鈴木敏夫のジブリ汗まみれを文字起こしするブログ

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養老孟司×川上量生 対談の模様をお送りします。 出演:養老孟司さん、川上量生さん

2014年10月10日の「鈴木敏夫ジブリ汗まみれ」です。

http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol337.mp3

 

ーナレーションー

 

今週は、8月4日に発売された「AERAスタジオジブリプロデューサー鈴木敏夫特別編集長号の企画で実現した養老孟司×川上量生の模様をお送りします。

 

養老孟司さんは、文化や伝統、社会制度、言語、伝統、心など、人のあらゆる営みは脳という器官の構造に対応しているという「唯脳論」を提唱し、2003年に刊行された『バカの壁』がベストセラー第一位となった解剖学者であり、東京大学名誉教授です。

 

 

川上:『唯脳論』にしても、今の科学に対する反知性主義的な側面があるっていう風には思うんですね。

 

単純に科学的に批判するっていうよりは、科学の根本的なものに対して疑問を問いかけて、ひっくり返そうみたいな印象を持っていたんですけども、よく読むと論理的だなと。とても論理的だな、という印象を持ったんですけども。

 

養老:ひとつは、時代的な特徴なんじゃないですかね。世代って言い換えてもいい。で、宮崎さん僕よりもちょっと若いんですけど、戦争が終わって世の中ひっくり返った時代なんですよね。それが一つはある。

 

川上:はい。

 

養老:この前会ったときに、普通に世の中で言われていることに対して、意識的じゃないんですよ?むしろ無意識に不信感を持っているんですよね。

 

川上:世の中に対して?

 

養老:そう。それは終戦の時に完全にひっくり返ってますから、それは口に出してあまり言わないことなんですね。なぜかというと、理屈じゃなくて感情ですから。

 

だから朝日新聞が典型ですけど、朝日読んで怒っている人いるけど、怒らない。なぜ怒らないかというと、はじめから信用してないから。

 

川上:(笑)

 

養老:腹も立たないですよ。

 

川上:そういうもんだと思ってるから。

 

養老:そうそう。そういうもんだって。そういうところがやっぱある。僕らだけじゃないんですよ、実は。

 

あのね、歴史やる人って言葉で書くじゃん。歴史を。だからそういうことを本気でやってる人って言葉を信じてるわけでしょ?僕ら信じてないですから。

 

川上:言葉を信じてない?

 

養老:信じてないっておかしいんですけど、ある枠の中で使うもので、そういう風に思ってるわけ。いまAERAでしょ?これも言葉でやってるし。写真と。そういうものはそういうものとして見てるんで。そういう感覚ですから、それが僕らだけかっていったら、そうじゃないんですよ。

 

僕みたいな感覚が戦後何を生み出したかっていうと、ものづくりの人です。なぜものづくりかといったら、何であんなトンネル掘ったり、車作ったり、計算機作ったかというと、結局はああいうものしか信用出来ない。要するに、車作って儲かればいいんだから。イデオロギー関係ないんですよ。そういう世代なんですよ。

 

だけど、言葉を信用してないから、それを口にするってこともしない。だから必死にものづくりするんです。それがプロジェクトXになったんだから。それは我々だけじゃないんですよ。もう一つ世代がいるんですよ。

 

それは僕らのずっと前の、明治維新を小学校で読んだ連中ですよ。そっくりなの状態が。300年続いた江戸のシステムが、あそこでガラッとひっくり返ったんだから。

 

ひっくり返した連中は意識的にやってますから。福沢諭吉とか。そういう風に名前が出る人たちは、みんなある意味大人になってからやってるんです。あるいは大人になる過程で。

 

でも、自分は何にも自分は手を出さないで、ただ見てた世代というのが、豊田佐吉とか高峰譲吉とか北里柴三郎とか、たくさんいるじゃん。明治で配給制になった人たち。政治家でも後藤新平そうですよ。そういう人たちって、おそらく僕たちと似た感覚を持ってるのよ。

 

川上:それって、日本って信じるものは科学だっていう風になったという。

 

養老:モノしか信じられないっていうね。それは必ず自分に返ってきますから。

 

川上:モノにしてもそうだと思うんですけど、理屈は信じるってことですよね?

 

養老:それはしょうがないんですよ。でも理屈も結構信じてないんですよ。ちゃんと言うけど。理屈に合わなきゃしょうがないんだけど。でもそれが完全だとは思ってない。だから本当のところの理性主義でもないんですよ。

 

川上:でも理屈が信用出来ないっていうのは、理屈が間違っている可能性があるから信用出来ないってことであって。

 

養老:そうです。

 

川上:たぶん正しい理屈は存在するんですよ。

 

養老:だから極端にいうと、正しい理屈は数学なんですよ。それしかない。だけど数学を現実に当てはめるときは、現実っていうのは対応関係使わないといけないから。そこで大抵間違えるんです。

 

だからよく学生にも言うんだけど、「1+1=2だろ?」って。「でもアルコール1と水1混ぜると、2にならないよ」って。

 

川上:はい(笑)

 

養老:それはなぜかというと、アルコールの分子大きいですから水の分子が間に入っちゃうんですよ。だからパチンコの玉とボーリングの玉混ぜたみたいになっちゃって。ボーリングの玉の間にパチンコの玉入っちゃうんだから、2より減っちゃうんですよね、容積としては。そういう風に考えれば、1+1=2になってるんですけど、当てはめ方ですよね。数学の論理と現実とどう対応させるかっていうところで、それを限定された対応関係しかないっていうことを知ってるってことなんです。

 

川上:はい。

 

---

 

養老:ファンタジーとか大好きなんです。それはね結局、世界を2つに切っていて、暗黙のうちに。実際の世界っていうのはどうしようもなくて、カチっとして、間違えてもこっちが間違えたんだろうっていう話。それを言葉で誤魔化そうとしない。

 

そうすると面白いことに、人間ってそうじゃありませんから、もう一つ上の世界があってですね、それがこれになるんだと。僕大好きなんです。ファンタジーとかホラーとかね。「解剖やっててなんでホラーがいいんですか?」って言われるんだけど、ホラーの方がよっぽど怖いんですよ、解剖より。

 

川上:自分の理想が成立する世界がファンタジー

 

養老:そうそう。

 

川上:で、世の中は必ずしもそうではない。

 

養老:そうじゃないんだよ。

 

川上:ですよね。

 

養老:その間、ちゃんと線入れてありますから、だから逆にファンタジーがリアルになるとつまらない。あんまりリアルな世界に近づくと、それなら現物観てる方がいいじゃないかって感じ。だからいわゆる文学があまり好きじゃないんですよ。結構好きで読むんだけど。それはなぜかって、文学ってリアルになりたがる傾向にあって。自然主義が典型的にそうなんだけど。ところが、ファンタジーっていう枠組みはそれを外してるでしょ?初めから嘘だって言ってるから、その方が良いんですよ。

 

川上:現実と混同しないから、それがいいっていう。

 

養老:そうなんです。すると、安心してその世界に入っていれる。

 

川上:そうなると、現代社会って脳化社会みたいなことを言っていて、それが自然と違うっていうことに対して批判的な立場であるような気がするんですけど、例えば、ディズニーランドは好きだ、とかそういうことはあるんでしょうか?

 

養老:ディズニーランドはね、面白くないんですよ。

 

川上:面白くない(笑)現実に起こった理想的なものっていうものはないんですか?ファンタジー的な人工物、世界っていうのは存在しないんですか?

 

養老:これが一番いい。

 

川上ジブリの作品が(笑)

 

養老:そう。ジブリとかアニメがね。それと文学でいうとファンタジーですね。ファンタジーって銘打って書いてる、そう意識して書いてる人は初めから嘘ですよっていう。

 

これは内田樹が上手に言ったね。額縁だって言うんですよ。あんまりリアルな絵だと現実と区別つかないでしょ?って。絵ですよっていうことを示すために額縁に入ってる。ファンタジーっていう名前も額縁なんだよね。

 

で、面白いのは、こんなもの大人が観るもんじゃない!ってどこかにありません?

 

川上:大体そういう人多いですよね。

 

養老:でしょ?そういう人はリアルな世界がリアルだと思ってるわけでしょ?で、こういうの観てると、現実逃避っていうんですよ。僕ね、それ最近違うなって。

 

つまり、現実の中には人間の行動原理とか規範とか、そういうものが入ってるわけでしょ?ファンタジーが現実逃避っていう人は、実はそういう風なものから逃避してるんですよ。夢とか。規範とか。

 

アニメの主人公とか典型的で、状況の中で行動するじゃないですか?それってある意味倫理的でないと、お客さんが怒っちゃうよね(笑)だからそういうことから逃げてる人が、逆にこういうものを指して逃避っていうんですよ。自分は倫理とか規範とか本当に必要なものから逃げてるんですよ。

 

そういう風に思うと、なんでファンタジーが徹底的に売れるかというのがわかるんですね。

 

僕一番驚いたのが、ハリーポッター。あんなに売れてるでしょ?世界中で人間って、夢とか規範とか行動原理みたいなことをちゃんと要求してるんですよ、小さい頃から。特に若い子供たち。

 

川上:人間がもともと持ってるんですね?

 

養老:持ってるんですよ。だって社会の中で生きてるんだからね。その中でどう振る舞うかって。それから目をそらしてる人っていうのが、いわゆる現実を見ている人ですよ。

 

川上:つまりお話を綺麗事だって決め付けている人が、人間が持ってる倫理観から目を背けて逃げているという。

 

養老:そういうことです。それってビジネス書が典型でしょ?今一番売れてるビジネス書って、社長はこうでなきゃいけない、とか。

 

相当冷たいんですよね。会社のために、人々のために働いてなきゃ会社は成り立たないってことを書いてる。

 

ちょうどファンタジーと逆の世界なんですよ。そっちが現実だっていう。それもやっぱり人間が作った世界なんですよ。なぜかって、会社って利益を上げるためで、利益って金で、金ってこんな抽象的なものはないよね。

 

例えば、池井戸潤半沢直樹がそうですよ。僕テレビは観てないんだけど。あれは典型的に、企業の中の人間の倫理とか行動規範みたいなことを書いてるわけです。

 

川上:それ完全に嘘ですよね?

 

養老:そうそう。あれも一種のファンタジー

 

川上:ファンタジーですよね。だから良いんですよ。あれは普通の人がファンタジーって割り切れる嘘だから、そこで描く倫理は逆に本物になるってことですよね?

 

養老:そうなんです。

 

川上:だから最初からスタンスを決めていて、右だったり左だったり報道するような報道機関って、僕結構好きなんですけど、中立性を装って自分の意見を言っているようなものってありますよね?そういうようなものと近いのかなっいう。話を聞いていて。

 

養老:ニーズっていう意味でいうと、非常に高いんですよね、ファンタジーって。現にジブリがそうだし。

 

川上:でも宮崎さんなんかは、『となりのトトロ』なんかは年に一回みたいな(笑)子供に観せちゃいけないとか、そんなことまで言われて。結局、ファンタジーの中の世界で生きてしまう。

 

ジブリものっていうのも、ファンタジーとして人間の理想を描いているっていう風に観ていればいいですけど、これが本当に現実なんじゃないかって思うような人も誕生してますよね。

 

養老:だからこそ、漫画とかアニメとかっていう形式をとるんですよね。額縁を作るんだけど、それがちゃんとわかってないっていうことです。千と千尋も50回観たよって言われると、ゾッとするっていうね。

 

川上:そういうような人も増えるわけですよね。ジブリのだけを観てるわけではないでしょうけど、ずっとファンタジーの世界に生き続けてる人っていうのもたぶん増えてて、僕もどっちかというとそっち側の人間なんで(笑)

 

---

 

川上:基本は自分が決めることと、わかることと、それが言葉で表せることってギャップがありますよね?言葉が表せる領域って少ないじゃないですか?その行動って、機械学習の行動で完全に再現されてるなっていう風に思ったんですよね。

 

そうすると、感性って何なのかっていう。

 

人間がパターン認識の経験の中でわかる世界っていうのが感性で、理屈っていうのがその盾で。本当は取り止めのない集合の自分の行動パターンが、ある意味秩序化された部分っていうのが理屈っていう部分だろうなっていう(笑)

 

養老:秩序化されてる秩序そのものを上手に取り出してくるんですよ

 

川上:そうですよね。それがきっと言葉にするってことだろうし。

 

養老:言葉にもなるし、色んなものになるんですよ。

 

川上:そうですね。それを言葉にはしなくても作品として表現をしたりとかして。

 

養老:一番平たくいうと、直線なんか典型ですよね。直線って自然の中にないってなってるけど、でも直線ってごく普通に使ってるでしょ?人工物に。それは頭の中にあるから。それは何で出来るのかって書いたことあるんですけど、四角の最初のところがそうなってるんですよ。

 

要するに、点を集めて線を作るっていう。直線は点の集合体だって。点は大きさも幅も何もないんですよね。そんなものを集めて何で線が出来るんだよ!ってどう考えたっておかしいんだけど。

 

川上:要するに、ユークリッド幾何学に相当する構造が、人間の体の中にあるっていうことですよね?

 

養老:最近自分の本で書いたのが、そのことなんですよ。何かっていうと、我々の自分ってナビなんですよ。ナビの中の現在地を示す矢印なんですよ。我々は動物だから空間の中を移動するじゃないですか?空間の中を移動するときに、当然だけど空間の地図を脳の中に持ってないと移動できない。

 

でも地図だけじゃ役に立たないんですよ。そこに現在地を示す矢印がないと。その矢印が自分ですよ。そこから始まってるんですよ、自分って。

 

だからナビっていうのは誰かが発明したんじゃなくて、さっきの直線と同じで脳味噌にあるものが車の中に出てきてるんですよ。それだけのことなんですね。

 

川上:自分とは何かっていうのも、自分の脳の中にあるって話ですね。それがそういうものになったりするってことですよね。

 

養老アメリカの文化だとナビの矢印を中心に世界を作るんですよ。だからそれを主体性とか個性とか。それで強制して使ってるから、だから言葉だって欧米系だと主語がないとダメだとか。

 

だけどさ、あれは古いヨーロッパの言語は主語無くていいんですよ。ラテン語が典型なんですけど。だから動詞の変化が多いんで。だからデカルトのコギトっていう「我思う、ゆえに我あり」っていうやつ。あれコギトの一言なんですよ。

 

フランス語だと Je pense って言って、ちゃんと自分って入れないといけないんだけど、ラテン語で書いたら、「私」はいらない。

 

強制的に「私」って入れてるでしょ?いま。だから I am a boy っていう必要はなくて。アメリカ人に日本人が全員で言えばいいと思っていて。あんなに略語好きだから。WHOとかさ。

 

それは判断する主体があるっていうのが、彼らの基本にあるから。矢印のことですよね。馬鹿ですよね。

 

川上:言語っていうのは、あるものとあるものの関係を記述するだけもので、全体の統合性って、もともと要求されてなかったのが最初の言語だった構図だと思うんですけど。 

 

養老:日本語って面白くて、関西弁みたいに相手指して「自分」とかっていう。「自分、リンゴ嫌いやろ?」とかって。あれアメリカ人に説明するときにどう説明するの?

 

---

 

川上:結局、人工物ばっかりじゃダメなんだっていっても、里山にしても、人工な自然なわけですよね?手段としてファンタジーは人間の理想なのかもしれないだけれども、手段として人工物であることは変わりがないわけで。

 

養老さんの『唯脳論』にしても、あれってすごく論理的だし、現代科学のある側面を批判してると思うんだけど、それ自体を組み込まれた学問っていうのがいずれ誕生すると、理屈に全て人間社会が飲み込まれてしまうんじゃないかなって(笑)

 

養老:飲み込まれると思いますよ。

 

川上:そうなんですかね(笑)

 

養老:僕最近意識のことを考えるんですけど、だいたい1日の3分の1意識ないんだもん。氷山みたいな無意識があって、そこに意識っていう氷山の一角が出てるんですよ。だから理屈はその氷山の一角の中でしかないんですよ。

 

川上:はい。その氷山の一角の中の理屈が、無意識の部分を含めた人間そのものの個体をコントロール出来るようになるのかどうかっていう。

 

養老:僕はならないと思ってる。なるわけがない。意識ってものすごい新参者で、現代人が出来てから、いくら古く数えても25万年って言われてるんですよ。せいぜい25万年の歴史しかないんですよ。それ以前の意識っていうのは、たぶん象徴性がないので、言語もおそらくもっと具体的な言語があったとしても。

 

それから旧石器時代ですけど、一番大きな特徴は絵を描かないですからね。新人類っていって我々みたいな人間が出てきてからはじめて、洞窟の絵が描かれるんですね。ヨーロッパでいうクロマニョンですね。

 

あっちこっちで絵見つかってるけど、あれは現代人ですよ。新人類。それの典型ですね。

 

だからこれを旧石器のネアンデルタールに見せたら、どう思うんだろね?

 

川上:(笑)

 

養老:猿は管理すると、しばらくはわかんないですね。僕も最初に管理したときに後ろに手を回してましたもん。別の猿がいると思って。

 

川上:自分っていうのがわからない?

 

養老:自分に鏡に写っているっていうのが。それはわかりませんよね。

 

川上:ただ一方で、結構単純じゃないかって。人間の行動パターンというのは。暑かったら暑いって思うし。多少のバリエーションはあるんけど、かなりの有限のパターンで記述出来ちゃうんじゃないかっていう。

 

蝶道っていうのを書かれていましたけど、あれも行動としてはすごく複雑ですけど、原理っていうのはそのうち解明されるんでしょうけど、たぶん単純ですよね。

 

きっとそういうのが3次元上の空間になんで道が出来るのかっていう問題も含めて、空間認識が3次元のマップじゃなくて3次元を飛んでるんでしょうけども、たぶんすごい単純な構図で行動してると思うんですよね。

 

養老:そうでしょうね。

 

川上:そうすると、人間だけが複雑なものであるばすもないって思うんですよね(笑)蝶よりな複雑でしょうけど、少なくとも猿とかそういうものに比べて複雑とは思えないから、やっぱり理屈に結局は支配されるんじゃないかな、みたいな。

 

養老:なるほど。

 

川上:たぶん、一番最後のところの理屈に必要なジャンプっていうのが、人間の意識そのものが人間の脳の働きに強く依存してやってるっていうことに気づくっていうのがきっと重要で、唯脳論的な考え方で、ラマチャンドランとかってそういうような発想で持ってるんだと思うんですよね。

 

そういう人たちが現れた段階で、人間が解明されるのが目前じゃないかなっていう気が強くしてるんですよ(笑)

 

養老:生物の一番面白いところは、組み合わせだから。これは大変な数になっちゃうんですよ。遺伝子を作ってる塩基は、あれは順列を考えただけでも宇宙全体にある物質の数や超えちゃう。素粒子の数を超えちゃう。そのくらい組み合わせを考えた瞬間に、世界が複雑になっちゃうんですね。その状況の中に人が置かれてるわけですから。

 

絞り方によっては人間って単純で、筋肉を動かしてやるしかないんですよね、全て。お喋りも筋肉だし表情もそうだし。だから筋止めちゃったら何にも出てこない。ゼロですよ。そう思うと、単純といえば単純で。

 

そういう風に考えりゃ、簡単になっちゃいますけど。だけど、ある状況を設定して、中で人を動かしたらエライことになる。ややこしい。だから人間って面白いんだけどね。人と同じ予想が出来たら、全然面白くないんだよね。

 

川上:そうですよね。そういう意味では予想出来ない部分っていうのは、最終的には残り続けられるんでしょうけど、例えば、世界帝国みたいなのが出来て、それが滅びないとか、それぐらいのことではあり得るんじゃないかなっていう。

 

養老:地球が全部北朝鮮になるっていう。それはありましたもんね。日本全体が北朝鮮になってた時期があったわけで。その中にいる人は別にどうってことはないんですよ。あんなによくわかる国はないわけですよ、日本にしてみると。

 

川上:ほとんどの日本人は理解できない国だと思ってるでしょうけど、過去の日本ですよね(笑)

 

養老:そう。

 

川上:むしろそこにノスタルジーを感じる(笑)

 

ーナレーションー

 

鈴木敏夫特別編集長号の企画より実現した、養老孟司さんと川上量生さんの対談、いかがだったでしょうか。

 

面白かったと思われる方は、ぜひ養老孟司さんの『唯脳論』を読んでみてはいかがでしょうか。