鈴木敏夫のジブリ汗まみれを文字起こしするブログ

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乱世の羅針盤...堀田善衛を敬愛する宮崎駿のことば 出演:宮崎駿

2008年10月21日配信の「鈴木敏夫ジブリ汗まみれ」です。

http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol55.mp3

 

ーナレーションー

世界中の株が暴落して世界から悲鳴が聞こえてきた日、静かな秋の光に包まれた神奈川近代文学館では、ある展覧会が開かれていました。

 

堀田善衛展 スタジオジブリが描く乱世」

 

司会:本日は堀田善衛展記念講演会にご来場くださいまして、誠にありがとうございます。只今からアニメーション映画監督の宮崎駿さんをお迎えして、ご講演をいただきます。

 

ーナレーションー

10月11日土曜日、展覧会場では堀田さんを敬愛する宮崎駿監督の講演会が開かれました。

 

宮崎:自分にとっての堀田さんということを中心にして話をさせていただきたいと思います。堀田さんというのはですね、拙い文章で書いてしまいましたけども、本当に芯の強い鋭く尖った巌のように立っていて、現代の歴史とか経済情勢の波の上に立っていて、僕らは同じ方向に向かっている船を漕いでいるつもりなんですけど、いつの間にか右行ったり左行ったり、訳がわからなくなると、そうすると堀田さんがああやっぱり同じ位置に立っている、って。そういう代表になるような存在だったんです。僕にとって。

 

堀田さんが何かの会でお会いしたときに、「『方丈記私記』を映画にしないか?」とおっしゃったんですね。「あげるよ」って。僕は『方丈記私記』を読んだときにですね、鎌倉時代に自分がいるんじゃないかと思うくらい、夜中寝床でずっと読んでいて、立ち上がって窓を開けたら外が火の手が轟々と上がっていて、鎌倉時代というか平安時代の京の町が。

 

東京大空襲をやったときは僕は見てませんけども、3000メートルの高さまで降りてきて焼夷弾を落っことしてますからB29が見えたんですね。そのギラギラしたB29の腹に地上の火が映って赤かったっていう風に色んな人が書き残してますけど。そういうのがいっぱい飛んでくるような、そういうものが見えるんじゃないかっていうくらいリアリティのある小説でした。

 

「そういうものをチョコチョコっとやればいいんだよ。劇画で」とか「『路上の人』でもいいよ」とか色々おっしゃるんで。それ以来ですね、とにかく考えて『方丈記私記』が映画にならないかっていう風に。色んな知らないといけないことやわからないことがいっぱいありますから、折に触れては何か拾って、ひょっとしたらこれは映画になるかな?とか、ここが骨になるかな?とかそういう風に探してたんですね。

 

僕の空襲体験は僅かなものですけど、色んなものを読んだことによって、自分の頭の上に爆弾が降ってくるっていう形でなきゃ描いちゃいけないって。爆弾を落っことす映画を作らないって。

 

こんなこと言ってもしょうがないんですけど、僕がチンピラなアニメーターだった頃に、テレビアニメーションが始まりまして、『0戦はやと』っていうしょうもないやつが、職場でいっぱい流れたんですよ。悔しかったですね。零戦を描かせたら、俺が絶対上手いって思ってるわけですから。空中戦描かせたら俺が一番上手いって今でも思ってるんですよ。でも描かないんです。描いちゃいけないんですよ、それは。それは堀田さんのせいですよね(笑)

 

それでワクワクするようなもの作っていいんだったら作っていいけど、ワクワクするようなもの作っちゃいけない。それで捻じ曲がっていくと『紅の豚』みたいな訳のわからないものを作るんですよね。それでとりあえず空中戦やっちゃったみたいな(笑)

 

それは僕が勝手に決めたハードルですけど、『宇宙戦艦ヤマト』のときもそうでしたね。戦艦やるなら俺にやらせろとかね。でもやらないとか、本当にくだらないところで誇りを持ってるんですけど、誇りじゃないですね。なんですかね(笑)でもやっちゃいけないんです。

 

自分の中に、例えば幼児期あるいは少年期に飛行機を見たときにですね、カッコいいと思う。カッコいいって何か?何で自分は尖ったものが好きなのか?日本はいま自分で尖ったもの作れないですよね、アメリカの戦闘機買わないといけないから。だから新幹線尖らせるんですよ。

 

(会場、笑い)

 

宮崎:何で尖らせるんだろうって。何か尖らせてるものがあると、安心して電車が丸くしたり四角くしたりするんですけど、無いと尖らせるんですね。尖らせるってこの攻撃性はですね、何だろうって。イギリスのフーリガンっていうのは何なんだろうあれはっていうね。暴力っていうのは人間の属性の一部なんだって思うしかないっていう。それを溜めるように溜めるように戦後やってきたけれど、溜まりきらないからあっちこっち抜け穴が出来るっていうね。そうすると、人間の見方をもっと幅を広げてみないと、平和は全ての人の願いっていう風に簡単に括っちゃいけないっていうね。もっととんでもない生き物、存在なんだよ人間っていうことも、実は堀田さんの中にあるんじゃないかと僕は思うんです。

 

方丈記』を書いた鴨長明っていう人は、1155年に生まれたってここに書いたんです。メモとってきたんですけど。ようやく覚えたんですけど。12世紀の平安時代が崩壊していって、鎌倉に変わっていく時代、武士の世界中に変わったいく時代の大変な動乱期に生きて、それでとても才能のある人だった。才能がある人だけれど、色んな身の不運もあってですね、貴族の社会で出世出来なかった。そして坊主になって出家しちゃった人なんですよね。出家して庵に篭って、さらにもっと奥まで引っ込んじゃおうと。組み立て式の方丈を作って。

 

すごい山に入ったみたいですけど、実は京のすぐそばの日野山っていうところに入ってる。そこで『方丈記』を58かな?62まで生きてますから、当時としては長生きな方です。平均的には30代でバタバタ死んでいった時代に、そういう時代でも長生きする人って案外長生きするんで。『方丈記』がいま高校生の教科書に出てるどうかはわかりませんけど、あっという間に読めちゃうんですよね。何となく無常観が漂ってるな、っていう感じで終わっちゃうんですよ。この世は無常だ、って。昨日読んでみたら、やっぱりそう読んじゃうんですよ。

 

でも堀田さん全然違う風に読んでるですよね。昭和20年の東京大空襲を挟んで、何度も何度も読んだって堀田さんは書き残してますけど、『方丈記』に書いてある大火の様子とか、辻風が吹くって、辻風っていうのはいま日本でそんなデカイの起こりませんけど平安末期は異常気象の時代ですから、竜巻が来て。日本に竜巻が起こるってあまり考えられないですけどね。

 

なんで平安時代がかくも惨憺たる状態の中で、鎌倉に変わっていったか。鎌倉に変わったら少しでも良くなったのか、少しは落ち着いたのか。そういう観点から見ますと、実は気象学の方から12世紀後半っていうのは、太平洋を取り巻く周辺に色んな変動が集中的に起こっていて、その原因がよくわからない。彗星の衝突が太平洋のどこかであったんだろうって。でも一回あっただけじゃなくて、そのもうちょっと前から彗星が何度も現れていて。それは定家の文章にもあるし。

 

それで1178年、これは長明さんが生きてる時代ですね。イギリスのカンタベリーの修道士がたまたま出てきたばかりの三日月を見ているときに、その三日月の先が突然二つに裂けて、炎がほとばしり出てきてですね、蛇が悶えるように月が悶えたって記録を残しているんですよね。それから靄がかかったように月が見えなくなった。

 

それで月の裏側まで衛星が見えるようになったときに、直径20キロくらいのジョルダーノ・ブルーノっていう宗教改革で火あぶりになった人ですけど、そういう人の名前がついたクレーターがありまして、その結果月はブーンっとぶつかって震えるんですね。その震えが未だ月の中に残ってるっていうことがわかってきたわけですよ。それが12世紀の後半だろう。そこで目撃されたものだろうっていう風に仮説が立っているわけです。

 

その頃にですね、太平洋の周辺にいっぱい色んなことが起こっている。竜巻が実際にあって惨憺たることになる。大火が起こる。兵乱は起こる。兵乱のことはあまり書いてないです。でもその書き方に無常観を書くためにそういうことを書いたんじゃなくて、本当にこれはこの現実を見てきた人じゃないと書けない文章だっていうところから深く読み込んでいくと、鴨長明っていうのは儚いもんだっていうんじゃなくて、もっと鋭くトゲを突き出したまま、人間とか世界っていうのはどういうものなんだっていうことを見つめて生きた人なんだなってところに辿り着いたんだと思います。

 

でも堀田さんは60過ぎまで書かなかったんですね。そのあと実は堀田さんは色んな活動をします。鴨長明のように生きようと思って生きたんじゃないと思うんですけど。政治的な活動にも、ちょっと身辺が危うくなるようなものも含めて。アジアアフリカ作家会議とか。そこで出会った人ほとんどが死んだら行方不明になって、牢屋に入っちゃうようなそういう時代の作家会議の活動をして、ソ連プラハの春を潰した時の出動の時にも居合わせるし、という色んな歴史の現実の中に不思議に立ち会っているところは、鴨長明のようにそういう素質を持っている方なのか。

 

方丈記』を読み解いてくれたんです、自分の人生と重ねながら。平安時代は大変だったんだなっていうだけじゃなくて、困難な時代は今の時代に段々重なってくるんです。今日の朝の新聞なんか、暗黒の株とか、何が暗黒だと。働かないで金儲けした人が損してるだけなんだから、何でも宜しいと思うんですけど。こういう話をすると、つい熱を帯びるんですけど。

 

(会場、笑い)

 

宮崎:あんまりそれやっちゃいけないって言われまして(笑)本当はそういう時代なんです。六本木ヒルズで威勢よくやってたら突然いなくなったとか、捕まったとか、平安時代の混乱期とちっとも変わらないんじゃないかって。

 

堀田さんが乱世だって言ったのは、何も戦争中の空襲を受けて、轟々と火が燃え上がって十何万も死ぬとか、原爆が落ちるとかだけじゃなくて。

 

東京大空襲。それからその後の中国での内戦とか、日本がそれにアメリカに何らかの形で加担し、ベトナム戦争にも加担しっていう色んな現代史の中でずっと続いてることで、つまり長明さんと堀田さんとが重なってですね、『方丈記私記』というのを今読むと、僕は長明=堀田善衛で。つまり『方丈記私記』っていうのはですね、『方丈記』を読み解きながら、堀田さんが自分の見たもの、経験したものを踏まえつつ、最後に人間の存在そのものって一体何かっていうところまで触れて書かれていたものだと思います。

 

僕の話は本当にまとまりがなくて。何かいっぱい書いてきたんですけど、全部忘れちゃうんですね。

 

(会場、笑い)

 

宮崎:こういう時代で人は生きていくしかない。自分がどちらの側に属しているのか。属しているんじゃなくて、どこに与しているのか。与していないのか。善良であるとか、本人はとても真面目にやったとか、そういうことと歴史の歯車の上に乗っかって生きるっていうときに、自分が善良であって正しいことをやってるから、あるいは好きなことは一生懸命やってるからそれでいいんだっていうことではないんだなって。自分がちょっと経験した戦争と戦後の間の中にも、そういうことがいっぱいあるんだなって。

 

ですから、僕が漫画を描いたりするときに、それがどういう意味を持っているのか。どこまで見渡してそれを描いているのか。自分がどんなに善良にこれをやりたいんだって言ってやったことでも、その裏側にはどんな意味があるのかってことを。自分がどうしてやりたくなったのか。何によって自分が突き動かされてるのか。その突き動かしてるものは本当にそれは良いものなのか、とか。そういうことをちゃんと考えてやらないと、そこをキチンと見ないと、いつの間にかとんでもない運命になる。

 

一番芯になっている堀田さんの『広場の孤独』と『方丈記私記』っていうのは、僕は是非たくさんの人に読んだもらいたいです。こんな強靭なものに出会うと、いま始まってくる大混乱の時代に何かの形で、ものを考えたり、読んでく上での手掛かりになると思うんです。それだけの力を持ったもので、堀田さんは文学というのは決して流行った文学じゃなくて。あそこにお嬢さんがこんなこと言うのは恥ずかしいんですけど、まあ通じないんです(笑)通じないんですけど、僕にとってはとても大事なもので、お前の映画は何に影響されたかって言ったら堀田善衛としか答えるしかないんですね。手塚さんとか色んなものに影響受けてますけど、一番芯になってるのは堀田善衛なんです。

 

じゃあ堀田さんを随分わかって、そういう目線で世界を眺められるかっていったら、実にどうしていいかわからない。どうしていいかわからない堀田さんは、僕らに対して最後に書いてくれた文章っていうのがこれが全集に入ってませんでして、亡くなる年なのかその前の年なのか、『空の空なればこそ』というエッセイ集を出しておられます。

 

これは僕の勝手な思い込みで僕に向かって書いてくれたことなんだって思ってるんですけど、「空の空なるかな。全て空なり」というところから始まるんですよね。これが旧約聖書に載ってるからそれだけでビックリするんですけど。

 

「日の下に人の労して為すところの諸々の動作(はたらき)はその身に何の益かあらん」って。

 

これね、労を捨てた坊さんが書いてるんじゃないんですよ。エルサレムの王が書いてるんです。その人は要するにやることはやった。楽しめることは全部やった。築ける限りの財産は全部築いた。妻も妾もいっぱい持った。全部やったけど、やっぱり「空」だって書いてるんです。でもその最後にどうやって生きようってところでその締めくくりがあるんですけど、その間に色んなことがあります。

 

「汝往きて喜悦(よろこび)もて。汝のパンを食(くら)ひ、楽(たのし)き心をもて。汝の酒を飲め」。

 

これ堀田さんがわかりやすく書いてくれたんだと思うんですけど、自分に耐えられることは力を尽くしてこれをしなさい、って。何故ならってこの最後がすごいんです。

 

「お前が行く黄泉の世界には、権謀や術策や謀りごとはないけど、その代わり知恵も知識もないんだから」って締めくくってるんですね。

 

これすごいニヒリズムだと。堀田さんはその境地に来てるんだなと思ったんですよね。僕もその境地になれたらいいなと思うと同時に、堀田さんがそういう風に書き残してくれたのは、本当に助かったんです。

 

自分たちはアニメーションを作って、お客が入るか入らないかでドキドキしながら作ってですね、その次は何を作るのかで右往左往してですね、そうやって人生を無駄にゾロゾロと過ぎていってしまうんですけど、この世界がこんなことになってどの道とんでもないところに生きなきゃいけない。じゃあどうすればいいんですかね?って話になるんです。

 

そうすると、これを言うことにしてるんですね。「汝生きて喜悦もて。汝のパンを食ひ、、」って。ま、言ったって何の解決にもなりません。「力を尽くしてこれを為せ」のときの仕事っていうのは、これをやっていれば世の中のためになるんだ、とか、これをやっていれば意義あるものになるんだ、っていう風な決まった仕事はないんです。どんな仕事でもたぶんやって良かった、とか、意味があった、っていう瞬間は持ってるんだと思うんですね。それを見つけなかればいけないっていう意味ではないかって思ってるんですけど。だってどっかの高層マンションの上の一室で、インターネットを前にウエー!って株やってる人も「力を尽くしてこれを為してる」かもしれません。

 

(会場、笑い)

 

宮崎:夜も寝ないで頑張って。でも三万人も毎年人が死んでるんですから。仕事の意味ということについては堀田さんは星を与えてくれません。ただ『方丈記私記』を映画にしたら面白いかもしれないなっていうことで(笑)作ったら「君、あれはいかんよ!ワハハ」って笑うか。

 

いま作りやすいんです。世の中上手くいかないぞ、っていうのは。つまり、平安時代は大変だったんですね、僕らは平和でいいですね、ってそういう馬鹿はいなくなったから、今も大変でこれからも大変なんだなっていう風なことは共有出来るようになったんですけど、そうすると、その時の鴨長明がどういう眼差しで生きていたのか、ということについてもうちょっと深く立ち入らないと、映像が簡単に出来ないだろうと。

 

観た人間が鴨長明と堀田さんと同じように生きたような気分になって、映画館からヨロヨロと出てきてですね、新宿の街を歩くときも、これは全部幻で、実は俺は平安時代の京都の街を彷徨ってるんだって思えるような映画を作りたいですよ。『方丈記私記』を読むとそうなるんですから。

 

一体どうするかって。ここに書いてある通りですよね。

 

「力を尽くしてこれを為せ」。

 

これでいいんだ、って。天が落っこってきたりですね、炎が燃え上がって、その中で死ななきゃいけないことになるかもしれないけれど、生まれてきた甲斐があるなっていう瞬間がもし自分たちで一瞬でも作れるなら、もう堀田さんが言ってるんだからそうに違いない。

 

とにかく「堪うることは力を尽くしてこれを為せ」、これでいくんだ、って。それで「汝の酒を飲め。楽しき心を持って」ということまで堀田さんは書き残してくれたんだって思ってるんです。これは希望だとか絶望だとかっていうことじゃなくて、人というのはこういうもんだって。

 

堀田さんは『方丈記』を書いたあと長明が一応坊さんですから「南無阿弥陀仏」って三回言ったけど言っただけだ、っていう風に終わってるんですね。沈黙に座していつこれを書いたかって闇の中で一人で座っていたに違いない。その沈黙の意味を堀田さんはヒタヒタと感じて、『方丈記私記』を書き上げてると思うんです。

 

そのように生きて逗子の山の中で、その後も右往左往している我々のために色んなものを書き残してですね、最後に空の空なるところに座して亡くなられたんだ、っていう風に思ってます。

 

堀田さんは充分生きて亡くなったんだ。堀田さんと同じ時代に生きられて本当に良かったと思ってます。