2011年11月24日配信の「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」です。
http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol211.mp3
女性:私は世間では色んなしがらみとかあるんだよ、と。でもみんなで一緒だと楽しいねっていう励ましの映画に見えたんですけど。
男性:昔の彼女と今の彼女が、結局3人で暮らす。
宮崎:最後みんなで暮らそうよっていって、なんか上手く丸めこもうとしてるっていう(笑)
女性:女性的にはカッコいいですけど。
男性:ソフィーってたぶん魔法解けてないじゃないですか?最後っていう部分を考えると、ハウルは大変だなって思って。
川上:あれ解けてないんですかね?
ーナレーションー
たぶん魔法は解けていない。
鈴木:今日はね、この番組のスポンサーであるディズニーさんがどうしても『ゲド戦記』と『ハウルの動く城』のBlu-rayが発売になったばっかりなんですけど、この2本を扱ってほしいと。
なるたけ、このBlu-rayが売れるか。監督の宮崎吾朗監督に来てもらって。で、1人で喋るんじゃ大変なんで、ドワンゴの川上さんにも協力をしてもらって。なにしろジブリ研究家としては、川上さんをおいて右に出る人はいないんで。
川上:今日朝、今日に備えて朝起きて『ハウルの動く城』を観てきて、今『ゲド戦記』を観てここに来たんですけど(笑)
Blu-ray版を観てきたんですよ。そうしたら改めて思ったのが、意外や意外、『ゲド戦記』が面白かったんですよ(笑)
鈴木:ちょっと注をいれていいですか?
川上:はい。
鈴木:川上さんね、半年前『ゲド戦記』観てつまんないって言ったの(笑)
川上:本当につまんないと思ったんですよね。
男性:何が川上さんの中で変わったの?
川上:いや『ゲド戦記』めちゃくちゃキレイですよね。あんなキレイだとは思わなかったんですよ。『ゲド戦記』汚いじゃん!って思ってたんですよ。
でも汚かった理由はDVDで観たからだった(笑)ていうことがわかった。『ゲド戦記』めちゃくちゃキレイじゃないですか!ビックリしましたよ!こんなキレイな映像だったんだっていうのがね。
『ゲド戦記』って砂漠のシーンとか空のシーンとか単色のシーンでちょっと色合いが変わってるっていうシーンが多いじゃないですか?それがDVDで観ると全部潰れちゃって、すんごい汚い画像に見えるんですよ。微妙な色合いっていうのがDVDだと全然出なくて。Blu-rayすごいキレイですよね。
宮崎:一回DVD貰ったときにゲドをうっかり観ようと思って、出来心で夜中に1人で観ようと思ったら、色がケバケバになってて、こりゃダメだと思って、それっきり観なかったんですよ。
川上:Blu-ray素晴らしいですよね。Blu-rayだと。
宮崎:そんなに違うもんですかね?
川上:全然違いますよ。こんなに違うと思わなかったですね。ナウシカとかあそこら辺って、Blu-ray化されたときって確かにキレイにはなってるんですけど、元々ベタ塗りの絵が輪郭がキレイになっただけだから、まぁキレイだなってなるんですけど、逆に元々キレイに作ってますよね『ゲド戦記』は。
宮崎:美監は武重さんですけど。好きにやってっていって。だからそうすると、普段だったら暗いシーンっていっても暗くしないんですよ。でも真っ黒にすると。ほとんど黒とか。そういう色味勝負みたいな。
川上:そうですよね。細かい色味で出来てる絵がすごく多かったですよね。
宮崎:そう。シーンごとに色味を変えてやるみたいな。
鈴木:Blu-rayはですね、一層で25GBあるんですよ。二層だと50GBになるわけですよ。それでいうとDVDとBlu-rayの間には5倍の開きがあるんですよ、容量として。これはかなりの差なんです。
そうすると、DVDでは表現出来なかった中間の色も、かなり表現出来るってことになるんです。
川上:Blu-rayで観ないとダメですね。特に『ゲド戦記』は(笑)
鈴木:Blu-rayの宣伝ですね。
川上:宣伝になってますよね(笑)
ーナレーションー
スタジオジブリプロデューサー見習いのニコニコ動画を運営するドワンゴの会長川上量生さん、そしてこれまで父親の作品には沈黙を貫いていた『ゲド戦記』の宮崎吾朗監督です。
対話の炎は、これまで見えなかった闇を照らし始めました。
川上:ハウルも映画館で観たんですけど、その時はイマイチだなと思ったんです。まぁ面白かったんですけどイマイチと思ったんですけど、2回目本当に感動したんですよね。
ジブリ作品って、ジブリ好きな人にとってみんな思い入れがあるんですよ。思い入れがあるから、自分の思う理想のジブリらしさがないと腹が立って、こんなのは嫌だって思うんだけど、そういう人は2回目観た方がいいですよね。2回目観るときはもう期待がないんですよ。
例えば、『ハウルの動く城』で1回目観たときに何に腹が立ったかというと、「えっ、戦争起こらないの?」っていうね。戦争シーンを楽しみにしてたのに、戦争シーンがなかったっていうのがすごい欲求不満だったんですよ。「えっ、戦いはないの?」って思ったんですけど、今日Blu-rayで観ると、色々そういう思い込みっていうか、ただ現実を受け入れるっていう心で観ると面白いんですよね。
ジブリ作品って、全体的にそれあるんじゃないかなって気がするんですよね。特にジブリ好きな人で昔からジブリファンっていうのは、ナウシカ、ラピュタが一番好きって未だに多いじゃないですか。でもそれ幻想なんですよ。
僕も本当にナウシカが一番好きだって思ってたんですけど、改めて観直すと、もうね泣いてしまう。
で、今回ハウルがどういう作品かわかった。
鈴木:教えて下さい。
川上:はい(笑)ハウルはこんなに好きな世界なのに、涙ポロポロ流れるんですよ。ストーリー的には全然泣くところではないところで。
何なのかっていったら、ハウルのテーマは何かっていったら、この物語はウソですっていうのが一番大きなポイントだと思って。
要するに、これはおとぎ話ですってことなんですよ。これはウソの話ですってことなんですね。きっと最初にハウルに会ったっていうのは、冴えない下町の子が、ふと街角で身分違いのカッコいい人と会って、ちょっと優しい言葉の一つもかけられた、ぐらいが現実なんだと思うんですよね。
でもそれがその子にとっては大きなことで、きっと生涯宝物にするような自分の自慢の話だと思うんですよね。
そして、歳をとって結局この街にいられないっていうことで外に出るわけじゃないですか。あれって行く先のない旅ですよね。あれは死に場所を探してるわけじゃないですか。あの映画の中でのソフィーも居られないっていう風になったら、死にに行ったんだと思うんですよね。
だからあれは姥捨山なんですよ。死にに行った山でそこで起こった物語は何なのかっていったら、マッチ売りの少女だと思うんですよね。死ぬ前に見た幻ですよ。
自分が一番大切にしてた過去のつまらない思い出、それが続いていったらどうなるんだろうっていう死ぬ前に見た幻だろうなと思うんですよね。
それがハウルの物語のファンタジーを取り除いた現実の話なんですよ。
たぶん本当の話っていうのは、ソフィーとハウルの恋愛って歳をとったんじゃなくて、最初から歳をとってると思うんですよ。きっと若い頃の思い出なんですよね。
だからソフィーは歳をとっているにも関わらず、恋をしちゃったと。でも時々若返るじゃないですか?あれは見かけは歳をとってるんだけど、自分の中はまだ若い部分が残ってるんだっていうことだと思うんですよね。
だからあれはすごい悲しい話なんですよ。僕自身もそういう風に思ってるのかなって思ったりして悲しい気分になったんですけどね(笑)
宮崎:川上さん鋭いなと思ったんですけど、ハウルって老人同士の恋愛だって思ったんですよね、最初。
川上:ああ。
宮崎:要するに、ソフィーはお婆ちゃんの姿になりますけどそれが言ってみれば本来の姿。若いけど歳をとっている。ハウルって見かけは若くしてるけど、本当は荒地の魔女と同じくらいでしょ?すると爺さんのはずですよ。
荒地の魔女も魔法で隠してますけど、すごいお婆さん。だから年寄の三角関係。
川上:(笑)
宮崎:僕は最初すごく油っこいなと思ったんですよ。要するに、そこまで歳とってもまだこういうものを持ってるかっていうね。何かそこに愕然とした思いが(笑)
歳をとってくっていうのがどうやって受け入れてくんだっていうね。それがテーマにあったのかなって。意識してるのかわからないけれど。
川上:それは確実にあると思いました。歳とった恋愛でも、それが若者の恋愛と何ら変わることがないんだっていうのは絶対テーマに入ってますよね。
宮崎:だって鏡さえ見なければ、たぶん人って20歳超えるとあんまり変わらないじゃないですか?自分の中で。たぶん鈴木さんも60過ぎてますけど20歳くらいから変わらないと思うんです。
川上:人間変わらないんですよ。成長しないし。なんかお話っていう感じがしない。ファンタジーっていう体裁はとってるんだけど、ファンタジーじゃないんですよ。心の動きがリアルなんですよ。全然ファンタジーじゃないんですよ。
宮崎:要するに宮崎駿って、なんだかんだ言いながら誰かに向けて作るんだっていうことをやってきたとずっと思ってたんですよね。子供に向けてとか。それがなくなったのがハウルかな。
川上:ああ。
宮崎:っていう風に僕は感じたんですよね。
川上:ちょっと私小説っぽいですよね。
宮崎:うん、そうそう。
川上:自分の内面とかからほとばしるものを表現したみたいな(笑)
鈴木:だって徒然なるままに今の心境を語ったような映画でしょ?ハウルって。
川上:そうですよね。そうなんですよ。
鈴木:でも語ってる一つ一つ、実はものすごいリアリティに満ちている。自分が思ってることを全部ぶつけた。歳をとるっていうのはどういうことなのか、とか。あんなに自分のことを語った映画ないですよね。
川上:しかもアニメ・ファンタジーっていう題材でメチャクチャですよね?そういうのを試みたっていうのが。
鈴木:なにしろ荒地の魔女っていうのが寝てて、ソフィーが介護してたら「アンタさっきからため息ばかりついてるね。恋してるのかい?」って。そうしたらババアがババアに向かって言うわけでしょ?「お婆ちゃん、恋したことあるの?」「そりゃああるさ。今だって恋してるよ」って。これさっきからの話と非常に関係ある話でしょ?
それは吾郎君が鏡見なけりゃ心の中は20歳だって言ってたけれど、まさにその通りで。だから面白いですよ、やっぱ。
川上:すごい面白いですよね。みんなちょっと観るべきですよね、もう一回。
鈴木:もったいないんじゃないかなって。あのまま見過ごしてたら。ストーリーがどうのこうのって言ってたら、大事なところ見逃しちゃうのよ。そんなのどうだっていいんだから。
川上:ひどいような気もするんだけど、そんなの全く関係ないよねって言い切れる確信みたいな。
で、戦争とかも最後すごいいい加減に終わるじゃないですか?カカシにキスして犬が現れて、みんなバカらしいから戦争やめようっていう風に言ったんですけど、今までのファンタジーだったらあそこにすごい時間かけますよね?
時間かけて、色んな戦いとかあって、よくわからないんだけども、少年の勇気がみんなの心を動かしたとか、愛にみんなが打たれたとか、そういう物語をすごい延々とやるんですよね。半分くらいの時間をかけて。
でも結局それって、ウソですよね。そんなの現実にはないですよね。だから現実にはないことはウソだっていう風に割り切って、ほんの数分で終わらしちゃったんですよ。一番最後に。
そこでの結果何が生まれたっていったら、これはウソの話です。でもこういう世界であったらいいよねっていう純粋な願いだけが残ったんですよ。
要するにファンタジーって、散々やり尽くされていて、こうあったらいいよねっていうみんなの願いが込めた話だと思うんですけど、それをみんなが繰り返していくうちにそれがウソだし、馬鹿馬鹿しくもなるし、そういうところで逆にハウルみたいなこれはもう最初からウソの話なんだよっていう風に割り切って、そこの説明なんかをいい加減にしたことで、そこに純粋な世の中こうあってほしいなって願いだけが残ったんだと思うんですよ。
浄土を感じますよね。作品から人間の心のすごい感情の揺れ動きというか。
宮崎:話の辻褄というよりも、ディテールをちゃんとやろうっていうことなんでしょうね。
鈴木:そうだよね。
宮崎:っていうのは思いましたね。その人間の持っている感情のディテールみたいなものをどうやってちゃんと描けるのかって、ソフィーが姿が変わるのは、そういうものの感覚にすごく近いと思ったんですよね。
川上:そうですよね。
宮崎:要するに、ハウルからはそう見えてるっていう意味でですよ?
川上:すごい自然なんですよ。あれって場面によって若く見えたり、歳をとってみたりって、あざとい手法ですよね。あざとい手法なはずなのに、すごい自然に見えるんですよ。
むしろ、こう見えて当たり前だろっていう風に見えて。あんなにリアルな物語はないですよね。リアルなんですよ物語なんですよ、すごく。それがすごいなって。
理屈じゃなくって、感覚でこれを描き分けてるのかなって。若く見え方も全部違うじゃないですか。2種類に置き換えてるんじゃなくて、微妙な(笑)ちょっと理屈とは思えない描き分けをしてますよね。本当は違うんだってことじゃないですか。
鈴木:人は灰になるまで恋をするんだ。本来動くはずもないものが動くって、そこに心惹かれたわけだから。
宮崎:宮崎駿作品の中で一番エロチックじゃないですか、ある意味。
川上:ちょっと救われた感じがした。
ーナレーションー
Blu-rayによって時を超えて、暗闇の中にほのかに現れ始めたたくさんの映像のディテールは、ようやく私たちを魔法使いの心の奥へ連れて行ってくれるのかもしれません。
映画の中でソフィーは、少年時代のハウルに叫びます。「未来で待ってて」って
。
鈴木:息子としてはどうなの?
宮崎:生っぽくて嫌だったですよ。
川上:(笑)
鈴木:官能的。
宮崎:官能的なんですよね。
川上:関係ないんだけど目がいくシーンだとか、ハウルすごくあるんですよね。
階段を登れなかった犬が、またその後で降りられないでやるっていうのが本当画面の隅でやってるんですけど、ああいう細かいことを(笑)
鈴木:もっかいゲドに戻るとね、要するに、宮さんは自分がやってもこういう話になったって。これは揺らぎがないんですよ。ただ俺がやれば表現は違うぞって。
宮崎:官能的なんですよね。
鈴木:そう。
宮崎:それが宮崎駿なんだっていう。
鈴木:官能的って、宮さんの画面がいちいち官能的だって言ったのは、高畑勲の名言なんですけどね。
ジブリアニメ、宮崎アニメって実をいうと高畑さんのアニメも含めて、そこをやってきてるのよ。官能的。これがジブリの正統派なのよ。
川上:そうですよね。そういうシーンを上手くいれてますよね。関係ないんだっていう風に装いながら。
鈴木:例えばね、人間ってどっかから落っこちたら痛いでしょ?その痛さをちゃんと表現するんですよ。
『ゲド戦記』の宮さんの1番の不満は、これは宮さんが言ってるわけじゃないよ?俺の想像ね。最後、アレンは彼女を抱きしめるじゃん?あの抱きしめ方が弱いのよ。
宮崎:ギューっていかなきゃいけないんですよ。
鈴木:そう!相手の骨が折れるくらい抱きしめなきゃいけないのよ。それで相手の彼女の方も抱き返さなきゃいけないわけ。わかってるんだよ、吾朗君だって。でしょ?
だから今回吾朗君はね、コクリコで前よりそこら辺を強くしてるのよ。
川上:最後の船に乗り移るシーンとかね。ちょっとエロさをだしてましたよね。
鈴木:そうそう(笑)そこがゲドの時と違うわけ。吾朗君の中に変化が起きてるのよ。するとどんどんパパに近づくわけ。
宮崎:ゲドの時って、映画ってストーリーで観てると思ってたんですよ。
川上:はいはい。
宮崎:これコクリコをやった後だから言える感想ですけど。コクリコの前はそう思ってたわかんないけど。映画って、ストーリーで観てて、そのストーリーの構造とか設定とか、理屈で観てるって思ってたんです。
どうもそういうことは関係ないんだなって、最近思うようになってきて。
鈴木:コクリコの方は色んなレポートがあって、みんな泣いてるんですよね。そこら辺がずいぶん吾朗君の中で変化が起きたことと関係ある気がするんですよね。
みんながそういう状態に陥るのが、人によって違うじゃない?
川上:泣くのストーリーじゃないんですよね。たぶんそこで何かのスイッチが入るんですよね。
鈴木:何にも関係ないのに理事長の「よし行こう」で泣いてる人もいるしね(笑)
川上:(笑)
鈴木:でも本当なんだもん。
川上:ハウル、空中散歩で泣きましたもん。号泣。
鈴木:早すぎ(笑)
川上:始まってすぐですよ。あそこ泣けるシーンですよ。
女性:川上さんの話聞いてて思ったんですけど、私が思ってる川上さんは、頭で考えて理詰めで考えて、納得出来ない矛盾は潰していくっていう考え方をする人だと思うんですけど。
で、映画を観ても、納得出来ない部分っていうのは些細な一つが納得出来ないから、この映画はダメっていう。
イメージですけどなり実際そういうところもあるかもしれないですけど、その川上さんが感覚の感情の部分でハウルに共感をしているっていうのが。
川上:僕はどっちかというと、逆なんですよね。
まず観て、感覚的に腹が立つと、それを非難するための粗探しをするんですよ(笑)だから理屈はあとなんですよね。
どっちかというと。感情が先でそれに理屈を後からつけるんですよ。あとづけ。
鈴木:だから成功したのは、お母さんと抱きしめるシーン。あれはやっぱり成功したよね。あれはえもいえぬ微妙なタイミングで、何かわかんないけどグッとくるんだよね。
女性:シナリオのときは、よくわからないシーンだったんですけど。
鈴木:でしょ?
女性:観たら、ハッて入っちゃうんですよ。
鈴木:そうそう。
川上:バス停の放課後のシーンとかも、かなり最後の方で泣きましたからね。途中のライカリールの時は本当クサイシーンだと思ってたんですけど(笑)
鈴木:色んなレポート読んでて、へーって思ったのが、お母さんと彼女のシーンで女性は泣き、男はバス停で泣くって。実にわかりやすくね(笑)
なんていったって宮さんもね、お父さんたちの青春。先に死ぬなよ。あの写真の。あそこで宮さんグッときて泣いちゃってるんだもん。
本当嬉しかったよね、宮さん泣いてるとき隣にいて。
川上・宮崎:(笑)
ーナレーションー
たぶん魔法はまだ解けていない?