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ーナレーションー
堀田善衛。1918年富山県生まれ。1951年小説『広場の孤独』他の作品で芥川賞を受賞。その後ヨーロッパ、アラブ、中国、日本、中世、近代、現代、様々な国や時代を俯瞰する視点で独自の作風の作品を発表し続ける。
一方、映画『モスラ』の脚本に参加。晩年には彼を慕うジブリの宮崎駿監督、鈴木プロデューサーと親交を温める。1998年没。没後10年にあたるこの秋、10月4日から横浜の神奈川近代文学館で「堀田善衛展 スタジオジブリが描く乱世」が始まる。
折りしも、世界中の経済システムがあっという間に壊れて、本当に乱世がやってきてしまったこの一週間。でも近代文学館の建つ横浜の港が見える丘公園は、のどかな秋の日差しに包まれていました。
宮崎吾朗:宮崎吾朗です。堀田さんの本の『路上の人』もそうですけど、あれはカソリックとカソリックの権力のもとで生まれてくる異端を絡めた話ですよね。そうすると、主義主張、理念、そういったもので人は動かされる一方で、それがあるが故にものすごく悲惨なことも同時に起きる。やっぱり人はそれに左右されるし、それに準じていく人も沢山出る。それでいいのかっていうのがものすごい強烈な堀田さんの主張ですよね。どっちが良いとか悪いとかじゃなくて、人が生きてくことそのものが1番大事なんだと。平安時代末期で世の中大変だろうが、とにかく生きてる人は生きてかなきゃいけないんだから、みたいなことを一方で書かれていて。こういう考え方が今大事かなっていうことを思ったりしますね。
ーナレーションー
あなたは、堀田善衛を知っていますか?
鈴木:僕は晩年、お目にかかったときにね、実は週刊誌の話が来てるんだと。確か週刊ポストだったと思うんですけれど。題材が応仁の乱。それを週刊で書くか書かないかでお悩みになってたときの話を伺ったことがあって。それで僕は野次馬ですから「ぜひ読みたい。書いて下さい」って(笑)日本が100年間どうやって乱れたか、そこを生き抜いた人は誰なのか。「主人公なんだよ」とか言っちゃってね(笑)
堀田:結局、あれは出来ませんでしたね。やっぱり週刊誌は体力がいるみたい。
鈴木:そうですよね。だからすごいなと思った記憶があるんですよ。いま週刊誌で書くのかって。僕はその編集長はわからないですけど、感心しましたね。そういうものを注文してきた。読みたかったですけれど。
田居:応仁の乱は乱世の時代をお書きになるってことだから。
堀田:確か言ってたのは、応仁の乱は良い主人公がいないって。
鈴木:そう。
堀田:ずいぶん勉強はしてましたからね。
鈴木:『方丈記私記』でも、藤原定家を主人公に小説が書けないかって40年余り考えたけどダメだった。この人を主人公にするのは無理だって書いてあったのよ。まあよくこんなことをお考えになるなと思ってね(笑)
週刊誌も面白い時代だったんですよ。僕なんかも週刊誌の記者になるんですけど、週刊アサヒ芸能なんていうのは一体何なのかっていうことになるんですけど、今振り返ると、松川事件とかそんなものを取り上げたり、その真犯人と目された人を会社の中で匿ったり、それで独占インタビューを敢行するとかね。実はとんでもないことをやってたのよ!
田居:そんなことやってたんだ。
鈴木:そう。あの徳間康快っていうのはそういうことにも関与した。やっぱり面白い人なんですよ。
堀田:鈴木さんをお採りになるっていうのも面白いと思いますよ。
鈴木:いやいや(笑)そういうのを面白がって採ってくれる会社だったんですよ、まだ(笑)
堀田:なるほど。
鈴木:徳間書店っていうのは、当時僕はまともな出版社だとは思ってなかったんですよ。その気楽さがあった(笑)いわゆる出版社の中でも。そういうところにどうしても入りたいとかではなく、受けたら採ってくれたんで入るんですけど、やっぱりある種のインテリヤクザ風を気取った人たちが多くて。ちょっとした上の先輩たちも同級生たちもみんな学生運動を齧ってた連中ばかりですよね。そういうのを当時の徳間社長が面白がって、みんな集めたんですよね。僕の同級生なんかも徳間書店入るときに、「警察捕まったことあるか?」って訊かれて「僕は3回捕まってます」って言うと「面白えやつだな。じゃあ入れよう」とかね。そういう時代なんですよ(笑)前科があるっていうのがすごい尊重されたっていうのか。
当時の徳間書店で今となれば懐かしい言葉でいうと、出版社側の中でもある種の反体制があったんですよ。
だって徳間康快っていうのは、右か左かわからないわけですね。社員総会の中でみんなの前で演説するときに威張って言うわけですよ。「俺は重信房子と知り合いだ」って。「アイツに頼まれて、パレスチナに車を送った」だの。そうかと思うと、田中角栄と親しかったりしてね。もう訳わかんない人だったんですよ(笑)
堀田:ウチの父は田中角栄さんと同い年ですよ。
鈴木:同い年なんですか。
堀田:よく父が言ってたのは「ソルジェニーツィンと田中角栄と俺同い年」。よく言ってました。
鈴木:堀田先生のある種の快楽主義も僕は好きですね。
堀田:ニューヨークにあるゴヤの1枚の絵を見に行くために、それだけのためにアメリカへ行った。
鈴木:これは快楽主義なんですよ。
堀田:他は何もしない。
田居:素敵じゃないですか、とても。
鈴木:現存する全ての絵を見る。しかも10年かけて。
堀田:私も何回か一緒に行きましたけど、大変でしたよね。ヨーロッパの貴族の家の中にある絵を見せてもらうのは中々大変で。
鈴木:でもワクワクされたのは絶対間違いないですよね。ドキドキもしたし。
堀田:アルバ公爵邸に入るのに3年か4年かかったって(笑)
鈴木:それで見たらやっぱり違いますよね。それは好奇心なんですよ。好奇心を満たすってことだから快楽主義なんですよね。で、10年かけて今度は真剣に書くわけでしょ?でも根本があるんですよ。架空のドキュメンタリー。架空のノンフィクションですよね?それが僕は好きなんですよ。なんていったらいいのかな。
堀田:第3の立場。
鈴木:そうですよね。堀田先生の本に一貫したスタンスがあるんで、そこが僕にとっては面白いんですよね。全然関係ないんですけど、キューブリックっていう人が色んな映画作ったんですけど、あの人の作った映画の中で1番好きなのが『バリー・リンドン』っていう映画なんですよ。何でか。架空のドキュメンタリーですよね。当時18世紀を全部再現して、そのときにカメラがあったとしたらこんな映像があったに違いないってことをとんでもないお金をかけて作ったんですよ。そういうのって物凄い好きなんですよね。ワクワクするし。だから堀田先生の本を読むと安心出来るっていうのか(笑)
ヨナ・ロッタって堀田先生のことですよね?
堀田:そうですそうです(笑)
鈴木:自分がまるでタイムマシーンに乗ったかのごとくヨーロッパの中世へ行って、そこで見聞きしたであろうことを書く。架空のノンフィクションですよね。そういう発想って面白いし。『路上の人』の冒頭って、中世のヨーロッパ入門。まず勉強しておいてからお話に入るっていう。色々勉強になるんですよ。
堀田:でも勉強家でした。
鈴木:お好きなんですね?勉強が。
堀田:原稿を書くことよりも、勉強してる時間の方が長かったんじゃないですか?毎日書斎行くんですよね。夜11時くらいから1時か2時くらいまでですけれども。その2、3時間は新聞だけ読んでることもあったみたいですけど、よく勉強してましたね。「勉強は飽きない」って言ってましたよね。それだけは感心しましたね。
自分がするんじゃなくて、スポーツをテレビで観るのが好きだったんで。
鈴木:だって確か僕の記憶だと、戦争中野球のストライク、ボール、ってあるでしょ?それの和訳を「よし、一本」。これを考えたの堀田先生なんですよ。
堀田:いとこが読売巨人軍にいたんですよ。それでそのいとこの手伝いをしてたみたい。
鈴木:その経緯は面白かった(笑)
堀田:でもスポーツは何でも好きでしたよ。テレビのリモコンは絶対離しませんでしたもん。持たしてもらえませんでした。テニス、アメリカンフットボール、野球。とにかく全部です。テレビで野球をやってるのは、それは音消します。
鈴木:へー!
堀田:ラジオを持ちます。それで他のゲームを聴きます。
鈴木:(笑)
ーナレーションー
音を消したテレビとラジオで別々の野球の試合を観戦していた堀田善衛さん。テレビとラジオの間で一体何を見ていたんでしょう。一体何を知りたかったんでしょう。
2つの岸の間をゆっくり進む船は、どこへ向かっていたんでしょう。
そういえば、宮崎監督が今回の堀田善衛展のために描き下ろしたポスターの絵は、沢山の旗を掲げた大きな船です。
鈴木:堀田さんのポスターおよびチラシの下の方にちっちゃく人物が並んでるんですけど、1番後ろにいるのが宮崎駿なんですよね(笑)自分で描いてるんですよ。
堀田:ポスターの題字は鈴木さんがお書きいただいた?
鈴木:そうなんですよ!大した字じゃなくて申し訳ないですけれど。
堀田:わたし最初父の字かと思ったんですよ。
鈴木:真似したから。
堀田:ね。似てますよね?
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堀田:『上海にて』というのを集英社の文庫で10月17日に復刊してもらうことにしました。
鈴木:あれなかったんですか?
堀田:ええ、ないんです。
田居:それに吾朗さんが帯を書かせていただいて。
鈴木:そうだね。
堀田:もう1つ宣伝してもよろしいでしょうか?
鈴木:どうぞどうぞ。
堀田:ちょうどこの展覧会に合わせて父の本が出ます。集英社からなんですけども、父の上海時代1945年、1946年の日記を10月5日に雑誌の『すばる』で一部抜粋で出しまして、11月に単行本として出版されます。ずいぶん私としては悩んだところなんですけども、皆様に押し出されて出版することになりました。よろしくお願いします。
鈴木:宮崎も読むでしょうね。
ーナレーションー
「堀田さんは海原に屹立している巌のような方だった。潮に流されて自分の位置がわからなくなったとき、僕は何度も堀田さんに助けられた」。
宮崎:一時間半くらいということなんですが、どうなるかわかりませんので。
(会場、笑い)
宮崎:質疑もあるという風に伺ってますから、出来るだけ一生懸命話すつもりでいます。
講演をすると言ったときに、「何という不適格な人間に」と言ったのは私の家内でして。僕も普通なら断るんですけど、この話が来たのは一年半前でして。ちょうど映画やってますから、先はどうなるかわからないという心理状態にいまして。映画が出来なくて夜逃げするかもしれないし。その間に関東大震災とか東南海事事地震とか色んなことが起きて、何が起こるかわからないから、まぁ何とかなるんじゃないかっていう(笑)とやってるうちに一年半が経ってしまいまして。
ただ堀田さんというのは、僕にとても大事な人で。そのことと『方丈記私記』について自分との関わりや、どういう風なことを考えてきたかってことをお話したいと思うんです。
皆さんが全員『方丈記私記』を読んでいるかどうかはわかりませんので。いま文庫本ではありますけど、本としては絶版になってますから。
『方丈記』とはなんぞや?ということは、国文学者の話を聞いた方がいいと思いますので、自分にとっての堀田さんということを中心にしてお話をさせていただきたいと思うんです。