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ポッドキャスト版「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」「未来授業」の文字起こしをやっています。「未来授業」は2020年4月分からです。文字起こししてほしいものがあれば、ツイッターのDMに連絡下さい→https://twitter.com/hatake4633

<未来授業>ブレイディみかこ 第2回「エンパシーとシンパシー」

 

ーナレーションー

今週の講師は、コラムニストのブレイディみかこさんです。

 

ブレイディさんはのエッセイは、本屋大賞のノンフィクション本大賞を受賞しました。タイトルは『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』。

 

英国人の父と日本人の母の間に生まれた息子の目を通して、英国の学校制度や社会の多様性について綴っています。

 

未来授業2時間目、テーマは「エンパシーとシンパシー」。

 

ブレイディ:「エンパシー」という言葉の意味を書きなさいっていうのが、ウチの息子の学校の試験の問題で出たらしいんですよね。なぜ、授業でエンパシーを学んだのかっていうと、「これからはエンパシーの時代だ」と先生が言ってたと。何故かって言ったら、EU離脱の問題とか、テロの問題とか、イギリスはたくさんの宗教の方が住んでらっしゃるので、そういう衝突が顕在化している時代になっているから、この時代に必要なのはエンパシーだと。

 

そのエンパシーとは何者かっていうことを書きなさい。「なんて答え書いたの?」ってきくと、「誰かの靴をはいてみること」って。それがエンパシーなんだっていう風に書いたら、日本でいう丸をもらって、正解だっていう風にしてもらったんですよね、先生に。

 

その時にエンパシーとシンパシーって、響きも似ているし、英国人自体もごっちゃになってるっていうか似ていると思っている。でもそれを英英辞書で引いてみたら明らかに違っていて。

 

シンパシーというのは、可哀想な立場の人に同情することだったりとか、自分と同じような考え方をする人に共鳴することだったり。でもそれって、情緒的というか感情的じゃないですか。感情が先に出ていかないとダメですよね。

 

でもエンパシーというのは、能力だって書いてあるんですよ。どんな能力かっていうと、他者の立場に立って、自分がその人の立場だったらどう考えるだろうか、感じるだろうっていうことを想像してみる能力だっていうんですよ。それは感情的に誰かに入っていくことではないですよね。自然と出てくるものじゃないですよね。むしろ、自分のひと頑張りで、何か知的作業ですよね。

 

これ能力って書いてある以上、アビリティって書いてある以上は、それはアビリティは伸びるわけじゃないですか。感情っていうのは入っていけないと、それで終わりですよね。

 

感情的に入れるのは辞書の定義によると、可哀想な人だったり、自分と同じような主義主張を持っている人だったりっていうのは、相手に対する制限があるじゃないですか。でもエンパシーっていうのは、制限がないわけですよ。だから例え、自分が賛成出来ない人でも、特に可哀想だと思えない人でも、その人の立場に立ったらどうだろうって想像してみる力っていうのは、非常に理性的なものでもあるし、感情に左右されないもの。

 

感情が湧かなくても想像してみる力っていうのは、言い得て妙というか、今の英国なんか特にそうですけど、EU離脱しましたけど、3年半くらいゴチャゴチャゴチャゴチャ揉めてきて、離脱派と残留派がお互いに石を投げ合うような、口汚く罵り合っている知識人とか見てるわけですよ、私たち。そういう時に必要なのはエンパシー。一歩引いて、この人の考え方は絶対嫌だけど、ちょっとこの人どうしてこういうこと言ってるんだろうって。

 

それが想像出来れば、逆にこう言ってみれば説得出来るんじゃやいか、とか、もうちょっと一歩進んだことが出来るわけですよね。だからエンパシーってすごく大事だなって、英国の学校で子供たちが習っているっていうのも理解出来ますよね。

 

ーナレーションー

英国の公立学校教育では、シティズンシップ教育が義務付けられています。

 

目的は、政治や社会の目的を批評的に探究し、事実を見極めて議論し、根拠ある主張を行うためのスキルと知識を子供たちに授かること。子供たちは、筆記試験やボランティア活動を通じて、社会の多様性や問題の解決策を学んでいきます。

 

ブレイディ:1つには、デモとか社会活動ですよね。社会活動ってデモに行くだけじゃなくて、ボランティアとか地元の草の根の活動とかもあるわけじゃやいですか。コミュニティで。

 

シティズンシップ教育って、例えば、議会政治の仕組みとかそういうことも習うんですけど、それ以外に社会活動っていうのを習うんですよ。社会活動にどういうものがあるのか。じゃあこのコミュニティにはどういうものがあるのか。じゃあちょっと社会活動やってみよう、みたいな。

 

ボランティア活動を自分たちでプランして、資金がいくらかかるのか、その資金をどうするかっていうので、学校にケーキを焼いて持ってきて、それを売って、それでみんなのバス代とか作って、それで近所のお年寄りたちが住んでらっしゃる施設に行って、ジャズを演奏して帰ってくるとか。そういうボランティア活動をすごくするし、それを授業の一環に組み込んでるから、普通に当たり前にすること、特別なことでは何もなくって。

 

例えば、私の本に書いてあることだけれど、制服のリサイクリングのボランティア活動とか、ああいうこともしている保護者とか沢山いるから、家で親もしてるし、だったら自分も何かしなきゃいけないし、学校でやり方、プランの仕方とか、そういうことも学んでくるし、そうなってくると、別に全然普通の当たり前のことですよね。

 

そういうものも日本の教育に入れた方がいいかもしれないですね。こういうものがありますよ、こうですよ、って教えるだけじゃなくて、自分で実際にさせてみる。みたいな。