鈴木敏夫のジブリ汗まみれを文字起こしするブログ

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鈴木敏夫のジブリ汗まみれ:「仕事道楽 新版 スタジオジブリの現場」を記念してお送りします。

2014年6月27日配信の「鈴木敏夫ジブリ汗まみれ」です。

 

・ラジオ音源です

http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol323.mp3

 

鈴木敏夫ジブリ汗まみれ」。

 

今夜は岩波書店より発売されたばかりの本『仕事道楽 新版 スタジオジブリの現場』を記念してお送りします。

 

新版は2008年に刊行されたものに、新たに近年の鈴木さんの仕事をインタビューして書き足したものです。

 

新しい章のタイトルは「こつこつ努力することで開ける未来がある」。

 

今夜は、そのインタビューの一部をお届けします。インタビューは、井上一夫さんと岩波書店の古川義子さんです。

 

まずは、宮崎監督についてのこんなお話から。

 

古川:端からみてると宮崎監督って、本当に変わらないように思いますけど。

 

鈴木:言い方がどんどん変わってきてるんですよ。「風立ちぬ」やるときは、最初から「これが本当に最後」って言い始めた。途中で確認したときもそう言ってましたしね。

 

映画が完成したのが6月19日で、それから数日後だと思います。これは僕が促したわけでもなく、本人が決めて公表しないとそれを守れない性格だから、自分から記者発表会やりたいって言ったんですよ。それが完成した数日後。何でかわからないけど確認しようと思って「これで本当に最後なんですかね?」みたいなことを言ったんでしょうね。そうしたら「本当に最後だ」と。それで「記者会見やりたい」ってちゃんと覚えてたんですよ。で、すぐやりたいって言い出して(笑)

 

それで僕にそんな深い根拠があったわけじゃないけれど、映画が完成してこれから公開ってときに、いきなり引退宣言っていうのは映画の宣伝と受けられかねない。だから、落ち着いたところでやるべきじゃないか、と。「これいつなの?」っていうから、「一段落するのは夏休みのあとだから、9月じゃないですか?」って言ったら「そんなに待たなきゃいけないのか!」と。

 

もう一つ、こういう話も進行してたんです。宮さんのために作ったジブリでしたから、宮さんが作るのを辞めたら、ジブリの現場どうするの?と。僕としてはずっと考えたんですけど、ジブリはスタッフを抱えて作品を作ってきたわけだけれど、それに一回終止符を打ったらいいのかな、と。

 

仮に新たに作るにしても、企画が決まったらその段階で人を集めて、それで作る。それでもいいじゃないか、と。

 

だとしたら、今まで一緒に働いてきた人には申しわけないけれど、このまま闇雲に色んな人を監督にして作っていくっていうのは、問題があると思ったんですよね。

 

これは宮さんもどこかで思っていたことで、二人で話し合ったときに宮さんもその方がいい、と。そういう中で映画公開になりました。

 

社内では宮さんの引退をどう発表するかってあらかじめ考えなきゃいけなかった。それは宮さんが9月になって発表するっていうことはあったんですけど、社内でもそれに先んじて言わなきゃいけなかったんです。

 

それで8月の頭にそれをやろうと思いまして、社長の星野やみんなとも相談して決めました。

 

で、8月になると宮さんは、毎年一ヶ月間、信州の山小屋へ行くんですよ。

 

宮さんにも一応そう言ったら、その直前に宮さんの方から連絡が来たんですよ。

 

「鈴木さん、僕もその会に僕も出るよ」と。「鈴木さんが言うのもいいけれど、俺も自分として区切りをつけたいからちゃんと言う」っていって、一日だけそのためだけにわざわざ帰ってきた日があるんですよね。

 

主要な人が集まったところに宮さんも来て、「宮さんの方から皆さんに話があるんで、聞いてほしい。」ということで始まったんですけど、宮さんが何を言うのかなと思ったら、普段だったらお喋りでよく話す人が、中々喋らなくて。

 

やっと出てきた言葉が「もう無理です」って(笑)「ここまでやってきたけれど、長編映画はもう作れません」って。

 

そこでそういう発言したと思ったら、「じゃあ僕の話は終わったんで」っていって、ものの3分も経ってないと思うんですけれど(笑)「もう無理です」っていう言葉に彼は全てを込めたつもりで。

 

そこで僕なんか「あれ?」って思ったんですよ。引退ということは言ってたんです。長編からの引退っていうのは、その時が初めてなんですよね。

 

井上:言ったのが?

 

鈴木:そう。その時は特段彼にそのことを追求して「じゃあ小さいのならやるんですか?」とか、そういう話もしなかったんです。

 

夏休みが終わって9月になり、確か引退記者会見は9月6日だったと思います。その直前に宮さんと話さなきゃいけなくて。

 

そういう日が来るっていうことで、彼も武者震いとかあったんでしょうね。

 

突然、「鈴木さん、引退記者会見なんてやらなきゃいけないのか?」って(笑)あんたが言い出したんだろうっていうのが僕はあったんですけど。 

 

至極真っ当なことを言うんです。「今まで映画監督でそんなことをやった人はいるのか?」と。

 

「覚えてる限りでいうと、篠田正浩っていう人はやりましたね。それ以外は知らないですね」。

 

で、彼は「自分は仕事を辞めるわけじゃない。これまで通り自分のやりたいことをやる。ただ、長編映画はやらない」と。

 

あ、ニュアンス変わってきたなと思って(笑) 

 

□□□

 

鈴木:去年、高畑さんを交えて三人で喋るっていうのを12月にやったんです。

 

その中で一番気になったのは、高畑さんが追求したわけですよ。「何で引退するんだ」と。「やればいいしゃない?」って。

 

そうしたら宮さんが「いやあれは鈴木さんの陰謀です」って(笑)

 

古川:え!(笑)

 

鈴木:すると、今のいきさつを全部整理すると、一体なんなの、なんですよね。

 

引退とあれだけはっきり言っていたのが、いや漫画は描く、とか、短編はやる、とか。少しずつ増えてきてるんですよ、やることが(笑)引退っていうのは全部引退じゃなかったのかって(笑)

 

古川長編映画はやらない。

 

鈴木:何か便利な言葉をみつけたんですよね。挙句の果てには途中でこんな言い方もしてるんです。

 

9月の記者会見の前かな。色々考えるもんだなと思ったんですけど、仮に作品を作るとしても、かつてと同じことをやったとしても、問題となるのは一個だけだろう、と。

 

それによってお金を得るか得ないか。お金を得たら仕事。お金を得なきゃボランティアだろう、と(笑)

 

井上:道楽ですね。

 

鈴木:そうそう(笑)僕の本心でいうと、宮さんが引退だっていうのがホッとしてるんですよね。

 

落ちぶれて何かを発表するのはつらい、と。でも現役のままそれが出来るっていうのは、こんな幸せはないんじゃないかっていうことが一つ。

 

それから鈴木さんの本当の気持ちは何なんだっていわれると、ご苦労様っていう気持ちと、ホッとしてる。

 

どういうことか自分で説明出来ないんだけど、そういう気分です。でも本当にそういう気持ちがあったんですね。

 

風の谷のナウシカ」から数えて30年色々やってきたけれど、それがいよいよ終わるのかって思ったら、ある種の喜びもあるんですよね。ボロボロになって辞めちゃうっていうのは、どこか嫌だったし。

 

引退発表の前日、突然僕のところに紙を持ってきたんですよ。

 

何かと思ったら「これちゃんと言わなきゃいけないからさ。文章にしてみたんだ」って僕に手渡してくれたんですけど、その一行目に「僕は仕事をずっとやります」って書いてあって(笑)それも10年。

 

井上:(笑)

 

鈴木:散々悩んだんでしょうね(笑)

 

井上:その文章はどうしたんですか?

 

鈴木:皆に手渡しました。長編からは確かに引退するとか色々書いてありましたよ。

 

でもその一行目に「あと10年仕事をやります」って(笑)美術館の展示のものとか、僕のやるべきことは色々ある。

 

あとは自分でどうしても描きたいと思ってた漫画はやっていく。

 

長編はともかくとして、短いものならやるっていう意思はありあり見えてきたんですよね(笑)

 

井上:お金にならなきゃいいんですね?

 

鈴木:そう!お金を貰わなきゃボランティア、道楽(笑)

 

井上:現役でバリバリのときに辞めるっていうことの方がいいんだ、と。ボロボロになる前に辞めるほうがいいっていうのがありましたけど、それは経営としてはよくわかるんですが、同時に、作ってきた仲として、残念だなとか、もうちょっと見たかったな、とかなかったですか?

 

鈴木:ないですね(笑)

 

井上:(笑)

 

鈴木:「風立ちぬ」は本当に絞り出すように頑張った。しかし、若いときに比べたらかなりの衰えがあるんですよ。

 

それは技術的な問題で、一般の人はお話とか表面のものを観るのでわからないでしょうけれど、僕なんか30年も付き合ってきたから、やっぱり若いときの宮さんとは全然違うものを作ってる。

 

そうすると、やっぱり限界かなって言うことを感じてましたね。だから、本当に心の底から宮さんに関しては、ご苦労様ですよね。

 

開放された気分だったんですよ、一瞬。これが僕の失敗ですよね。

 

引退記者会見のあとも全然僕のことを手放してはくれないことがわかったんで(笑)

 

ついでに言いますと、僕もよっぽど嬉しかったんでしょうね。

 

僕からともなく宮さんからでもなく、彼と30年付き合ってきて、生まれてはじめて彼と握手しましたよ。写真が残ってますけど。 

 

井上:載っけましょうか(笑)

 

古川:口絵に(笑)

 

鈴木:本当にびっくりしましたね。自然に出たんですよ。

 

□□□ 

 

鈴木:才能ある人って最初からあるんですよね、残酷な話ですけど。

 

映画作りって、才能の部分を担う人と誠実さで積み重ねていくっていう仕事、両方ありますよね。

 

量としては誠実さの方が多く必要です。そこでいろいろ研鑽を重ねても、あるところまで到達出来るかって言ったら、出来ないですよね。才能の開花にはつながらない。

 

これはやってきて、つくづくそう思いますよね。やっぱり上手な人は最初から上手だしね。ほとんどの人は才能ないわけですから。

 

だとしたら、そこらへんは明解に見極めたほうがいいに決まってると僕は思ってますね。

 

井上:つまり、ジブリっていうのが町工場と言ってきたわけですけど、そこには安定した雇用も含めてそういうのをやっていくんだよ、と。

 

例えば、ディズニーがやっているような企画をいっぱい出して、パッとやるんじゃ技術は身につかないんだっていうことを言ってきたわけですけど、それがやっぱり無理があったということなのか、、

 

鈴木:それが30年間出来たっていうこと、しかも雇用をやったのは20年間。それをちゃんとやれたっていうのは、ある実績としては僕は成功したと思ってますけどね。

 

というのは、研修制度をやって、そこから巣立ったアニメーターいますから。

 

アニメーション界のいろんなところでジブリを辞めたあとも、その人たち大活躍ですから。役割は果たしたと思ってますね。

 

井上:これからはジブリとしては人は雇わない?

 

鈴木:そうですね。現場の映画の作り方を変えるっていうことですから。「思い出のマーニー」までは、今まで通りやります。

 

この作品は現有戦力に加えて、「かぐや姫の物語」とエヴァの人たちが集まって、考えられないような強力なスタッフで作ってます。

 

しばらく、間をおいて誰かがやりたいっていったら、その人たちに声をかけて作っていくっていうことは出来ますよね。

 

それは具体的には「かぐや姫の物語」のプロデューサーをやった西村義明。彼とそういう話もしましたしね。

 

偶然ですけど、麻呂(米林宏昌)みたいな才能を生み出したことは、大きかったと思いますね。本当に偶然ですからね。だってジョン・ラセターが認めたわけですから。

 

□□□

 

鈴木:自分で会社やってみて、人を増やして関連事業を増やして色んなことをやっていく。それはそんな難しいことじゃなくて、やろうと思ったらいくらでも出来るってことを学びましたよね。

 

学んだんだけど、そちらへ行ったら作品を作ることが疎かになるから、そちらの方へ行かないようにセーブする。それはすごく努力しましたね。 

 

マーチャンダイジングでグッズを作る仕事があるじゃないですか?そこで僕はずっと100億円を目安にして、増やすなっていうことを言い続けたんですよね。

 

やろうと思ったら、商品を作ってくれる協力会社から「ウチだけで1000億円いくんですけれど、やらせてくれないですか?」っていうのは僕のところに山のように来てたわけなんです。

 

でも僕としては、それに乗るのは嫌だった。

 

何でかといったら、本当の商売でしょ?作品を作るもへったくれもなくなっちゃうんですよ、それに乗っかってると。

 

だからマーチャンダイジングも100億円で抑える。増えそうになると、担当者を皆の前で怒りましたから。増やすなって。

 

井上:儲けたら怒られるって、つらいね(笑)

 

鈴木:映画の興行があって、それをビデオにして売る。それとテレビの放映、マーチャンダイジング。それから出版物、テーマパーク的なこともやるかって、色んな拡大路線はあったんですよ。

 

とにかく作品を作ることが中心の会社。そのためには具体的に決めなきゃいけない。

 

井上:宮さんの引退を含めて、それだけで食っていけないということになっていったときに、ジブリは変わるんですかね?

 

鈴木:変わりますよね。将来のことでいえば。良くも悪くも宮さんの才能によって良い作品が出来る会社だったんで、その支柱を失うわけだから変えざるを得ないですよね。 

 

井上:そうすると、現場のアニメーターとかいっぱいいらっしゃるわけだから、そういう方々は映画作りに関しては続くわけでしょ?

 

鈴木:やろうと思えばね。だけど僕としては、中心になる監督が大事ですからね。

 

井上:「思い出のマーニー」のあとは、特にどういうペースで作っていこうとかはないんですか?

 

鈴木:今のところはないですね。「思い出のマーニー」がどうなるかは、今のところ誰にもわからないですよね。

 

宮さんは今まで5年計画とかそういうことを言い出したわけですけど、僕はそんなことは一回も考えたことないんですよ。

 

何でかといったら、1スタジオで1スタッフで1作品作ってきたわけだから、その作品が上手く行くかどうかで会社の母体が揺らぐわけですよ。

 

そうすると、一本ずつの勝負。今回の「思い出のマーニー」がどういう効果をもたらすのか。

 

それは内容が今のお客さんが望んでるものになるのかどうか、これはやってみないとわからないですよね。まだ出来てないんだから。

 

で、今度はそれがお客さんに訴えるときにどういうお客さんに反応があるか。

 

これは次を考えるには、その結果を見ないといけない。だからしばらく静観をしなければいけない。

 

でもとにかく「思い出のマーニー」結果を見て、もしかしたらすぐに次の企画を考えてやるかもしれないし、当面作らないかもしれない。そういうことですよね。

 

 

井上:そうすると、鈴木さんのお立場としてはゼネラルマネージャーとおっしゃっていましたけど、現在進行形でどうなるかわからないってことですか?

 

鈴木:そうです。宮さんなんかひどい冗談を言いますよね。「僕は引退したからいいけど、鈴木さんは大変だね」。本当にいい加減にしてほしいですね。

 

井上:引退といって、本人も何がやりたいかよくわかってない(笑)

 

鈴木:(笑)わかってきたのは、まだしばらく付き合わなきゃいけないーっていうね。ヌカ喜びして握手しちゃったのは、失敗だったっていうのは僕の総括(笑)

古川:すごい総括ですね。

鈴木:(笑)だって高畑・宮崎はいなくなったけど、若手である程度の作品は作れて、その人たちの成長を待ちましょうっていうのは、違うと思ってるんですよね。

 

やっぱり才能があるっていうのは、若いときからあるんですよ。それを持ってる人がいるかいないか。

 

仮に麻呂にその才能があるとしたら、麻呂と一緒にやっていくのは、それは僕じゃないだろう、とどこかで思ってますよね。

 

風立ちぬ」と「かぐや姫の物語」に関して言っておきたいのは、二人にとことん好きなものを作ってもらう。

 

お金も用意したし、期間も用意しました。これで高畑にも宮さんにも色々頑張ってもらって世話にはなったけれど、これでチャラだよねってどこかにありますね。

 

あんまりお金のことは言いたくないですけれど、二本で100億円ですからね。前代未聞なんですよ。さすがに関係各社もみんな青くなったですよね。