鈴木敏夫のジブリ汗まみれを文字起こしするブログ

ポッドキャスト版「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」の文字起こしをやっています。https://twitter.com/hatake4633

渋谷陽一さんがれんが屋へ!

2008年11月25日配信の「鈴木敏夫ジブリ汗まみれ」です。

http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol60.mp3

 

渋谷アメリカ公開っていつ頃なんですか?

 

鈴木:来年の3月。

 

渋谷:どれぐらいの規模でやるんですか?

 

鈴木:今度はね、然るべき人に頼んだんで、かなり大掛かりに。

 

渋谷:それで何某か形になると、かなり色んなことが楽になりますね。

 

鈴木:これから面白くなりますね。僕もどうしようかなと思ったんだけど、スピルバーグのプロデューサーのキャシーっていう女性に。まぁやることは凄いですよね。

 

渋谷:ああ、そうですか。

 

鈴木:うん。とにかく彼女に頼んだことが大成功で。ある問題を巡って蹇々轟々(けんけんごうごう)やってるときに彼女が登場すれば、全てが5秒で結論が出ると。

 

渋谷:恐ろしい〜(笑)

 

鈴木:キャシー・ケネディさんっていうんですけどね、美人なんですよ。

 

渋谷:いいですね。

 

鈴木:シナリオも僕らが読んでもよくわからないけど、『E.T.』書いた人がシナリオを書いてくれて。

 

渋谷:へー!

 

鈴木:メリッサっていう女性かな。これが非常に良い本が出来たっていって。英語のわかる人はみんな言いますね。

 

ーナレーションー

ポニョはいよいよ海外へ。そんな気分も高まる夜、一人の熱烈なポニョファンがれんが屋を訪れました。

 

渋谷:付き合い長いんですよ。鈴木さんは元々徳間の編集者であったということ。僕も本来的には編集が本職ですから、同じ穴のムジナというか、敏腕プロデューサーというか、悪徳プロデューサーというか。

 

鈴木:ひどいこと言うな(笑)

 

渋谷:そういう形でずっと仕事をされるようになってからは、恒常的にずっとお付き合いをしてもらうようになって。

 

鈴木:渋谷さんは悪徳編集者ですよね?

 

渋谷:悪徳編集者ですね。悪徳ということでは両方とも引けをとらない。

 

鈴木:(笑)

 

渋谷:それで同じような匂いを感じつつですね一緒に仕事をして、共通の友人である押井守という演出家がいるんですけれども、僕が悪徳な匂いを出すと、「あ、それ鈴木敏夫に似てる!渋谷似てるよ!」とかって。すごく嫌な感じなんすけどね(笑)

 

鈴木:僕はね、押井さんに対しては優しいんですよ。押井守という人をね、もっと世に出したい。だからある時渋谷さんに「押井守の本をちゃんと出すべきだ。何でビートたけしとか宮崎駿とか、そんなものばっかやって押井守やらないんだ?」って訊いたことあるんですよ。そうしたらただ一言「売れないもん」って。ハッキリしてるなと思って(笑)

 

渋谷:鈴木さんひょっとして自分のことわかってないかもしれないですけども、鈴木さん仕事になると全然違いますよ。ダメなときはもう「あ、ダメですから」って。もう明快ですよね。全くブレない。

 

ーナレーションー

そんなわけで今夜は、悪徳編集者と悪徳プロデューサー二人の悪徳対談をお届けします。

鈴木宮崎駿はいつから注目したんですか?

 

渋谷:いわゆる一人のアニメファンとしては、テレビアニメの頃からですよね。

 

鈴木:コナンとか?

 

渋谷:そうですね。当然『カリオストロの城』は誰が見ても凄いですからね。あれからはずーっと付き合うことになりますけどね。非常にディープに。

 

鈴木:初めて会ったのは?

 

渋谷:初めて会ったのは、しっかりインタビューしたのは『CUT』の創刊の時かな。で、全然プロモーションタイミングでも何でもないときに、『CUT』でインタビューをしたいと。

 

『CUT』を作るときに自分としては、日本の映画の表現者としては宮崎駿とどうしても話をしたいという勝手な思いこみで。プロモーション期間でも何でもなかったんですよ。

 

で、そこで何十年も温めていた鈴木カードを使ってですね、「やらせてくんない?鈴木さん!」。全然どんなタイミングでもなんでもない、いや実はこれこれこうやって僕は本を作ってですね、って。そこで僕は悪徳編集者としてのスキルを120%くらい使ってですね泣きついたら、「まぁしょうがないなー。じゃあちょっと考えてやるよ」と、言ってくれるんですよ。そういう時にはちゃんと優しくしてくれるんですよね。

 

鈴木:あれ、いつでしたっけ?

 

渋谷:もう何十年も前でしたよね(笑)

 

鈴木:凄いロングインタビューだったですよね。

 

渋谷:そうですね。最初に物凄いロングインタビューやって。私は対決型のインタビューしか出来ないんで宮崎さんと対決すると、本当に対決する人なんですよね(笑)

 

鈴木:それで実は宮さんって色んなインタビュアーと会ってきたけど、渋谷さんのことはたぶん印象に残ったんでしょうね。その後からですよ。一本作品が出来る毎に「鈴木さん、渋谷さんまだ観てないのかな?」って(笑)それで心待ちにするようになったんですよ。

 

だから今回もポニョについてインタビューをやらせてもらったんですけど、すごい喜んでましたよ。

 

渋谷:ありがとうございます。そう言っていただけると。特に今度のポニョはすごい映画でしたからね。

 

ちゃんと「ポニョってなんだ?」っていうのをですね、文字として残したいという思いがすごく強くあって。で、あの映画がこうであるっていうことをキチンと書かれた評論やなんかもそんなになかったので。宮崎さんにその辺の話を伺いながら、「ポニョってなんだ?」というのを位置づけたかったですよね。

 

鈴木:宮さんの何が好きなんですか?こういう立場で訊いてみたいんですよね。宮崎駿の魅力とは何か?

 

渋谷宮崎駿の僕は暴力性が好きだ、と。ナウシカでどこがすごいって、巨神兵ですよね。あれがブワーーって焼き尽くしますよね。それはナウシカの可愛らしさというか、健気さというか、というのと同時に、あの巨神兵の全てを焼き尽くす、庵野くんの力もあるんでしょうけど、あの造形的には。あの強い意志ですよね。

 

で、根源的な暴力性。世界を否定し、人を否定し、悪を否定し。それに対してはものすごい強い力を持って、そこで人が死のうが血が流れようが、でも俺は行くんだっていう、僕の表現でいうロック的な、そういう衝動というのが宮崎さんの中にものすごく強くあって。それは堪らないですよね。

 

鈴木:凶暴性なんてことも、、

 

渋谷:凶暴性ですよね。それはすごくて。今回のポニョも地上の世界を海の下に沈めてしまう、というものすごい強い破壊衝動があるわけです。で、実際にみんな沈んじゃうんですよ。でも沈んだ世界、気持ち良くないか?ってものすごい恐ろしい異界への誘いをするですね、かなりヤバい映画なんですけど、あれは。

 

鈴木:ヤバいですよね。

 

渋谷:すっごいヤバい映画で。怖いけども何か気持ちが良いという、僕らの何かを刺激する宮崎駿の非常に恐ろしい暗黒というかね、それはすごいですよね。それは心打たれますし、それが失われない。で、老人になればなるほど、それが抽象化レベルを上げつつ増幅している。

 

ただ単に物を壊すんじゃなくて、ポニョが走りながら波を越えてくるっていう、ああいう表現で暴力と破壊衝動が描かれるってこれは天才ですよね。凄まじい力ですよね。死んでも気持ちいいよ!っていう。恐ろしいですよね(笑)

 

鈴木:この間、あるインタビューで「あなたはニヒリストですか」って訊かれて、困ってましたね(笑)

 

渋谷:僕はニヒリストではないと思います。基本的に世界を肯定する強い意志があるからこそ、一見ニヒルな世界に対する論が強く出るんだと思うんですよね。希望を持てば持つほどニヒルにならざるを得ないんですよ。当たり前なんですけど。

 

それは本当に二律背反なところで、どちらかに流れていってしまうと、すごいつまらない楽観主義や、すごくつまらないシニズムになってしまうんですけど、その引っ張り合いの中でどれだけ両方の強い力の中で、真ん中を走っていけるかっていうのが表現者として一番すごいところだと思うし、そういう人たちに惹かれるし、自分にはそんな力がないから、そういう強い力を持った人たちの作品に励まされますよね。ロックっていうのは表現そのものがそういうものですよね。

 

だから例えば、こんなものぶち壊してどうのっていうのは、ニヒルなものかというとそんなことはないんですよね。ジョン・レノンは何を一番言いたかったかというと「LOVE&PEACE」が言いたかったんですね。でもジョン・レノンはなんであんなにノイジーで怒りに満ちた音楽をやるかっていうと「LOVE&PEACE」が実現しないからなんですね。だからこそ世界にNOを言いたくなってしまう。宮崎さんと同じですよね。そういうした意味ではすげーなぁって。

 

それがポニョになったらもう一つステージ上げましたからね。画面に向かって拍手しましたからね。要するに魚の格好をした、人間だか魚だかよくわからない、みたいなや、そういうような形で世界を強く肯定したいからこそ否定せざるを得ないという思いが、異界というか死の世界をも肯定してしまうというか、そこへ行ってしまうというか。その世界で世界を覆い尽くしてしまう。死んでるんだか生きてるんだかよくわからない、そういう世界の中で物語が展開されていくという怖さ。あれをシビアに見ていくと、かなり怖いお話ですね。

 

鈴木:ポニョと宗介が船に乗って行くじゃないですか。例のおトキさんというおばあちゃんが色々騒ぐところあるじゃないですか。実はあの後を考えるとね、出来上がった映画100分なんですけれど、120分くらいになりそうだったんですよ。

 

どういうことかというと、ポニョから始まって宗介と出会って云々。それで津波が起きて、それで二人がボートに乗って出かけて。しばらくしたらあのおばあちゃんの世界になる。もし放っておいたら、あのおばあちゃん達が踊るとか色んなシーンが用意されていたんですよ。要するにあの世を徹底的に描くっていうやつなんですよね。

 

ポニョと宗介の話が吹っ飛んで、もう違う映画でしょ?(笑)悩みましたね。でも僕は決断しました。ない方がいいって。「騙されるんじゃないよ」っていうあの一言はそこから出てくるんですけどね。

 

それでしょうがないから僕がささやかにやったのが、当初彼が僕らの業界でカット数っていうのが話題になって。1000カット90分で作る、っていうのが当初の狙いだったんですよ。ところが、もう1000カットに近付いてたんですよ。950くらいまでいって。あと50しかない。950までいったときに僕は「宮さん、1000カットって言ってましたよね?」って(笑)

 

渋谷:(笑)

 

鈴木:そうしたら、顔色が変わったんですよね(笑)

 

渋谷:鈴木さんは、だから悪徳なんですよ。悪徳プロデューサーはどういうプロデューサーかというと、色んな諸条件を考えて、映画にとって一番正しい判断を監督にとって不利にとってであろうと残酷にすること人なんですよ。そんなプロデューサーっていないんですよ。また、やろうとしても出来ないんですよ。

 

鈴木さん以外がそういうこと言っても、宮崎さん聞きやしないんですよ。「お前、わかってないだろ。映画というのはね」っていう話になると思うんですよ。でも鈴木さんわかっているんですよ。わかっていながら「1000カットですよね?」って言ってるなこの人は、っていうのが宮崎さんにはわかるわけですよ。だから鈴木さんに「映画っていうのはね、、」って言う気も起きないわけですよ。そういうのは全部わかっていて、「あーー1000カットね。わかったよ鈴木さん」みたいな。「諦めろってことだよな、俺に」って宮崎さんはわかるわけですよ。

 

宮崎さんにもわかってるんですよ。鈴木さんの判断が正しい、と。それは宮崎さん、頭のどこかにあるわけです。でもそれを押し殺してるわけです宮崎さん。ところが、言うわけですね、鈴木さんが。

 

鈴木:しょうがないじゃないですか。ハウルの時なんかね、映画のワンカット一つのカメラで撮れるシーン、大体平均すると5秒の人なんですよ。ところが、ハウルのソファーおばあちゃんの話は見ていったら気になったんですよね。7秒、8秒、15秒、14秒、12秒って。平均すると10秒。

 

渋谷:ほぉー。

 

鈴木:心配になるわけですよ。だって倍でしょ?したら彼がもし100分のつもりで作ってたら200分になっちゃうわけですよ。それで3分の1くらい経ったところで、これは何か言わなきゃいけないって。

 

渋谷:(笑)

 

鈴木:やっぱり思うわけですよ。内容とは関係ないですよ?僕が「宮さん、ソフィー何かワンカット長いですね?」「え?」って言うから「平均どのくらいかかってるか知ってます?10秒。いつもの倍ですよ」って言ったら、フッと顔色変わったんですよ。そこでパッと切り返すんですよ。「ババアだから遅いんですよ」って(笑)

 

渋谷:(笑)

 

鈴木:で、そこからなんです。そこから僕が驚いたこと。ワンカットが3秒、4秒になるんです。ものすごい速くなるんですよ。7秒のカットなし。前半と後半でワンカットの秒数が違う映画なんですよ、あれ。

 

渋谷:宮崎さんわかってるんですね。頼りにしてるっていうレベルじゃないんですよね。一体化されたものですよね。自分の中の他者なんですね。自分の中の他者を表現者は、自分の中に両方持たないといけないんですね。自分という表現者としてのエゴと、でもそれを客観的に見ている自分の中の他者と。

 

いかに上手く自分の中に取り込んでいくっていうのが、特に僕自身が考えているポップカルチャーの場合はすごく大きいわけですよ。いわゆる大衆商品ですから。それは音楽であろうと、小説であろうと、映画であろうと、なんであろうと。

 

そういう他者を自分の中に上手く取り込める人が、優れたポップミュージシャンになったりすんですけども。

 

鈴木:なるほど。

 

渋谷:他者によって普遍化するんですよ。だからアートではなくてポップであるということ。実はアートではなくポップであるということが、アートよりもすごいことだっていうことに気づいたのが60年代以降なわけで。優れた表現は全てポップカルチャーから生まれるという、そういう不思議な構造が生まれてきて。

 

で、アートと呼ばれるものは全てダメになっていってしまったという。売れてるものっていうのは、時代の意識を反映しているものであって、意味もなく売れてるものはないわけですから。

 

俺からするとこんなクソみたいなものみたいなものが数限りなく売れてますけど、でも客は馬鹿だって言った瞬間、自分が馬鹿になるんですね。

 

宮崎さんは本当に幸運なことに横にいたわけですよ。鈴木さんというものすごい偉大な他者が。

 

鈴木:いや、偉大とは言いませんけど。

 

渋谷:いや偉大ですよね。

 

今回言おうかどうか悩んでたんですけど、折角だから言おうと。僕の鈴木敏夫論があるんすけども。要するに似てるわけです。それは何故かというと、優れた作り手ではなくて、優れた聞き手であったり優れた観る人なんですよ、鈴木さんや僕も。

 

僕はそれで良いんですけども、鈴木さんはどこかで作りたいっていう思いがどこかにあるんですよね。鈴木さんの中には僕らよりもクリエイターとしてのマインドがあるんですね。それは鈴木さんのエネルギーでもあるし、コンプレックスでもあるんです。

 

だからそれが鈴木敏夫という人を作っていて、独特の押井守とか宮崎駿とかっていうのは、ものすごい巨大な存在ですけども、どこかに鈴木さんの中には「俺はなんで宮崎駿じゃないんだ。俺はなんで押井守じゃないんだ」っていう思いがあるんですよ。そこがとても文学的で素敵なところですよね。これはいつか言おうと思ってたんですけども。

 

鈴木:そうなんだ(笑)

 

渋谷:だと思いますよ。もう敢えて口が悪いから言いますけど、そこにある鈴木さんのコンプレックス、それが鈴木さんの最大の武器なんですよ。

 

鈴木:知らなかった。そんなこと言われたのは初めてですよ(笑)

 

渋谷:それが素晴らしさですよね。それは僕には出来ないし。

 

鈴木:何が面白いかって、血が逆流するときなんですよ。宮さんと話してると。それだけですね。その瞬間があるんですよ。自分で「あ、血が動いてる」って。そうすると興奮するんですよ。で、やりたくなるんです。ただ、それだけ。

 

渋谷:ちょっとスゲーなぁー(笑)

 

鈴木:面白いでしょ?

 

渋谷:というか、鈴木敏夫恐るべきですね(笑)

 

鈴木:なんでですか(笑)