鈴木敏夫のジブリ汗まみれを文字起こしするブログ

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「教養について」をテーマにお送りします。 ゲスト:石飛徳樹さん

2015年10月29日配信の「鈴木敏夫ジブリ汗まみれ」です。

http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol392.mp3

 

―ナレーションー

今週は、「教養について」をテーマにお送りします。聞き手は朝日新聞社文化暮らし報道部編集委員・石飛徳樹さんです。

 

なおこれは、8月20日朝日新聞に掲載された鈴木さんへのインタビュー音源です。まずはこんなお話から。

 

鈴木:大学入ってからね、ちゃんと理系やるべきだったんじゃないかなって反省した人間なんで(笑)

 

石飛:鈴木さんは何を勉強されたんですか?

 

鈴木:僕は社会学っていうのをやったんですけど、それはそれで面白かったんですけどね。ただ、元々のことで言うとね、理系の色んなもの好きだったんですよね。それこそ数学なんか大好きだったし。全く受験勉強をした記憶のない人間なんで、それで文系を選ばざるを得なかったんですけど。

 

そうすると、大学入ってね、何のために大学入ったのかなって考えた方で。ただ、社会学っていうのをちょっと齧ってみてね、こうやって世の中を捉えるのも面白いなって。

 

特に僕らの時代って、アメリカでいわゆる大衆消社会に合わせたところで、色んな書物が出てきた時代。特に社会学で言ったら、マックス・ウェーバー。読んでみると、大枠としてこういうことなんだってわかるでしょ。そういうのが面白かったんですよね。

 

と同時に、忘れないのはね、バースティンっていう人がいてね、「幻影の時代」で擬似イベント。簡単に言うと、なにか中心に描かれていたかっていうと、ケネディニクソンの選挙戦。何を主張したかよりも、どういう喋り方をしたかとかね、そういうことに着目して一冊本書いた人で有名な人。非常に面白かったんですよね。

 

僕なんかその本との出会いはね、もしかしたら僕の人生支配したんじゃないかって。その後、雑誌とか広く大衆に向けたものをやっていくわけでしょ。そうすると、特に宣伝やる時なんかはどこかにそういうものが残ってたんだなって自分で思うんですよね。

 

あと、E・H・フロムの「自由からの逃走」。リースマンの「孤独な群衆」。やっぱりそういうものの価値を認めざるを得なくなってね。大きく言って、今の世の中こうだよってことをわかりやすく説明してくれるってね、興味深かったし面白かったんですよ。

 

僕なんかはそれを実際の仕事に応用しちゃった人間なんで(笑)

 

石飛:はい。そうですね。

 

鈴木:そうすると、実学をやってたのかなっていうね(笑)今となっては反省で。もう少し観念論をやるべきだったかなっていう(笑)

 

石飛:(笑)

 

鈴木:そうやって僕も大学を卒業して仕事を始めて、特に宮崎駿高畑勲っていう人と出会うわけでしょ。その時に僕に対して飛び込んできた言葉で「教養」という言葉。

 

どういうことかって言ったら、2人ともよく本読んでるわけですよ(笑)その本読んでないと、会話が成立しない。とにかく最初のうち、僕何やってたかというとね、彼らがこの本の中にって、ある例を出すでしょ。その本のタイトルと作者を覚えて、貪るように読んだですよね。というのか、それを読んでないと、教養の共有がないとこの人たちと仕事が出来ないと思ったんですよ。だから本当に読みまくったですよね。

 

僕について言うと、それが一つは大きかったんですけど、その手前のところでいうとね、寺山修司っていう人がいて、学生時代大好きだったんだけど、引用の名人で。引用のする時の元の本について随分書いてるんですよね。それを片っ端から読むっていうのを学生時代に体験してるんですよ。そして今度は宮崎駿高畑勲と出会って、そこで読んだ色んなさまざまな本。

 

僕の結果でいうと、そういう教養を身につけといて、人とのコミュニケーションをはかるっていうのは、僕にとって人生そのものでしたよね。

 

だからいまだに続いてると思うんだけど、子供時代そういうこと流行ったんですけれど、ヒーローものって大概悪は世界征服っていうのがあってね、子供ながらに世界征服してどうするんだってずっと思いつつね。

 

学生時代はそんなこと考えたんだけど、世界征服するにはどうしたらいいのかなって思った時に、やっぱり世界の政治、経済、軍事、この3つを支配すると、世界は征服出来るのかなってことを考えたらね。

 

ついでに言うと、僕は映画が好きで。当時、ヨーロッパの映画も観てたけれど、アメリカ映画を観ざるを得なくて。実は文化もそうなのかなって。

 

石飛:政治、経済、軍事に加えて。

 

鈴木:そう。その影響力をよくわかってたのがアメリカじゃないかなって気がしててね。それは教養からちょっと範囲が広がっちゃうのかもしれないけど、世界征服の手立てとして、そういうものをアメリカは使ってましたよね。

 

だってつい先だってもね、毎週金曜日にここで映画会っていうのを夜催してるんですけど。若い人たちが集まって、なかなか普段観ない映画を観ようよって。つい先だってね、「陽のあたる坂道」、これはどうかと。みんなに聞いてみたんですよ。君たちは「エデンの東」って映画は知ってる?って。一人知ってたんですよね。

 

石飛:何人人はいたんですか?

 

鈴木:7、8人ですね。ある若い女の子が古い映画を観るのが大好きで。僕はその時説明したんですよ。それの日本版があるんだと。裕次郎っていう人がね、これで大スターになるんだと。田坂具隆っていう人が映画監督で。当時、日本はそういうことっていっぱい行われていた。観てる人にはそのアメリカ映画と比較出来るし、そういうものを観てない人には、裕次郎っていう人はこういう映画に出らことによって大スターになったっていう。これも君たちにとって教養の一つになるから、観なさい!って言って。あれなんと三時間半くらいあるんですけど(笑)そうしたら、みんな喜んだんですよね。

 

実はもう一個付け加えといたんですよ。宮崎駿が「陽のあたる坂道」って大好きなんですよ。それでそんなことを言った覚えがあるんですよね。

 

---

 

石飛:さっき高畑さん・宮崎さんとお話される時に共通の話題がコミュニケーションの手段として必要だという。それは教養だと僕も思うんです。

 

鈴木:だってあの二人と出会ってからね、宮崎駿からは堀田善衛高畑勲からは加藤周一、その全集をね、僕二回ずつ読んでるんですよ。何のために読んだかって言ったら、目的じゃないんですよね。それは。この二人とちゃんと会話を成立させるのが目的だったわけですよ。そのためにそれが必要だった。そこで学んだことは実際役に立ったもん。

 

同時に、加藤周一の本の日本人論。宮崎駿を理解するのにすごい役に立った(笑)

 

石飛:なるほど(笑)まぁ実学的な。

 

鈴木:やっぱりそういう人間なんですね(笑)

 

石飛:結果的に鈴木さんじゃなくても、一見無駄なことしれないこと、遠回りかもしれないけど役にあるところで立つって、やっぱり教養必要かなと思うんですけど。

 

今のジブリの映画、宮崎さん、高畑さんの映画が教養になっているんじゃないかなと。

 

鈴木:なるほど。そういうご指摘はあるでしょうね。与那覇さんにそれに近いこと言われたな。与那覇潤さん。

 

石飛:ああ、そうですか。

 

鈴木:共通して話せる題材がない。そんな時大学で教えてて。そういう時にジブリが役に立つって言われたことがあって。ええっ!?って思ったんですよね。

 

石飛:はいはい。

 

鈴木:二人の映画って色んな特徴があるけれど、一つは若い人に説教をするっていうのがあるじゃないですか。そこで講釈たれるでしょ。それがある種教養と呼べるんでしょうね。そうかもしれないですね。

 

石飛:それは鈴木さんは何となく頭の中にあったんですかね?教養であるということは。

 

鈴木:そこは自覚はなかったですけどね。自覚はなかったけれど、結果的にそういうことになったんだなって。僕らって結局、高畑・宮崎そして僕、高畑さんと宮さんって5歳離れてて、宮さんと僕は8歳離れてる。でもその3人が何話してたかって言うと、映画の内容だけじゃないですよね。そうじゃなくて、世界の政治、経済、軍事、そして文化。その話をするためのみんながそれぞれのネタを持ってて、それによって会話が成り立ってた。それが根っこになって、礎となって映画が出来てたような気がするんですよね。

 

石飛:なるほどなるほど。

 

鈴木:だから僕としては必死に新しいものを読んだし、理解しようと努力しましたよね。それがなきゃ成立しなかったですよね。特に高畑さんなんか、相槌のうちかたに対して非常に厳しい人で。「なるほど」なんて言ったりしたら、「何がなるほどですか?」って言ったり。厳密なんで。

 

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鈴木:2人ともね、それに即して言うなら、2人にとって色んなものを調べまくって作った最初の作品って、「アルプスの少女ハイジ」なんですよね。

 

石飛:ああー

 

鈴木:パンっていうのはどうやって作るんだろうとか、ベッドってどうやって作るのかとか、そういうことの生活、文化、習慣、それをちゃんと調べた上でそのヨーロッパの物語を作ったわけでしょ。

 

そうしたら、そういうことをいっぱいやってるうちに日本が放ったらかしだよねって。自分たちの日本について調査、研究が、というかそこに対して大きな関心を持って、勉強したことが映画にも反映した。それが教養映画になる主たる要因だったんでしょうね。結果としては。

 

石飛:そうですね。

 

鈴木:それは今話しながら出てきたアイディアなんですけど。そういうことなんですね。よかった、勉強になったな。

 

僕も変なことに色々興味持つんですよね。例えば、土壁ってなんでこんなもので作ったんだろうとか最近考えてたんですけど。あの2人に出会って色々やってなきゃ、そういうことに興味持たなかったですよね。たぶん。

 

この猛暑の時、いわゆる土蔵っていうのがあって。あの壁って全部土壁でしょ。中へ入ってみると、この猛暑に関わらずヒンヤリしてるでしょ。

 

石飛:そうですね。

 

鈴木:あの土壁の製法に原因があるわけでしょ。そうやって考えていったら、日本人の知恵って凄かったんだなって思って。なんてことを思ったりね。

 

石飛:「おろしや国酔夢譚」の船を作っていく過程を見せないっていうのは、本当に勿体ない愚かな、、

 

鈴木:本当にそう思いますよ。

 

石飛:ですよね。

 

鈴木:単純なんですよ。あれね誰が言い出したか忘れましたけど、最初に編集したものが3時間超えてたでしょ。それでこれじゃあお客さんが飽きちゃうっていう。それで監督にそれを命令。それで(佐藤)純彌さん、頭にきてその部分丸ごとカット。おまけにネガまで捨てちゃう暴挙に出るんですけどね。

 

石飛:(笑)

 

鈴木:一つ船をちゃんと作り上げていくプロセス、それをあの映画の中に入れたら、お話の筋とは別途の所で、、

 

石飛:すごく膨らみが出ますよね。

 

鈴木:一種ね社会学ですよ。

 

石飛:ですよね。

 

鈴木:僕はそれは見たかったですね。そんな短気を起こさないで、残しておいて欲しかったですよ。

 

石飛:そうですね。やっぱり優れた映画ってそこですよね。

 

鈴木:そうですよ。例えば、キューブリックの中で「バリーリンドン」って一番好きなんですけど、何だかっていったら、それをちゃんとやってるからですよね。調べまくって、当時を再現してそれで擬似ドキュメンタリー作ろうとしたわけでしょ。これは凄いことですよね。あれは感動したですよね。

 

石飛:この間、河瀬直美の「あん」っていう映画、、

 

鈴木:観てないんですけど、面白いですか?

 

石飛:うん、面白かったですね。これもやっぱり餡子を作っていく過程にすごい時間をかけて、突出して時間をかけて。

 

鈴木:よくわかりますけどね。それこそ「おもひでぽろぽろ」で高畑勲が、紅花作りのプロセスをアニメーションでめちゃくちゃリアルに観せたでしょ。僕は呆れ果てたっていうのか、感心するっていうのか、凄いなと思いましたね。

 

あれなんか本当「ハイジ」と同じですよ。発想は。紅花っていうのはこうやって作るんだって。

 

だから高畑さん何やってたかっていったらね、紅花に関する日本で出版されてた本を全部集めて、全部勉強してましたからね。それで現場にも見に行って、僕と一緒に取材。それで自分なりの本当の紅花はこうやって作るのが良いっていう研究をまとめましたよね。

 

石飛:この間、三重大学に話をしに行ったんですよ。映画の話何でもいいからっていって、色んな映画の話したんですけど、ほとんど映画一年に一本観るか観ないかのような学生だったんですけど。ジブリの映画だけはほとんど観てましたね。他はほとんど観てないんですよ。ヒットした映画も。ジブリはテレビでやってるせいもあるんでしょうけど、ほぼ全員観てましたね。

 

鈴木:だからもしかしたら、その教養を具体的に映像化してることに原因があるんでしょうね。で、潜在的には面白がってるんでしょうね。自覚してなくても。

 

石飛:じゃないかと思いますね。

 

鈴木:なるほどね。

 

石飛:だからジブリの映画の話なら、僕と彼らの「あそこはああだったよね」っていう話が出来る。  

 

鈴木:二人は凄いですよね。

 

石飛:昔から世代の断絶とは言われていたけれど、ここまで断絶してしまうと、話がもう、、

 

鈴木:共通言語がね。共通体験、共通言語が。

 

---

 

石飛:鈴木さんはセゾン文化みたいなものって、お好きだったんですか?

 

鈴木:いや、ちょっと斜に構えて見てました。

 

石飛:やっぱり(笑)なんでだったんですか?

 

鈴木:やっぱり時代の中でもてはやされるものに対しては、僕は抵抗があったんですよね。自分がそういうものに関わっておきながらなんですが(笑)

 

石飛:(笑)

 

鈴木:それがオシャレなものだと、特に苦手。だけど、堤清二さんという方が、実は徳間康快の友人だったんですよね。そういう関係の中では関心を抱かざるを得ない。

 

と同時に、僕ね堤清二さんが亡くなる寸前、ちょっと思わぬことが起きたんですよ。何かというと、東大の「細胞」っていうグループがあって、メンバーがナベツネさんとか氏家さんとか堤清二、そこの中に上田耕一郎とか、それから山田和夫さんとか網野さんとかみんな入ってたんですね。

 

で、氏家さん亡くなって、「熱風」で回想録やってもらったんで一冊本をまとめる時にね、その本に堤清二さんに文章を書いてもらったことがあって。

 

それで山田さんが亡くなって、そのお別れ会。僕奥の方に座ってたら、堤さんがお一人でいらっしゃって、なんと僕の隣に座られちゃって。原稿書いていただいたことがあったんで、「ありがとうございました」をきっかけに、なんとそのお別れ会の間、ずっと堤さんと喋ってるっていう、そういう経験をしたんですよね。あれは不思議だったな。

 

堤さんは糸井さんと組んで、「ふしぎ大好き。」とか色々おやりになった方でしょ?それで西武が池袋から渋谷に進出。その時に僕は大学生ですからね。

 

そうすると、西武のデパートが出来て、やっぱり凄いんだっていうのは見てましたからね。その前に何でしたっけあの人。「VAN」の、、

 

石飛石津謙介

 

鈴木:が、作り上げた「VAN」があって「JUN」が出てきて、そしてセゾンですよね。そういうものが日本を変えていくのかどうかっていう。 

 

自分は染まらなかったけれど、なんか元気の良い人たちがやってんだなっていうので見てましたけどね。

 

石飛:僕は80年代が学生だったんで、完全に惹かれてしまって。セゾン文化ドップリみたいな感じでシネ・ヴィヴァン六本木とか、、

 

鈴木:僕シネ・ヴィヴァンなんかはいまだに覚えてるんですけど、そこへ何かの拍子で行かないといけなくて、そしたらそこの責任者っていう方が出てらっしゃって。シネ・ヴィヴァンってかっこいいでしょ?ところが、出てきたおじさんが何か変なオッサンなんですよね。訊いてみたら、デパートにいらっしゃった方だそうで(笑)

 

石飛:異動で来た(笑)

 

鈴木:そう。ギャップが凄くてね。したら「やっぱり商売ですからね」とか言っちゃってね(笑)ちょっとセゾンとあなたはダメなんじゃないかなって僕は思った記憶があるけれど。

 

石飛:本当に毎回通ってましたね。あそこにいる自分がカッコいい感じで。

 

鈴木:(笑)まさか無くなるとは思わなかったですよね。続くんだと思ってたから。

 

石飛:ああいう感じで教養とかいうものが、ファッション的にまとまってないとカッコ悪いということが最早無くなったのかなっていう。

 

鈴木:なるほどね。だって教養がなかったら馬鹿にされたわけでしょ。僕なんかちょっと色眼鏡で見てましたけどね。カッコ良すぎるんじゃないかっていう(笑)

 

石飛:よく考えるとね(笑)そうなんですよね。

 

鈴木:でもそうやって映画の選別なんて、そういう人がやってるわけだし。セゾンの映画には山田さん深く関わってるんですよ。だから面白いですよね。映画復興会議の傍らでそういうことやったらしたんだから。学生時代の友情をその後も続ける。