2015年7月27日配信の「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」です。
http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol378.mp3
鈴木:今回川上さんが『熱風』で連載していた「鈴木さんにも分かるネットの未来」。これが岩波新書で本になる。なるじゃない、なったんですね。もう発売されてるから。
そういうことでいうと、ネットって日進月歩どころかすごい短い期間に色んなことが起こるわけで、そこで連載したものに大幅な加筆・訂正をされて、一冊の本となって今本屋さんに並んでるわけでしょ?聞くだに、その売れ行きはすごいんでしょ?
川上:でも意外と大幅じゃなかったんですよ。全部書き直すぐらいの勢いだったんですけど、僕の予言力が凄すぎて、全部当たってるから直す必要はなかったんですよ、実はそんなに。
鈴木:何か大きく出ましたね(笑)
依田:作家の謙虚さってないんですか(笑)
鈴木:そちらの話に移る前に、依田っちに今日参加してもらうということで、本も読んでもらったわけじゃない?
依田:でもずっと2年か3年『熱風』で連載されてたものは読んでましたから。
鈴木:そこら辺を補強すべく、今日はネットって言ったら神様みたいな人がいて。堅田君っていう人に今日は。ちょっと自己紹介してもらえます?
鈴木:堅田君の方は隅から隅までキチンと読んで、その上で論評を加える。
堅田:いやいや。私から見て神様のような方ですから。
鈴木:堅田君も急遽呼んだのはそういう理由だったんですよ。
堅田:私も連載から読ませていただいてたんで、連載との違いを見ながら読んだ感じなんですけど、連載で読んだ時にも思ったんですけど、今まさに川上さんがご自身でおっしゃいましたけど、予言書みてーだなって思って。かなり前になりますけど、2062年から来た男みたいなのが2チャンネル上で話題になって。自分は未来人だと自称する人が。
川上:ジョン・タイター。
堅田:はい。ジョン・タイターの後に2062年から来た男っていうのがあったんですよ。
川上:また別にいたんですか?
堅田:日本版ジョン・タイターみたいなのがあって。それの話を聞いてるかのようだなと思いながら読んでたんですよね。
電子書籍のところに関していうと、AmazonとGoogle以外は死滅するだろう的なことが書かれていて。キャリアで電子書籍をやってる方々は大変だろうなと僕は思いながら見ていたんですけど。
川上:出版社で電子書籍をやっておられるような方も大変だと思うんですけど(笑)
鈴木:結構断定で書いてるでしょ?
堅田:断定で書かれてたので、身につまされる方もいるんだろうなと思いながら読みました。
鈴木:出版に限らず、新聞、テレビ。近い将来こうなるってことがズバリ。
堅田:怖い本だという風にご紹介されて拝読して、確かに怖い本だと。
鈴木:やっぱ怖い本だよね?
堅田:予言書的な雰囲気があったなと思いましたね。ちょっと川上さんにお訊きしたかったのが、ソフトウェアの世界では無料が主流になってるみたいなくだりがありましたけど、ソフトウェアの無料配布の中で割とドミナントモデルに挑戦されてる方っているじゃないですか?寄附金で回していこうみたいな。それがコンテンツ業界にも来始めてて、歌手がこのアルバムに寄付してくれと。そしたらその寄附金で俺は次のアルバムを作るみたいな、いわゆる寄付金でやっていくドミナントモデル。ユーザーが言い値で金の値段を決める。自分の依存度を金という形で表現するという形に近いのかなって。
いわゆるドミナントモデルという寄付金によってどんどんコンテンツが作られる、みたいな流れにコンテンツって可能性があるかもしれないな、みたいことは読みながら思ったんですよね。そこら辺はどうお考えかなと。
川上:ないですね。音楽でいうと、レディオヘッドとかがずっとやってましたけど、あれ上手くいってないんですよ。好きな金額でやってくれっていったら、平均1ドルとかそんな散々たる結果に終わってしまって。払わなくていいってなったら、安い方安い方へ基本的に収斂(しゅうれん)していく。
いま新しい流れが出てるのは、キックスタート、、
川上:キックスターターですね。寄付モデルとかもあるんですけど、あれも普通にコンテンツを売るのから比べると、桁が二桁少ないですよね。
堅田:そうですよね。
川上:成功しているキックスターターですらそんな状態で。まして日本版のやつとかだと、本当に少ない金額になっちゃうんで。やっぱりコンテンツは基本は生きるためにいらないものだと思うんですよ。生きるためにいらないものを買っていただくというのが、コンテンツを作っている人たちがやってることで。
鈴木:本質なんですね?
川上:そこでいくらでもいいっていう風になっちゃうと、別に生きるのにいらないから、たかが知れちゃうんですよね(笑)そこはやっぱりちゃんと値段を決めてやらないと成立しないと思います。
一部インターネットに、コンテンツの値段というのはゼロが当たり前だと。なぜかというと複製コストがゼロだから、という主張をする人がいるんですよね。
確かにデータだったら複製コストが限りなくゼロに近いというのは正しいわけで。でも制作費がかかるわけですよね?そうすると厳密に考えると、「制作費÷売れた本数」というのが本当のユーザー1人当たりの原価かなと思うんですけど、でも決められないんで。いくら売れるかもわからないし。
もう1つコンテンツの特徴って、1個1個独占商品だってことだと思うんですよね。
堅田:独占商品。
川上:だってあるコンテンツの代わりってないから。代わりがあるコンテンツがあるとしたら、それは海賊版ですからね。基本は独占商品なんですよ。そうしたら、その商品というのは1個1個決まっていくのが、僕は本来正しいんだと思うんですよ。
堅田:1個1個の価格も変わっていくというのが然るべきだと。
川上:というのが本来だと思うんですよね。
堅田:今って例えば電子書籍だと全部400円とか100円とか、着メロだと全部いくらとか、そういうのが、、
川上:決まってますよね。それっていうのはその方がユーザーに納得してもらいやすいはずだから。本当は言い値だし原価もわからないし、コンテンツ1つ1つ違っても当たり前なんだけども、同じような価格帯で売ってるわけですよ。コンテンツごとに本にしてもCDにしても映画にしても。元々決め値で決まってる値段で、そこに根拠はないんですよね。
堅田:おっしゃる通りだと思います。
---
依田:この本が面白いところって、普通本ってジャンルがあるじゃないですか?例えば、経済学書だとか文芸書だとかっていう。読む人によってジャンルが変わる本だろうなって思ったんですよね。一般的には経済学的に読む人が多いんじゃないかって気がするんですけど、僕結構社会学書、社会心理書みたいな点でハッとさせられるようなところがあって。
例えば、ネットの普及によってよく言われているのが、何でもありの書き込みだったり、モラルが低下したりしてるみたいな側面が割とクローズアップされていて、ニュースになってたりするのもそういうことですよね。そういうところは誰がどう見ても気付きやすいところなんですけど。
一方で若い子のコンプライアンス意識みたいなものが高まってる。何でもありのネットが実現していることによって、法律遵守意識が逆に高まっていて。高まってるから良いとか悪いとか川上さん書いてないんですけど。人間の心理や社会にネットが及ぼしていることに、一般的に思われてることとは違う別の本質にスポットを当ててるのがすごい面白いと思っていて。そういったものが社会の状況を変えてるんだろうなって思うんですよね。
川上:モラルが上がってると思うんですよ。ネットに限らず若い子のモラルが上がっていて。若い子だけじゃなくて社会全体のモラルが上がってると思うんですよね。
その理由は、世の中が難しいからだと思うんですよね。
世の中がもっと単純な時代は、正論があってでも現実はこうだよなってみんなわかってた、共有されていたから、そういう時代っていうのは正論よりも現実論の方が強かった。
で、いま現実論ってなに?っていったら、すごく難しいですよね。例えば、9条の問題にしても集団的自衛権っていうのをなくした方が日本は平和だという人もいれば、いま中国の脅威が増す中でそれは現実的でないだろっていう人もいるんだけれども、ちょっとわからないですよね。
原子力の問題も日本の中で割れていて、やっぱりなくせないよねっていう人もいるわけでしょ。そうすると昔ほど誰もが合意出来る正しいことってすごく少ないんですよ。その中で人間がどういう行動に出るのかっていったら、これは正しいだろうっていう正論。だから現実論がわからないんですよ。じゃあどうしたらいいんだろうって落としどころがわかんないんですよね。難しいじゃないですか?集団的自衛権にしても核をなくす、なくさないにしても。中間の落としどころってなに?っていう(笑)
堅田:正と悪をどう定義するってことが、昔は極めてわかりやすかったけど、今は非常に曖昧だってことですよね?
川上:曖昧で中間地点も見つけにくいんですよ。そうしたら、どっちかっていう話になっちゃいますよね。白か黒か、みたいな。
堅田:元々白か黒か、って話があって、その中で中庸ってものが美しいみたいにされてたのが古代なんですけど、そもそも白と黒がはっきりしないから、どこが中庸かもわからない。
川上:わからないし、中庸も怪しく見えるわけですよ。白と黒が極論に見える中で中庸があったわけじゃないですか?今は白も黒も中庸も全部怪しいっていうのが現代で、そうすると正しい方の白か黒かっていうスタンスに立つ方がカッコよく見えるんですよ。
堅田:昔は権力が強かったから「これが白だ!」って言い張る強力なパワーがあって、それが白に見えて。それに対極のものが悪に見えて。そういう一定の力が持った人たちが決める中で生きてきたけど、民主主義が主流になってきてみんなが同じだよってなってくると、誰が白を定義するのかわからなくなってくるじゃないですか?
川上さんがこの本の中でおっしゃられていた本質とは違うんですけど、僕は集合知っていう言葉がすごく好きで。人が集まることで知識や価値観を共有していくっていうのが、人が何十億人といる中で生み出してきた価値観というかバランス感覚っていうのがあるのかなって思ってて。その集合知の中で何となく正しいと思われるものが白という風に今は定義されているのかなって風に、、
川上:集合知は機能しないんですよ。集合知が賢くならないで、みんなが合意出来ることっていうことで単純化されて簡単になっていっているんですよね。そうするとある意味幼稚で単純化された捉え方っていうのが集合知の結論になっちゃうんですよ。それが今の世の中ですよね。
堅田:それで熟成されていかないというか、賢くなっていかないということですか?
川上:ならない。
堅田:機能していないということですよね?
川上:そうなんです。深まる方向には行く構造にはなっていない。
堅田:イデオロギーじゃないですけど難しいっていったらあれですけど、社会の本質を考えることも僕も週に2、3分あるんですけど、法曹会に近い友人と話していると、結局最後司法判断って何になるのかというと、世間一般の人が「こっちが正しいだろう」って思う方に寄せるんですってね。
川上:そうなんですね。
堅田:司法の中でも民主主義じゃないですけど、より多くの人が納得感のある方を一応正しいと司法でさえ判断しているんですよね。そういうところが何かを目指していないから、おっしゃるように幼稚というかあまり賢いとはいえない集合知みたいなのが社会の基準になってるっていうのは確かにあるかなとは今お話をお聞きしていて思いましたね。
---
依田:読んでいる人はわかると思うんですけど、元々タイトルを"ネット鎖国論"にされようとしていたって話があるじゃないですか?その心をこのラジオ向けに説明していただくと。
川上:単純にインターネットが世界を変えるってときに、一番最初にインターネット入ったときにインターネットの最初のエヴァンジェリストって伊藤穰一さんだと思うんですけど、どういうこと言ってたかというと、インターネットで国家がなくなるって言ってたんですよ。かなり過激な発言過ぎて、インターネットが流行ると、どんどんインターネットで世界が繋がっていって、国の存在がどんどん薄まっていくんだって理想論的に聞こえた部分があって、みんなその意味を深く考えてなかったんだと思うんですよね。
でも現実に本当に国家はインターネットによってなくなりかかっていて、存立を脅かされているんですよ。そのことによる現象って世の中にたくさん出ているにも関わらず、相変わらず他に足のつかない、インターネットによって世界統一するかもなって理想論的なものっていう感覚は多少はみんな知っているんだけども、それが現実的な問題として、すごく大きな焦点になっているってことに誰も触れてないんですよね。それはインターネットを語る上で根本的に間違ってるなっていう風に思いますよね。
現実にインターネットによって国境が消えていって、というような過程を議論することって全くされていないんですよね。これIT業界の人にとってはあんまり議論されて欲しくないってあるのかもしれないですけど。
依田:でも法律も倫理も経済も、全部基本は土地がベースだったわけですよね。実際にある土地の中で守ったり、ここは特別だと言ったりっていうことがベースだったということがなくなった、人類が初めて経験するどこからどこまで、みたいな感覚すらもなくなったという。
川上:土地もそうだし、物理的な存在がない世界なんですよね。だからTPPとかってくだらないんですよ。僕からするとね。あれも地政の話もありますけど。若干あるんだけど、TPPって関税も含めた貿易の制限をどうやって解消するのかっていう話だと思うんですけど、インターネットがあるときに、実際のものの受け渡しよりももっと違うことが起こっているわけですよね。
もちろんTPPでもサービスとかの自由化の話も当然されているんだけど、ネットそのものによって経済が大きく変わっていく動きがある中で、それってTPPの中で全く議論がされていないわけですよ。対象にもなっていないし。そっちの方が重要なんじゃないの?って。
インターネット企業だったらインターネット企業としてのゲームをすればいいし、国家だったら国家のゲームをすればいいし、それぞれ立場があるじゃないですか?立場があってインターネット企業は当然「インターネットは自由だ」って言うのがインターネット企業の立場だと思うんだけど、国家はネットも国家権力を及ぼしてやるって風に虎視眈々と狙わないとダメだと思うんですよ。それなんでやらないの?って。それ中国がやってるわけですよ。ロシアもやってるわけですよ。ヨーロッパも頑張ってやってるわけですよ。日本は議論もされてないんですよ。そこに僕は日本政府のネットに関するリテラシーとネット時代における日本国家のあり方について少し心配しているんですよね。こんなんじゃダメじゃないのって(笑)ボロボロになるよねって。
依田:中国行くと、ネットって基本監視下のものですしね。
川上:監視だけじゃなくて、実際アリババとか百度とか、国境を作ってGoogleとかAmazonを締め出したことで、巨大企業が育ってるんですよ。国内産業育成という面でもそれは役に立っているんですよ。当然、言論統制という意味でも治安の維持にも役に立ってますけど。
鈴木:何で日本はほったらかしなんですか?
川上:あんまり議論がされてないですよね。
川上:1つあるのが、どうも通信の自由っていうのが日本の歴史の中ですごく重要らしいんですよね。通信の自由は侵してはいけないっていう正規化してますよね。
鈴木:でもちょっと考えればわかるわけでしょ?で、現実に色んなことを考えれば。僕ですらわかるんだもん。
川上:だってそれしか方法がないんだもん。それなのにネットの中で権利を及ぼそうと思うと、ネットの日本国内のアクセスについて日本政府は遮断する権利を、強制執行力を持たないと何にも出来ないっていうのは、考えればわかる話だと思うんですよね。
鈴木:何でほったらかしなんですかね?
川上:論外っていう感じですよね。
堅田:議論さえしてないってこと。
川上:いやそんなの無理でしょ!みたいなそんな感じですよね。政府がやるべきでしょっていう話をしてるんですけど(笑)お願いしてるんじゃなくて、あなた方がそれをやらないのはおかしいんじゃないの?って。ゲームをやる気があるのか?ってことを僕は言いたいんですよ。
堅田:ネット規制っていう言葉が悪者みたいな感じになっちゃってるから、「お、国がネット規制に来やがった」っていう風に思われちゃう土壌が出来てるから怖いって思うんじゃないですかね。
川上:そんな雰囲気はありますよね。
堅田:いま中国の話出ましたけど、僕も中国ってFacebookもできなくなるし、中でしか見れないのいくらでもあるし、「中で締めやがって、やっぱり共産主義だな」っていう風に悪いように見えてるんですよね。
川上:遅れてると思っちゃうんですよね。
堅田:でも今のお話をお聞きして、中から見れば百度とかドメスティックなネット企業がちゃんと育ってるっていう意味での利点もあるにはあるじゃないですか。そういうのに我々は目を閉じて、、
鈴木:中国なんてそこの怖さを知ってたからでしょ?
堅田:そうですね。ある意味で彼らに正当性というかもっともらしいところはあったんだなって今気づきがありましたよね。そういう気づきがある前の僕らの状態だと日本政府のようにほったらかしにするってことが正しいことなのかな?って思っちゃう環境にはあった気はしましたけどね。
川上:いま何が起こってるかというと、日本のネットって国じゃなくて外国の企業が支配してるんですよ。支配っていうのは抽象的に思うじゃないですか。思うんだけど、具体例で考えるとすごいわかりやすいんですけど、例えば、この本にも書いてますけど、消費税の問題ですよね。Googleがやっているアドセンスとかっていう広告があるんすけど、Googleに広告を貼るとお金が貰えるんだけど、それっていうのは消費税も払わなくていいし、個人であっても源泉徴収もないわけですよ。なぜかというと、外国との取引だから。でも貰うのは円なんですよね。
色々とおかしいことが起こり始めていて、あと例えば日本だと、猥褻物陳列罪ってあるじゃないですか。猥褻物陳列罪って猥褻なことをすると罰せられるんだけど、日本の行政的な基準ではモザイクっていうものがあるわけですよ。このモザイクっていうものがかかってないものを日本のサーバーに置いてあると、警察がサーバーを強制執行するんですよね。
鈴木:出来るんですね。
川上:差し押さえするんですよ。だから日本の会社っていうのは、当然猥褻物というのだけは必ず消してるんだけど、このサーバーが海外にあると出来ないんですよ。
堅田:サーバーの所在地によって決まるんですか?
川上:所在地で決まりますね。
依田:サイトの表記が日本語でもいいんですよね?
川上:そうです。そうすると日本国内の性に対する倫理的なものって国家ごとに違うと思うんですけど、それも日本政府がネットにおいては決められないっていう状態なんですよね。
アダルトは世界基準で無修正、がネットでは決まっちゃって、日本政府がどう思ってもこれは無修正が流通してしまう、という状況なんだけど、逆に日本のアニメとかコミックとかのかなりの割合のものが日本ではアダルトではないのに、アップルとかGoogleが扱ってくれないっていう現象が起こってるんですよ。
これは要するに児童ポルノじゃないのか?っていう。日本国内においても今だったらアップルとかGoogleとかがコンテンツを今後流通の中核を担うんですよね。そこでは日本の倫理では本来オッケーのものが流通出来ないっていう現象が起こるわけですよ。
鈴木:でもそのスタンダードって全部アメリカですよね?
川上:そうですね。実質的にはアメリカ。
鈴木:映画においてそうだったから。要するに日本で通用しているものは日本の常識であって、アメリカは行ったら全く通じない。僕なんかアメリカへ行ってね本当に困ったのが、いつも槍玉上げられたのがポケモン。あなたは日本人として、ああいう漫画があるかについてどう思う?ああいう映画が堂々と公開されることについて、どう思う?それに対して答えなきゃいけなかったんですよ。そんな自覚自分になかったでしょ?相当ビックリしたんですよね。
ところが野球場行くとね、堂々とポケモンが出てくるわけですよ(笑)どういう使い分けしてるんだろうっていう。
川上:まだアメリカで言われるんだったらわかるんだけど、日本ものを売るときにもその基準が適用されるようになるんですよ。
鈴木:そういうことですよね。
川上:国内においてもそうだと。
鈴木:要するにアメリカになれってことですよね?
川上:まあそうですね(笑)