鈴木敏夫のジブリ汗まみれを文字起こしするブログ

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文春ジブリ文庫・もののけ姫インタビュー

2015年7月27日配信の「鈴木敏夫ジブリ汗まみれ」です。

http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol380.mp3

 

ーナレーションー

今週は、7月10日に発売された『文春ジブリ文庫もののけ姫』の鈴木さんはのインタビューの模様をお送りします。

 

1997年7月12日に公開された宮崎駿監督の『もののけ姫』。今だから話せる製作秘話。まずはこんなお話から。

 

鈴木:あの時ですよね、宮さんに初めて言ったのは。あの時っていうのはね、通常宮さんって、絵コンテって始まるのが年明けてから。遅くとも2月とか3月には取りかかる。色々やってきてそうなってたんですけど、大体1年かかる。12月までかかるんですよ。そうすると、夏の映画公開に間に合う。

 

柳橋:なるほど。

 

鈴木:ところが、もののけ姫は倍かかったわけですよ。1年経っても半分いかないくらい。これまでの宮さんの作品って、いつも大体1年で作ってきた。で、宮さんにもちゃんと2年っていう期間を出して、それでやらないといけないという僕の考えもあって、それでやってくんですけど。

 

それに合わせて、絵コンテを描く時間がめちゃくちゃ時間かかるようになっちゃったんですよ。それで本人が描きながら、間が飛ぶじゃないですか。それで時間かかるじゃないですか。いつものペースより遅いわけですよ。圧倒的に。それで本人も不安になったんですね。「鈴木さん、こんな風にやってて大丈夫なんだろうか?」って。

 

なんてことを言われてね、そこで生まれて初めてね、彼にこういう言い方をするんですよ。「まぁ世の雑誌における連載ものも、大体こんな感じなので」(笑)

 

柳橋:予定通りにはいかない。

 

鈴木:連載のつもりでやればね。そうしたら宮さんがすごい喜んでね、「そうか!連載マンガだと思えばいいのか!」って。それからなんですよね。それまではもう少し早くやってたんで。

 

それでやってて、1年やっても約半分。ジブリの生産量っていうのは、大体月5分なんで1年やれば半分は出来る。大体2時間の映画かなって思ってたの。それでやってった時に、実は2年目の冬にある日、宮さんが「鈴木さん、出来た!」っていう。ラストどうやってまとめるのか、非常に気になってたんですよ。

 

それで読んでって言われて読んだんですけど。まぁ最初の案は悩みましたよね。悩んだっていうのはなんでかというと、出来上がってるものから正確な秒数はわからないけど、15分くらい短い。何が1番大きいかっていったら、エボシ御前の片腕がもぎ取られないんですよね。それと、タタラ場の炎上がない。

 

僕としてはその時本当に二律背反。なんでかっていったら、今のままやれば順当に映画が完成して、公開出来るわけですよ。ところが、一言でいうとこれを始末つけるには、時間がかかる。そうすると、夏の公開諦めなきゃいかないかもしれない。で、年末は「鈴木さん、どうだった?」って言われて、「うーん」なんて言ってね。

 

で、年明け早々、実は久石の方がスタジオが代々木にあって、そこへある曲を聴きにいかなきゃいけないっていうことが生まれて。それで電車に乗ってみんなで行くっていう、そういう時に僕は自分の中で思ってたんですよね。引っかかってたんですよ。これじゃあそれまで観てきた人が納得出来ない。終わり方があまりにあっさりしている。

 

それで僕が言ったのは、そういう時は余計なことを言わずに短い言葉で言っちゃおうと思うから、「宮さん。正月にコンテを読んで考えたんだけど、やっぱりエボシ御前を殺すべきじゃないか」っていう。そうしたら、宮さんがね電車の中なのにデッカイ声でね、「そう思ってた!?」って言い出してね(笑)もうムチャクチャですよね。みんな宮さんだってこと全員知ってるわけですよ。電車に乗ってる人。

 

早いんですよ、あの人!その一言からね、代々木に着く間にデカイ声でね、案をワーっと喋り出すんですよ。みんな聞いてるんですよね(笑)そうなっちゃったら、誰も止められない。

 

それで久石さんのところ着いたじゃないですか。さぁこれから音楽聴こうっていうときにね、そんなこと宮さんにとってどうでもよくて、実は電車でこういうことがあったんだ、久石さん。久石さんも絵コンテ読んでるだろう、と。鈴木さんがそう言うんで、電車の中で考えたんだけど、こういう案はどうだ、ああいう案はどうだろうって久石さんにぶつけるっていうね。そんなことが出てきたんですよね。

 

で、そこから数日経って、宮さんが本当に短い時間でしたけどね、絵コンテのラフ。珍しく宮さん本当にラフなんですよ。丸とチョンの。それで僕のところに来てね、「読んで」っていうんですよ。それで神妙な顔してるんですよ。何でかなと思ったら、僕が最後まで読まないうちからあの人って気が急くとそうなるから。「鈴木さん、悪い。エボシを殺せない」と。見ていったら腕がもぎ取られるっていうところで終わってるんでね、それで僕はそういうことでも1つあれば、いいんじゃないでしょうかと。

 

それで電車の中でもう1個言ったのは、宮さんの特徴っていうのは、出てきた建物が最後炎上する。それは必ず入れたいんじゃないかって言ったら、これも受け入れてくれて。それでタタラ場の炎上が出てくるんですけど。

 

ところが、これによって正確な秒数今のわからないですけど、確か2時間14分くらいあるのかな?あれ。そうすると、14分ぶんはみ出ちゃったんですよ。この間何度も言ってきましたけど、月の生産量5分でしょ。15分延びるってことは、3ヶ月延びちゃうんですよ。すると絶対間に合わない。それでどうしようか、なんですよ。

 

それでそうなった日があるわけですよね。みんなにも公表。みんな真っ青になりますよね。もう間に合わない。普通に手書きがセル画描いて、色を塗ってたのが、それを何とかすべく1つやったのが、デジタルですよね。

 

急遽、ジブリのバーってみんながご飯食べるところなんですけど、そこへコンピュータを置きまくって、一方で手で塗ってるけど、一方でデジタルで色を塗るっていう。

 

あれはデジタルを試してみたいとか、そういうのじゃないんですよ。これを導入すれば、スケジュール的に緩和出来るんじゃないかっていう。それが1番大きかったんですよね。これをやってみたら、それはそれでお陰様で非常に上手くいって。スケジュールの短縮に非常に大きな貢献をするわけなんですけれど。

 

一方で、動画部門っていうのがあって、これがひっちゃかめっちゃか。要するに、人海作戦が必要なんですよ。

 

そんな時にね、テレコムっていう会社があって。宮さんがもと属していた、そしてカリオストロを作った会社なんですけど。ここの会社の竹内さんっていうのがいて、その人がちょうどそういう時に当たったんでしょうね。「仕事がなくなっちゃった。何か手伝い出来ませんか?」なんていうね(笑)要するに、援軍が来ちゃったんですよ。

 

柳橋:はいはい。

 

鈴木:この2つのよってね、普通だったら3ヶ月かかるやつを1ヶ月くらいで出来ちゃうっていうね。これは本当に運が良かったとしか言いようがないんですよね。現場の製作っていうところで言えば。

 

---

 

鈴木:そんなことがある一方で、宣伝の問題があるじゃないですか。これは色んなところで出ちゃってると思いますけど、いつもの倍の予算。2年かけてやるって言ったときに、関係各社みんなが諸手を上げて賛成したわけじゃないんですよね。

 

それは何かっていうと、配給の東宝さんも含め、それから映画に関わってきた色んな会社が皆さん何を考えたかというと、当時の日本ってね、チャンバラはダメだっていう。興行的に成功しないっていう、その真っ只中なんですよね。そういうものをやるっていうのは、相当リスクが大きいよ、と。

 

おまけに、その夏の封切られる映画が『ジュラシックパーク』というのがあると。これにいくら宮崎駿といえど、戦って勝てるのかっていう。みんな暗くなるんですよ。

 

これなんかも今だから言っちゃっていいでしょう。ジブリを除いた製作会社の人たちは、密儀をやるんですよ。みんなで相談して。そこで先頭に立ったのが、実は電通のある人なんですけど。電通っていうのは、この作品からスタート。それまで博報堂だったんですけど、徳間の意向もあって入ってきて。それで電通さんが中心になって、全部ジブリに任せておく、鈴木と宮崎に任せておいて本当に良いのかと。ちゃんと東宝さんの意見もあるわけだし、これはキチンと鈴木さんの方に話した方が良いんじゃないかと。つまり、企画を変えて欲しいと。なんていう話が持ち上がるんですよ。

 

それで、その密儀が開かれて、僕のところに正式に来る前に、そこに参加してたある人が、その日のうちに僕に教えてくれるんですよ。大体お分かりでしょうけど、奥田さんなんですよ(笑)

 

それで当時の僕は若いでしょ?次の日にはね、電通のその人に向かって、「お前さん、一体何やってるんだ。そんな嫌だったらやめればいいじゃねえか」って言ってね(笑)それで色々あったんですけど、まぁ関わることになる。関わることになるのはあれなんですけど、そこで論議されたのは、やっぱり大きかったんですよ。

 

計算すると、それまでの日本の映画の興行って、当時は興行収入じゃなくて配給収入っていうやつなんですけど、『南極物語』かな。これの60億円っていうのが記録を持ってて。これを超えない限り、トントンにいかないと。というか、それと同じ数字になって初めてトントン。そういう時に一体あなたはどうするつもりなんですか?それを同時に突きつけられるわけなんですよね。

 

僕としてはですね、それまでジブリのやつって、正確なことは忘れちゃったけど、配給収入で20億前後をウロウロしてるんですよね。これを一気に3倍にしなきゃいけないわけでしょ。

 

僕はね、どうやってやるのかわからないし、どうしようかっていうのがあったんだけど、何しろ一方で、徳間の不良債権問題で大騒ぎしてるでしょ。本当にムシャクシャしてたんですよね(笑)ムシャクシャしてたから、何かそういう悪魔の声が聞こえたんですね。ちゃんとやれば、何とかなるんじゃないかなっていう(笑)

 

その間映画っていうのをやってきてね、映画っていうものが良いものを作れば、お客さんは観てくれるっていうことを勉強したんですよ。次に、じゃあ宣伝をちゃんとやれば、それでヒットするのか。でもそれだけでもないってこともわかって。

 

何が大事かっていったら、いわゆる配給。作品を色んな小屋に売る。その営業っていうのがものすごい大きいってことを実は勉強したんですよ。

 

当時、東宝でそれを牛耳ってたのは西野さんという方で。この西野さんに相談に行く。それでこの60億っていう話をしたら、西野さんだってね、「無茶だ」っていうね(笑) 

 

僕もその間に色んなこと勉強してやってたから、最終的には「おこがましいですけど、小屋の問題でしょう。そういう塩梅が出来れば、必ずしもダメってことはないんじゃないか」と。「色んな小屋の夏の観客動員のアベレージっていうのはあるわけだから、そういう映画館を何とか用意していただけないものだろうか」と。そういうことを、頭を下げて頼みに行くんですよ。

 

それで西野さんとは、その間にトトロ、蛍、から始まって、色んなことで最初は僕は生意気で怒られたりしてたんですけど、そんなことやってるうちに仲良くなっちゃってたんで。「とにかくこちらも考えてみる」と。僕はその時に「西野さんの号令一家、日本の映画館で西野さんに楯突く人いないでしょ?やって下さいよ」と。そうしたら「やれることは考えてみる」と。「今日の話だけじゃ無理だから、また話そう」って言って。それで何回も話を重ねていくことになるんですよ。

 

いくら良いものを作っても、いくらちゃんと宣伝をしても、映画って上手くいかない。やっぱりこの興行の方、配給の方でちゃんとした映画館を用意する、これが1番大事。

 

柳橋:何館公開っていうやつですか?

 

鈴木:館数じゃないんですよね。映画って雑に言うとね、今日本にスクリーン数って3400くらいあると思うんですよ。その中でお客さんが来る映画館って、たぶん300ないんですよ。

 

柳橋:なるほど。

 

鈴木:その3400のうちの300スクリーンくらいで半分くらいの興行収入上げちゃうんですよ。

 

柳橋:1/10で半分。

 

鈴木:その映画館で全部やれば、良い数字が得られるんですよ。それをその間に学んだんですよ。だから、そういう映画館や用意して欲しい。そうすると、それは『ジュラシックパークが、、

 

柳橋:おさえているというか。

 

鈴木:それをどけなきゃいけないんですよ。それを雑に言うと、西野さんがやってくれたんですよね。

 

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鈴木:日本だってそれまでは、様子を見て拡げていくっていうのがあったんですよ。

 

柳橋:当たればどんどん増やしていく。

 

鈴木:でも最初から良い映画館おさえちゃうっていうのは、これは中々ないことなんですよ。映画がさっき言った状況で大混乱。一方、配給の方でもそういう迷いが、そして決断があるっていうね、同時進行でこれが起こるんですよね。

 

そんなこんなでやっていくうちに、映画が本当に完成した正確な日にちは忘れちゃったな。たぶん、6月の、、

 

柳橋:中盤だったみたいですね、

 

 

鈴木:それをですね、東宝関係者に誰にも言わなかったんですよ。何でかというとね、完成して観たら、、

 

柳橋:色々言い出すから。ああした方がいい、こうした方がいいんじゃないかと。

 

鈴木:そう。遅れてることにして(笑)ギリギリまで引っ張るんですよ。

 

柳橋:なるほど(笑)

 

鈴木:するとこの6月じゃ、まだひっくり返られる可能性があるでしょ。相当伸ばしましたよね。もう公開の直前ギリギリのところで、初めて完成したって言い方をして。それで皆さんに見せるんですけど、案の定ですよ。

 

やっぱりその席上、観終わって東宝がね、値踏みをするわけじゃないですか。「これは子供は観ない」と。「10億いかない」って。

 

柳橋:そんなに低いんですね。

 

鈴木:そうなんですよ。一方、当時のシネマ旬報ひっくり返してもらうと、そういうことが書いてあるんですけど、日本の映画界が洋画を含めて、未曾有の大不況。戦後、こんなことはないっていうくらいの映画界が冷え込んでたんですよ。

 

柳橋:なるほど。

 

鈴木:そんなことがあって、世間は「もののけ」か「ジュラシックパーク」かって言うんですけれど、もう公開する前から映画館の問題でいうと、勝っちゃってるわけですよ。

 

それとついでにいうと、宣伝に対しても、東宝は総スカンでしたよね。ご承知のように「生きろ」っていうのが、あれも大問題になるんですよ。何しろそんな映画館用意しちゃってるでしょ。それでこの映画封切って、宣伝見たら「生きろ」でしょ。こんな哲学的な言葉だと、子供も来ないし、大人も来ない。ましてや女性も来ない。

 

そういうことでいえば、東宝の宣伝部で「有楽町を逆立ちして歩く」とかね、そんな話も出てたりね(笑)

 

柳橋:ただ鈴木さんとしては、その宣伝のコピーだとか、お客さんはわかってくれるだろうっていう自信は?

 

鈴木:自信というかね、そうなると一種信念って言うんじゃなくて、何て言うんですかね。

 

柳橋:やるしかないと。

 

鈴木:もうやるしかないと思ってたんですよね。僕はね、哲学的なメッセージって欲しいって思ってたんですよ。 

 

これは間に高畑さんだと思いますけど、あるエピソードを教えてもらってて。それは何かというと、前話したかもしれないですけど、高畑さんたちがね、『リトルニモ』っていうのを作る時、そのプロデューサーのゲーリー・カーツっていう人がいたんですね。この人が言ってたらしいんですね。かつてハリウッドの映画の最大のテーマは「LOVE」だったって。ところが、その歴史を変えたのは、『スターウォーズ』だと。そのテーマは何だったかというと、フィロソフィー(哲学)だと。

 

そうすると、大衆的なレベルでのフィロソフィーを出した作品が、勝つって。高畑さんたちもそういうことを要求されて、映画作らなきゃいけなかった。僕はこれがね、頭にこびりついてたんですね。

 

映画の宣伝をやっていく時もね、一種そういうものが必要だろうと。生きるだの、死ぬだの、そういうことが何か必要。

 

柳橋:やっぱりみんな関係者、映画を理解出来なかったんですね?

 

鈴木:わけわかんないって言ってました。と言われると思ってたんですよ。わかってたから、観せちゃいけないと思ってたんですよ。

 

柳橋:なるほど。

 

鈴木:難解な映画だって言われるだろうなって。だから、未熟な映画だと思ったんですよ。それはどういうことかって言ったら、やっぱり宮さんがあの人真面目だから。この映画作るときにね、世間では宮崎アニメの集大成。僕は嘘っぱちだと思ったんですよ。どういうことかって言ったら、集大成というなら、空を飛んだり、ドンチャン。つまり、自分の得意技を満載にしなきゃいけないでしょ。ところが、あの映画って自分の得意技を封じまくってるんですよ。

 

柳橋:たしかに。

 

鈴木:大きなテーマを抱いて、それを具体化出来ない焦ったさみたいなものが出てる映画だと思うんですよ。だから、必ずしも完成度は高くない。むしろ低いと思ったんですよ、僕。でもそこに新人監督が作るようなある種の初々しさがある。その偶然さが、僕はあの映画の当たりそうな予感を感じたんですよ。

 

柳橋:なるほど。

 

ーナレーションー

鈴木さんが語る、汗まみれジブリ史。今だから語れる制作秘話。知恵と度胸の大博打。未曾有のもののけ大作戦、いかがだったでしょうか。このインタビューも掲載されている『文春ジブリ文庫 もののけ姫』は、現在絶賛発売中です。