2015年12月7日配信の「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」です。
http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol399.mp3
ーナレーションー
今週は、現在発売中の月刊文藝春秋12月号に多数のカラー写真とともに掲載されている「小さな大物」ラジオ版です。
これは鈴木さんの幼少時代から現在に至るまでの写真を見ながら、自分史を振り返る企画です。月刊文藝春秋12月号をお持ちの方はご覧いただきながら、お持ちでない方は想像、妄想しながらお聞き下さい。
鈴木:高校の文化祭、みんなで忠臣蔵やったんですね。
男性:へぇー。東海高校、、
鈴木:そうなんですよ。東海高校って立て看板と仮装行列やらないといけなくて。文化委員になって、みんなで毎日うどん食ったり、そういうことやってたらお金なくなっちゃったのよ。立て看板50枚。それからちゃんとやろうとすると、お金いるんですよね。今日の僕の仕事に繋がるんだけど、どうしようかなと思って。F組だったんですよ。
男性:何クラスあったんですか?Aから、、
鈴木:Jくらいかな。740名いたから。50枚のベニア板あるでしょ?それをFにすると、2/3くらいになるんですよ(笑)
男性:ああー。
鈴木:これでお金減るでしょ?
男性:(笑)
鈴木:それでもう1つは、仮装行列も下手なことやるとお金かかるんですよ。それでパッと思いついたんです。忠臣蔵って。これ白の紙なんですよ。裃(かみしも)。
田居:あ、紙なの?
鈴木:そう。裃は全部紙でやるの。BC紙っていうので。それで白のトレパン着て、白のシャツ着て。それだけじゃ面白くないから、竹で刀作って、お腹にビニール入れて、その中に赤い血を入れて、一周してみんなで座っていきなり切腹(笑)僕自慢ばっかなんですけど、両方とも1位を獲ったんですよ!
男性:そうなんですか。それは見に来てる父兄の方が投票するみたいな。
鈴木:先生たちだったんじゃないかな。僕ら1位獲ろうとか、そんな目論見は全くなくて、とにかく少なくしたお金をどうするんだっていうのが大きなテーマで。みんな共犯でしょ?みんな食ったんだから。
文化祭って丸3日間続くんだけど、最後に校長の訓示。そうしたら「この文化祭においては、一つ素晴らしい特筆すべきことがあった。F組の諸君は素晴らしい。華美になってたこの文化祭。そういう時にそちらへ向かうんじゃなくて、立て看板もFにして枚数を減らす。本当にこれは皆さんも見習ってほしい。忠臣蔵の方も明らかにこれはお金を使ってない。知恵を使っている」と、最大の賛辞を浴びて、全員で下向いてたんです(笑)
実際は当時流行り始めたスパゲッティ、これがそれまでないんだよね。ナポリタンとミートソース、これを食いたいわけよ。
田居:なるほど。で、使っちゃったんだ?
鈴木:毎日打ち合わせと称して食ってたら、お金がどんどん消えちゃって(笑)あれ確か学校から補助金が出て、自分たちでもお金を出してやっているうちに、半分とは言わないけどそれくらいお金なくなっちゃったんですよ。それで苦肉の策が功を奏したっていう記念の写真なんです。
男性:高校3年ですかね?
鈴木:3年か2年か正確には覚えてないんだけど。
男性:「3」って書いてありますね。「3」と「J」って書いてますね。
田居:「F」じゃなくて「J」なんだ、じゃあ。
鈴木:あれ間違ってるかもしれない。
田居:確かに「J」って書いてるよ。
鈴木:じゃあそうだね。これは3年生だね。
田居:わかんないけど。
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鈴木:僕どこでもね、世界中でそれやろうと思ったんだけど、世界中どこ行っても犬と写真撮ってるんですよ。そのくらい犬が好き。
男性:これは現地にいた、、
鈴木:知床。現地にいましたよ。これは自分でも気に入ってるんですよ。
男性:で、慶應大学に入られて、何年生くらいですかね?
鈴木:これは3年だと思います。それと立て看板って得意なんですよ。
男性:立て看を作るのがですか?
鈴木:うん。学生運動の立て看板って、みんなパターンがあって面白くないでしょ?つい僕なんか工夫を凝らすわけですよ。それが漫画みたいになっちゃってね。でもみんなに「なんか違う雰囲気だ」なんて言われて。
当時、ガリ版を切るのと立て看板を作るのは得意でしたね。
柳橋:看板には縁がありますね。高校も。
鈴木:そうなんですよ。高校と大学続いて。それからガリを切る。これもしょっちゅうやりましたよね。これが「コクリコ坂から」っていうのを作る時に凄い役に立ったりして。
で、気がついたら大学は5年間、クラスで22名かな。留年生が出て。僕も5年間行くことになるんですけど。
もう1つは、中心人物ではないけど隅っこの方で学生運動に関わることと、もう1つはバイトをやりまくったですよね。何かバイトばっかやってました。あとで数えた時に細かいものまで忘れちゃったけど、30個くらいやってますね。
柳橋:そんなにですか?
鈴木:なんかね、何もしないでジッとしてると余計なことを考えて、嫌になるんですよね。バイトやってると働かなきゃいけないでしょ?そのことによって、そこから逃れられる。いわゆる青春ですよね。今度は働き始めたからですよね。これがアニメージュ時代ですよ。
男性:これがアニメージュ時代。全員アニメージュの編集の方々?
鈴木:まあゲストもいますけどね。みんなで社員旅行行った時に。僕らの時代って社員旅行がすごい楽しかったんですよ。これ若い時のね。
男性:あ、高畑さん。
鈴木:これはアニメージュ時代で、2人と知り合って仕事をしていく。
男性:これはアイルランド、、
鈴木:アイルランドですね。押井守っていう人も一緒に行ったんですけどね。
男性:押井さんも一緒だったんですか。
鈴木:そう。というか押井さんが言い出しっぺなんですよ。アイルランドは。世界初のドキュメンタリー映画で「アラン」っていう映画があるんですよ。そこへ行こうと。
日本ってユーラシア大陸の東の果てでしょ?そのアランっていう島はアランセーターで有名なの。アイルランドのゴールウェイっていうところから船あるいは飛行機で行った小さな島なんだけど。そうしたら、ユーラシア大陸の西の果てでしょ?東の果てから西の果てに行ったと。それで彼の発案で行って、楽しかったですけどね。
宿帳っていうのが残ってるんですけど、「進撃の巨人」ってあるじゃないですか。樋口真嗣っていう監督が僕とか宮さんが行ったその旅館は行きたいって。10年くらい前かな。宿帳ひっくり返して僕らのやつを写真撮ってくれたんですよ。
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男性:これは同じくらいの時期ですか?
鈴木:「おもひでぽろぽろ」かなんかの時ですね。高畑さんまだ若いし。か、ちょっと後ですね。似たような時期だと思います。
男性:これは図書館?
鈴木:図書館ですね。
男性:資料集めかなんかされてたんですか?
鈴木:「ぽんぽこ」の前かもしれない。図書館が出てくるんで。
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男性:おおー本当だ。
鈴木:これね、映画のプロデューサーに与えられる賞で。何人で貰ったか忘れちゃったんですけど(笑)覚えてるのは健さんがいたこと。
徳間康快が亡くなったんですよね。徳間社長とは深い関係があったんで、自宅にずっと待機していたら人が訪ねてきた。どこかで聞いた声なんですよね。したら、なんと健さんでね。
男性:へえー。
鈴木:それで出てってね、「どうぞ、こちらです」とか言って。それでお参りして「僕はお別れの会とかは出ないんで」と仰って。
それで印象に残ってるのは、未亡人と娘さんがいたんですよ。
男性:徳間さんの?
鈴木:うん。そうしたら健さんが映画と映画と同じなんですよね。まだ娘さんが20歳ちょっとかな。肩に手を置いたんですよ。「お嬢ちゃん、気を落とさないで。失礼します」って。
田居:お嬢ちゃん。すごいですね。
鈴木:僕なんかジーンとしちゃってね。その直後にこの藤本賞が当たって。で、「先日は社長のところに来ていただいてありがとうございます」って言ったら、「社長にはずいぶんお世話になりましたから」って。映画と同じなんですよ(笑)
男性:そして、鈴木さんも上手いですね。
鈴木:いやいや(笑)
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鈴木:もうその後は、お世話になった人でいうと、この氏家さんっていうのはすごいお世話になったんで。こんな2人で撮ったアカデミー賞とか。これ徳間康快。これはピクサーっていうところのラサターっていう人を囲んで。健さんがいるから、文太さんも。文太さんは結構付き合ったんですよ。
唯一3人だけで撮った写真。これはフランス人のあるカメラマンが世界の映画人を撮ってるんだけど、写真撮りに来た時にそういう時は宮さんの役割なんだけど、「3人で写真撮ろうよ」って。「最後の写真になるかもしれないから」って。真ん中に誰が座るかで大変でねー。それで僕が無理やり座らされて。「高畑さんが年の功でそっちに行くべきですよ」って言ったんだけど、しょうがなくて。
男性:これジブリの前ですか?
鈴木:うん。これは我が家。全部血が繋がってる。
男性:娘さんですか?
鈴木:そうそうそう。で、お袋で僕で娘で息子。これが「魔女」の時だね。ディズニーと契約して「魔女」のキキの声をスパイダーマンに出てた人。
男性:キルスティン・ダンスト。
鈴木:そうそうそう。
男性:これちょっとお若いですよね?
鈴木:これデビューだから、15歳かなんかなんですよ。彼女が。
男性:鈴木さんもだいぶお若い、、
鈴木:まぁそうですよね。なにしろディズニーと初めて一緒にやるのが「魔女」だったんですよ。これで英語版彼女がやるっていう。
田居:でもタイインしたのは「もののけ」の頃から。
鈴木:だから1997年とか8年とかそこら辺ですよね。彼女がまだ中学か高校生。これなんか良い写真ですよね。
男性:ああ、良いですね!これは良いですね。これどこですか?
鈴木:これはね、この時と同じ写真でロスですね。
田居:あ、ロスなんだ。サンフランシスコだと思った。
鈴木:違う違う。
男性:これ実際に操縦出来るわけではない?
鈴木:まぁちゃんと後ろにいるんですよ。本当の操縦士の人が。
男性:実際に飛んで、、
鈴木:飛びましたね。
男性:これいつ頃ですか?
鈴木:10年くらい前ですかね。
男性:こういうのを乗せてくれるところがあるっていうので、実際に宮崎さんと一緒に、、
鈴木:というのか、ジョン・ラセターが我々を歓迎するっていうんで、そういう場をセッティングしてくれたんですよ。こんだけあれば何とかなりますよね?
男性:全然もう。特にこの辺はどれを選ぼうかなと悩みどころなんですよね。
鈴木:もう好きなように。
男性:これも良いですよね。
鈴木:もう好きなように選んで下さい。
男性:これはちなみにいつ頃?
鈴木:これは「ゲド戦記」ですよ。
男性:あ、そうか。「ゲド」の時か。
鈴木:これは面白かったですけどね。ちょうど文太さんが息子さんを亡くされた。その時に「ゲド」の声を吹き込む。そうしたら文太さんが吾朗くんに向かってね、「あんたが宮崎さんの息子か。いいな」とか言ってね。「遠慮するな。何度でも俺はやるから。遠慮するなよ」って。
で、吾朗くんがね、それに乗っかったんですよね。「今のところ、ここの所を強調して下さい」とかって5、6回続いたんですかね。6回目に吾朗くんがまた指示を出した。したら、喋ってくんないんですよ。間が空いたんですよ。「いつまで喋らすんだ」って。
男性:さすがに(笑)
鈴木:これはね、吾朗くんは真っ青になって(笑)でもその後、ちょっと休憩があった時に「鈴木さん、宮崎さんに会いたい」と言って。それで一緒に会いに行って。そうしたら「アンタはええのう。息子さんがいて」って。
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鈴木:これなんかも社員旅行で。単なる社員旅行じゃつまんないなと。単なる宴会やるのはつまんないなって何となく思って、みんなで芝居やることにしたんですよ。
男性:旅行でですか?
鈴木:はい。全員が出場なんですよ。自分の出番が終わると観客になる。毎年色んなお芝居をやったんですよ。面白かったんですよね。そういうことが楽しい時期ですよね。色んな芝居やったよね?
田居:うん。
鈴木:「宇宙戦艦ヤマト」が流行ると、パロディなんだけど「宇宙戦艦ヤマト」っていうのをやってみたりね。10年くらいやったよね?
男性:アニメージュ時代は楽しかったですか?
鈴木:楽しかったよね。僕自分で振り返ると、二股かけたでしょ?
男性:徳間書店で働いてから。
鈴木:で、映画を作るっていう。最初は昼間はジブリなんですよ。それで夕方になると、徳間に戻って雑誌を作る。それが段々時間がズレてきて、最後は終電で新橋に向かうっていうね(笑)
男性:ジブリにいる時間が長くなっちゃって(笑)
鈴木:そう。そこら辺からですよね。限界が来るのが。そうすると朝までやんないといけないでしょ?で、その足ですぐジブリに行かなきゃいけないっていう。でもそれが楽しかったですよね。
これもあんまり話したことないんですけど、ちょうどあれは「魔女の宅急便」が終わる頃ですよね。宮崎駿とずっとやってきたじゃないですか?他の色々なことがあったんだけど、「鈴木さん、ジブリに専念してくれないか?」それ言われた日ですよね。宮崎駿っていう人のあるエピソードですけどね、「鈴木さん、ジブリに専念してよ。悪いけど雑誌辞めてよ」と。言った瞬間に電話機持ってきて、それで徳間康快に電話。「鈴木さんをください」って。余計なこと一切言わない。で、ガチャン(笑)
で、何が面白いかというと、それを言われて僕は嬉しかったって問題なんですよ。僕はだって都合が悪くなったら徳間書店の人でしょ?それでジブリにも関わる、最高だったんですよ。そうしたら逃げ場を失うというのか。「一緒にやろうよ」っていう言葉ほど危険な言葉ないでしょ?俺の部下になれってことでしょ?冗談じゃないですよね。
男性:(笑)
鈴木:僕の悩みは「ジブリだけになって、彼との関係をどうするか」。僕ね、みんながよく知ってる言葉ですけど、みんなに挨拶状を出さなきゃいけなくて。一つは付かず離れず、これをどうやって実現するか、これが僕の大きなテーマですって。
男性:宮崎さんとの関係性をどうするかってことですよね?
鈴木:はい。元々そういうところあったんですけれど、出会ったのが78年の暮れ。で、今日まで計算すると、37年かな。最初出会うじゃないですか?見てて高畑さんと宮崎駿って、もう50何年付き合ってる。最大の特徴は、いまだに2人で丁寧語で喋り合ってるんですよ。「おーい、お前」じゃないですよ。50年付き合ってきて。高畑さんと宮崎駿は。それと同時に一緒に飯を食いに行ったことがない。で、僕もそれを見習おうと。それがたぶん長い秘訣。
だからその間も両方やりながら宮さんと付き合う時、なるべく丁寧語で喋る。と同時に、完全にジブリの人になる時に、それをもっと自覚して。丁寧語で喋ること。そうすればもっと良い関係になるんじゃないかなって思いましたね。いまだ崩してないです。
男性:それが長く続く秘訣みたいな。
鈴木:はい。
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男性:週刊誌時代とかもそうでした?
鈴木:記者の時はバラバラでしょ?毎週ごとに色んな人に会うわけで。誰かと親しくなるというより、週刊単位で動かなきゃいけなかった。でも僕、1人の人間と長く付き合うのは下手だったんで、企画ものとかそういう部署を最初に経験するんですけど。
男性:週刊誌の記者っていうと、飲んで仲良くなって、みたいなイメージが。
鈴木:伝統的にはね。
男性:伝統的にはありますよね。
鈴木:それも一方ではどうかなとは思いましたよね。本当のこと喋れない。そういうことやってると、面白く話をしちゃう。必要以上に面白くしちゃうっていうのは良くないなっていうのは、どこかで学んでたから。
僕らの頃ね、取材に関係ない話をするとこういうことがあったんですよ。週刊誌の記者で記事書くじゃないですか?例えば、Aさんが犯人だと。それの兄貴がいて、取材しに行くじゃないですか?まず最初に訊かないといけないことがあるんですよ。「どこか取材に来ました?」って。もし誰かが来てたら、取材しちゃいけなかったんで。
男性:どこか来てたら、もう訊かないんですか?
鈴木:そう。それはルールだったんですよ。それは各社知ってたんですよ。だからスピードが命でしょ?飯なんか食ってる暇なんかないんですよ。厳しかったんです。
男性:一応訊いておくっていうのはダメなんですね。
鈴木:ダメなんです。怒られましたよね。いましたよ。他の週刊誌に出てる人がアサ芸にも出てる。そうすると、そいつ呼ばれてたよね。「これどっちが先なんだ?」って。「僕が先です」とか言っちゃってね(笑)
男性:とりあえず言うしかないですよね。
鈴木:その週刊誌の厳しさっていうのは面白かったですよね。僕は面白かった。だけど、出版社に入ったのが大きかったですよね。作家と一緒になって作品作ればいいって、単純化して考えたんで。そうしたら、宮崎駿という人を世の中に出そう。出版社の人間としては当たり前ですよね。それをやったに過ぎないんで。
男性:行った場所ですごく面白い人に出会って。
鈴木:僕は記者もやったし、編集者もやったでしょ?特に記者の方で1番考えたのが、人のやったことを追いかけないといけない商売。何かを生み出すんじゃないなって。これは僕の中で強烈に来ましたよね。だったら、人と組んで作品作って。人にそれについて書いてもらったらいいかなとか、そんなことは考えましたね。