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ポッドキャスト版「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」「未来授業」の文字起こしをやっています。「未来授業」は2020年4月分からです。文字起こししてほしいものがあれば、ツイッターのDMに連絡下さい→https://twitter.com/hatake4633

<鈴木敏夫のジブリ汗まみれ>宮崎駿監督の恩人の娘、堀田百合子さんがれんが屋へ

2008年10月7日配信の鈴木敏夫ジブリ汗まみれです。

http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol53.mp3

 

宮崎スタジオジブリ宮崎吾朗です。堀田善衛さんの展示会にですね協力してもらえないか、というお話を百合子さんから頂いたのがちょうど去年のもうちょっと早かったんですかね。そこから我々に何が出来るのかということを考えた結果、もしジブリ堀田善衛さんの作品を原作に映画を作るとしたら、どうなるんだろうっていうものを描いてみようと。

 

ーナレーションー

宮崎吾朗監督が制作を担当、父親の駿監督もポスターを描き下ろし、講演会を行うこの展覧会。一体何が展示されているんでしょう。

 

司会:堀田百合子さんに一言お願いしたいと思います。

 

堀田:早いもので亡くなって10年ということなんですけど、ジブリさんには今回素晴らしい展示をしていただきまして私としては本当に有り難く思っております。宮崎吾朗さんのご苦労が忍ばれる作品でございます。皆さまじっくり観ていただきたいと思います。

 

ーナレーションー

堀田善衛展 スタジオジブリが描く乱世。」

 

展覧会のパンフレットには、こんな宮崎駿監督の言葉が記されています。「潮に流されて自分の位置がわからなくなったとき、僕は何度も堀田さんに助けられた。」

 

今夜、レンガ屋を訪れたのはそんな堀田善衛さんの娘、堀田百合子さんです。

 

 

鈴木:で、とにかく堀田先生の大ファンであることを僕は知ってたので、『天空の城ラピュタ』だから1985年くらい。彼が頑張って作ってるじゃないですか?それで僕は宮崎が本当に働き者だし頑張るんで、励ましたいと思ったんですよね。それで当時使ってた雑誌『アニメージュ』のラピュタガイドブックっていう本の中で、堀田さんに原稿を書いていただこうとして、それで書いていただくんですけど。宮さんは喜んでましたよね。堀田先生って『モスラ』っていう怪獣映画のシナリオなんかも福永さんとか協力して3人でしたっけ?

 

堀田中村真一郎さんですね。

 

鈴木中村真一郎さんですよね。それでナウシカの映画を観ていただこうということで、当時代々木の方にマンションがあって、奥様にお伺いしたら「ビデオとかそういう類のものはない」ということでしたので、ビデオとビデオの再生機を持ち込んで、ナウシカを観ていただいて。その時に百合子さんにお目にかかってるんですよね?たぶん。

 

堀田:お目にかかりましたっけ?

 

鈴木:本当のこというと覚えてないんです。

 

堀田:私も覚えてない(笑)

 

鈴木:(笑)

 

---

 

鈴木:実は大学の同級生、、

 

堀田:そう(笑)

 

鈴木:大学はいつ入学されたんですか?

 

堀田:私は68年です。

 

鈴木:68年ですか。

 

堀田:鈴木さん、私より1つ先でしょ?

 

鈴木:僕は67年なんで。

 

堀田:ですよね。でも卒業は一緒。

 

鈴木:なんで知ってるんですか?(笑)

 

堀田:だって卒業写真に載ってますもん!

 

鈴木:(笑)そうなんですよ。僕は1年余計にいたんですよね。

 

堀田:私は一応4年で。

 

鈴木:そうですか。

 

堀田:ええ、ええ。

 

鈴木:大変でしたよね、当時。

 

堀田:大変でしたよね。あれは米軍の、、

 

鈴木:米軍資金反対闘争があって、大学に入ったときが1番大変な頃ですね。

 

堀田:ですね。

 

鈴木:68年っていうと、エンタープライズっていうのが佐世保へ来るっていうんで大騒ぎしてたからですよね。

 

堀田エンタープライズなんて当時言わなかったでしょ?エンプラしか。

 

鈴木:エンプラって言ってましたね。思い出しました。僕が入る1年前はのんびりしてたんですよ。僕も自治会ルームってあって、行ってみたらきったないんですよね。委員長とも相談して、壁紙を買ってきて綺麗にしたりして(笑)それで一緒に手伝えって言われて、僕は思想だとかそういうことに疎い名古屋から出てきたばかりの少年だったんですけど、つい引き込まれちゃって。それで広報局長になるのよ。それが突然、秋になると佐藤栄作っていう当時の首相がいて、訪米阻止とか羽田闘争っていうのが起こる。

 

堀田:私の場合は大学に行ってそんなことしなくても、ウチに帰るとそういうことが山のように起こってましたから。あんまり珍しくなかったって言ったら変ですけど。

 

鈴木:具体的にいうと?

 

堀田:例えば、これは父が書いてるからいいんでしょうけど、東大闘争のときに逮捕状の出た吉高さんがウチに1週間か10日いらしたりとか、その前はベ平連の脱走兵を匿って。ああいう家に育つと、普通ではないですよね、世間一般で起こっていることとはちょっと違うことの情報が、、

 

鈴木:新聞、雑誌、テレビで報道されているもののもう1つの裏側を生で聞こえてきちゃうわけですよね?

 

堀田:そうです。それが身の回りで日常的に起こっているので。

 

田居山本義隆さんがおウチに帰るといるんですね?

 

堀田:東大全共闘の委員長。

 

鈴木:色々いましたね。

 

堀田:面白かったですよね。

 

鈴木:時代が動いていた。

 

堀田:脱走兵で去年亡くなった小田実(おだまこと)さんがベ平連で、鈴木さんもご存知でしょうけど、ウチは非常に特殊な地形に立っている家なので、例え警察に踏み込まれても崖を降りていけば、、

 

鈴木:逃げやすい?(笑)

 

堀田:逃げやすい!ダーっと崖を降りちゃえば、すぐ逃げられるっていうことがあったので。

 

鈴木ベ平連というのは、、

 

堀田ベトナムに平和を!市民連合

 

鈴木:ですね。当時アメリカがベトナムと戦争してて、いわゆるベトナム戦争というのがあったと。その脱走兵というのは日本に来てるアメリカの兵隊で。

 

堀田:そうですそうです。

 

鈴木ベトナムへ行くのが嫌で、そこで脱走した人ですよね。

 

堀田:あまり思想的というよりは単に嫌だった、戦争が嫌だったごく普通の青年たちだったように覚えています。母が夜中に車を出して乗せてって、父と何人かで信州まで行って、というようなこともありましたよね。例えば、順番に新潟から船で逃すルートを作ったりして、みんなスウェーデンあたりに行き着くんですよね。モスクワを通って。父はずいぶん後になってから再会したって言ってましたね。

 

鈴木:受け入れたんですね、スウェーデンは。

 

堀田スウェーデンは受け入れて。年齢的には同じくらいかな?私と鈴木さんと。

 

鈴木:実はそういうスチューデントパワーっていうんですか?パリのカルチェラタンを持ち出すまでもなく、世界的にそういう運動が。

 

田居:そういう運動をやっている人がカッコいいとか素敵とか、そういうので、、

 

堀田:やっぱり山本義隆さんは素敵だったもん。

 

田居:やっぱり!

 

堀田:うん!

 

田居:なんか素敵だったんですよ、そういうことをやってる人が。

 

鈴木:ただものの本によるとだよ、60年安保っていうのが僕らより10年前にあって、それは何かっていったら、日本とアメリカの安全保障条約があって、アメリカの傘の下日本はぬくぬくと生きるか、あるいはアメリカの傘から離れて貧しくとも心豊かに生きるか。この選択肢なのよ。そういう中でそれに賛成、反対、これが大きく分かれて。両方とも明日の良い日本を作ろう、みたいなことがどっかにあったのよ。

 

でも70年安保っていうのは、自分が渦中にいながらあとで振り返ると、本当にそういうのがあったのかどうかっていうと怪しくなってくるものががあるわけ。非常に象徴的なことで俺なんかが自分で考えたことでいうと、当初何かをやっていくときに自分が反省しなきゃいけないときに、自己批判っていう言葉があった。自己批判まではわかりましたね。だけど自分がそこの渦中にいて、その言葉がエスカレートするんですよね。それは何かっていったら「自己否定」。これは僕はおかしいと思ったんですよね。否定したら何もなくなっちゃうんだもん。ところがそのエスカレートが悲惨な事件に繋がっていくわけでしょ?破壊して新たなビジョンがあるところに結びつけるならともかく、破壊が目的になってしまって。

 

その破壊と自己否定とが非常に関係があって、僕の中では自己否定でみんなが情緒的にワーっとそちらへ行ったときに、僕はそっちへ行かなかった人間なんですよ。それが今に繋がってる、と自分では思ってます。堀田先生というのは、対象に対する身を置く距離が僕は好きなんですよ。何て言ったらいいのかなー、、

 

堀田:第3の立場。

 

鈴木:そうなんですよね。堀田先生って何で鴨長明が好きかって、ある種のノンフィクションライターっていうのか、僕なんかもその末端にいたとはいえ、そういう立場でものを見ていくのが好きな方だったんですよね。だから、自分がやってるんだけれど自分でやってないっていうのか。いま映画を作る立場になっちゃったんですけど、もしかしたら正にプロデューサーってそういう仕事かなっていう気もしないでもないです(笑)

 

とにかく宮さんが堀田さんの本をいっぱい読んでるんですよね。宮崎駿って自分の外に支えになる人が欲しい人で。それで堀田先生の本を読むことで常に対話するって言うんですかね。彼なりの解釈で色々言ってるんで。堀田善衛展では宮崎駿の講演会もあるんで、興味のあるところなんですけども(笑)

 

堀田:楽しみにしてます。

 

鈴木:いま本人は困ってるんですけどね(笑)対象に対して距離を置かない人なんで、宮崎駿は。その人が堀田さんの本を読んで、どうそれを読んだか。これは聴いてみたいんですよ、僕。

 

堀田:私も聴いてみたいです。自分のぜひ今度の講演で。

 

鈴木:ねー。宮さんがどう読んだのか。実は講演の「方丈記私記と私」っていうのは僕が勝手に宮さんに押し付けたタイトルなんですけどね(笑)

 

---

 

宮崎吾朗:歳をとっていけば立派な人になるって嘘だなって(笑)それは自分の身近な人を見ててもそう思いますけど。老いて益々なんとかっていうことがあったりするっていうね。それは面白いなって思いましたね。

 

ーナレーションー

 11月24日まで横浜の港の見える丘公園の県立神奈川近代文学館で開かれている「堀田善衛展 スタジオジブリが描く乱世。」。堀田さんの原作を元に藤原定家鴨長明の若き日々の物語を、アニメーションで描いたら何が見える。そんな新しい試みにアプローチした宮崎吾朗監督は、文学館のテラスでタバコを吸っていました。

 

宮崎宮崎吾朗です。発見したことですか?うーん何ですかね。1番の発見は、僕らと大して変わらないってことですね。定家っていう人は3流ですけど、貴族の末端じゃないですか?歳をとるに従って出世はしていきますけど、若い頃は1番末端。下手したら転げ落ちちゃうみたいなところですし、鴨長明っていう人は家の事情があって、そこからドロップアウトせざるを得なかった人じゃないですか?

 

そうすると、当時の2人っていうのは特権階級と普通の階級の隙間にいた人っていうか。1人の人間がいろんな顔を持っている。家ではお父さんだし、勤め先に行けば下っ端だし。一方で優れた歌人である。そういう多面性みたいなものがあって、それは僕らと同じだろうと思ったんですよね。

 

鴨長明だって最初から『方丈記』書いた人じゃないですよね?最初から無常観の人ではないんだっていう。本当に無常の人だったかというと、相当怪しいぞっていうのが堀田さんの書かれてることじゃないかなって思うんですよね。入り口は一見敷居はものすごく高いですけど、書いてあることは今の時代に不安にならないで済む視点が堀田善衛の本にあると思うんですよ。どれでもいいからまず無理して読むことだと思うんですよ。

 

ーナレーションー

 秋の日差しが暖かいテラスには、最近あまり見かけなくなったアゲハ蝶がひらひらと舞っていました。

 

鈴木:展示で堀田先生の書かれたものを元にジブリが映画にするとどうなるかって。これを宮崎吾朗を中心にやってもらってて。吾朗と「ポニョのあと、どうしよう」ってジブリの中で話題が出てて、僕も色んなこと考えたんですけど、やっぱり吾朗でやろうかなと。そのことを吾朗話していって、何やるかって話したら「定家と長明をやりたい」って言い出しちゃってね。「無茶だよ」って言ったんですよ(笑)野心はわかるけど。

 

堀田:吾朗さんは確か建築関係の学校出てらっしゃいましたよね?

 

鈴木:そうです。

 

堀田鴨長明っていうのは建築好き。方丈というものを作る前にもいくつもいくつも設計して。だから共通点はあるんじゃないんですか?

 

鈴木:だからって(笑)

 

(みんな、笑い)

 

鈴木:だから試行錯誤の1つとして、今回そういうものをやるのは僕は構わないって思ったんですよ。何しろ『方丈記私記』っていうのは、宮崎駿がずっと考えてるんですよ、あれを題材に映画が出来ないかって。

 

堀田:父も楽しみにしてましたよね。

 

鈴木:永遠考えてるんですよ(笑)それを横から来てね息子が簡単にやるってね。「鈴木さん、吾朗は何やりたいんですか?」って言うから「こうこうこういうことで、方丈記私記と定家明月記私抄、これを合わせてやりたいと言ってます」って言ったら絶句なんですよ。アイツそんなこと考えてるんだって!冗談じゃないって(笑)

 

堀田:あのイメージボードは素敵でした。

 

鈴木:そうでした?

 

堀田:うん。

 

鈴木:ありがとうございます。吾朗が喜ぶと思います。

 

---

 

鈴木:今回その展示で吾朗くんが描いたもの、何をどこまで出来るのか、お客さんにどう思ってもらえるのか、ちょっと楽しみではあるんですけどね。

 

堀田:楽しみにしてます。

 

鈴木:堀田展。神奈川近代文学館港の見える丘公園のところにありますね。ぜひ色んな人に来ていただきたいと思って、よろしくお願いします。

 

堀田:どうぞよろしくお願いします。