですけど、全編ロケでセットがない。川崎の街を走り回るんですよ。

 

文春:なるほど。

 

鈴木:『仁義なき戦い』の延長線みたいな映画ですよね。

 

文春:なんかそうみたいですよね。

 

鈴木:この『人斬り与太』は、すごい映画なんですよ。これで一気に前に出ることになる。彼が人気を決定づけるのはこの『人斬り与太』と『人斬り与太 狂犬三兄弟』なんですよ。これも深作欣二ね。

 

文春深作欣二との出会いが大きかったんですかね?

 

鈴木:大きかったですよね。それで彼の新しい側面が出るんですよね。それまではコミカルでしょ?コミカルだったのが、いきなり極悪坊主の敵役をやって、そのイメージで『人斬り与太』の狂犬じみたヤクザ。健さんとは違う。そこへ行くんですよね。

 

文春:なるほど。

 

鈴木:それが『仁義なき戦い』に行くんですよ。それでこの作品のあと、色々出るんだけど、もう一回コミカルに戻るんですよ。それが『まむしの兄弟』であり『トラック野郎』なんですよ。あんまり上手くいかなかったけど(笑)

 

文春:『まむしの兄弟』『トラック野郎』の流れはあんまり上手くいかなかったんですか?

 

鈴木:上手くいかなかったですね。映画もつまんなかったし、お客さんもあまりつかなかったし。それでテレビの方に行くんですよね。そんな流れですよね、大きくいうと。

 

健さんと文太さんって共演作多いんだけど、当時の文太さんって一枚看板じゃないんですよ。ちょっと弱くてコミカルな役を健さんのそばでやる。その代表作が『ごろつき』っていうやつで。これは良い映画なんですよね。

 

文春:『ごろつき』は良い映画なんですか。

 

鈴木:うん。マキノ雅弘。そこに文太さんが出てるんですよ。

 

文春:1968年。

 

鈴木:これも一つの出世作ですよね。何でかといったら、健さんがそれまでのヤクザものとちょっと違う路線の映画をやるんですよ。

 

当時キックボクシングっていうのが流行ってて、キックボクシングのスターたちがその映画に出るんです。九州の炭鉱でテレビを観ているんですよ。そうしたら沢村忠が勝っている。その炭鉱がもう廃坑になるときで、健さんがみんなにキックボクサーになるのがいいって言われて。

 

お母さんが三益愛子っていう素晴らしい役者さん。そこで健さんをけしかけるのが、文太さんなんですよ。俺も一緒に行くからって。それで二人で東京へ行く。確か健さん、学生の頃ボクシングやってたでしょ?

 

文春:そうですね。

 

鈴木:ただ回し蹴りとかあったから大変だったんだと思うんだけど。

 

健さんの方に話がいっちゃうけど、『ごろつき』っていう映画。時代は現代。任侠映画の中でも異色の作品で、ボクシングやるっていっても金ないから、夜アルバイトで流しをやるんです。設定としては文太さんがギターを弾いて、健さんが歌う。そこで歌う歌が『網走番外地』と『唐獅子牡丹』なんですよ(笑)

 

文春:へー。

 

鈴木:僕の知る限り映画の中で健さんが、生で歌うっていう唯一の作品。「お客さん、何がいいですか?」ってきくと「適当に歌え」って言われて、「じゃあ唐獅子牡丹いこう」って(笑)

 

文春:なるほど。それは流行ってたという設定の中での映画なんですね。

 

鈴木:そうそうそう!自分が演じてたくせにね!自分が演じてた映画の主題歌を、流し役で両方歌うっていう。そこで健さんを支える菅原文太

 

文春:舎弟みたいな感じですよね。

 

鈴木:そう。だけど結局、ヤクザ映画だから殴り込みでしょ?

 

文春:キックボクシングなんだけど、スポーツにはいかないわけですね。

 

鈴木:それもやっといた上で、殴り込みもあるんですよ。話がメチャクチャなんだけど(笑)

 

そのキッカケは、文太が流しの親父さんに世話になってて、その人が殺されちゃったもんだから、一人で殴り込みに行ってなぶり殺しにされちゃうんですよ。それがキッカケで怒って。健さんも悩むんですよ。キックボクサーのチャンプを目指すか、あるいはって。これ結構いい映画なんですよ。

 

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鈴木:『人斬り与太』と『人斬り与太 狂犬三兄弟』、特に『人斬り与太』は新しいヤクザ映画のスタートなんですよね。

 

文春:なるほど。

 

鈴木:もう任侠映画は終わり。当時よく覚えてるんですけど、『仁義なき戦い』って何で生まれたのかっていったら、『ゴッドファーザー』の大ヒット。

 

文春:そうなんですか。

 

鈴木:そう。そうすると、日本版のそれを作ろうと。しかし、安く作ってあるんですよね(笑)

 

文春:なるほど。そういうことなんですか。

 

鈴木:当然僕らの世代って『ゴッドファーザー』観てるでしょ?だから『仁義なき戦い』と比較対象するんですよ(笑)アメリカと比べると、日本って貧しい国なんだなって。

 

文春:敗戦後の広島ですからね。

 

鈴木:というのか、ちゃちなんですよ。セットその他も。だって僕の記憶だと『仁義なき戦い』は72年でしょ?

 

文春:73年みたいですね。

 

鈴木:そうですか。

 

文春:73年1月ですね。

 

鈴木:僕は一年生のときだもんな。で、仲間と一緒に日本が作るとどうしてこうなっちゃうんだろうって(笑)

 

文春:という話をしていた?

 

鈴木:そう。だからみんなが思ってるほど凄いっていうより、寂しいっていう方が。これが良くも悪くも日本だよねって。そこで主役を演じる文太さんは良かったけれどっていう話になるんですよね。僕が忘れられないのが『炎のこどく』と『ダイナマイトどんどん』。

 

文春東映大映

 

鈴木:これが良かったんですよね。

 

文春:あ、そうなんですか?

 

鈴木:うん。僕は東映という会社と付き合ってたんで知ってるんですけど、『ボクサー』っていう映画は忘れないですよね。これ文太さんの企画なんですよ。

 

文春:そうなんですか?

 

鈴木:原作・脚本・監督が寺山修司なんですよ。残念ながら映画としては上手くいかなかったんだけど、僕はまだどこかに残ってる映画なんですよね。寺山修司菅原文太が組む。そういうことに意欲的だったんですよ。当時、文太さんが企画したことの一つが井上ひさしの『吉里吉里人』。あの人仙台でしょ?

 

文春:はい。

 

鈴木:そういうものを企画するとかね。あとは『じゃりン子チエ』。これのテツ役を自分がやるっていう。

 

文春:そんなのありましたね。

 

鈴木:それ発表されたんだけど、映画にならなかったんですよ。

 

文春:そうなんですか。

 

鈴木:そうなんです。だけれど、そういう良い役をやってますよね。

 

文春:『ボクサー』っていうのは、どういう映画なんですか?

 

鈴木:ボクシングの映画なんですよ。寺山修司ってボクサーが好きで、いわゆる寺山映画ですよ。いわゆるATGみたいな映画が東映の番宣にのっかったんで、これは衝撃でしたよね(笑)で、今日持ってきたんだけど、新聞広告に載ってるんだよね。こういうキャッチコピーなんですよ。「心を込めて若者に贈る、一発のストレート」。

 

文春 : 素晴らしいコピーですね。

 

鈴木 : それまでの東映のイメージをガラッと変える。それと忘れられないのは『山口組外伝 九州進攻作戦』。

 

文春 : ほうほう。

 

鈴木 : 夜桜銀次の話なんです。背中に夜桜の刺青をしているという。伝説のヤクザだったんですよ。それを文太さんが演じる。

 

僕はこれも好きだったな。『県警対組織暴力』。これも良い映画でしたよね。これも深作さんですよね。

 

文春:やっぱり深作さんが、、

 

鈴木:そうですよね。深作さんと組んだ文太さんは良かった。だけど、健さんには代表作がない。自分と付き合いやすい監督と付き合ってるじゃないですか?ところが、文太さんの方はその後、色んな人と付き合ってそこで代表作多いんですよね。

 

文春:あー。

 

鈴木:だから、『仁義なき戦い』だけじゃないんですよ。寺山修司とも組んだし、『ダイナマイトどんど』んなんて、ヤクザが喧嘩するときに出入りはやめて、野球の試合で決着をつけようってやつなんですけれど、これ良い映画なんですよ。僕大好きだった。監督が岡本喜八で。あれは良かったですね。

 

文春:そんな作品もあるんですね。

 

鈴木:あるんですよ。『ダイナマイトどんどん』なんか東宝でやったんじゃないかな。

 

文春大映ですね。

 

鈴木大映なんだけど、配給は東宝でやってるんじゃないかな。

 

文春:なるほど。

 

鈴木:『炎のごとく』も好きでしたね。これは加藤泰っていう人の映画で。その一方で文太さんだと忘れちゃいけないのが、NHK大河ドラマ

 

文春:『獅子の時代』。

 

鈴木:そう!これは素晴らしかったですね。山田太一。僕は大河ドラマで色んな作品が作られる中、『獅子の時代』は特筆すべき作品で、それを見事に一年間演じきった文太さんにとっては、名前が残る作品だと思いますね。

 

文春:なるほどなるほど。

 

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鈴木:自分がやりたいと思ったものは必ずやる。ということでいうと、アニメーションもやっていただけるんじゃないかな、と僕は思ったわけですよね。

 

文春:釜爺に至るまでの思いが大きいですよね?鈴木さんの中の。

 

鈴木:こうやって喋ってると何となくわかるでしょ?ずーっと観てきたんですよ(笑)ほとんど観てますもん、だって。

 

文春:声の魅力というのは、昔から感じられてたところはあるんですか?

 

鈴木:そうですけど、芝居ですよね。いつも真剣。それがありましたよね。だから『ゲド戦記』のときにも、ゲドの声を演じるとしたら誰がいいか、ということになって僕は文太さん以外ないと思ったんですよ。

 

そうしたら、文太さんちゃんと本を読んで、それに対しての注文をするんです。「この台詞の意味はどういう意味だ?」って必ず聞く人。で、忘れられないエピソードがあって、ちょうど息子さんが亡くなられた頃で、宮さんと会ったときにも「あんたはいいな。いい息子さんがいて」とか言ってましたね。

 

で、『ゲド戦記』は息子の演出でしょ?開口一番こう仰ったんですよ。「遠慮するなよ。何度でもやるから」って。それで喋り出したでしょ?それで「ここのところ、こうしていただけませんか?」ということを吾朗が五、六回やったんですよ。そうしたら、ブースの中から「いつまでやらせんだ」って!怖かったんですよね!(笑)

 

文春:(笑)

 

鈴木:それでしょうがないから僕が出ていって、とりなしたりしてね(笑)

 

文春:吾朗さんも粘る人なんですね。

 

鈴木:ただ、吾朗くんは怖かっただろうな。本当に怖かったって言ってたから。

 

文春:遠慮するなよって言ったじゃないですかってことですけど、そういうことなんですね。

 

鈴木:そうそう(笑)でもね、本当に真剣で台詞が入ってる。で、自分が疑問に思った台詞は喋りたくない。そういう方でしたね。

 

あと、もう一つ。あの人ずっと岐阜にお住まいで、よく来いって言われてたんだけど、中々行く機会がなくて。あそこに徳山村っていうのがあって、そこがダムが造られることで沈むっていうことがあって。そこのダムが出来たときに結局、無用の長物になったんですよ。それをどうするっていう問題に、文太さんが主体的に関わるんですよ。それで連絡が来て、「鈴木さん、あんたも入ってくれ」と。ところが聞いてたら、メチャクチャ忙しいんですよね(笑)

 

文春:あー。

 

鈴木:二週間に一回くらいミーティングがあって(笑)それで「すいません。ジブリは参加しますから、僕自身は動くことは出来ない」と。文太さん自身が著名な先生を集めたりして、その運動をやってらっしゃったんですよね。

 

文春:そうなんですか。

 

鈴木:そういう社会的な繋がりもあるんですよね。

 

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鈴木:文太さんは最後の最後まで活躍しましたよね。僕忘れないのは、『北の国から』。『北の国から’92 巣立ち』というので、間違ってたらあれですけど、純くんが女の子を孕ましちゃうんですよ。その女の子のオジさん役だったんじゃないかな。本当に純くんを怒るっていう役なんですけど、これが良いんですよ。

 

文春:へー。

 

鈴木:あと『高原へいらっしゃい』。これも山田太一なんですけど、ホテルのシェフの役なんですよ。これが雰囲気があって良いんですよねって、これじゃ単なるファンですね!(笑)

 

文春:(笑)ホテルのシェフ役?

 

鈴木:壊れかけてたホテルをみんなで再興するっていう話なんですよ。で、なぜかそのシェフを文太さんが演じるっていう。で、良い味を出すんですよねー。

 

文春:シェフというより、板前っていうイメージですけど。

 

鈴木:あの人結構ハイカラなんですよ。昔モデルやってましたけど、その部分残ってるんですよ。振る舞いが凄くいい。

 

文春:たしかに健さんとは違う品はありますよね。

 

鈴木:あるんですよ、あの人。

 

文春:洋風な品というか。

 

鈴木:『ゲド戦記』のときに、読売新聞のCMをやってもらったことがあるんですよ。そのときにカッコよかったんですよね。ビックリしましたね。でも礼儀にはうるさいんですよね。演出って、Tシャツにジーパンで来るでしょ?そうしたら、「なんだ、その格好は」って、ここから始まるんですよね。そうすると、先へ進まない(笑)それでしょうがないから、間は入って宥めるとかね(笑)

 

文春:編集者ですね。

 

鈴木:いやいや(笑)

 

文春:鈴木さんは、テレビドラマまで詳しいですよね?

 

鈴木:いやいやそうじゃなくて、たまさかそういうのを見ちゃうわけですよ。『輝きたいの』も良いんですよね。これは今井美樹のデビュー作で、今井美樹が女子プロでデビューするっていう作品で、そのコーチ役ですよね。

 

文春:プロレスですか?

 

鈴木:そう。これが良いドラマで、僕は何でそんなものも知ってるんですかね(笑)

 

文春:いや、本当に凄いですね。

 

 鈴木:ほんと馬鹿ですね(笑)

 

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鈴木:だから、ヤクザ映画終わった後も、凄い活躍してるんですよね。最後の最後まで。しかも選ぶ企画が意欲的。

 

文春:さっき仰っていた芸域を広げるんだっていう心意気ですよね。

 

鈴木:そう。また奥さんがなかなかの人なんですよね。

 

ーナレーションー

 

週刊文春のバックナンバー、2015年1月1日、8日新年特大号に掲載された鈴木敏夫が語る「菅原文太 絶対観るべき映画・ドラマ21本」、いかがだったでしょうか?

 

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鈴木:一番つらかったのは、息子さんのことでしょうね。あそこで亡くなったんですよね。代々木上原のところの踏切で。

 

文春:なんか電話しながらっていう、、

 

鈴木:そうですよね。

 

文春:さっきの『ゲド戦記] のときの宮さんと鈴木さんと三人でお話になったっていうのは、その後の話なんですね?

 

鈴木:ちょうど直後でしたね。「幸せだなー。立派な息子さんをもって」って。