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ポッドキャスト版「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」「未来授業」の文字起こしをやっています。「未来授業」は2020年4月分からです。文字起こししてほしいものがあれば、ツイッターのDMに連絡下さい→https://twitter.com/hatake4633

<未来授業>引地達也 第1回「障害がある子どもたちのための大学」

 

ーナレーションー

今週の講師は、シャローム大学校学長、引地達也さんです。

 

引地さんは、新聞記者や海外留学を経て、福祉のスペシャリストに。障害がある人もない人も、ともに学び、働くことが出来る社会の在り方を模索しています。

 

シャローム大学校は、特別支援学校を卒業した後の学びの場を提供する教育プログラム。履修科目は「言語」「芸術」から「科学」「メディア」まで多岐に渡ります。

 

未来授業1時間目、テーマは「障害がある子どもたちのために大学」。

 

引地:我々シャローム大学校はですね、通学型と訪問型と遠隔型というのがあるんですけど、我々が面白いのは、通学型といういわゆる大学のイメージのものと、訪問型というものをやってます。訪問型は重度の方です。例えば、筋ジストロフィーで目しか動かないとか、肩の筋肉しか動かないという方が、いまデバイスの発展でコンピュータで視線入力があったり、少し肩の筋肉の動きでカーソルを動かして会話が出来たり、コンピュータを通じて出来るので、そこで私が自宅に行って、講義をしているというのもウチの学生になっています。

 

それともう1つ、遠隔型というものがありまして、これは私どもシャローム大学校と同じように福祉型事業をやっている新潟のKINGOカレッジというところと、名古屋の見晴台学園大学、ここと週1回テレビ会議システムを使ってですね、私が講義をして、あっちの生徒と双方向性でやり合うということをやってます。

 

この遠隔型をやりたかったのはですね、特支学校を出た子っていうのは、どうしても世界が狭くなりがちというか、移動がなんとなく限られていて、他の世界と触れ合う、友達と触れ合うというところが苦手な子が多いものですから、名古屋と新潟の生徒とそこで発表しあったりですね、遠隔講義という双方向性の他地域を結んでの講義、これも行っております。

 

ーナレーションー

特別支援学校は心や体に障害を持ち、特別なケアが必要な子どもたちが通っている公立の学校です。ただし対象は、高校に準ずる教育まで。卒業後は、自立や社会参加が求められます。

 

引地:高等部の3年間、それが終わったら就職させましょうっていうのが特別支援学校の今のほぼ義務になっていて、次の施設にどう渡すのか。

 

次の支援施設かもしれませんし、就労かもしれませんし、色んな道を探る中で、ちょっと言い方悪いですけど、社会に対して1番迷惑をかけずに行ける場所はどこなのかなっていうところで、先生方は上手く次のステップを考えてる、というよりかはそうせざるを得ない状況になっているなーという感じてまして。

 

じゃあ、次の特支学校を出た後に、もう少し学びたいよと思った時にですね、その学びの場というのは基本的にない。

 

そこに対してシャローム大学校というのは、その繋ぎの学びの場として機能出来ないかなっていうことで開設しているんですけども、この特支学校を出た後の学びの場としてのいわゆる専攻科、と言われてるんですけど、その専攻科は全国で増えていて、60くらいありますかね。

 

これ基本的に福祉サービスを使っての学びの場を設定しているところが主なんですね。福祉サービスとして、国からお金をいただくというサービスですね。

 

ただ厚労省としては、やはりそこは教育現場じゃなくて訓練の現場だから、きちんとした教育を目指せるかといったら、なかなか教育は目指せないのかな、という印象を僕は持っていて。

 

ですので、シャローム大学校というのは基本的に福祉のサービスを使わない。授業料を払っていただく。そういった場所にしようと思ってるんですね。

 

ーナレーションー

障害がある子どもたちが、特別支援学校を卒業したあと、更に学びやコミュニケーションを深める場所を作りたい。そんな思いから生まれたのが、シャローム大学校です。

 

引地:今までの福祉はどうしても訓練、特に厚生労働省のサービスの中で、この人を就職をさせましょう、この人をこういう状態にしていきましょう、ということで訓練という意味合いがすごい強くなってくるんですけど、コミュニケーションって訓練じゃなくて、あくまでも自然な流れの中での言葉と気持ち、そのやり取りなんですね。そのやり取りをやることによって、自然に自分が前向いてくる。

 

自分が何をやっていいかわからない、とか、自分が何かにつまづいているんだけども、それが言語化出来なかったり、形にならないからモヤモヤした気分で、鬱々とした毎日を過ごしているといった人たちが、やっぱり言語を交わして、一緒にそれを見て実感をして、そこで共有化すると、面白いことに安心するんですよね。

 

その安心がまた次のステップになっていくので、信頼と安心の中でコミュニケーションが成り立てば、ある程度前へ進めるという、その連続なので、まずじゃあその思いを知りたい、というところの連続です。