鈴木敏夫のジブリ汗まみれを文字起こしするブログ

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漫画家の浦沢直樹さんがれんが屋に! ゲスト:浦沢直樹さん

2008年9月4日配信の「鈴木敏夫ジブリ汗まみれ」です。

http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol48.mp3

 

ーナレーションー

子供の頃、夏休みの最後の日に何をしていたか、覚えていますか?

 

男性A:理由なく寂しい思いをしましたね。なんか一つのものが終わったりというか、楽しいことが過ぎ去っていくという、そういう寂しさですよね。

 

女性A:宿題に追われてました。最初に遊び過ぎちゃって、最後の方は宿題ばっかりやってましたね。あと一週間あったら、宿題もっと楽に出来たのになーみたいな。

 

女性B:寂しい感じです。まだ夏が終わって欲しくないなって思います。宿題に関しては一切やらなかったです。

 

ーナレーションー

そんな夏休み最後の日、れんが屋を訪れたのはあの『20世紀少年』の浦沢直樹さんです。

 

浦沢:結構、自分の自叙伝みたいなところがある話なんで、ちょっと人にお任せすると、自叙伝人にお任せするのも変な話だと。

 

ーナレーションー

鈴木敏夫ジブリ汗まみれ。

 

今夜は、夏休みスペシャルの第4弾。いよいよ映画『20世紀少年』の公開が始まった浦沢直樹さんとの終わらない夏休み対談、お届けします。

 

鈴木:僕、もうこの歳だと漫画ってほとんど読まないんですよね。最後に読んだ漫画が『20世紀少年』だったんですよ(笑)娘が持ってて「面白いよ」っていうんで、一気にワーっと読んで、いきなり映画を観て、観ながら「これ、原作そっくりなんじゃないか?」っていうのが最初の印象なんですよ。

 

浦沢:監督が原作至上主義とおっしゃってますけどね。

 

鈴木:あ、そうおっしゃったんだ?

 

浦沢:ええ。

 

男性原作原理主義

 

浦沢原理主義だ。原理主義で3Dでやろうと。

 

鈴木:はぁーー。

 

浦沢:漫画をそのまんま移し替えるからっていう。本当変わったテイストのあまり見たことのない感じの映画になりましたね。

 

鈴木:そうです。なんて表現したらいいか、よくわかんなくて。とにかく漫画のコマが繋がってってる。

 

浦沢:先に自分のために絵コンテにしちゃうんですけどね。それを見せると大きなお世話になっちゃうんで。漫画で絵コンテってネームって言いますけどね、それから物事を発想するので、脚本の一行一行で出てこないんですよ。先に画面とセリフとかが一色単に出てきちゃうんで。発表はしてないんですけど。映画用にラフでザーっと描いて、それを文字起こししていくみたいな。その方が速いんですよ、僕(笑)

 

鈴木:そのまま映画にしたらいいんじゃないですか?それ。

 

ーナレーションー

この番組は、ウォルト・ディズニー・スタジオ・ホームエンターテインメント、読売新聞、"Dream Skyward"JAL、"街のホットステーション"ローソン、アサヒ飲料の提供でお送りします。

 

鈴木宮崎駿はシナリオないですから。最初から絵コンテなんですよ。ここはお客さんが小さく見てるだろう。でもここは大きく見てるっていうやつはコマを大きくするんですよ。それで順番に見せてみるとかね。結構そういうことやってみると、面白かったですけどね。やっぱり見せたい方としてはあるんですよね。

 

浦沢:そうですよね。でも僕らはあれですよ、「これ、いいな」って思った構図なんか、案外『母をたずねて三千里』あたりの影響大きいんですよ。

 

鈴木:ふーーん。そうなんですか。

 

ーナレーションー

鈴木敏夫ジブリ汗まみれ。

 

浦沢:僕らは自負しているのが、僕ら世代の人多いと思うんですけど、宮崎駿という人物の発見者だと思ってますからね。僕ら。

 

鈴木:そうなんですね(笑)年代的に言って。

 

浦沢:小・中学校の時に「この人なんだろう?」って、それこそ大塚康生さんとか高畑勲さんとか宮崎駿さんっていうのは、自分たちの観るアニメに名前が出てる。「この人たちは誰なんだ?」っていう。例えば、東京ムービーの方にもいる。日本アニメーションの方にもいる。アニメーションのシステムってどうなってるんだろうって、そういうことが中学ぐらいの時に悩んだりしましたね。

 

鈴木:悩んだ(笑)

 

浦沢:これはどういうシステムで描かれてるものなのか。それこそ『巨人の星』の描いてる人と『あしたのジョー』を描いてる人は絶対同じ人だと思ってたんですよ。したら、荒木伸吾さんっていう同じ人だったんですよね。あとで聞くと。

 

鈴木:懐かしい名前ですね(笑)

 

浦沢:荒木伸吾さんに小学校のとき夢中だったわけですよ。いま考えれば。

 

鈴木:そうなんですか!

 

浦沢:そう。荒木伸吾さんの大リーグボール一号を打った瞬間のあれを、観終わったらすぐに新聞の広告の裏に、頭はビデオになってますから、それを一枚一枚アニメーションで描いてくんですよ。どういう風に花形満が打ったかを。コマ落としにして。

 

鈴木:なるほど。

 

浦沢:で、『ルパン三世』が始まった時に、爆発の破片がそれまでは曇りのモクモクしかなかったのが、破片がヒューンと飛ぶのを見たときに「これ革命だ」とか騒いでたんですよ。

 

「『サムライジャイアンツ』に、絶対『ルパン』のメンバーがいるっておかしい」って思ってたんですよ。「『ルパン』やってた人が『サムライジャイアンツ』やるはずがないって」思ってたんですよ。「東京ムービーなんだよな」とか思って。「いやー名作アニメの人も入ってるなー」とか。

 

鈴木:『サムライジャイアンツ』のオープニングっていうのは、アルバイトで宮崎駿が描いてるんですよね。

 

浦沢:ですよね。

 

鈴木:(笑)

 

浦沢:明らかに同じ人がそこらじゅうにいるんですよ。絵が好きな子の目からすると。

 

鈴木:見分けがついたってことですね?

 

浦沢:どういうことなんだろうと。これだけ違うジャンルの違う会社で、なぜ同じ人たちがやってるんだろう、みたいなね。謎でしたね。「あ、今日、上手い人だ」とかね。アニメが始まって、オープニングの感じで「今日、上手い人だ」って。

 

鈴木:(笑)

 

浦沢:4週に1回くらい上手い人がくるんだよねー上手い人が、とか。

 

鈴木:それって中学くらいですか?

 

浦沢:小学校のとき、もう言ってましたね。

 

鈴木:大体、4つのプロダクションがローテーションだったんですよね。だから4本に1本ですよね。

 

浦沢:4週に1回回ってくる上手い人に対して、非常に敏感だったんですね(笑)

 

鈴木:好きだった作品ってあるんですか?

 

浦沢:やっぱり僕は『巨人の星』から始まって、『あしたのジョー』いって、それで『ルパン』の登場は画期的でしたね。

 

鈴木:旧ルパンですね。

 

浦沢:旧ルパンですね。僕はそれこそ音楽はやまたけさん(山下毅雄さん)じゃないと、みたいなところあるんですよ(笑)『ルパン』最初始まって、あとで聞いて「やっぱりね」って思ったんですけど、途中から『ルパン』ってタッチが変わったよなって思ったんですよ。宮崎駿さんが参加したときの感じに対して、非常に敏感に感じてて。

 

鈴木:いま振り返ると?

 

浦沢:そうなんですよ。大人のギスギスっぽい感じからクッて変えたよなって。

 

鈴木:漫画になっちゃうんですよね。

 

浦沢:7番目の橋が落ちる時とか、あの辺からクッと変わったなって思ったんですよ。

 

鈴木:前の方が良かったんですか?大隈正秋とか。

 

浦沢:いやいやいや。「これもありなんだよな」って。

 

鈴木:これもありですか(笑)

 

浦沢:昔っから観てた東京ムービーのソフトな感じが入ってきたなって思ったんですよ。

 

鈴木:最初のあの『ルパン』っていうのは、大人向きのアニメーションですよね。全く視聴率がとれなくて。あれって読売テレビでしたっけ?

 

浦沢:そうです。

 

鈴木:8話かなんかで「もうダメだ」ってことになって。で、急遽、高畑勲宮崎駿が呼び出されて、大塚康生と3人で始めたやつですよね。

 

浦沢:僕らぐらいの人たちは、やっぱりバイブルですよね。何度再放送やっても、いち早く。なにしろビデオがない時代ですから。『母をたずねて三千里』は何年ぐらいですかね?

 

鈴木:74年とかそこら辺じゃないんですかね。

 

浦沢:よく言ってたのがね、「このアニメーションは影が違う」っていつも言ってた気がするんですよね。「すごいや、影が」って。

 

マルコがタタターってトンネルの下を入った瞬間に、影になってキャラが黒くなって、また向こう抜ける時に明るくなったりとか。そういう影表現が「ただ事じゃないわ、これ」って言ってましたね。

 

鈴木:マルコが走っていくことによって、その街の感じが掴めるようになってるんですね。

 

浦沢:そうですね。『魔女の宅急便』とか『紅の豚』とかね、あの辺を観ると、『母をたずねて三千里』が懐かしいなーとか思ったりします。

 

鈴木:そうです。その時と同じことをやってるんです。全部イタリアになっちゃうんですよ(笑)

 

浦沢:(笑)

 

鈴木:最初は違うところでやろうって言って。『ハウルの動く城』っていうのも最初はイギリスでやろう、とか言ってたんですけど、宮崎が途中で僕のところにやってきて、「どうしよう、鈴木さん。またイタリアになっちゃった」って(笑)

 

浦沢:やっぱ好きなんですよね。

 

鈴木:そう(笑)

 

浦沢:でもあの時代にあの美術は凄いですね。現場は大変だったでしょうけどね。

 

鈴木:やっぱり高畑勲ですね。あれは。

 

浦沢:あのこだわりは本当に。

 

鈴木:それとやっぱりイタリア映画にしようとしていますよね。カメラがみんなイタリア映画ですよね。それも『自転車泥棒』とかあの時代ですよね。

 

浦沢:発色が良いんですよね。また。昔のフィルム感の発色が良いの。

 

鈴木:宮さんなんて、レイアウトっていう画面設計っていう仕事をやってるんですけど、単純に言っちゃうとカメラマンですよね。そこで高畑勲のもとで徹底的にそれを勉強させられる。宮さんは本当に『三千里』はクタクタになったって(笑)

 

浦沢:ウチは僕が取材して。取材する前からなんとなく雰囲気は描いてましたけど。アシスタントにヨーロッパの部屋を描かせると、本当に日本の4畳半みたいな間取りになるんですよ。空間感が。

 

鈴木:(笑)

 

浦沢:「いやいや、こんな貧しくないって!」みたいな(笑)ちっちゃい部屋もあるんですよね。ちっちゃい時のチマチマチマっと可愛くなる感じとかね。窓描いても、いかにも物干しがあって鉄の柵があるような窓描いちゃうんですよ。大変だったな、そういうのが。ちゃんとわかってくれって描いてもらうのが。

 

鈴木:窓の様式を勉強しなきゃいけなかったんですよ、宮崎は(笑) 

 

浦沢:ヨーロッパものをやる時は本当にそうですよね。窓の様式大変ですよね。ドアにしても窓にしても。

 

鈴木:取手からね。

 

浦沢:国々、全部違いますしね。

 

鈴木:やっぱり宮さんという人は、なにしろ高畑勲がそういうのをすごく詳しい人なんで。自分で絵は描かないんだけど、知識としてある。それを宮さんに覚えろっていうことで、それがずいぶん財産になった人ですよね。

 

それと絵は描かないくせに、実は空間感覚が一番あったのは高畑さんなんですよ。映画って平面ですよね。どうやってそれを空間に感じさせるか。奥を感じさせないといけないから。

 

浦沢:そう。『母をたずねて』なんかの多重構造になっている手前と向こうのね。それをよく使うのは、暗いところから明るいところを見るとか。そういうのが多いんですよ。画面。

 

鈴木:ガチガチにそういうことを宮崎は、60いくつまで高畑に教えられたっていうのか、勉強させられたことでがんじがらめで映画作ってきたでしょ?宮崎もそれも高畑さんとの関係でそうだったらしいんですけど、例えば、魔法は禁じ手だったんですよね。

 

浦沢:でもルパンが駆け下りたら、次の屋根に飛び移れるのはありますよね?

 

鈴木:(笑)

 

浦沢:たっかーいところからコナンが飛び降りて、ビーンってなるのはオッケーなんですよね?そこのせめぎ合いですよね。

 

鈴木:でもあれを初めてやったのが『コナン』なんですよ。高畑さんがいたら出来なかった(笑)

 

浦沢:(笑)

 

鈴木:そういうことなんですよ!

 

浦沢:高畑さんだと禁じ手だったんだ。

 

鈴木:そうそうそう。「そんなバカなことないだろ!」ってことでしょ。みんなどうなるんだろうって思ってたら、ポンと降りて平気なわけだから。やっぱり高畑さんがいなくなって初めて出来たんですよ。延々言ってましたよ。「高畑さんに怒られる」って言っておきながら「怒られるけど、一回やってみたいんだよ」って(笑)

 

浦沢:そのせめぎ合いだね。その微妙なせめぎ合いがリアルなところで、ここからここまではオッケーなのかっていう、屋根から屋根は飛び移るのはオッケーなのかっていう、そこの所のせめぎ合いが良いんですよね。きっと。

 

鈴木:『ポニョ』はそういうことでいうと、今回本当に宮さんの思い通りにやってますからね。一度そういうことを全部やってみたかった。高畑勲の呪縛からの脱出。

 

浦沢:そうすると絶妙な関係性ですよね。それを考えればね。

 

鈴木:実をいうと、いま宮崎がここへきて延々言い出してるのが、「高畑勲にもう一本作らせるべきだ」って。自分は『ポニョ』作ったじゃないですか。高畑さんがいま何を作るか、観たいんですよね。それをすごい彼が望んでて。ああでもない、こうでもないって色んな意見を出してきてね。

 

ーナレーションー

鈴木敏夫ジブリ汗まみれ。

 

浦沢:『あしたのジョー』の3巻が買えなかったんですよ。お小遣いがなくて。お金がなくて。それで1、2と買って、3のドラマ展開だとか、どこから始まってどのくらいだっていうのがわかるんで「じゃあ自分で描いちゃえ!」って言って、紙を単行本の大きさに切りまして、しばらく描き進んだんですよ。セリフも全部入ってるから。で、10数ページいったところで「今やってる作業は何か違うんじゃないか」と思って(笑)

 

鈴木:(笑)

 

浦沢:やめたんですけど、それをちば先生に話したら、「それは嬉しいな」って言って下さって。嬉しいって僕、単行本買えなかった。本当だったら買うのが客なのに、自分で作ったらまずいじゃないですか(笑)偽物を作ろうとした。

 

鈴木あだち充さんの『タッチ』。あれ読んでた時に「あれ、これ何かのリズムに似てるな」って思って。やっぱり『あしたのジョー』だと思ったんですよね。

 

死んじゃうじゃないですか。それでご本人に「これは力石の死ぬやつを感じたんですけど」って言ったら、「わかりますか?」って言われて(笑)やっぱり影響受けてるんだなーって思って。『タッチ』は『あしたのジョー』だと思ったんで。したら本人が認めてくれたから(笑)

 

浦沢:僕はよく言ってるんですけど、いわゆる梶原文化みたいな、『タッチ』と『ドカベン』が80年代にワーっとなった時に、両方ともアンチ梶原であり梶原オマージュであり、みたいな愛憎入り混じってますよね。それがとっても当時の少年たちに読まれたんですけど。

 

その元の梶原をそう表現したもので熱狂したので、実はその若者たちにもう一回梶原を見て欲しかったんですよね。僕は。そうすると、色んな意味がわかったのにっていう。パンクロックを聴いてる人たちに一回ビートルズ聴いて欲しいって言うのと同じな感じがあって。

 

鈴木:元を、と。

 

浦沢:そうすると、すごい見えてくるものがあるんだよなーって『ドカベン』『タッチ』世代の人たちに「梶原を見て!すると、よくわかるから」っていう。

 

僕ら世代はそれをリアルタイムで順序立てて観れた最後くらいの世代だと思うんですよ。手塚・梶原・白戸。あの辺りをちゃんと見直してみると、色んなことがすごく風通しがよく見えてくるので。

 

鈴木白土三平も良いですよね。僕、大好きだったんで。だって宮崎駿高畑勲の『ホルスの大冒険』って、やっぱりあれは『忍者武芸帳 影丸伝』ですよ。

 

浦沢:『少年忍者 風のフジ丸』は関わってないんですか?

 

鈴木:あれは関わってないですね。いくらなんでもそんな歳じゃないです(笑)僕らはよく覚えてますけど、月刊紙で『風のフジ村』が始まる時は主題歌がシートで付録でついたんですよ。

 

浦沢:番組の終わりに本物の忍者の人が、忍者講座やってくれるんですよね。

 

鈴木:そうそう(笑)

 

浦沢:まきびしとか教えてくれるんですよね(笑)

 

鈴木:僕らはまるで『カムイ伝』ですからね。『ガロ』で毎月読みましたから。何回も読んだもん(笑)

 

ーナレーションー

Tレックスの「20センチュリー・ボーイ」、この曲が大ヒットした1972年、浦沢さんは16歳、鈴木さんは24歳、そして宮崎さんは31歳でした。

 

映画『20世紀少年』の公開が始まった昨日、実は鈴木さんと宮崎さんは、あの水の街にいました。

 

鈴木:(電話で)ベニスの鈴木です。

 

西岡:鈴木さんはパリから入ったんですか?

 

鈴木:そうです。パリはすごく楽しかったです。名前は残念ながら言うことは出来ないんですけど、某日本のテレビの一番偉い人と一緒に行ったんですけどね。その人が82歳なんですよ。この人と高畑監督、そして宮崎監督、僕が一緒になって旅行をしたんですけどね。この82歳のおじいちゃんが一番元気だったんですよ。

 

僕らは「君ら、若いものはいいな」ってずいぶん言われましてね。72歳の高畑監督も67歳の宮崎監督も、そして60になった鈴木もですね、みんな若返っちゃいました(笑)「お前なんかまだ小僧なんだぞ」って言われました。「俺の歳になるには22もかかるんだ」って体力的にもその82のおじいちゃんが一番元気なんですよ。もう僕らは負けました。

 

ーナレーションー

20世紀少年たちの夏休みは、まだ終わりそうにありません。

 

鈴木:宮崎監督はパリで約9日間過ごして、すっかり疲れ切りましてね。こっちへ来てフラフラなんですよ(笑)藤岡藤巻を見た途端に、「のぞみちゃんは来てないな」って言って、来てないことがわかると、残念な声を出してました。

 

西岡:鈴木さん、東京にいる時より声が若いですね。

 

鈴木:声が若いですか?

 

西岡:はい。

 

鈴木:旅のせいですかね(笑)