鈴木敏夫のジブリ汗まみれを文字起こしするブログ

ポッドキャスト版「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」の文字起こしをやっています。https://twitter.com/hatake4633

日本を代表する社会学者の上野千鶴子さんとの対談・その1

2014年10月31日配信の「鈴木敏夫ジブリ汗まみれ」です。

http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol340.mp3

 

鈴木:大泉啓一郎さんの『消費するアジア、老いていくアジア』なんて本をある時読んだんですけど、そうしたら僕ビックリしたのは2つあって。1つはアジアでとっくに少子高齢化は始まっているんだっていう。

 

上野:そうですそうです。

 

鈴木:僕知らなかったんですよ。

 

上野:階層格差は大きいですけどね。日本は押しなべて。

 

鈴木:僕なんかは偏見があって自分でもね、反省したんですけど。アジアっていうと、農業。と思ってたら、、

 

上野:いえ、とんでもないです。

 

鈴木:とんでもない話なんですね?

 

上野:それは高度経済成長期で常識が止まってます。

 

鈴木:すいません!(笑)その方の本でね、僕は初めて知ったんですよ。なんと少子ということでいえば、もうとっくに2人は切ってるんですよね。アジアの色んな国も。

 

上野:そうです。インドはIT大国だし。

 

鈴木:ね。国連が2001年だかに、人口のやつ下方修正したんですよね。100億いかないっていう。

 

上野:ああ、ようやく。

 

鈴木:99で止まると。それでアジアはもう少子高齢化になって、これから人口増はアフリカだけであるっていう。それ以前は100何億っていうのだったのが下方修正されたっていうのを読んで、、

 

上野:国連の人口問題の最大課題は、人口抑制ですから。やっと達成されつつあるんですね。でもそんなことは大したことじゃないんで。

 

鈴木:(笑)

 

上野:つまりね、例え100年だとしても、、

 

鈴木:あなたは長生きすると。

 

上野:違うんですよ。66というのは、3分の2過ぎてるんですよ。折り返し点とかではないんですよ。

 

鈴木:まだ3分の2ですか。

 

上野:でも後はずっと下り坂ですから。

 

鈴木:6分の5くらいにして欲しいですけど(笑)

 

上野:まぁまぁそれでも良いんですけど。最近は私はね、「私は」っていう主語で文章を書き始めるとね、過去形なんですよね。自分の経験が過去に属するようになってきたんです。1人でものを書く時にはね、なんか限りなく弔辞に近くなるんですよね。「鈴木さんという人は」とか(笑)

 

鈴木:(笑)

 

上野:すごく切ないんですよ。とても悲しいんですが、その人の成し遂げたこととか、存在っていうのが過半が過去に属するようになる。その時にジブリの解雇をなさるっていうのはね、過去になってしまったものを振り返ろうという、そういう所におられるってことでしょう?

 

鈴木:いや、もう引き出しの中にしまいたかったんですよね。

 

上野:なるほど。はいはい。

 

鈴木:だからもう悪魔には身は売らない、これからはっていう(笑)

 

上野:だいぶ売ってこられましたか?

 

鈴木:やっぱり立場上それは僕がやらざるを得なかったんですよね。本当損な役回りだなと思ってきたんで。それは宮崎駿とか高畑勲は良いですよね。作ってりゃいいんだから。

 

上野:(笑)

 

鈴木:そういうことは全部僕の方へ来ちゃってね。請け負わなきゃいけなかったっていう恨みはありますよね。

 

上野:いやでもこれを拝見すると、書いてないこともいっぱいあるのかもしれないけれど、一言でいって、「好きな人と好きなことだけやってきた」って書いてあって。なんとお幸せな。

 

鈴木:それは自分でも自覚はありますね。気の合う人と出会えたっていうのは僕の最大の幸せかなって思ってます。

 

上野:まぁそうですよね。で、まぁ『仕事道楽』っていうタイトルがなかなかいいなと思って。私は自分がやってきたことはね、学問極道(笑)

 

鈴木:色んなところに書いてらっしゃいますよね。

 

上野:本当に世のため人のためじゃなくて、自分がスッキリしたいがための極道だと思ってきたので。

 

ーナレーションー

鈴木敏夫ジブリ汗まみれ。

 

今週は、鈴木さんが1号限りの編集長を務めた『AERA』8/11号の企画で実現した、日本を代表する社会学者の上野千鶴子さんとの対談をお送りします。

 

上野さんは、鈴木さんと同じ団塊の世代。お互い初対面とは思えないほど、熱く、深く、多岐に渡り3時間近くのトークバトル。鈴木さんいわく「あまりに面白いので、3週に渡って放送したい」ということで、3週続けてのスペシャル企画です。

 

まずは、ジブリについてのこんなお話から。

 

上野:宮崎さんのものの、そんな忠実な読者ではないんですが、ナウシカが出てきた時にね、これの原作にあたるものがあるって教えてくれた人がいて。『シュナの旅』っていう。

 

鈴木:ああ。

 

上野:あれが原点ですか?あれを読んで何を感じたかというとね、物凄く濃厚な終末観なんですよ。

 

鈴木:そうですね。おっしゃる通りですよ。

 

上野:その終末観が1番よく出てるのは、ナウシカですね。そういう人がああいうアニメたくさん作ってきて。ただね、アニメって一応子供向けジャンルですよね?

 

鈴木:そうです。

 

上野:それから考えるとね、ジャンルの持っている制約っていうか宿命があって、破局は描けないわけじゃないですか。どうしても。最後に救いがなければならない。あれだけ色濃い終末観を持った方がね、どんな風にやりくりしてこられたのかなっていうね。というのは、とても興味があるんですけどね。

 

鈴木:なるほど。面白い視点ですね。

 

上野:ああ、そうですか。誰もおっしゃいませんか?

 

鈴木:言いかけて途中で止まるって言うんですかね。どういう風にしてきたのかっていうことについて、訊ねられたことは僕の知る限りいないですよね。

 

上野:ああ、そうですか。

 

鈴木:非常にペシミスティックな人で。最初会った時からそうですよね。全てのものに諦めがあるし。それが露骨に出たのがナウシカだと思うんですけどね。

 

ただ彼を救ったのは、彼の得意なことですよね。何かっていったら、絵を描くことが得意でしょ?しかも対象が子供だったじゃないですか?これがおそらく彼という人のバランスをとらせるのに凄い大きなことだったんじゃないかなって気がするんですよ。

 

上野:それはジャンルの制約であり、ジャンルの宿命ですよね。宿命が彼を救ったっていうのはあるかもしれませんね。

 

鈴木:だってアニメーションって、本来子供のものだから。子供に対しては絶望を語ってはいけないじゃないですか。

 

上野:そう。どこかでハッピーエンドにしないとね。

 

鈴木:希望を語らないといけないじゃないですか。で、希望を語る一方で、自分がどこまでも落ち込んでいけるって、そういうバランスを作ったんじゃないですか。と僕は思ってるんですけどね。

 

上野:なるほどね。黙示録的と言っていいほどの終末観なんですけど。団塊の世代はね、根拠のない楽天性ね(笑)

 

鈴木:それはご指摘通りですよ。

 

上野:それで自由がないんですよ。そういう時代に生まれて育っちゃったから。

 

鈴木:この間それを読んでね、まさに俺もそうだなって思わされました。

 

上野:世の中っていうのは時間が経てば、今より必ず良くなるという根拠のない楽天性を持っていたのが、それがペシャンコになっちゃったのが、3.11なんですけど。それは置いておいて。

 

その次の世代ですよね。私の下の世代。オウム世代。オウムにあれだけ引き込まれるっていうのがそうよね。

 

鈴木:でなきゃ、そうならないですよね。

 

上野:そうですね。

 

鈴木:身体化してるっていうのは面白いですね。

 

上野:宮崎さんは私たちより少し上?

 

鈴木:そうです。8歳上です。

 

上野:それと戦争中に生まれてる?

 

鈴木昭和16年ですね。

 

上野:戦時下の記憶のある方ですよね?

 

鈴木:あります。

 

上野:それは私たちは全くないので。その次に来た人たちが、全く戦争中の記憶がないにも関わらず、あれだけの終末観を持って登場してきちゃったわけですよね。それで現実にはナウシカはいないんですよね(笑)

 

鈴木:はい。

 

上野:現実ではナウシカ王蟲をとても止めてくれないんで。

 

鈴木ナウシカっていうのは危険だったんですかね?(笑)

 

上野:ん?何ですか?

 

鈴木:危険。

 

上野:幻想というか夢というか。その中でなぜナウシカだったのかって考えたらね、座談会なさったのかな。斉藤環さんとかと。

 

女性:あれ、無くなっちゃったんですよ。

 

上野:あ、無くなっちゃったの?あれ環が何言うのかってわかってるけれど。

 

鈴木:(笑)

 

上野:聞かなくてもわかってるけど。ま、戦闘少女ですよね。あれがなぜ少女なのかっていうのと、それとね、宮崎さんのいくつか千と千尋とか観てもね、出てくる女がね、少女か婆さんなんですよね。

 

鈴木:はい。

 

上野:真ん中がいない(笑)

 

鈴木:よくご覧になってるんじゃないですか!

 

上野:いやいや。いくつか指折り数えるくらいです。30年丹念に観てきてないので。こんな話をしなきゃいけない立場になるとは、夢にも思わないので、そう思って観てないので。ただのいち視聴者ですから。

 

だから性的な存在としての女が登場しなくて。性的存在になる前の少女と、だから初潮が来たらアウトですよね。私『魔女の宅急便』のあれ書けって言われて(笑)で、初潮が1番の節目で。初潮前しか描けないっていうのが限界ですよね。それで今度は上がった女。

 

鈴木:お母さんですよ。

 

上野:お母さんは非性的な存在ですから。

 

鈴木:日本人って結婚すると、自分の女房のことお母さんっていうじゃないですか。

 

上野:だから、真ん中の娘さんがいないんですよ。

 

鈴木:そういう風にしちゃうんですよね。母さんって。だって宮崎駿なんかもね、自分の女房のこと、僕の目の前でも「お母さん」って言ってますよね。

 

上野:日本の男はみんなそうですよね。そうやって女を脱性化するんです。

 

鈴木:そうそうそう。

 

上野:安全な関係に持ち込むわけですよね。

 

鈴木ナウシカなんていうのもね、あの絵を見てて、あれ少女でありながらお母さんですよね。体型がそうですよ。

 

上野:だから少女とオバさんですよね。

 

鈴木:そうです。オバさんです。

 

---

 

上野:特に本当に落ち込んで、私もその後回復出来ないのが3.11なんですけどね。こんな世の中に誰がしたって、私たちは言ってきたわけですよね。長い間ね。「気に入らねえ」とか「親父うぜぇ」とか言って石投げてきたわけですが、考えてみたら、今度はこっちがそう言われて、言い訳出来ない立場に立たされてるわけじゃないですか。

 

ちょっとそこに本があるんですけどね。この本がいまの特に若い女の子たちが、これから出てく世間、社会って考えたら、とってもとってもよくなってるとは思えないんですよ。本当に。座視してたわけではないんだけど、こんな世の中に誰がしたって言われたら、「ごめーん」って言うしかなくて。ごめんって書いたんですよ。あとがきに。ごめんなさいって書いたんですよ。

 

そうしたら、20代の女性の読者からね、お手紙いただいて。感想いただいて。電車の中で読んでて、あとがきまで来たら、電車の中だったけど泣いちゃったっていうんですよ。大人の女の人から、まともに謝ってもらったのは初めてだったと。大体我々の世代は「今どきの若いもんは」っていうわけじゃないですか。それで「ごめんなさい」って言ったのが通じたわけですよね。

 

何かそれ考えたらね、原発あれだけのことやって、何か学んだように見えないしね。事故が起きて、ナウシカは現れてはくれないしね。人生の晩年と言われる時期になって、まさかこんな気分にならなければならないとは予想もしてなかったみたいな感じが、私にはあるんですが、鈴木さんはどうですかね?

 

鈴木:まぁ僕の立場はね、忙しいことによってそれを考えないで済んできたんですよね。ところが、ここへ来て少し時間が出来た。そうしたら、やっとそれを考え始めたというんですかね。でもなんとなく考えるのは、怖いんですよね。そういう気分ですよね。

 

上野:それで突然『風立ちぬ』ですが、あれは鈴木さんが是非にとおっしゃって。

 

鈴木:そうですね。

 

上野:宮崎さんが最後の長編のつもりで作られて。それで1番最後に破壊の後があるわけですよね。破壊を誰も食い止めることが出来なかったわけですね。

 

堀越二郎という人は、たぶん大変誠実で真面目な良い方なんでしょうけど、ちょっとこういう言い方をすると誤解を招くかもしれませんが、善意のアイヒマンというかね。技術者ですよね。

 

で、愚直にまじめに自分の役割を果たしたら、それが崩壊に導いてしまった、みたいな立場に立たされましたよね。その中で堀越さんが1人ヒーローというよりかは、自分の任務に忠実だった真面目な日本人がたくさんいて。私はあれは戦闘シーンとか破壊のシーンが無くて、最後の廃墟ですよね。崩壊の後だけ出てきたっていうのは、良かったと思うんですけどね。

 

鈴木宮崎駿は本当は入れるつもりだったんですよ。

 

上野:ああ、そうなんですか。

 

鈴木:今の話とちょっと関係あって。つまり堀越二郎が技術者だとしたら、宮崎駿も技術者ですよね、そうすると、零戦って最初どこへ出撃したかって言ったら、重慶

 

上野:ああ、提灯爆撃。

 

鈴木:そうなんですよ。

 

上野:世界で初めての大都市爆撃ですよ。

 

鈴木:それをやろうとしてたんですよ。で、ここからなんですよ。設計もしたんですよ。上手くいかないんですよ。自分が描けない。若い時ならいざ知らず、鮮やかに描けないんですよ。それによってそのシーン、丸ごとやめちゃうんですよ。

 

上野:ああ、そうなんですか。

 

鈴木:そうなんですよ。もし彼が力があって、そういう設計も出来たら、やっぱりそのシーンを入れてるんですよね。

 

上野:あのね、提灯爆撃はね、無差別大都市爆撃の世界史初なんですよね。それを日本軍がまずやって、それをドイツ軍が模倣して、米軍がやるんですよね。

 

鈴木:頭の中でやらないといけないと思ってたんですよ、彼は。そんなことやったらね、この映画が世間にどう受け入れられるか。随分僕とも話し合って、やろうと決めてあったんですよ。

 

上野:そう。シナリオにあったんだ。

 

鈴木:あったんですよ。ところが、いざ描こうと思ったら上手くいかない。技術者としての誇りというのか、、

 

上野:何なんですか。気持ちなんですか?

 

鈴木:ただ単にね、入れるんだったら出来るんですよ。しかし、みんなが観てね「おっ!」っていうシーンには出来ない。そこなんですよ。

 

上野:ちょっとビジュアル浮かんじゃったけど。上から目線で都市の爆撃を見るっていう、、

 

鈴木:ただ単に、説明のための絵だったら描けるんですよ。でも彼は表現にしたいんですよ。

 

上野:納得のいくものが出来なかったんですね。

 

鈴木:そういうことです。

 

上野:それを入れたら、日本の加害性もすごくハッキリしますよね。

 

鈴木:そうです。相当悩んでました。そうすると、それをキッカケにみんなが色んなことを語り出すし。僕は意味があると思ったんですよ。

 

---

 

上野:私教師やってたから、目の前に若い人が次々と来るんですよね。やっぱり90年代あたりからね、この終末観はなんなんだっていう子供たちが登場してきてね。ついさっきは道歩きながら、コヤナギさんあの方団塊ジュニアだそうですが。お話してたら、ご自分の口でおっしゃってるんです。

 

コヤナギ団塊世代楽天性っていう話を読んだ時に、71年生まれなんですけど。我々の世代は基本がペシミズムで。ノストラダムスの大予言が小学校の時大流行して。自分は大人になる前に世界は終わるって思って生きてきた。そういう言説は、割と頭の良い男の子たちの方が真に受けるんですけど。

 

東浩紀さんも北田暁大さんも、自分が大人になる前に世界が終わると思って、今まで生きてきたんだろうなと思って。

 

上野:戦時下の子供と同じですよね。自分の寿命が20歳だと思ってる男の子たちと。

 

:その終末観を団塊ジュニアに影響与えたのって、『風の谷のナウシカ』も、我々世代の終末観に影響与えちゃってると思いますけどね。

 

上野:私もそう思います。なぜかというと、私に『シュナの旅』を教えてくれたのは、その世代なんですよ。上野さんこういうものがあるよ、って持ってきてくれた。

 

私漫画の読者じゃないんで、自分で探索出来ないんで。で、ビックリしたんですよね。えー、宮崎さんこれが原点なんだと思って。

 

コヤナギ:でも私はナウシカは小学生の時に読んで、世界が終わっても生きてくる方法があるんだなっていうか。ガスマスクみたいなのをつけてでも生きていける方法があるというか。

 

上野:それから考えたらね、例えば、政治の世界でどういう人がいたかって考えたら、団塊世代の政治家っていったら、菅さんと鳩山。で、あっという間に消えたんですよね。いま完全に団塊世代政治的に終わってて。政治リーダーは次の世代に行っちゃってて。

 

だけど、我々の世代の中にはいわゆる良心的な知識人と呼ばれる人たち。少し上なのかな。例えば、高木仁三郎さんとか、上なのかな。そういう人たちがいて。我々の世代は一緒に石投げてたんですが。もう政治的にはもう終わっちゃったって言われてて。次の世代にね、例えば、政治家は安倍さんから下の世代になっちゃってるからね。

 

そこのところで登場してきている新しい世代っていうのが、宮台とか大澤もオウム世代ですよね。それはね一方はカタストロフで、もう一方はカタストロフの後も生き延びていこうという。これは両方とも同じ世代にあるから不思議はないのね。ただまったりした日常っていうのは、カタストロフの後にしかないのね。そういう世代が後から登場してきてしまったっていうことに、何とも言えない気分がありますよね。

 

鈴木:若い人にいくからね。

 

上野:そうですね。私なんか目の前に子供たちが来てね、その子供たちがどんどん世代更新していくわけですよ。いつも20歳前後の子供たちだからね。その子供たちがね、やっぱりある時から「何これ!」って変化していくんですよね。

 

1番気がついたのはね、自傷する子供たちというのが登場したのは驚きましたね。自分傷つけるなら石投げてよって言いたくなるんだけど、そうじゃなくなっちゃったんだね。でもそういう子供たちにナウシカが影響を与えたって、そういう証言を聞くと、どんな気分になる?

 

鈴木:しんどいですよね。

 

上野:たぶん、時代と共振したからね。あれだけ巨大な拡がりを持ったんだと思いますけど。

 

鈴木:ずっと気になってたんですよね。子供に与えられるもので「戦い」っていうのがテーマになってるじゃないですか。目的さえよければ、戦っていいのかっていうね。そのことに対して、僕は自分の考えを思考停止にしてきたんですよね。あんまり戦うものって好きじゃなかったんですよね。僕自身は。だって基本的には同じですよね。特攻隊も。

 

上野:まあそうですよね。みんな真面目で善良な人たちだから。自分の与えられた任務を誠実に果たしてきた人たちですよね。

 

鈴木:何でみんなこんな戦いが好きなのかな(笑)そして娯楽として観なきゃいけないのか。僕自分の個人的資質でいうとね、実は興味ないんですよ。というか、むしろ嫌い。だからですよね。

 

上野:でも考えてみたら、戦いのオンパレードですよね。ジブリの作品はね。

 

鈴木:そうですか?

 

上野:『紅の豚』もそうだったし、もののけは戦いですよね。生き延びるための戦いですからね。

 

鈴木:そうなんですよね。まあ宮崎駿は好きなんでしょうね。

 

上野:最初のアイディアはみんな宮崎さんから?

 

鈴木:そうですね。ただ、もののけなんかはね、僕がやろうって言ったんですよね。

 

上野:だって『風立ちぬ』だって無理やり押し切ったっていう風に描いてありましたね。日本の敗戦については、どうしても1つ作っておく必要があると思われた?

 

鈴木:それはそう思いましたね。

 

上野:それはでも思考停止じゃなくて、どこかで歴史的責任を果たそうとかっていう気持ちもあお有りでした?

 

鈴木:ほんのちょっとね。

 

上野:あ、そう(笑)ちょっとでいいんですよ。たくさんはいりません。たくさんあると鬱陶しいだけなんで。

 

鈴木:(笑)

 

ーナレーションー

上野千鶴子さんと鈴木さんとのスペシャル対談、いかがだったでしょうか。

 

この続きは、また来週お送りします。お楽しみに。

 

鈴木:やっぱりね、僕はジブリの功と罪はあると思ってるんですよね。で、誰かに語って欲しいんですよ。良いところは良いところとして、悪かったところは悪かったところとして。

 

というのはね、ずっとあるんですよね、別に30年経ったからいってるんじゃなくて、その前からそう思ってるんですよ。だからもう少し冷静に見てほしい。あんまり情緒で判断するなって思うし。物事は最後は理性で判断するし。でも何しろこういうご時世、理性が追いやられてますよね。ちょっと辛いですよね。