鈴木敏夫のジブリ汗まみれを文字起こしするブログ

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岩波書店企画 鈴木さんトークショー ゲスト:井上一夫さん

2015年4月4日配信の「鈴木敏夫ジブリ汗まみれ」です。

http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol361.mp3

 

ーナレーションー

今回は去年10月に岩波書店の企画として、たまプラーザテラスで行われた鈴木さんのトークショーの模様をお送りします。

 

司会進行は、鈴木さんの『仕事道楽 新版』やジブリ作品の著書などを多く編集されている井上一夫さんです。

 

井上:『仕事道楽 新版』決定版と思っていいかなと思います。ジブリのこれまで宮崎・高畑・鈴木の3人で引っ張ってこられた形が、一旦形を変えるということがありますので。そこまで全て書かれておりますから、ぜひ前の版を買った方も今回お読みいただきたいと思います。

 

どうしても皆さん、昨年の宮崎さんの引退というところが一番興味あるかなと思いますので、いかにも宮崎さんらしいエピソードとか。ご自分で引退会見をやるぞ、と言いながら、直前には「鈴木さん、やらなきゃいけないの?」と聞いたこともありましたので、その辺りからいかがでしょう?

 

鈴木宮崎駿っていう人はね、皆さんご興味あると思うんですけど、引退の二文字というのは本当若い頃からずっと言う人だったんですよね。というのか、誤解される人なんですけど、要するに次があると思ってやってはいけない。目の前のことに集中するんだと。頑張るんだと。だからこの作品が出来たら、自分の監督生命が終わってもいい。ということでね、ずっとやってきたんですよね。

 

若い時、テレビの『未来少年コナン』とか色んなものを作ってきたんですけれど、そのデビュー作から「これが終わったら、監督を辞める」なんてことをずっと言ってきた人で。そういうことでいえば、僕が忘れもしないのはやっぱり『風の谷のナウシカ』。これをやった時に、なんていうんだろ、ちょっとその前を説明しなきゃいけないんですけれどね。

 

未来少年コナン』というのをやって、映画で『ルパン三世 カリオストロの城』というのを作ったんですよ。皆さんよくご存知だと思います。カリオストロの城っていうのは。ところが、今でこそ色んな方に愛されている作品だと思うんですけど、映画の公開時、これ実写映画と二本立てでやったんですよ。ところが、やってみたのはいいけれど、全くお客さんに来てもらえなかったんですよ。

 

映画監督というのはそういうことがあるんですけれどね、やってみてお客さん来ないと、監督生命って終わっちゃうんですよ。そういうことで言うとですね、ちょっと正確なことは忘れちゃいましたけれど、カリオストロの城っていうのは、当時配給収入っていうのがあって。数字のことを言うのはなんなんですけど、1.5億円くらい。ところが、かけたお金は3億円くらいだったんですよ。

 

烙印を押されるんですね。そういう時に。「アイツ結構面白いもの作ったけれど、お客さん来ないから、もうダメ」って。もう二度と映画は作る機会がないっていうところに追い込まれるんですよ。

 

僕は実はその時ずっとそばにいたくせにね、正直に告白すればですね、彼がそういう心境でいるっていうこと、本当にわかってたかというと怪しかったんですよね。毎日付き合ってたんで、彼と喋ると楽しいもんだから、つい忘れてたんですけれど。

 

というのはある日、「自分はアニメーションを辞める」なんてことを言い出してね。僕なんか本当気楽でね。「何でだろう?」って思ってたら、そういう事情。僕はそこら辺出版界の人間だったこともあって疎かったんですよね。一度くらいの興行が上手くいかなかったからといって、それで終わりになるっていうのは考えられなかったんですよ。

 

ところが、彼自身はそういう気持ちでいた。ちょうど彼が暇になったことをいいことに、アニメージュっていう雑誌で僕はそれをやってたんですけど、「漫画を描いてみないか」と。彼にとったらね、渡りに船。というのは、このまま自分が何をやろうか、ちょうど考えてた時期だったんですよね。後で聞いてみると、彼は子供のものも好きでしたから、絵本作家になってみようかとか。漫画を描こうとかですね、色んなことを考えてた時期だったらしいんですね。そんな時に僕が「漫画やりませんか?」と。渡りに船だったんですね。で、漫画を描き始めるんだけど、それが運良く色々あって、映画になることになった。

 

僕はその間も彼にずっと付き合ってきて。あるお金を用意して、ある期間でこの中で作って欲しいと。僕としては潤沢なお金と期間を用意したつもりが、彼が日常付き合ってる時と全く違う人になっちゃったんですよ。

 

僕も彼と初めて映画を作るわけで。そうしたら、出社が朝の9時。9時から会社に来ましてね、見てたらですね、午前4時くらいまで働くんですよ(笑)計算するとわかります?19時間。それだけ働くんですよ。僕たまげましてね。何て働く男なんだろうと思って。

 

それで挙げ句の果て、日曜日一切ないんですよ。土曜日もない。旗日もないんですよ、やり始めたら。

 

それである時、自分で様子を見てたんでしょうね。スタッフを集めてね、そのことを宣言。この短い期間で映画を一本作らなきゃいけない。だからこれは非常体制であると。だから皆さんそれに付き合ってほしいと。僕は誰よりも早くここへ来て、みんなが帰るまで仕事します。だから皆さんよろしくお願いしますって。それで僕最初のうちは付き合ってますから。で、付き合ってるうちにクタクタになってくるんですけど。

 

もう一つ驚いたのは、ご飯でしたね。とにかくご飯を食べる時間も勿体ないんですよ。勿体ないが故に奥さんが作られたお弁当、それをアルミの箱にギュウギュウ詰めになってるんですけど、それを箸で真っ二つに分けて、右側がお昼で左側が夜。そういうご飯を食べるのに5分ですよね。

 

それ以外、ずーっと机の前なんですよ。しかも、それまで楽しく色んな話もしてきたんですけど、このナウシカの制作に入った途端、一言も喋らない。本当に喋らなかったんですよ。それで朝の9時から夜中の午前4時まで。それで午前4時になるとウチに帰るわけでしょ。それでまた9時には会社に来てる。

 

僕も途中まで付き合ってて、これは完全には付き合うのは無理だなと思って、途中で諦めて。というのは、その映画の仕事もしつつ、雑誌も作らなきゃいけなくて(笑)二股かけてたものですから。二足の草鞋っていうのか。

 

それでやっていったら、彼が一日だけ休みたいって言い出したんですよ。珍しいこと言うなって思ったらね、何のことはないお正月なんですよね(笑)1月1日だけは休みたい。

 

まあ、しょうがないですよね。ナウシカの時は今でも覚えてるんですけど、除夜の鐘も二人で一緒に聞いたし。それで1日は本当に休んで。でも2日からは来るんですよね。それで全く同じ生活。

 

そこまでやってもね、ナウシカっていう作品は、彼がどうしてもそこへ込めたもの、それを実現するための作業量、そういうことで考えていくと、時間が足りない。公開の直前になって、本当に間に合わない。

 

間に合わないっていうんで宮さんが主要なスタッフを集めて「相談がある」って言い出したんですよ。本当に申し訳ないんだけれど、このままではこの映画完成しないと。僕もその場に居て。誰か何か喋らないといけない。

 

で、宮崎駿がこのナウシカに関してはプロデューサーを、『かぐや姫の物語』を作った高畑勲っていう人がやってまして、促すわけですよ。まず、プロデューサーの高畑さんに意見を聞きたいと。どう状況突破するのかと。

 

で、高畑さんっていう人はね、井上さんなんかもちょっと知ってるんですけど、中々口が重い方で。喋り出したら止まらないんですけど、促されてもある間が空く人で。そこに集まったたぶん10人くらいですかね。息を飲んで見守ったんですけれど。高畑さんが何を言うのかって。僕もその日のことはよーく覚えてます。高畑さん、なんて言うんだろうって。

 

そうしたら、高畑さんが体が動いたんですよ。体が動いて、目が光って何言うかなって思ったら、これは忘れませんね。「間に合わないものは仕方がない」って言ったんですよ。あれびっくりしましたね、僕。続けて何言うのか。気になりますよね?何にも言わないんですよ。

 

みんなそれこそ手に汗握ってじっと見守るわけですよ。そうしたらまた間が空いて、結局その会議を開いて喋ったのは、冒頭の宮さんの間に合わないってことと、高畑さんが間に合わないのは仕方がない。たぶん時間にすると15分とか20分だったかもしれません。とにかくみんな黙るっていう会議をやったんですよ。

 

黙るっていう会議をやって、やっと宮さんが重い口を開きました。それを受けて。で、宮さん何言うかなと思ったら、「プロデューサーがそういう言うんじゃ仕方がありません。この会議は解散しましょう」って(笑)

 

いま井上さんに言われちゃったけど、突然思い出したんですよね。それで宮さん何やったかというと、ナウシカっていうのはね、最後出来てる絵コンテがありました。ラストの絵コンテ、全部書き直し始めたんですよ。

 

これは『仕事道楽』の中に入ってたから忘れちゃったんですけれど。

 

井上:ラストシーンですか?

 

鈴木:うん。実はですね、巨神兵王蟲が戦うっていうシーンがあったんですよ。これね、そのシーンを成立させるっていうのはね、結構大変なんですよ。乱闘シーンっていうのは。宮さんがラストのちょっと手前で迷ってる時、そこで高畑勲がプロデューサーとして、こう意見を言う。「宮さん、王蟲を殺せ」って。

 

宮さんがあの映画の中で、王蟲が殺されて巨神兵が生き残る、そういうことをやった上で話の結末をつける、そういうやつだったんですよね。

 

ところがそのシーンをやってたら、映画の公開に間に合うどころか、もっと時間がかかっちゃうんですよ。それで全部書き直しで現在のものになるんですけどね。

 

何が言いたいかというと、サボっててそうなったわけじゃなくて、こんなに一生懸命にやってるのに間に合わない。

 

それでなんとか、本当にギリギリ。映画が完成したのは映画の公開一週間前。そこから当時はフイルムをプリントして、しかも日本全国、北は北海道から南は九州まで送らないといけないんで。そういうことでいうと、本当ギリギリだったんですけど、何とか間に合う。そんなことがあったんですけど。

 

出来上がってしばらく経った頃、宮さんがね言ったことをよく覚えてるんですよ。何かと言うと、「二度と作らない」。「もう嫌だ」って言い出したんですよ。企画をしたのは83年の6月でして、映画が完成したのは3月の頭。つまり9ヶ月間ずっと彼を見てきましたからね。というのは、僕もしょうがないじゃないですか。夜は雑誌作ってたんで会社に戻りましたけど、とにかく朝から夕方ないしは夜まで、彼に全部付き合ってきたんですよ。付き合うってどういうことかというと、休みは正月の一日しかなかったんですよね(笑)なんか一緒にいることが大事だと思ったんですよね。彼と。それで僕も休みの日は朝の4時まで付き合いましたし。僕は何するわけじゃないんですよ。何するわけじゃないんだけど、そばにいることが大事。言葉にしちゃうと簡単なんだけど、それが彼の支えになるのかなって。

 

で、やり終わったじゃないですか。それで映画が公開された。で、おかげさまで評判良かったんですよ。と同時にお客さんも来てくれた。ところが宮さんが「二度と作りたくない」って言い出した時に、僕ね受け入れたんですよ。何で受け入れたかと言ったら、この9ヶ月間の彼を見てたからですよ。こんなことをね毎回毎回やっていったら、一体どうなっちゃうんだろうっていうやつです。

 

亡くなっちゃった方なんだけれどね、彼を支えなきゃいけない、ある有力なスタッフがいて、その人は絵の方の中心をやってた人なんですけどね。宮崎駿が人のこと怒鳴ったのは、その日だけなんですけれど、その彼も宮崎駿に付き合って、朝の9時から午前4時まで働いて。その方が何かあったんでしょう。そんなことが毎日やってましたからね、ある日たまさかなんですけど、お昼に会社やってきたんですよ。たぶん疲れてたんだと思います。ところが宮崎駿は、ずーっと何も喋らないで本当邁進してた彼がいきなり「やる気がないのか」って怒ったんですよね。「やる気がないなら、辞めてもらっで構わない」って。

 

これは何が言いたいかというとね、辞めるって言った時、僕も気持ちはわかってたんで受け入れよう。ところが、僕はそれ以上訊くつもりなかったんですよ。辞める理由。何となく肌で伝わってきたから。以心伝心その他で。

 

そうしたら、「友人を失いたくない」って言ったんですね。要するに、映画監督とは何かっていったら、スタッフに嫌なことを言わないといけない。一つの作品を作るためにはやっぱりニコニコしているわけにはいかない。違うものは違う、ダメなものはダメって、そういうこと言わないといけない。

 

残念ながら人間というのは、才能というのはそれぞれ持ち物は違いますよね、才能がないということを相手に突きつけなきゃいけない仕事なんですよ。

 

そうすると宮崎駿は、そういうことを言うことによって人間関係はダメになるけれど、作品は良くなっていくわけですよ。そういうことをやってたんで、もうこれ以上失いたくない。僕もその時思ってました。もうこれで無いって。

 

おかげさまでナウシカ、評判は良かった。彼の次回作も無い。そういうことでいえば、彼は好きな絵本とかそういうものをやっていきたい。集団でやるってことはそういうことが起こるでしょ。ところが、一人だったらもう少し気持ちを安らかにして、仕事が出来るんじゃないかって、たぶんそんな意味だったんですよ。

 

だから僕がその時思ったのは、一本作って、それで引退。それも良いかなと本当に思ったんですよ。本当に。それで何も言いませんでした。それ以上のこと。要するに、次を作ってくれって。

 

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鈴木:僕は高畑さんのこと尊敬してます。ありとあらゆることを教えてもらったんですよ。本当に。

 

その中の一番、一番というのはたぶんね、自分の考えていることを言葉にするってことですかね。これはね、高畑さんから学びました。アニメーション映画をどうやって作るのか。もちろん内容の問題もあるけど、お金の問題もある。全て高畑さんが教えてくれましたね。内容とお金のことっていうのは当然それがプロデュースっていうことになるんでしょうけどね。本当に色んなこと教えてくれましたね。

 

でも一番最大なのは、やっぱり言葉かなー。何でも言葉に出来る人でしたからね。人間的には問題あるんですけどね(笑)面白い人ですよ。本当に。いま79になったんですよ。まだ作りたいんですよね。だからお金を出してくれる人がいたら、そして人がいたら、彼はやるでしょうね。

 

井上:最後に触れた宮崎さんの最初の本でしたっけ?『出発点』。その解説が高畑勲さんなんですよね。その高畑さんの宮崎評に宮崎監督がとても喜んだっていう話ありましたよね?

 

宮崎さんの作画の技術の凄さ。で、特にトトロの上でメイがピョンピョン跳ねる。ああいうシーンをあそこまで描ける人はそうはいないんだって話をされてましたよね?ちょっとその辺りを最後どうですか?

 

鈴木:例えば、『となりのトトロ』って皆さんご覧になってる方多いと思うんですよ。トトロってね、メイちゃんがそうであるように、お腹を押すとへっこむじゃないですか?これね、実は描ける人いないんですよ。本当にいません。

 

となりのトトロ』というのもいわゆる絵コンテっていうのがあって、これはみんな知ってる前提で話しちゃいますけど、仮に宮さんがいなくなった後、他の人がリメイクしようとしますよね?『となりのトトロ』をセルアニメの見せ方でやろうとしたら、お腹をへっこむようにちゃんと表現出来るか。これね、僕は誤解を恐れずに言うと、高畑さんもそういうこと言ったわけですけど、宮崎駿をおいて他にいないんですよ。誰も描けません。

 

単純な線で描いてるでしょ?単純な線で。どうしてああいうことが出来るのか。例えば、『紅の豚』であろうが、色んな作品で空を飛ぶんですけど、見てて感じられると思うんですよ。本当に空を飛んでる感じ。これってね、宮崎駿っていう人がイメージしてる、頭で妄想に妄想を重ねる、たぶん空を飛ぶってこんな感じだろうって、それを体で持ってるんですよね。というのか、何回も想像したんでしょうね。

 

だからトトロの場合もお腹を押したら、こんな感じだって。それを頭の中で何回も何回もおそらくシミュレーションしたと思うんですよ。最初から描けたわけじゃないんですよ。何回も何回もシミュレーションした結果、そういうものが生まれた。たぶんそうだと思うんですけれど。

 

僕が見てきた限り、色んな人が色んな絵を描いて、そして動かしたりするんですけど、宮さんを見てて勉強になったのは、そのシミュレーションが少ない。そのシミュレーションの積み重ねが高畑さんが言う官能性を生み出したんじゃないんでしょうかね。そう思います。