2012年9月19日配信の「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」です。
http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol231.mp3
鈴木敏夫(以下鈴木):ジブリの作品ってね、DVDとビデオをディズニーさんにやっていただいてるんですよ。それを推し進めたのは僕なんですけど、実は社内から大反対運動があったんですよ。
鈴木:なんでかっていうと、ジブリのトトロのマークの前にディズニーのマークが出るのかと(笑)
與那覇:あーー。
鈴木:僕びっくりしちゃってね!それ何がいけないのって(笑)例えば、僕らの映画を国内で公開するときに東宝のマークが入るんですよね。
與那覇:なるほど。
鈴木:それは東宝が配給するからですよね。配給する会社がその頭にくっつけるっていうのは僕にとって当たり前なんですよ。でも皆はそう解釈しない。
與那覇:(笑)
鈴木:これじゃあディズニーに乗っ取られた感じだと。
川上量生(以下川上):ジブリを日本の宝みたいに思ってる人、すごく多いと思いますね。
ーナレーションー
今週も先週に引き続き、愛知県立大学准教授で歴史学者の與那覇潤さんをお迎えして、ドワンゴの川上量生会長そして鈴木さんとともに、歴史について考えていきましょう。
與那覇:例えば、最初なんで中国化の本を書いたのかというと、これまでの学生が持っていたイメージをひっくり返すためだったんです。西洋化だと思ってただろ?でも中国化なんだよ、とひっくり返すため、という風に話しました。
大学の学問の魅力って知ってることをひっくり返すことにあるんですけど、逆にいうと前提を共有してないと、そもそもひっくり返せないわけですよ。これこう思ってるだろ?!でも違うんだ、がひっくり返しになるから、共有の前提がないとひっくり返し得ないんです。
今大学で教えていて、これならみんな学生が知ってるだろうって思えるものってジブリだけなんですね。
鈴木:そうですか(笑)
與那覇:時代劇だって観てないですからね。
鈴木:はい。
與那覇:時代劇はそれでもまだ大河ドラマでやってるからマシな方で、完全に今の学生の世代から消えたのは、西部劇ですよね。
鈴木:それはもっと前からですよ。
與那覇:西部劇とかってインディアンが悪者ってイメージがあるじゃない?でもあれは本当は逆で、白人の方が侵略したんだから、ってことを話をしようとしても、西部劇といえばインディアンが悪者のイメージがあるじゃない?っていってもそのイメージがない(笑)
鈴木:だからそのために実はある期間、西部劇がテレビで放映出来なくなってたんですよね。
與那覇:あーなるほど。ポリティカリアン・コレクトだから。
鈴木:そう。ところがここへ来て再びそれが放映され始めたのは、過去の遺物になったからですよね。
與那覇:あーなるほど。誰が観てもベタに真には受けないんだから、もういいだろうと。
鈴木:過去こういうものがあったんだっていう紹介が出来る。だから一時期西部劇って全く世間から姿を消したんですよ。アメリカでも作られなくなったし。
川上:ヒットラーの侵略はやれなくても、アレキサンダーの征服物語だったらやってるという(笑)
與那覇:そういう話ですよね。だからそうなってくると、日本人だったら共有してる日本史のイメージっていうのがあったはずなんですよ。
日本人自身が生きてきた歴史で、あの戦争っていえば「あーあー」っていう共通のイメージが頭の中に浮かぶっていうのがあったはずなんですけど、それがもうリアル歴史は共有出来ないようになってきているので、そうすると日本人だったら知ってる歴史っていうのは、現実の日本が体験した歴史ではなくてアニメの中で描かれた歴史でしかなくなるんだろうと。
それを前提にした上で、歴史を教えるにしても語るにしても考えていかないといけないんダメなんじゃないかなーと。
鈴木:それもなかなか難しくなるかもしれないですよ。映画の方もオール世代をターゲットにして作る映画ってどんどん減ってますから。
與那覇:うーん。そうですね。でもジブリはその最後の例じゃないですか?
鈴木:最後の例かもしれないですけどね(笑)
與那覇:ナウシカを使って満州事変の話をさせていただいてるのは、そこなわけですよね。「ナウシカのあれだよ!」っていえば学生は「あー!」ってわかりますから。
鈴木:腑に落ちるんですね。
與那覇:腑に落ちるわけです。
鈴木:なるほど(笑)
與那覇:それ抜きで満州事変のイメージあるだろ?って言ったって、ロクにないですよ、それは。何か侵略戦争のはじまりですねって教科書で習った観念としての知識があるだけで、具体的なイメージはない。
鈴木:ラピュタの話面白かったですね。
與那覇:ありがとうございます。
鈴木:「わが谷は緑なりき」って、それが日本で作られるのに50年でしたっけ?
與那覇:あ、そうです。かかったんだっていう話ですね。やっぱりあれはイメージの力ってすごいですよね。
「わが谷は緑なりき」を観せて、「このイメージってどこかで見たことない?」って訊くと、いましたからね。「ラピュタのあれですか?」って答える学生いるんですよ。
石造りの家、レンガ造りの家でモウモウと煙が上がって、坂にガーッと家が並んでいる光景っていうのを「どこかで観たことない?日本の映画で」って訊くと、「えっ、ひょっとして、、」みたいになる子がいるっていうのは、イメージが持っている力ってすごいんだなーって思いましたね。
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與那覇:皆婚化の終わりの始まりを先駆けてたのかなっていうのが同作品の解釈ですね。父親っていうのが機能して地域をまとめてくれて、集団をまとめてくれて、お父さんの背中を見て育っていけば、上手くいくんだっていう物語がもう通用しない。そういう社会の始まりを日本において告知した作品として、自分の本では取り上げさせていただいたんですけども。
鈴木:トトロなんかもそうなんですよね。トトロでお父さんを糸井さんに声をやってもらったっていうのはまさにそれ。
與那覇:あ、そうなんですか?
鈴木:だってお父さんらしい役者さんっていくらでもいるわけですよ。
與那覇:なるほど。
鈴木:その威厳はなくなってるし、お父さんもああなわけでしょ?お父さんがお父さんの役割を果たしていない。そのリアリティを出すためには糸井がやっぱり良かったんですよ。で、好きなことばっかりやるわけでしょ?
與那覇:(笑)永遠に成熟しない男性のモチーフを求めて、見つけたのが糸井さんだった。
鈴木:そうです。
ーナレーションー
歴史から学ぶ正解とは何でしょうか。それは時代ともに変わっていくものでしょうか。
與那覇:中等教育っていうのは基礎的な知識を身に着けさせるっていう目的があるので、どうしても正解がある空間に教室はならざるを得ないところがあるんですけど、世の中に出たら正解っていうのはないわけで、しかもこれまでは擬似的に世の中に出ても正解があるかのように見えていた時代だったんですよ。
それが国民単位で共通の物語を持っている時代であったりとか、家の積み重ねで作られてきた日本企業に入れば、自分もお父さんがやってきたような働き方で自分も働いて、お父さんが作ってきたような家も自分も作ればそれでいいんだって思えるように、社会に出ても正解はあるんだって思える、ある意味幸せな時代が続いてきたわけなんですけれど、もうそれが機能しないわけですから。
だったら、大学でやるべきことっていうのは、正解って実はないかもしれない、自分が正解だと信じていたことは間違っていたかもしれないっていう経験を、1回予行演習で大学でやっておこうと。
それをすれば世の中に出て正解がなかったり、自分の期待を裏切るようなことが起きても、対応出来るだろうっていう風に思って、歴史観を変えるっていうのもその1つの素材だと思って自分はいつもやってますね。
川上:大学のときにみんな勉強してくれればいいんですけどね。結局勉強しないから、大学だったらそういう風に実際の学問はこういうものだっていう現実にぶち当たるんだけど、ぶち当たらなくても卒業出来ちゃうじゃないですか?
與那覇:出来ちゃうんですよね。そこがなかなか苦しいところなんですけども。
川上:そこらへんがネットの中での不毛な議論とか見てても、正解があることが前提とした価値観で、、
與那覇:お前の方が間違いで俺は正解だって、ただ言い合ってるだけっていう。
川上:そうそう(笑)あれも完全に受験勉強の弊害だなって思ってるんですよね。あそこに大量にいる人たちっていうのが。
與那覇:そうですね。
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與那覇:自分が中国化といって物語を供給してるのも、中国化と言って傷つく人もいると思うんですけど、どういう流れになってるのかをわかってると、そこそこ傷が緩和されるのかなと。訳わからんのが1番傷つくじゃないですか?
川上:そうですね。
與那覇:人間というのは嫌な思いをしても、俺が嫌な思いをしてるのはこういう理由があるんだってわかると、良くも悪くも人間ってそこそこ我慢できちゃうんですよね。何でこういう思いしなきゃいけないのかわからん!っていうのが1番傷つくし、逆にそうなったら逆ギレするしかないわけで。
日本がアジアで先駆けて西洋化して近代化してトップランナーなんです、中国、韓国は追いかけてるんですっていう物語だけだったら、今起きてることはわからんわけですよ。何であいつらの方が最近羽振りよくて、俺らがダメだって言われちゃうの?ってなったら、不条理と絶望しかないですから。
いやいやそれはね、こういう風に理解すると不愉快ななりに、あっこういうことになってたのね世の中は、ってわかるだろってある種の対症療法ですね。歴史はフィクションじゃないっていう言い方はありますけど、それはちょっと不正確で、制約条件がすごくすごく厳しいフィクションなんだっていう言い方をした方が僕は正確だと思いますね。
つまり、歴史は嘘書いちゃだダメなので。起きなかった事件を勝手に起きたことにしたりとか、いなかった人物を架空の人物として登場させたらダメなわけですから、そういう意味でいうと歴史はフィクションじゃないわけです。
鈴木:それでいうと司馬遼太郎さんもそうですよね。あれは上手かったですよね。実在の名前をどんどん出していったわけだから。あとは全部フィクション。あれはすごいですよね。大胆というのか(笑)
與那覇:逆にいうと歴史小説家じゃなくて歴史学者であっても、あらゆる事実を書き込めるわけじゃないんですよね。
鈴木:無理ですよね。
與那覇:どこかで取捨選択して、なかった事実を入れちゃダメだけど、あった事実のうち何を重視してどう繋げて描くのかは、その人が作るわけですからストーリーを。だから制約条件がすごく厳しいっていう。架空の事件架空の人物ダメよと。制約が厳しいフィクションなんだって捉えるのが、歴史というものの正しい認識だと思います。
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與那覇:もともと明治時代の沖縄のことを研究していたんですけど、そのあと愛知に行ったのが運の尽きで(笑)
鈴木:なんすかそれ!(笑)
與那覇:やっぱり愛知に行って、沖縄の話を授業で素朴にやるわけにはいかないじゃないですか。沖縄に就職していれば沖縄の話が出来たんでしょうけど、そうだとすると何をやったらいいのかなーってことで悩んでいるうちに、2冊目は映画を教材にしたから映画の本になってしまい、3冊目は中国化とかになってしまって。どうしたらいいのかなーと思ってるんですけど。
鈴木:「楢山節考」の話も面白かったなー。あの2本の映画の。
與那覇:今村昌平の方を観せると、唖然として観てますね。そんな映画観ないですからね、普通は(笑)
鈴木:あの人は高度経済成長が嫌いだったんですよ。
與那覇:今村さんですか?
鈴木:うん。で、皆がフニャフニャになってくでしょ?そんなもんじゃないと。人間は。動物なんだと。そこの部分をえぐり出すわけですよ。
與那覇:そうですね。「神々の深き欲望」も沖縄の話ですけど、あれもまさにそういう話ですよね。
鈴木:そうです。あれは代表作ですよね。
與那覇:ジブリ以外の国民の物語って衰退して、なくなってきている。「楢山節考」を観せたときに感想を出させたんです。衝撃的だったのが、「まさか本当に捨てるわけがないと思って観ていたのに、お母さんを本当に捨てたのでビックリしました」って、ビックリしたのはこっちだよと。
川上:(笑)
與那覇:「楢山節考」観て、捨てないと思って観てるって何なんだお前って思うんですけど、それはそうなんだからしょうがないんですよ。
鈴木:ちょっと生意気なこと言うんですけど、フランスの小学校の教育って映画を観せるときに、その後どういう映画だったか書けっていうんです。どれだけ正確に覚えてるか。
與那覇:あー覚えると同時に、まとめて物語を掴み取る力がいるわけですね。
鈴木:そうです。具体的にどこまで覚えてるか。で、感想はいらない。
與那覇:あ、なるほど逆に。
鈴木:そう。どう思ったかはどうでもいい。
與那覇:それは重要だと思いますね。
鈴木:小学校でしょ?義務教育っていうのはそういうもんだと。徹底してるんですよね。自分が観たこと聴いたことを、ちゃんと等身大に受け止める力、それを言葉に表す力。
與那覇:日本がダメなのは国語教育と道徳教育が中途半端にゴッチャになってるのが良くないと思うんですよ。
鈴木:というか僕は、読み・書き・そろばんを捨てたことがいけないと思うんですよ。
與那覇:あ、なるほど。
鈴木:それをやってたんでしょ?日本って。たぶん。
與那覇:いや、どうでしょうね。
與那覇:そこが日本の中でも中国化しちゃってた部分で、そのツケをたぶん我々は払い続けてるのかなって思うんですよね。
要するに儒学の教材を使ってしまうと、現実を把握する能力っていうものを道徳的な正しさを考える能力と区別して身につける事が難しくなっていくと思うんですよ。
鈴木:皇帝も道徳が必要だったわけですもんね。
與那覇:そうすると、今の国語教育はまさにその典型で、不道徳の作文を書いたって良いじゃないですか?そこでちゃんと言語能力を発揮して、自分なりのストーリーを作って価値観を提示する能力をあるのであれば。
でもそれはダメなわけですよね。読書感想文というのが今の子どもたちにとっての読み・書き・そろばんですけども、道徳的にも良いことを書かないと(笑)
鈴木:でも学校でそれをやられると僕ら困るんですよ。
與那覇:あーなるほど!
鈴木:僕らの商売はその不道徳をやるわけだから。学校では真面目にやってもらって。そういうことでしょ?
與那覇:そうですね(笑)
鈴木:娯楽っててそういうものを付きまとうんですよ。
與那覇:学校で教えてもらえないような人間のドロドロとした部分を。
鈴木:だから学校では真面目に読み・書き・そろばんをやるべき!
與那覇:読み・書き・そろばんプラス道徳を。
鈴木:そう!道徳を含めて。それを詰め込まれた奴だけが、不道徳へ惹かれると思うんですよ。
與那覇:なるほど。不道徳に将来惹かれるぐらいに、、
鈴木:そうそうそうそう!(笑)僕はそう思うけどなー(笑)
川上:禁止されてるからやりたくなるんですね。
鈴木:そうそうそうそう。
與那覇:あーなるほどなるほど。
與那覇:以外と儒教道徳って、江戸の後期から日本に入ってきますから、日本の教室に居心地悪さを感じると、ジブリに逃れるっていう(笑)この教科書のこの小説読んでどう思いましたか?っというと正解が決まってそうな空間っていうのは、日本社会にも中国化的なものが流れ込んだ秘訣だと思いますね。
川上:そうですよね。今の民主主義が善、資本主義・自由取引が善って、完全に宗教でしょ?
與那覇:そうですね(笑)
川上:宗教ですよね?人権大事っていうのは、そこに対して議論をしてはいけないっていう風になってるから。
鈴木:そうですよね。他の国へそれで侵略出来るようになったんですからね。コソボの問題ですよね。
川上:そうですね。人権が理由だったら侵略してもいいっていう、新しい道徳ですよね。
與那覇:日本が西洋化したといっても、勘違いしちゃってるところなんですよね。ヨーロッパの場合はそれが正義かどうかはわからんが、でもそれ抜きにしちゃうとムチャクチャになるからとりあえず人権は尊重しておくことにしようっていう、ある種の必要悪としてやってるんだっていう冷めた認識があるわけですけども、日本人の場合は、ガチンコに民主主義は善、人権は善っていう風に思い込んでやってるので。
余裕がないから危ないわけです。善だと思い込んでやってるから、ちょっと焦げちゃうと、今度は「あれ?嘘だったんじゃん。偽善だったんじゃん」ってことになって、逆の極端に走っちゃうっていう。
人権はともかく民主主義はそうなりつつありますよね。民主主義は善だ、と言われてきたから政権交代すればいいんだ、と思ったらダメだったじゃんっていう。じゃあもう独裁でも何でもいいやっていう方向に走る人はたぶんいるんじゃないですか?
川上:気分はそんな感じですよね。
與那覇:そういう雰囲気が出てきてますよね。そうではなくて、善でもなんでもなくて、すんごい非効率で間違うこともいっぱいあって鬱陶しいんだけど、それ抜きにしちゃったら最悪になるから渋々やってるんですっていう、みんながやってくための妥協案・折衷案なんですっていうドライな感覚としての西洋的な近代化はまだ日本人は出来てないと思います。
川上:とりあえず、そういうことにしようっていう感覚はないですよね。
與那覇:ないですよね。
鈴木:まぁね。ナチスもあったし収容所の問題もあったし。すごいですよねヨーロッパは。
與那覇:そうですね。
ーナレーションー
與那覇潤・著『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』。そして『帝国の残影ー兵士・小津安二郎の昭和史』。若き歴史学者のこの2冊から、まずは時代を読み解いてみませんか?
鈴木:與那覇さんっていうのは、本名なんですか?
鈴木:どちらのご出身なんですか?
與那覇:父方の先祖が沖縄に行くからこういう名字なんですけど、曽祖父のときに内地に出てきているのでルーツは全くないです。小学校からずっと東京で、名古屋は今の職場に赴任してからなので、今までは全く縁がなかったですね。