2015年4月13日配信の「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」です。
http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol364.mp3
鈴木:『寄生獣』は企画なの?
川村:そうなんですよ。10年前からずっとやりたいって言ってたんですよ。
鈴木:あ、そうだったんだ。
川村:ずっとアメリカが権利もってて。
鈴木:そうだよね。
川村:で、ようやく一昨年日本に権利が帰ってきて、やれるようになったんですよ。
鈴木:あれ20年くらい前でしょ?
川村:20年前ですね。連載をやってたのは。
鈴木:ジブリでやろうかって、色々検討してたことがあるのよ(笑)
川村:ええ!本当ですか!?
鈴木:ほんとに(笑)
川村:ちょっと確かにジブリでやるテーマに近いものを持ってますよね。
鈴木:宮さんがすごい気に入っちゃって。で、俺も好きで。それでやろうかって色々2人でやってたんですよ。色々やってくうちに雲散霧消しちゃったんだけど、あれ原作面白かったもんね。
川村:そうなんですよ。割とナウシカでやってることと近いテーマが、、
鈴木:関係あるよね?
川村:攻めてますよね、岩木先生は。
ーナレーションー
鈴木敏夫のジブリ汗まみれ。今週は、映画プロデューサーの川村元気さんをお迎えして、「日本のアニメ・映画の未来」をテーマにお送りします。
川村さんは2005年公開の『電車男』を初めてプロデュースしてから、小説を原作とした『告白』『悪人』、アニメや漫画を原作とした『モテキ』『おおかみこどもの雨と雪』『宇宙兄弟』『寄生獣』など数々の話題作をプロデュースしてきました。
また、2012年からは『世界から猫が消えたら』『億男』と小説家としての顔もお持ちです。この番組でも何度も対談しているお二人ですが、今夜はどんなお話が聞けるんでしょうか。
鈴木:ドラえもん去年やったじゃない?山崎(貴)さん。
川村:『STAND BY ME』ですね。
鈴木:あれやる前から大ヒットするなって思ってたの。
川村:へー。
鈴木:いわゆる映画じゃなくヒットするんじゃなくって。ある種のイベント性。
川村:あー。ドラえもんをみんなで復習しようっていう。
鈴木:というのか、懐かしい。あの頃はよかったね。たぶんそんな感じ映画を観るんだろうなって思ったのよ。
川村:なるほど。
鈴木:そうすると、映画そのものを観に行くんじゃなくて、ある種のお祭り。『アナと雪の^女王』もそういう感じがあったしね。
川村:ありましたね。
鈴木:だから本格的に映画を作るっていうのと、ちょっと違ってきてるんじゃないかって。
川村:なるほど。確かにすごい当たるものと、本当はもっと当たってもいいのになっていうものの差が開いてきちゃった感じはしますね。
鈴木:本格的に映画作りたいわけでしょ?
川村:はい。
鈴木:そういう人が受難の時代になるよね?
川村:なんでいきなり嫌な話なんですか(笑)
鈴木:でもそうじゃない!?
川村:いやそうなんですよ。イベント性になるかどうかって中々偶然性もあるので。
鈴木:でも意図的にもできるじゃん。
川村:まぁそうですね。
鈴木:というところでいうと、どうするの?これから。
川村:そうですねー。そういうものもやらなきゃいけないんでしょうけど、僕は1個1個企画単位でやっていくしかないかなって思ってますけどね。受難の時代といえば受難なのかもしれないですけど。
鈴木:目の前のことをコツコツ。
川村:その時はその時でやりたいことって、狙い通りに時代とハマるとも限らないので。
鈴木:ジブリなんかはね、宮崎駿の引退っていう問題があったんだけど、それだけじゃないよね、いま長編をやらないのは。何やったらいいか難しいんだもん!
川村:うーん。
鈴木:ほんとに!
川村:そうですよね。企画が何をやったら正解なのかわかりづらくなりましたね。
鈴木:本格的な映画を作ればお客さんはある程度来てくれた、その時代がずっと続くとは思ってないけど、いまこの瞬間なくなってきてるなーと思って。
川村:どうすればいいんですか?
鈴木:だから静かに少し見守るしかないと思ってるわけ!
川村:(笑)
鈴木:だから休憩なのよ。
川村:なるほどね。
鈴木:でね、アニメーションの方でいうと、ジブリの場合はスタッフを抱えてずっとやってきたじゃない?それを一旦ご破算にしようと思ったの。
川村:うん。
鈴木:なんでかっていうと、ジブリはご承知のように手描きでアニメーション使ってきたじゃない?
川村:はい。
鈴木:で、一方でコンピュータを使ってアニメーションをやる、そちらの動きが凄いんですよ。ピクサーってあるじゃない?
川村:はい。
鈴木:そこの親分であるジョン・ラセターとお付き合いがあって約30年近くあの会社を見てきたの。そうしたら、ピクサーって最初のうちこそ2,300人の会社だったの。本当にいい会社だった。スタッフはというとサンフランシスコの郊外に会社があるんだけど、近所の人でやってたんだよね(笑)
川村:へー。
鈴木:ほんとに。そこから一歩も外に出たことがないっていう人がスタッフだったの。ところが途中からアジアの人がいっぱい出てきたの。
川村:アジア人多いですよね、いまピクサー。
鈴木:なんでだろうと思ったら、やりたいっていう人がいるんでって。あそこ入りたいっていってもなかなか入れないはずなのに、アジアの子が入ってる。というのは、ピクサーって高校からある学校へ行かないと入れないのよ。
川村:あ、そうなんですか?カルアーツではなく?
鈴木:カルアーツ含め10年間そこへ行かないと入れないのよ。そうすると高校からアジアの良いウチの子が来て、そういう人たちが今いるんだと。
川村:はぁー。
鈴木:で、見てたら10年20年経ってからじゃない?そうしたらその人たちが、ある時期が来ると辞める。見てると、その人たちが国へ帰って自分でスタジオを作って人の養成をやる。そういうのがどんどん起きたわけ。その人たちがアジアで大活躍。タイ、マレーシア、台湾、インドネシア、ベトナム、すごいんだよね。日本でも3DCGというと、ゲームとかパチンコで使われてるじゃない?
川村:そうですね。
鈴木:それの約80%はタイで作られてるとか。
川村:そうなんですか。
鈴木:一方でアメリカの大作アニメーション映画、アジアで作ってるんだよね。
川村:結構そういうパターン増えてきましたよね。
鈴木:増えてる。
川村:アニメーションの作業をアジアとかヨーロッパに持っていっちゃうっていう。
鈴木:で、ピクサーは自分のところで作ってるじゃない?それ以外のやつってみんなアジアで作ってる。日本もそこに目をつけて、その人たちにやってもらいたい。そうすると、日本とアメリカのスタジオおよびスタッフの取り合いなんてことが起きてるのよ。
川村:CG界で。
鈴木:そのCG界のアニメーターたち、気になるから見るじゃない?みんな上手いんだよね(笑)
川村:ほんと上手いですよね。
鈴木:上手い!敵わない。
川村:たぶん絵を描いても、描けるような人がCGを動かしてるというか。
鈴木:というか、宮崎アニメをみんな勉強してる。
川村:まあ、そうですよね。
鈴木:そういうことを全部考えるとだよ?ジブリこれからどうしていったらいいかっていうとき、非常に大きな壁に突き当たったのよ。
川村:なるほど。
鈴木:だってその人たちが凄いわけじゃん?一方日本を見ると、ちょっと弱くなってるんだよね、スタッフが。手描きとアニメーションという問題もあるけれど、一体これからの日本のアニメーションどこでどうやって作っていくの?というか、現場はもうアジアなのよ。
俺なんかは思ってるんだけど、例えば、日本でも現場でアニメーターで活躍してる人は、これからはアジアに行って作る、なんてことも起きるのかなっていうのが俺の感じなんだよね。
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川村:ジブリのCGアニメっていうのはあり得るんですか?
鈴木:ジブリの中に生まれたときからファミコンがあって、コンピュータに慣れ親しんでいる人がいて、その中で絵心がある人が当然いるわけじゃない?
川村:そうですね。
鈴木:そういう人が出てきて何かやりたいっていったら、そうなるよね。現にNHKの話をしちゃうと、いまローニャを、、
川村:やってますね。
鈴木:あれは宮崎吾朗くんでしょ?あれをやるにあたってはいろいろあったんだけど、結局3DCGでやろうということになったのよ。で、見事にやってのけてるんだよね!
川村:やってますね。
鈴木:今の話でいうと、例えば吾郎くんがジブリに戻ってきて、これでやりたいっていったら、さぁどうしようって悩むよね(笑)
川村:そうですよね。僕もCGアニメを『friends もののけ島のナキ』って、『STAND BY ME ドラえもん』チームの作品なんですけどやって、基本的に絵を描く能力がないとCGもダメだし、アニメーションをつける行為はコンピュータでやるのも手で描くのも、、
鈴木:同じ。
川村:同じですよね?
鈴木:そう。
川村:それはジブリのCGアニメがあっても不思議ではないなっていうのは思いますけどね。
鈴木:手描きとコンピュータでどっちに才能がある人が多くいるか、なんですよ。ということを最近ずっと思ってるんだよね。
川村:いま細田守監督の『バケモノの子』ってやってるんですけど。
鈴木:あれは手描きでしょ?
川村:ザ・手描きのチームがバーっとやってて、それはそれである迫力はあるなと思ってるんで。
鈴木:そういう人たちって、年齢層高いでしょ?
川村:そうですね。でも割と広いですかね。
鈴木:そうかー。細田くん頑張ってるんだね。あいつはこだわるの?手描きに。
川村:今のところ手描きにこだわってますね。もちろん美術とかはCGにしたりとか。
鈴木:美術はCGにしてるんだ?
川村:結構混ぜてるんですよね。もちろん描いたものをCG化したりとか。『おおかみこどもの雨と雪』『サマーウォーズ』のときもやってますけど。
鈴木:そうかー。だから企画もさることながら、作り方も大きな転換期じゃないかなって俺はしてるんだよね。だって俺のところにね、アジアの方からいらっしゃる方がいるのよ。要するに、技術は身につけたと。ある程度のことは出来ますよと。長編ってどうやってやるんですか?みたいなことを訊かれるわけ(笑)
川村:なるほどなるほど。
鈴木:この人たち何考えてるのかな?って訊いてくと、例えば、世界のアニメーション短編映画祭って色んなところにあって、いまグランプリはほとんどアジアなのよ。
川村:そうですよね。凄い作品ありますよね。
鈴木:俺もずいぶん観ましたけど。あと彼らにとって何が必要かというと、企画とどういう仕組みでどうやってやっていくか、そのノウハウを知りたい。そこのところを教えてくれないかってやつで(笑)
川村:これまたスタジオジブリの長編の作り方って特殊じゃないですか?
鈴木:まあね。
川村:(笑)ピクサーってシステマチックにストーリーボードでスタッフと打ち合わせしながらやっていく。かたや宮崎監督って、一筆書きのように頭からずんずんラストに向けて描いていくっていう、鈴木さんのいう連載の方式で。だからこそオリジナリティがあるものが出来てくると思うんですけど。
鈴木:それって日本の伝統というのか、漫画がそうだったじゃない?
川村:そうですね。
鈴木:その作り方が実写においてはなくなったんでしょ?みんなシナリオきちんと作ってから入るんでしょ?
川村:入ります。
鈴木:これって西洋的だよね?
川村:そうですね。
鈴木:元に戻してよ(笑)
川村:確かに僕も結構そういうことを思い始めていて、全部ストラクチャーが頭からケツまで決まっているって、安心材料ではあるんですけど、何かどこかそれ以上突き抜けられないっていうのがあるんですよね。
鈴木:そうそう。
川村:だから日本的な作り方っていう部分で、西洋的ないわゆるギリシャ神話からくるストーリーテリングと戦ってみるというのも、面白いんだろうなって。
鈴木:だって昔はそっちの方が大勢を占めていて、ケツまで決まっていたのはいわゆる巨匠の仕事だったわけでしょ?だけど今や若い人まで含めてみんな作り方が巨匠の作り方じゃない?だからちょっと変なんじゃないかなっていうのがどっかにあるのよ。
川村:一筆書きでしかやれない面白さってありますよね?
鈴木:あるよ。だって宮さんなんて本当に感心するよね。
川村:そのやり方でスタジオジブリが成功してしまったが故に、路頭に迷ってる人も多いですけどね(笑)
鈴木:そうなんだ(笑)
川村:結局、再現性が低いやり方じゃないですか?
鈴木:まあね。
川村:それを技術として継承するといっても、なかなか難しいですよね。
鈴木:けど昔の漫画のことを考えたら、みんな平気で出来るはずなんだけどな。
川村:そこは鈴木さんが編集者だったということで、ある種連載の原稿をとるように宮崎監督からコンテを引き出すというかね。
鈴木:そのスリルとサスペンスを味わうことが良いことに寄与するだろうっていうのが、彼の考えだよね。だから絶対完成させない。シナリオを作っておいて、絵だけを描くのは面白くないよと。自分自身が登場人物になってハラハラドキドキしたい。それが映画に良い影響を与えるだろうってことだもんね。
川村:ほんと漫画の連載の作り方なんですね。
鈴木:そう、同じ。
川村:それがどこかでビジネスになったときに、全体が見えてるものじゃないとお金を出しにくいとかどうしてもあるんですよね。
鈴木:確かに今まではジブリの作品もディズニーさんというところに協力してもらうと、そのまま自動的に世界70ヵ国ぐらいに行っちゃうんですよ。日本のものということで色んな人に受け入れられてきた。
だけれど世の中見てると、良い悪いはともかくとして、グローバリズムっていうのは国っていう枠を壊していっちゃったなって気がしてるんですよ。いま。
それで何を考えてるかっていうと、日本映画も日本のアニメーションも日本の物だということで、世界の人が受け入れてきた。今までは日本という地域に根ざしたものを造ってきたでしょ?それがもっと大きくなるんじゃないかと思ってるの。アジアとか中央アジアとかヨーロッパとか南米とか、そこらへんで一致協力してやる。そういうことが起きるんじゃないかなって、ちょっと思ってるんですよ。
川村:いまおっしゃった話って、例えばファーイーストだとすると、アメリカ人とかアフリカ人からすると同じ顔なんですよね。
鈴木:そうそう(笑)
川村:言語もわからない言語だけど、顔が同じである以上、記号的に彼らには捉えられるので、だとしたら組んでものを作るということもあるだろうなと。
鈴木:アジア全域でそれぞれがそれぞれの役割を担って、ライブアクション出来るとかアニメーション出来るとか、そういうことも起こるんじゃないかなって気がしてて、ちょっと日本にこだわってたら遅くなっちゃうんじゃないかなって。だって面白いものを見たいんだもん。新聞その他みてると、Appleとかああいうものの動きみてると、日本があり得なかったことだけど、そういうところの下請けやってたりするじゃない?
川村:うん。
鈴木:日本にちょっと歪んだ形でもの作りが帰ってきてるって気がするんですよ。じゃあその発注元はどこなの?っていうと、実はアジアだったりしてね。いつの間にこんなことになってるんだろうって。そうするとこれは産業界だけじゃなくて、映画界だって当然。
川村:そうですね。
鈴木:うん。だから日活の佐藤直樹がアジアの方へ行こうかって大賛成なんですよ。だってそこで面白いものが出来たら、絶対その方がいいんだもん。
川村:そうなんですよね。僕の感覚だと企画を考えるとかストーリーを考えるっていう能力は、日本はすごく進んでいると思うんですよ。それは漫画というものがずっとあったし、アニメーションで物凄く数を作ってきた。
鈴木:そうだね。
川村:なんですけど、アクションとか撮影みたいなことに関して、香港とか韓国の監督が優れてる。台湾の出身の監督とか活躍されてますけど。例えば、僕らのストーリーで彼らにディレクションさせるってことも当然あるわけじゃないですか。それを肩肘はって「合作!」ってやると、なんか急に誰も見ないものになっちゃうんですけど、当たり前のようにやれるようになった方が良いだろうなとは思いますね。
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鈴木:ジャパニメーションっていう言葉があったようにアニメーションといえば日本っていうのが皆の中にあったんですよ。だけれど、現実はそうじゃなくなってることを世界の人はもう知ってるんですよ。要するに、日本がリーダーシップとって企画その他をやって、現場はアジアに置く。これは上手くいかないと思ってるんですよ。逆の方がいいと思ってるんです。日本も現場の一つ、ぐらいの考えの方が上手くいくと思ってる。
川村:僕もそう思ってて、日本のスタッフの力って優れてるんで、むしろ向こうのディレクターとかを日本に持ってきちゃって、日本映画として監督だけが外国人みたいなことが僕も上手くいくパターンじゃないかなって。
鈴木:そうそう。『ノルウェイの森』もやってたよね?
川村:トラン・アン・ユンとか。この間僕もポン・ジュノ監督と対談して、日本で撮りたいっていうんですよ。日本のスタッフは優秀だと。だから日本で撮りたいって。
鈴木:だってスピルバーグもそう言ってたんだもん。
川村:スピルバーグやって下さいよ。
鈴木:シナリオまでいったのよ。室町だよ?舞台は。
川村:あとデヴィッド・フィンチャーもずっと日本で、広島で撮るって噂がありますもんね。
鈴木:昔そういう監督いっぱいいたじゃない?アラン・レネとか。
川村:そうですね。日本のスタッフとか美術的感覚が優れたチームと向こうの優れたクリエーターが一緒に仕事をしたいっていう流れはどんどん進めばいいですけどね。
ただ日本は悲観はしなくていいのは、キャラクターを作るっていうことだったりストーリーを作ることは、媒体の数が多い分やってきてるので、国っていう単位が壊れちゃったりとかそもそも世代間みたいな話も壊れてく気がしてて、この世代がどうだとかこの国がどうだっていう話はどんどん壊れてきちゃうんで、逆にいうと企画単位で年代も国も関係なく集まるみたいなのが早晩来るし、そこに乗り遅れると本流から外れていっちゃいますよね、きっと。
鈴木:もう来てるよね。来てるって気がする。
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川村:いまハリウッドに行くと、俳優が名プロデューサーじゃないですか?ブラット・ピットとかジョージ・クルーニーとか。ラセターはクリエイターだけど名プロデューサーであり経営者じゃないですか?プロデューサーとかディレクターとかクリエイティブをやる人の役割分担もどんどん境界がなくなっていくっていう気がしますね。
鈴木:それは凄くよくわかる。ある時期のアメリカって、みんな出身がカメラマン。美しい映像を撮るってことが10何年続いたでしょ?それもある限界にいったわけでしょ?そうしたら次はそうなるわけでしょ?その時代その時代で何を作んなきゃいけないかっていうテーマは映像だったりテーマだったり色んなことがあるんだけど、そういうことじゃないかって気がするんだよね。
川村:もともとアメリカって、黄金期って編集マンがプロデューサーじゃないですか?
鈴木:そうそう(笑)
川村:エディトリアルがわかってる人が映画プロデューサーやってたりとか。
鈴木:だから監督に渡さないんだよね、編集権。
川村:そういうカルチャーですよね。スタジオのエグゼクティブはもともと編集が出来る人だったりとかしますもんね。
鈴木:でも才能あるんだからやってよー。
川村:いやいや(笑) 僕もよく山田洋次監督とご一緒させていただいてよく話聞いてますけど、山田組の現場とか行って話すと、何が面白いかっていう議論はあまり世代の差を感じないんですよね。人は何に笑うの?とか何が怖いの?っていう話とか全然あれなんで、年齢もそうだし、職制もそうだし、国もそうなんですけど、そこが自由になったところで企画を作っていくっていう風にバンバンなっていくのかなと。鈴木さんはそういう意味では紙媒体の編集者から映画業界に殴り込みをしてきた、実は外様のまま(笑)
鈴木:結局、他の業界から来たというのはある種のコンプレックスというのか、あったよね。
川村:そうですか。
鈴木:5年やっても10年やってもまだ新参者っていうこと気分だったし。だから映画人としてって言われるといつもこそばゆくて。最近少し慣れてきたよね(笑)
川村:徳間書店の方ですもんね?(笑)
鈴木:そうそう(笑)
川村:僕なんか逆で東宝っていうザ・映画会社に入って、映画のことばっかりやってきたんで、逆に小説書いたりとかして一回外様になってみたら、映画がどう見えるんだろうと思ってやってますね。
鈴木:その方が絶対面白いよね。
ーナレーションー
今夜の映画プロデューサー鈴木敏夫と川村元気さんのお話、いかがだったでしょうか?
川村:僕は偶然『寄生獣』っていう映画をやってて、次は細田守監督の『バケモノの子』っていうアニメーション映画やるんですけど、共通しているのは異世界のものが共闘する。共存、共生、共闘するっていう話なんですよ、どっちも。高校生が右手にパラサイトをつけて戦うっていう話だったり、普通の人間の少年がバケモノと一緒に戦っていくっていう話だったりとか、今って違うものを受け入れるとか一緒にやっていくっていうことでしか、突破出来なかったりとかするのかなっていう。今になって『寄生獣』をやるとか、細田監督が渋谷と少年とバケモノを組み合わせるのも混ざっていくしかないみたいなところもあるのかなって。
鈴木:江戸時代に天変地異でみんな大混乱に陥る。そういうときに当時の人ってこういうことが起こるのは何か原因があったと。それをもののけにしたんだよね。日本人って誰が犯人かって決めることで安心する。そういうことでいうと、『寄生獣』みたいな企画が出てくることはすごいわかるし、細田くんのやつも何となくわかるよね。そうやって決めちゃうと、人間ってまた先に進めるから。
川村:なるほど。得体の知れないものに形を与えるっていうね。
鈴木:そう。そういう気がします。