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ポッドキャスト版「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」「未来授業」の文字起こしをやっています。「未来授業」は2020年4月分からです。文字起こししてほしいものがあれば、ツイッターのDMに連絡下さい→https://twitter.com/hatake4633

未来授業:三菱商事presents FM Festival 未来授業 養老孟司(1/6)

2011年10月29日、31日、11月2日に開催された「三菱商事presents FM Festival 未来授業」における養老孟司さんの特別授業部分の文字起こしです。全六回あります。今回は第一回です。

 

youtubeにあった動画です↓

https://www.youtube.com/watch?v=SmMrTiyP6Lw&t=21s

 

 

養老:養老です。よろしくお願いします。今日は皆さん方に「自分」というのを考えていただこうかなと思ってきました。

 

質問をしながら進めることになってますので、最初の質問が一応決まってまして。この中でラジオをよく聴く人っていらっしゃいますか?

 

(会場で、数人手を挙げる)

 

あ、結構少ないですね。どうしてラジオを聴くかだけ説明して下さいますかね?

 

学生:なんでラジオを聴くかっていうと、楽しいっていうのは一つあるんですけど、ラジオ聴いてると、色んな情報が流れてるんですね。特に分野を問わず色んな情報が流れてるので、そういう情報を仕入れたいっていう気持ちがあるので、ラジオを聴いてます。

 

養老:でもそれテレビでも同じじゃないですか?インターネットでも。

 

学生:テレビっていうのは自分の中では、視覚的に固定されちゃってイメージが偏っちゃうんですよね。そうすると、どうしても自分の考えとしてまとめることが出来ないので、音声だけのメディアなので。自分の意見も取り入れながら物事を考えていくっていうのでは、ラジオを聴くっていうのが一番自分の中ではベストかなと思っています。

 

養老:テレビ観ながらそんなこと考える人どのくらいいるか知らないですけど、確かに気をとられるっていうことはありますね。

 

私は視覚型というか、見ないとダメなんです。それが耳が悪いっていうんじゃなくて。私子供の頃は、ラジオしかなかったんですよ。

 

変な話ですけど、日本が戦争なんかしたの?っていう世代でしょうから、戦争に入っていった放送もなんとなく耳に入ってます。大本営発表っていうやつですけど。

 

それから終戦の時は、天皇陛下詔勅があったんですが、この間ある雑誌がそれを出したんで、聴いてみました。CDなってますから。それも懐かしいって言ったら不謹慎かもしれないけれど。

 

耳って結構影響あるんですね。何が言いたいかっていうと、一つは人間は外の世界を取り入れるときに、目を使ったり耳を使ったり、五感を使うと。五感を使って得たものって、現実というか、実際というか、モノっていうか。

 

何か変なこと言い出したって思うかもしれないですけど、僕なんかはモノっていうのを何だろうなって。モノって物質とか言うでしょ?それは西洋の言葉の翻訳ですからね。

 

話がそれちゃうかもしれないけれど、モノって何でしょうかね?わかる方います?、、、返事がないですね(笑)

 

どうしてかっていうと、あるものが何かって説明しようとする時に、大抵の人がそれ自体の性質を一生懸命言おうとするんですよ。「リンゴとは何だ?」って言ったら大抵は、木になってて、とか、色がこうで、とか、相手を説明しなきゃと思うでしょ?

 

でもモノであるとか、そうじゃないとか決めてるのは、我々なんですよね、たぶん。

 

いま私が手に持ってるマイクは、モノです。そうですね?それは納得してくれると思うんですけど、じゃあ何でモノなんだよ?と。物質だからって答えになってませんよ、これは。

 

僕は解剖を教えてたんですけど、解剖の教科書で「口」って消化管の入り口って書いてあるんですよ。これ読んだ瞬間に私は「これは詐欺だな」って思いました。だってうんと短くして下さい。その文章を。「口は口」って言ってるんだから。そうでしょ(笑)

 

皆さん、そういう勉強させられてません?時々。何か色々枝葉ついたけど。消化管とか。でも結局、口は口って言ってるんだろ。したらそれは口の説明じゃねえじゃねーか。

 

そこから実は、正式な解剖学には口っていう言葉はないってわかったんですけど、そんなこと言ったってしょうがないから。解剖学の授業じゃないから、あとは適当に考えろってことですね。

 

いま、モノの話してたんですけど、モノは実は我々が決めてるんですよ。

 

どうやって決めてるかというと、五感の全てから入ってくる性質を持ったものがモノなんですよ。ただし、相手が一つでしょ?音は耳から入ってくるし、光は目から入ってくるから。目から入ってくるものと、耳から入ってくるものは違うじゃないかっていう。音と光は違うでしょ?

 

だけど、マイクは目にも入ってくるんですよ。見えるから。ちゃんと耳からも入ってきますよ。叩いたら音がする。臭いますよ、これでも一応(笑)舐めたら変な味がします。これは。触った感じは始めからありますよ。持ってますから、僕。

 

五感の全てに訴えるっていう性質を持った対象を我々は「モノ」と言ってるんです。

 

その定義は何かって、自分の方からした定義です。今日の話は「自分」っていう話なんです。我々は世界をそうやって測るでしょ?そうしたら、一体「自分」って何だ?って疑問は当然起こっていいんです。どっかで。色んな形で。

 

だから我々がなんとなく言ってるものっていうものも、色んな定義があるとおそらくあると思うんですよ。私はそういう風に定義するようになったんです。

 

何でそんな定義をするようになったんだよ?って。どうでもいいじゃん、モノなんかって。そうじゃないんですよ。

 

だって、私解剖やってる間、よく言われたことの一つに「先生、人間がモノに見えるでしょ?」って。ああ、この人わかってねえなって思う(笑)人間がモノに見えるって、モノに決まってるだろって。何でかっていったら、見えるでしょ?触れるでしょ?味わえる。臭う。そうじゃん。そりゃモノですわ。

 

で、死んだらモノっていうことも、僕は普通にあったんですよ。生きてようが死んでようがモノでしょうがってことなんですよ。僕の定義からすれば。どこにも違いないですよ。

 

死んだ途端に体重が減ると思います?そう思う人います?

 

アメリカは真剣に調べた人がいるんですよ。御臨終の患者さんに頼み込んで、特製のベッドに寝てもらって、本当に死んだ時にメモリー動くか見張ってた人いるんですから。昔の話ですけど。魂の重さいくら?って決めようと思ったんですよ、きっと。変わるわけないでしょ?

 

どんどん体重下がるんですよ、死ぬと。軽くなるんです。当たり前で、日本で軽くなるかわかりません。特に梅雨時はわかりませんけど。今だったら軽くなります。水分が蒸発するからです。どんどん。それだけのことです。それは魂の重さじゃありません。水の重さです。

 

結構そういうことについては、誤解があるんです。

 

それで今回話の主題にしようと思ったのは、若い人たちが自分で「何だ!?」って考えることがあるんじゃないかと思って。そういうこと考えたことのある人、手挙げてみて下さい。

 

(手を挙げる人が、チラホラ)

 

あ、これはかなりありますね。少なくとも半分。

 

それで、その時の自分。それを具体的に訊いてみたいんですが、もう一度手を挙げて言っていただきたいんです。

 

つまり、自分で「何だ!?」って考えたときに、何が知りたかったかってことです。漠然と不思議だなと思った、でもいいんですけど。はい、どなたか。

 

学生:自分とは何かと問いただした時に、最終的に何を知りたいのかっていうのは、周りから自分がどう思われてるのかっていうのを結局知りたかったんだなっていつも感じています。

 

養老:これは一種の模範解答であります。若い人が悩むときの一つの非常に大きなポイントは、自分のことが周りの人がどう見てるかっていうことがわからない。この悩みは非常に多い。

 

その時にどう解決されたかまで、訊いていいですか?あるいは答えがどこまでいったか。

 

学生:どう解決されたかっていうのは、解決っていうのはしてしまったら生きる意味を見失ってしまうので、解決はしないんですけれども、その一瞬の解決として思うのは、自分自身を自分の中のエネルギーを見れないんだなっていう。

 

自分が自分のことを一番分かってるつもりでも、色んな人の情報を集めた参考情報として出来上がった自分のイメージ、というのを「自分だ」と勝手に捉えてるんだなっていうのをつくづく感じております。

 

養老:彼はそう思ったわけです。で、私も自分って何だって考えたことあるかって、実はあんまりありません。

 

なぜかってことを考えるんですけど、たぶんですね、これがまさに時代が違うってことで。自分とは何かって考えるよりも、周りの大人にいかに怒られないか、とかですね、子供のときはどうやったらいじめられないか、とか、どうやったらぶん殴られないで済むか、とかですね、どうやったら食物が手に入るか、とか、むしろそういう非常に実際的のことの方が主体を占めていたから、自分までいかないんです、疑問が。

 

自分とは何かって考えてる、私ってみんなにどう思われてるんだろうって周りの大人に、皆さんぐらいの年ぐらいで言ったとしたら、たぶんですね、答えわかってたと思う。周りの大人がどうするか。

 

「そんなこと考えるんじゃねえ。だから学生は暇だって言うんだ。そんなこと考えてる暇があったら、働け」って、言われたと思うんですよね。それは直感だから、聞いたわけじゃないですけど。 

 

で、今でも私たちだったらそういう感覚を持ってる人はいると思う。たぶん若い人に向かって言わないと思いますけどね。「お前ら、暇なんじゃねえか」ってこういう答えが返ってくる。

 

そういう時代に育ちましたから、自分探しとかそういうことを聞いたときに、初めは全く理解が出来なかったですね。

 

だけど、北里大学で7年くらい教えたことがあって、その時にごく普通に出た問題の一つが、「自分探し」っていう言葉ですね。

 

ついこの間も、会津に行って造り酒屋の7代目っていうオッサンが教育員やってまして、4月から先生になった新任の先生に「どうして教師になった?」っていう質問だけしていったっていうんですね。20人のうち3人が「自分探しです」って言って怒ってるわけですよ。自分探しやってる奴がなんで教師が出来るんだよ!って(笑)

 

で、学生さんが自分探しって言いましたから、「自分探しっていうけど、探してるお前は誰なんだよ?」って、こちらが聞き返すしかないんですね。

 

でも、まず第一に言葉で「自分」っていうのを言ったときには、矛盾が発生するっていうのを知ってる方いますか?

 

、、、

 

 

はい。じゃあ言いますとですね、文化庁長官やってる臨床心理学の河合隼雄さんっていう大先生ご存知?どのくらいの方河合さんのことご存知ですかね?やはりこれも1割足らずかな。

 

河合先生は僕流に言う偉い人ですね。人のことが非常に分かっておられた方。大人という表現を私はいつもしてました。大人って年じゃありませんからね。私なんかいくつになっても70過ぎても網持って虫追っかけ回してますから、これは子供です。そんなことしても誰の役にも立たない(笑)嬉しいのは私だけですから。そんなことをいつまで経ってもやってるのは、どこか足りないんです、頭が。でも河合さんにはそういうところがないんですよ。

 

河合先生っていうのは、苦しんでる人をどうやって助けてあげるかってことをしてる。その河合さんが真面目な相談を受ける。当たり前ですよね。大体不幸だとか大変な目にあったとか、この先どうしていいか分からないとか、そういう方に深刻な相談を受けるでしょ?そのときに河合さんがどういう返事をするかって知ってるんですよ。

 

深刻な相談が来ると河合さんがまず言うのは、「私は嘘しか申しません」って言うんです。わかります?この意味。

 

だって「私は嘘しか申しません」って言っているそのことが本当だとしたら、河合さんはハナから嘘を言ってるからそれで良いように思うんだけど、でも嘘しか申しませんって嘘じゃないですか。嘘を言ってるなら。わかります?後でよく考えてみて下さい。

 

これを哲学では「自己言及の矛盾」って言います。自分が自分のことについて何かいうと、論理的に矛盾が発生してきちゃうんですよ。

 

それをバートランド・ラッセルっていう人が色んな例をあげてますけど、ラッセルのことを言うと、かえってますます分からなくなると思うから、簡単な例でいうと、ある村があってその村に床屋がいると。その床屋は自分で髭を剃らない人の髭を剃る。自分で剃らないから床屋に剃ってもらうわけですから。

 

で、ちょっと考えてみて下さい。床屋はどうなんだ、と。床屋が自分で髭を剃ったとすると、「自分の髭を剃らない人」というのに矛盾してしまいますから、床屋は髭を剃れませんね。

 

こういうのが苦手な人は考えないでいいですから(笑)とにかく自分のことを言うとおかしくなる。

 

これはわかりにくいかな。リシャール数っていう整数があるんです。リシャール数って何かってね、例えば、1とか3とか5とか簡単な数考えて下さい。その数についてプラスであるとか、整数であるとか、奇数であるとか、性質があるじゃないですか?そういう数学的性質を全部数えたんですよ。したら、ちょうどその数だけあった。5という数の性質を挙げていったら、5つあった。それに定義をつけてリシャール数と呼ぼうと。

 

そのおかしさ、わかります?あるものについて性質をその数だけ挙げる。で、それをリシャール数って呼ぶと、その数にはリシャール数という性質が一つついちゃいますから、性質がプラス1になっちゃいます。

 

そういう風なことが常に起こるんですよ。それ自身についてっていう話をしちゃうと。

 

だから、そもそもが自分については話さない、というのが人類の常識ではないですけど、話さない方がいいんですね。

 

人がどう見てるか。これは明らかになるでしょ?

 

最近もそうで、私がある会社で講演をやって終わったときに、若い社員の人に仲間が指して「アイツは周りが本当に自分をわかってくれるんだろうか、と思って今でも悩んでるんですよ」って。周りの人が本当に自分のことを理解してくれるんだろうか、と思って悩んでる方、この中にいます?いたら手を挙げて下さい。あ、いますね。怪しげな手の挙げ方ですが。どうぞ。

 

女性:私は前からすごい個性的な子って言われていて。自分では普通にしているつもりでも、周りから見ると「変わってる」って思われることが多くて。

 

しかもそれだけではなく、私はすごい明るい子、とも思われていて。でも実はそんな常に明るいわけでもなく悩んでることもたくさんあるのに、あなたは悩みごと全くなくいつも明るいよねって思われていて、なんかどうしていいのかわからなくなることが多くて、私のことを本当に理解してくれる人はいるのだろうかって前から悩んでいました。

 

養老:よくわかりますね。皆さんもわかるでしょ?それ。わからない人もいるかな。なんでこれ言うかって、今の人は自己中って言うことがあるから。でも周りの人が自分を理解するだろうかって悩んでる人って、自己中じゃないですよね。周りのこと考えてるわけですから。

 

でも別の言い方をすると、それで本気で悩もうとすると、僕の例で言いましょう。私昔から虫が好きなんですよ。昆虫採集行ってるでしょ?小学生の時、傘ひっくり返して、虫採ってましたから。母親なんて言うと思います?「アンタ、虫ばっかり採ってないで、たまには勉強しなさい」って言うでしょ(笑)

 

何がわかると思います?自分は好きなんですよ?自分が本当に好きで、勉強どころじゃねーよって思ってやってることを、親は理解しないんですよ。でしょ?親って、自分を理解する最大の存在じゃないですか?子を見ること如かずって格言があるくらいです。それでも自分がわからないんだから、故に他人にわかるわけないだろって。私はそう思ってたって気がついたんです。

 

そうすると、他人にわかってもらえるわけないだろっていう人は何をするようになります?わかってもらえるようにするでしょ?勿論子供の頃は、わかってもらおうとするっていったって、技術がありませんから。口もきけないし。大体私は口をきかない子だった。

 

私がこうやって講演をするようになるときに、子供の頃から知ってるやつが何て言ったか。「お前が人前で話するんだって?」って呆れてましたから。

 

子供はわかっていても、表現力がないんですね。だから一生懸命やるでしょ?わかってもらおうとして。わかってもらおうとする人ほど、表現をしようとするんですよ。そんな努力しようと思ってるわけしゃないんですよ?わかってもらえないと、生きていけない。困るからです。

 

そこに何が現れるかというと、学習ということの根本が出てくるんですけどね、実は。

 

学ぶっていうのは、自分が足りないからですよ。しかもそれを身につけなきゃやっていけないからなんです。

 

さっき君たちの幸せの調査がありましたけど、幸せだって自分で思えるのは、特にそういう問題がない。

 

私若いときのこと訊かれたら、不幸せでしかないですよ。どういう意味で不幸せかといったら、とにかく周りに受け入れてもらえるしかないから。(先程の質問者に対して)あなたの場合と同じです。でも明るいっていうことは、受け入れてくれるってことだよね。ある意味ではね。でもそれでいいんだろうかってことでしょ?もう一つは。

 

だからそのためにどうしたって、自分で努力しちゃうから。しかしその努力が必ずしも、自分が欲していることではないから。ああ、くたびれたって。そればっかりやってると、鬱になります。

 

例えば、虫取りは楽でいいんですよ。自分の好きでやってるんですから、「俺の勝手だろ」っていったら「そうだよ」って言うしかない。それをわかってもらう必要は普通はないけど、でもしばしばわかってもらわなきゃならない。虫取りに限らないんですよ。

 

だから解剖やってるときもそうで。「なんで解剖なんかやるの?」って訊かれるわけです。そうすると、解剖の教室にいる間はみんなやってるわけですから、そんなこと訊かれる心配はないですよ。でも自分に訊いちゃうんですよ。「なんで俺解剖なんかやってるんだろう?「って。そこの難しさですよ。自分だってそういう疑問起きちゃうんだから。

 

解剖なんかやったら金にならないとか、そういうことはわかっているわけで。ちょうどバブルの頃、私現役でしたから。あのとき、3Kの職場嫌われたでしょ?若い人は知らない人も多いと思いますけど、「キツい・汚い・危険」っていうとって3Kって言ったんですよ。解剖なんか「キツい・汚い・危険」でしょ?それどころじゃない「金にならない・気持ち悪い・クサい」って作ってやりましたよ、どんどん。

 

(会場、笑い)

 

養老:それで6Kだろ!って。12Kまでいきましたけど、馬鹿馬鹿しいから言いませんけど。

 

そんなことを考えると、自分でも何でそんなことしたんだよってことは考えるんですよ。

 

モノを考えるってことは、しょうがないから考えるんですね。自分と周囲の折り合いがつかないから。

 

で、皆さん方は周囲っていうのは、他の人だと思ってるんですよ。でも他の人だけじゃないですよ。

 

僕らの世代だったら、食べ物ありませんから食べ物って人じゃないです。だから、他所のウチのサツマイモ盗んだりとか、柿盗んだりっていう話になるんで(笑)ま、そこに人絡んできますけど。追っかけられれば。でも根本はまずはモノでしょ?食べ物何かないかなって。

 

で、賞味期限なんていうのも見て、食糧難の頃を思い出しちゃうんです。賞味期限って書いてあるじゃないですか?僕らの頃、賞味期限ってなかったなって。でも賞味期限ってあったよな。じゃあ賞味期限って何だ。食べ物が目に入ったときが賞味期限なんですよ。その瞬間に食うしかない。さもないと、誰かが食べちゃうから(笑)