はたけ の日記

ゆっくり生きよう。

東田直樹「自閉症の僕が残してきた言葉たち」




吾輩がいま注目している事柄のひとつに、
発達障害がある。

発達障害」にも、いくつも区分があるが、その中の自閉症と呼ばれているものに、吾輩注目している。

話の本筋に入るまえに、
まず「自閉症」とはどんな状態をあらわしているか、整理しておこう。



自閉症とは?

〜先天的な脳機能障害により、社会や他者とのコミュニケーションが困難な状態
                           (参考:Wikipedia

自閉症の特徴

・人の表情・相手の言葉の意味・周りの空気が読めない
・記憶力が驚くほど良い
・目がまわらない
・乗り物酔いをしない・乗りもの好きが多い
・ルールを忠実に守る
・飽きることを知らない
・眠らなくても平気
・なかなか目を合わせてくれない
・質問しても答えられない
・手をひらひらさせたり、体を前後にゆすったりする
・不思議なひとりごと
・男性が多い
・痛みなどの感覚が鋭い・鈍い
・音に敏感
・オウム返しに答える

自閉症の原因

〜40年以上、世界中で遺伝子の研究が為されてきたが、いまだ原因はわからない。


この情報を踏まえたうえで、この文章を読んでいただきたい


   「お母さんといっしょに」

 おかしいと、おもわれるかもしれませんが、ぼくは、お母さんといっしょに学校にかよっています。
「とても、たいへんね」
 と、みんながいうけれど、お母さんはいつもにこにこして、わらっています。どうしてわらっていられるのでしょう。
 たいへんなとき人はおこるのに、わらうのには、りゆうがあるのではないでしょうか。
 りゆうはぼくにあると思います。
 ぼくがすこしでもよくなることを、おかあさんはずっとしんじています。
 かなしいけれど、ぼくはみんなとはすこしちがいます。心で思うことと、ことばやたいどが、おなじにはなりません。おなじでないということが、どんなにくるしいことか、みんなにはわかってもらえません。
 はなしたいことがあっても、はなそうとすると頭の中がまっ白になって、気持ちがあせってこんらんします。ことばは頭の中からきえて、こまらせてしまうくらい、おかしなこえがでてしまいます。みんなはぼくが、わざとやっているとか、どうせわからないからと、赤ちゃんみたいにあつかいます。
 とてもくるしい心は、おしつぶされそうになります。かなしくてどうしようもなくなると、泣いて泣いて、ぼくは大あばれします。とにかく泣いて心をかるくしなければ、ぼくはへんになってしまいます。こんなに体が大きくなったぼくを、小さいお母さんが、しっかりとだっこしてくれます。
 お母さんは、やさしい目でずっと、ぼくをだいてくれています。これはとてもたいへんで、気がつくといつも、1時間いじょうたっています。
 だっこされるのは赤ちゃんだけだと、みんなは思っています。だっこなんかで、よくなるはずないというでしょう。やったことがない人には、わかりません。心をくるしめているものは、自分の力でとりのぞかなければなりません。お母さんは、それをささえてくれます。
 つらいときは、お母さんもつらそうなのに、いつもおわったあとは
 「なおちゃん、すっきりしてよかったね」
 と、うれしそうにいってくれます。
 こんなこともありました。いい子になれないぼくが、
 「もう、なんにもしたくない。だれにもわかってもらえない。ぼくなんか、いてもしょうがない」
 と、くやんでいると、それまでにこにこしていたお母さんはおこって、
 「そんなこといわないで。だれにもわかってもらえなくても、お母さんはわかってる
。みんなもそのうち、わかってくれる。いてもしかたのない人なんか、よの中にはいない」
 と、いってくれました。
 とても、うれしいのは、ぼくをしかるだけでなくて、なんでもできるまでいっしょにれんしゅうしてくれることです。
 なんでもといっても、みんなが思っているようなことではありません。
 ぼくには、わからないことが、おおすぎるのです。
 みんながならんでいるとき、
 「うしろについて」 
 と、いわれても、うしろの人がよこをむくと、どこがうしろなのかわかりません。せつめいされても、りかいできないのです。
 ことばでしじされても、どうやればいいのか、どうしてもうごけないのです。
 ことばはわかっています。でもそれが、うごきにつながらないのです。みんなが、かんたんにやっていることが、ぼくにはとてもたいへんです。
 でも、お母さんは気づきました。1回きいてもだめ。百回きいてもだめ。でも千回きけば、できるようになる。それをやるためにも、みんなの中にいなければならない。ほかの人の中には、友だちがいればいい。と、いう人もいます。でも、みんなはまだ、じぶんのことでせいいっぱいで、うごきまわったり、なきだすぼくをおさえられません。
 お母さんは、いつもぼくのそばにいて、いまはどうすればいいのか。なにをしじしているのか。気がとおくなるくらいくりかえして、説明します。そしてひとつでもできるようになると、
 「お母さんがいったとおり、どりょくすればできるようになるでしょ。いけないのは、どりょくすることをあきらめることだよ。みんなちがうんだから、はずかしいと思ってはだめ」
 と、いいます。
 このことは、いつもぼくの心にあります。とてもつらいときは、人の気もちもくらくなります。まい日そばにいてくれることで、いまのぼくは、学校に行くことができています。みんなにばかにされたり、からかわれたりするときには、お母さんがさりげなくたすけてくれます。先生も、みんなと同じようにぼくにやさしくしてくれます。
 こまったときには、いつもたすけてもらうことで、みんなの中で人を好きになっていけるのだと思います。
 ぼくが思うことは、やさしさというのは、何人の人にやさしくされたかではなくて、ひとりの人でもいいから、どのくらいやさしくされたかということが、とても大切なのだとかんじています。
 いつもわらっているお母さんは、たいへんなことをかくしているのではなくて、やさしいというのがどういうことかを、ぼくにおしえてくれているのです。心は見えないけれど、見えるえがおで、生きることとやさしさを、ぼくにおしえつづけています。

                               8歳(小学2年生)


この文章、小学2年生の書いた文章である。

もしかしたら、親による添削があったかもしれない。
それがあるにせよ、自分の感じていることを、ここまで言語に表せる能力が小2の時点であるのである。

吾輩のことをいうと、最後の「8歳(小学2年生)」の部分をみて、
「ええーー!」と声をだしてしまった。

今でさえ、この程度の文章力というのに、
「小2でこれ!!?」
というニュアンスである。

自閉症」という呼び名をつけられている人を、世の中がどう感じているのかはわからない。

しかし、自分のことを「健常者」と思っている人が「自閉症」の人をみると、《自分の方が優れている》という思いがどこかにあるはずである。吾輩にもそれがあったからだ。

ほんとうにそうなのであろうか。

自閉症」のことを何も知らないで吾輩いうのであるが、彼ら・彼女たちは「健常者」よりも人の痛みを感じやすい気質であり、そのためにコミュニケーションが「健常者」ととりづらいのではないか。「健常者」がもっと彼ら・彼女たちに歩みよって、コミュニケーションをとっていくことで、我らが忘れていた何かを教えてくれるのではないだろうか