鈴木敏夫のジブリ汗まみれを文字起こしするブログ

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鈴木さんの半自叙伝的読書録である『読書道楽』についてのインタビュー(前編) インタビュアー:金志尚さん

2023年1月15日放送の「鈴木敏夫ジブリ汗まみれ」です。

https://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol770.mp3

 

鈴木

色んな本をジャンルを問わずに読んできたって、僕だけじゃないと思うんですよ。どういうことか。僕らの世代がそう。団塊の世代の人っていうのは、漫画のみならず、そういうのを読みまくった世代。子供の時から、日本は戦争に負けて、雑誌から始まるんだけど、いわゆる子供文化が僕らの時に花開いたんですよね。

 

何でかっていったら、戦前は子供文化ってほとんどないんですよ。戦後、子供文化っていうのが生まれたんですよ。なんで生まれたか。この中でもチラッと言ってるけれど、戦争に負けて、子供たちは大人を信用しない。戦争をやった当事者でおまけに負けたわけだし。子供の方が偉いぞ、みたいな無意識のものがあって、それのニーズに応えるためにそういう雑誌が生まれたし、単行本も生まれた。そういうことじゃないかなっていうのが僕の意見で。

 

ーナレーションー

鈴木敏夫ジブリ汗まみれ。

 

「読む。生きるために、読む。」

 

今週と来週は、毎日新聞のデジタル版で1月7日に紹介された鈴木さんの半自伝的読書録である『読書道楽』についてのインタビューの模様をお送りします。インタビュアーは毎日新聞社デジタル報道センターの金志尚さんです。

鈴木

僕らの世代のもう一つ大きな特徴は、津野海太郎さんっていう方が『読書と日本人』っていうのを書いていて。子供の時に本に慣れ親しんだでしょう。ずーっと続くんですよ、その後。もう一個大きいのは、それもこの中に入れたことなんですけど、本を読むと立派になれる。この考え方ってすごい僕らに影響を与えた。その本の中に小難しい本あるじゃないですか。そういう本って、後にも先にも僕らの時代にだけ日本でも読まれたけれど、なんと世界でもそうなんですよね。世界っていうのは先進諸国。ヨーロッパ、アメリカ。ある種僕らの世代って特異な世代。僕らが読み終わった後、そういうのが廃れていく。これは面白いですよね。

 

だから個人的にも本を好きで、いっぱい手元に置いてたりもしたんだけど、一方で僕らの世代みんな読んでいた。それでいうと、どっかの誰かに刷り込まれたんですよ。「本を読めば、大人になってから立派になれる」って。それが原因なんじゃないかなって思うんですけどね。

 

改めてこれだけ読まれてきて、読書体験っていうのは一言でなかなか言えないと思うんですけど、何をご自身にもたらしてくれたと考えますか?

 

鈴木

世の中には楽しいことがいっぱいあるっていう(笑)それかな。大袈裟に言えば思想なんだけど、正しいか、良くないかっていう考え方と、楽しいか、つまんないかっていう、こういう価値観もあると思うんですよ。それでいうと読書っていうのは、楽しさの方を僕らに教えてくれたって僕は思ってるんですよね。社会科学その他の本も読んだときは娯楽として読んでるんですよ。それがもしかしたら僕らより上の世代は、もっと深刻な顔をして読んでたような気がするんだけど、僕らになると、世界の秘密をこの本でわかっちゃうわけでしょう。それは一種のエンターテインメントでしたよね。

 

この本にも入れといたんですけど、一貫して読まなければいけない本って、読んだことがほとんどない。僕らの世代ってそういうことって多かったんですけど、「これを読みなさい。感想文を書け」とか全然読めないんですよね。面白くないんですよ。人に言われたやつは。やっぱり自分で選んで、自分で楽しめる本でないと嫌。やっぱり何読んでも面白かったですよね。色んなものを娯楽に出来た、という気がするんですけどね。

 

特に記者をやっていた時代とか、すごい忙しいのにいつ本を読まれてるのかなって。朝の明け方家に帰ってきて、ほとんど仮眠の時間をとらずに読書していたっていうことを書かれていて。当時はそれぐらい体が疲れなかったっていうのもあるのかもしれないですけど、すごいなと思ってですね。仕事しながら読書を両立させるって、、、

 

鈴木

でも中学・高校、中間考査だの期末考査だの試験があるでしょう。それって一週間くらい勉強する気になれなくて、何やってたかって本を読んでたんですよね。学校から早く帰ってこれて、しかも本をいっぱい読めるっていう。僕にとっては楽しい時間でしたよね。仕事が終わって、朝方帰ってきても読んじゃうっていうのは、そういう時間が僕にとっては大事だったんでしょうね。睡眠を削ってでも、それをやりたかった。だから偉いとか、そういうんじゃないんですよね。ただ単に好きっていうことで。

 

本も色んな読み方があると思うんですけど、よく付箋を貼ったりしながら読む方もいらっしゃると思うんですけど、鈴木さんはどういう風に?

 

鈴木

僕はそういう付箋を貼るとか鉛筆でメモしたりとか、それは基本しないですね。後に何回も読み返すんですよ。何回も読んだ本って結構ありますね。小説もそうだし。前読んでわからなかったことがわかるようになると、すごい嬉しかったですね。

 

読むタイミングによって、また受け取り方が変わったり。

 

鈴木

そうです。内容の理解が変わりましたよね。例えば、加藤周一さんの『日本文学史序説』。これなんか難しかったんですよ。難しくてどうしようかなって思って。端的にいうと、今まで読んだ本の中で一番厚い壁だったんですけれど、この本は10回読んではダメ。それが10回目くらいで進んだんですよ。嬉しかったですね。これは喜びでしょう。

 

あと小説の話でいうと、『宮本武蔵』なんていうのが、年齢によって全然受け止め方が変わった。もしかしたら、日本の高度経済成長を支えたのはこの小説だったのかなって。高校生が大学生か、そこら辺になってそのことに気づいたんですよね。あの中の三つの言葉っていうのをこの本に入れといたけれど。「信ずるは己のみ」「人間本来無一物」「我ことおいて後悔せず」。これって本当にひどい考え方だなって(笑)人のこと知ったこっちゃないっていうやつだから。でもあるパワーになることだけは理解出来ましたよね。そんなこと子供の時はわかんないもん。そういう同じ本を何回も読む楽しさとか、そういうのは色々ありましたよね。

 

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具体的な記述であるとか内容をかなり鮮明に覚えたらっしゃるのもすごいなと思ったんですが。

 

鈴木

それは指摘されたな、今回。例えば、福沢諭吉についてちょっと話すと、福沢諭吉っていう人は明治のあんな時代に個人が大事だっていうことを言ったわけですよ。その一方で国も大事だって言ったんですよ。加藤周一っていう人はそこで問題提起したんですよ。どっちが大事だったんだろうって。読んでいくとわかるんですけど、やっぱりこの人は個人の方が大事だったんだっていうことを証明するんですよ。すごい謎解きでしょう。ミステリーみたいで面白いんですよね。

 

そういう平たいやつでいうと、日本にはヤクザ映画っていうのがあると。一方でアメリカには西部劇っていうのがある。いわゆる様式としてどっちが優れているか。それで答えを出すんですよ。ヤクザ映画の方がすごいって。で、その理由はこうだって書いてあるんですよ。そうすると、算数の問題を解くみたいな面白さ。

 

一冊の本を読み終わったときに大概僕がやってたのは、特に評論集は、最後にどれか選ぶんですよ。選んでその場でもう一回読むんですよ。で、自分で覚えようとしましたね。

 

気に入ったいくつかの記述を覚えるっていうことですか?

 

鈴木

なるべく丸ごと覚えようとしましたね。丸ごと覚えたかはともかく。それは大人になってから役に立つんじゃないかって、どこかで思ってました。

 

アンドレ・バザンっていう人が『カイエ・ドゥ・シネマ』っていうのを作って、『映画とは何か』という本を書いた。その中でこういうのがあったんですよ。「世界で初めて子供の主人公の映画って何なんだろう」って。色んな映画を出して、それを分類するんですよ。要するに、大人のある部分を補足するために子供を利用してるんだとかね。結果、純粋に子供が主人公の映画は『禁じられた遊び』であると。

 

そういう面白さがあるわけですよね。

 

鈴木 

面白かったですね。

 

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鈴木

昨日は『嫌われた監督』っていうのを書いた鈴木忠平さんが本を送ってくれて。何かなって思ったら、清原の本。それを読み始めましたね。読んでて寝ちゃった。ある一本の電話から始まるんですよ。記者の人だったから、彼も。自分の携帯には色んな人の電話番号が連絡帳にあって、ところが連絡帳にない人からの電話なんですよね。誰だろうって。そうすると、夜の10時くらい。何言ってるかわからないらしいんですよ。よく聞くと「清原です」って言ってるんですよね。ある雑誌に頼まれて、清原さんが例の事件で捕まっちゃったじゃないですか。ちょうどその頃ある人の企画で、清原はそれによって過去の名声がダメになるわけじゃないと。だとしたら、甲子園ですごかった時のこと、もう一回クローズアップしようと。それを書いたら、それを清原が読んだ。それで電話がかかってきて、「本当に嬉しかった」って。そこから交流が始まる、なんていうところまで読んだんですよ。よく覚えてますね(笑)昨日、途中で寝ちゃってるんですよね、電気つけたまま。

 

毎晩読むんですか?寝る前に。

 

鈴木

一瞬でもね。本当に短い時ありますけどね。年をとったせいもあって、前みたいに長く読めないんですよ。すぐ寝ちゃう。

 

本にもありましたよね。最近も5分で寝ちゃうって。

 

鈴木

そうそう!これが悲しい(笑)昨日のやつも5分のやつですよ。5分だけどそれは覚えてる。一章だけ読んだんですよ。

 

本を選ぶ時、特に学生の時は慶應で日吉にある本屋さんに行った時の偶然の出会いみたいなものも書かれていて。

 

鈴木

そうですね。いっぱいありましたね。

 

偶然の出会いが多かったですか?本との出会いは。

 

鈴木

昔はそうですよね。寺山修司は入学して4月。近くの本屋さん行ってみたら寺山修司の本があって。寺山修司のことなんて何にも知らないんですよ。でも『時代の射手』っていうのを読んで、買っちゃったんですよ。

 

鈴木大拙もそうですよね。『鈴木大拙随聞記』っていう本があって、これも買っちゃったんですね。これなんかは禅の坊主だっていうのはのんとなくわかってて。ところが、名前が鈴木さんでしょ?禅にはちょっと興味あったんですよ。「大きく拙い」わけでしょ?ちょっと興味持ちますよね。名前見て。

 

それで読んでいくと、この人は鎌倉の東慶寺の偉い人。僕、鎌倉で一番好きなお寺が東慶寺だったんで。そうすると、広がっていくんですよね。そういう連想ゲーム。

 

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大学時代に読んだのが、一番濃密だったっていうことなんですか?

 

鈴木

大学生の時にも読んだでしょ?で、もう一つの時期は30前後。ここは読みましたね。大袈裟かもしれないけれど、一日一冊のペース。一番質量ともに読んだのは、もしかしたら30前後の10年ぐらい。例えば、加藤周一さんっていう方の全著作集っていうのがあって、全35冊のうち3冊くらい欠けてたのかな。これを2回ぐらい読んだりね。それはちょうどその頃ですよね。影響受けたし。まあ読みまくりましたね。その頃。学生時代に読んだやつは結構忘れてるんですよ。

 

だから、あとがきにも入れて思い出そうと思ったんだけど、思い出せないっていうのは本が大したことがなかったのか、自分が大したことなかったのかっていう(笑)自分の責任もあるんだろうなっていう気がして。

 

振り返ってみると、幼少期にまず漫画からスタートしてると思うんですけど、漫画からはじまったっていうのも、活字とか紙媒体と親しんでいくっていうのは漫画からはじまったっていうのがあるんですかね?当時も漫画が娯楽だった?

 

鈴木

なにしろ僕らの世代ってね、テレビがないわけですよ。我が家もテレビが来たのは小学校3年の時ですから。そういう状態だからテレビも子供番組なんてないわけですよ。でも一方で、月刊漫画雑誌っていう時代があって。それを親父が好きだっていうことがあって、僕の手に入る。それで親しんでいくっていうのがあったんですよね。まあ必然だったんでしょうね。

 

それと僕らの時は古本屋っていうのが多くて、小学校入るかどうかの時の古本を、僕いまだに持ってたりするんですよね。それと僕の場合は隣の家の本箱に並んでたから。それを読むのが楽しかった。そういうきっかけがあるかどうかですよね。

 

家庭教師の?

 

鈴木

そうです。僕は勉強出来なかったから、お袋が勉強をさせようと思ったのに、結局はそこで本読んで(笑)そこは漫画じゃないけれど、考えてみたら漫画みたいなもんですよね。少年講談全集ですか。

 

たくさん本を読まれてるので、「これは」っていうのを挙げるのは難しいと思うんですけども、基本的にここで消化されてるものがある種おすすめみたいになってくるんですかね?

 

鈴木

『日本文化における時間と空間』って、触れてないんじゃない?これ僕大好きだったんですよ。これはものすごい勉強になった。加藤周一さんにはすごい影響を受けたんで。さっき全集を2回読んだって言ってるけど、自ずと自分の考え方の中に理解しようとして苦労したっていうのもあって、それが喜びになるんだけど。のちにお目にかかる。色々話す機会もあったんですよね。そうしたら、「鈴木くん。僕の本を色々読んでくれてるみたいだけど」ってそれを前置きして、面白かったのが「僕の色んな本あるけれど、ちゃんとした本は3冊くらいだよ」って(笑)これは忘れないですよ、僕(笑)その1つがさっき言った『日本文化における時間と空間』と『日本文学史序説』。あともう1個が『日本のこころとかたち』。この3冊だって言われてね。その1冊を「君やってみないか?」とか言われて。これが楽しかったですね。影響はずいぶん受けました。日常的にもいろんなこと教えてくれてもらったんですよね。

 

 

振り返ってみると、加藤周一さんから受けた影響っていうのがかなり大きいっていうのが言えるんですかね。

 

鈴木

堀田善衛さんもそうで、あの世代ですよね。そういうものを生み出した日本の戦後の一番良い時期を過ごした方たちですよね。僕は徳間書店っていうところに入るでしょ。そこの社長で徳間康快っていう人がいて、この人が徳間の前にある出版社で専務やってたんですよ。その出版社が「真善美社」っていうんですよ。加藤周一なんかもそこでデビューしてるんですよ。だから縁を感じましたね。それでいうと、花田清輝とかそこら辺の一連の人、みんな「真善美社」で。東大駒場の裏に近代文学館っていうのがあって、そこである時期、日本の本の歴史を扱った時に、色んな本が並べてあるでしょ?そのほとんどが真善美社だったんですよ。あれはちょっと衝撃でしたね。

 

「しんぜんび」って、どういう字を書くんですか?

 

鈴木

「しん」は真。「ぜん」は善悪の善。で、「び」は美しい。簡単にいうと、ギリシャですよね。だから面白い出版社ですよね。

 

 

中野正剛の息子が真善美社?

 

鈴木

そう。徳間康快が死んだ時に、中野正剛の息子が俺のところに寄ってきたの。いま九州にいらっしゃるんだけど。「あなたが鈴木さんですね?」って言われて、名刺を貰ったのを覚えてる。作家は出てこない?

 

作家は3文字が、、、

 

鈴木 

野間宏!『真空地帯』ってあるでしょ?

 

あーはいはい。

 

鈴木

徳間康快がその『真空地帯』っていうのを「俺、託されたんだ」って言うんですよ。「読んでみたけど、面白くなかったよ」とか言っちゃってね(笑)ところが徳間康快って、野間宏っていう人の葬儀委員長をやってるんですよ。そういう両面持った人。

 

(了)