鈴木敏夫のジブリ汗まみれを文字起こしするブログ

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オンラインサロン「鈴木Pファミリー」メンバーによる押井守監督へのインタビュー(②) ゲスト:押井守さん、インタビュアー:鈴木麻実子さん、山下瑞季さん、浜田雄さん、原田翔太さん、沖田知也さん、佐藤裕子さん、川瀬恭平さん、小林一匡さん、小崎真寛さん

 

浜田 

押井さんは小さい頃から映画館に行かれてますけど、語る相手って意外といないと思うんですけど。

 

押井 

子供の時は基本的に特撮映画が大好きで、戦争映画も大好きで、かたや学生の頃は作家で語ろうとしていたよね。

 

浜田 

語る相手は子供の頃は、小学校の友達から始まって、それがいまに続いてる?

 

押井 

そうだね。僕も映画を観ない時期があったんで。ほとんど観なかった。

 

麻実子 

なんでですか?

 

押井 

学生運動で忙しかったから。学生運動とSFって両立するんだけど、映画とはなかなか両立しない。映画に関わるって良い意味じゃなくて、実写が全てだったから。実写映画やってたので、あらゆる余裕がなくなる。金が必要なので。お金って凄いリアリズムなわけで、時間を潰さないとお金は生まれてこない。どんな形であれ。お姉ちゃんから引っ張るにしても、孤独っていう時間とエネルギーが必要なわけじゃない?工場と働くのとどう違うんだって。

 

ーナレーションー

鈴木敏夫ジブリ汗まみれ。

 

先週に引き続き今週も、押井守監督特集!と題して、鈴木麻実子さん主宰のオンラインサロン「鈴木Pファミリー」のメンバーによる、押井守監督へのインタビューの模様の第2回目をお送りします。今週はこんなお話から。

 

沖田

今日は押井監督の映画について語りたいメンバーが集まっているんですけど、浜田さんが押井さんの作品で通底するテーマで質問がある、という。

 

浜田 『攻殻機動隊』の感想会を敏夫さんとやった時なんですけど、押井さんは「人間とはなにか」をずっと考え続けた人だっていう話をされていて、質問としては、『攻殻機動隊』では、代替不可能な人たちが相互に関係しながら物語が進んでいくと思うんですけど、『イノセンス』については、「人間機械論」の話をされていて、『スカイ・クロラ』では『攻殻機動隊』とは違って、あまり個性を表に出さない人、死んでも周りの人たちの中に記憶が残っているっていうところにポイントがあるのかな、と。『人狼』も代替可能な人たち、代わりがいくらでもいるっていう設定で、周りの人たちの記憶の中に残っていくっていうイメージで僕は捉えたんですけど、どうも時間的に押井さんの中に「人間とは何か」が変わっているようにも見えますし、15年ぐらい前なので、それ以降変わった考えがあるのか、僕の読みが浅くて一貫して何かあるのか。

 

押井 

あらかじめ言っておかないといけないのは、監督に答え合わせを求めても無駄だっていう。監督は自分でもわかってるものを作ってるわけではない。完全に予感で作ってるんで。予感がない時は作れないんで。わかってる部分はどうでもいい。あんまり興味がない。原作を読んでわかった部分っていうのは、あんまり情熱を持てないんだよね。だからこそ原作と違うんであって、結果としてそうなるように目指してるわけではないんだよね。いま三本並べたわけだけど、言っちゃえばアイデンティティの問題を巡る三本。一本目は、記憶を巡る物語。人間のアイデンティティは記憶そのものだっていう言い方があったわけだよね。それは機械であろうが人間であろうが、外部記憶装置を持った瞬間から人間は変わるはずだっていう。ハードとソフトっていうのはわかりやすいロジックだよね。『イノセンス』の時は大いに疑ったわけだよね。それ違うんじゃないかって。もうちょっとアジア的なものに向かったかもしれない。あまり信じてなかったゴーストというものを信じてみようかなっていう風に言えば言える。それがどうやったら作品に出来るかって、動物の作品にしないと無理だっていう。動物に興味が向かない人間は人間にも興味がないんだって。外部から見た人間っていうのは、動物にしか存在しないから。動物を正面から据えてみよう、と割と本気で思った。もう一つは、人形ということなんで。なぜ人間は人間の形をしたものを作りたがるんだろう、と。根本的な問いかけみたいなもの。これを並列すると、何か答えが出そうな予感がしたの。予感がしただけ。最後に対峙をする構図を作った。バトーが犬を抱き、トグサが自分の娘を抱き、その娘が人形を抱いてるっていう。そういう構造を作り出せば、何か事が見えるかなって。『攻殻』のラストのようなものだよね。だけど、それは必ずしも成功してないって思った。

 

押井 

作った直後に出るわけでもないし、10年20年経ってわかる時もあるんですよ。去年、『天使のたまご』と『紅い眼鏡』という作品を4Kリマスター化したんですけど、かなり思うことがあったんだよ。この機会がなかったらもう観ることはなかったと思う。僕は自分の仕事って観ないんですよ。終わった後。

 

沖田 

観ていかがでした?

 

押井 

観たくないよね、ハッキリ言って。粗が目につくっていうのももちろんあるんだけど、自分が予感して作った部分では観れなくなっちゃうんだよ。だから出来るだけ観ないようにしてる。今回、仕事だから何度も何度も観るわけだよね。僕にしては珍しく真面目に仕事をしたので、いつもだったらリマスター作業ってエンジニアに任せて、せいぜい初号で一回観るだけなんだけど、今回は過程を経て、何度も何度も反芻したから。改めてこういうことを思ってたのかなって。結構、面白い体験をした。こういうことがないと一番最初の話じゃないけど、自分の主体性とか、自分の意思決定で何かを為せるわけじゃないっていう。向こうから降って湧いたチャンスの中で何か見える時もあるっていう。結婚と同じだよ。だから、久しぶりに若い時の娘に会ったみたいな気分。嫁に出した娘にもう一回会った、みたいな感じ。それで見えたこともあったりする。映画って完結しないんだよ。完結したと思えたとしたら、その映画の寿命が来たっていうことなんだよね。映画を語りきった時にその映画は終わるんだよ。自分的にも世間的にも。誇るべきことがあるとすれば、自分の映画がほとんど絶版になってない、ということだけ。今年は旧作の再上映が四本あるんだよね。ちょっと驚いたんだけど。自分がそういう歳になったんだなって思うけれども、そういう巡り合わせなんだなって。いまだに僕に映画を撮らせようっていう物好きなプロデューサーが実はいるわけで、しかも結構な予算で仕事してるから。アニメだけどね。逆に実写だと、超安い企画でも誰もやらせてくれない。そういうことはあったりする。本当のこというと、実写の方が勝負が早いから好きなんだけど。アニメ長いから。形になるまで3年以上かかるから。

 

山下 

いま作り始めて、新作は何年目ですか?

 

押井

2年くらい経ってるよ。

 

竹森 

監督としてですか?

 

押井 

そうだよ。

 

竹森 

じゃあ『スカイ・クロラ』以来のアニメ。

 

押井 

まあ何とは言えないんだけど。

 

麻実子 

楽しみだね。

 

押井 

だって今のアニメって、4、5年かかるの普通だから。最短でも再来年。アニメってそういう世界になっちゃったんだよ。最初の『パトレイバー』で4ヶ月ぐらいじゃないかな。『攻殻機動隊』でも10ヶ月くらい。『パト2』で8か月か。昔はそういうものだったんだよ。どんな予算があろうが、それは不可能なんで。そういう風になっちゃった。今はシリーズで穴開けても全然平気だしね。途中で中断して、2年目にもう1回やりますって言っても、誰も怒らないし。昔はそういうことが許されなかったから。

 

沖田 

そういう語りきれない作品を作り続けておられる押井監督ですけど、まだ作っておられないジャンルについて、裕子さんからご質問が。

 

佐藤 今日はお会い出来て嬉しいです。私、子供の頃から『パトレイバー』が大好きで、特に後藤隊長が好きなんですけど、後藤隊長のモデルは鈴木さんだってお伺いして、合点がいきました。

 

押井 

後藤隊長って、僕にとって一番簡単だったんだよ。要するに、いつも隣にいたから。あれが鈴木敏夫だよ。

 

佐藤

私が鈴木さんが好きな理由の一つがわかりました。

 

押井 

冴えないオッサンなんだけど、意外に頭は切れるよっていう。あとは自分の自己実現の仕方をちゃんと方法化してる。若い人騙すの上手いしね。意外にキャラクターの造形っていうことに関していえば、どんな監督だってそんなにバリエーションがあるわけじゃないんだよ。僕は小説も書いてたんだけど、13冊書いてるんだよ。去年、大病を患って療養期間が長くて、難しい本を読みたくなかったの。体弱ってるから。それで自分の書いた本を読み直してみたわけ。自分の書いた本だったら読めるんだよ。一つわかったことがあって、小説に関していうと、登場人物が全員中身が同じである。

 

沖田 

それは一人で全部書いてるからですか?

 

押井 

もちろん。小説は自分で書くからね。

 

沖田 

あまり編集者は入ってないんですよね?

 

押井 

入ってないね。世の作家さんたちは、大体編集部のオーダーで書くし、ストーリーとかアイディアとか全部編集部が用意する。流行作家の場合は、それが普通なんだよ。一人で物語を書ける数なんて、たかが知れてるから。200冊以上書いちゃう人いっぱいいるわけだけど、それは編集部と共作なんだよね。漫画もそうだよね。でも僕の場合は、パートタイマーだったので、担当の編集とかいなかったし。だから好きに書かせてもらった。お話は色々あるし、世界観もバリエーションがあるように見えるかもしれないけど、登場人物は全員同じ。ユーチューバーみたいなもんで、中の人は全部一緒。それに薄々気づいていたけれど、こうまで同じかと思ったんだよね。オッサンはみんな後藤だし、女性はあらかた素子みたいになっちゃうし。小説一冊書くっていうのは、相当疲れる。誰も手伝ってくれないし。

 

沖田 

その都度映画で溜まったものを小説で出しているということですか?

 

押井 

最初はね。最初、映画で拾えきれなかったものを小説にしようと思ったの。映画一本作るたびに凄い資料を調べたり、勉強したりするわけだよね。やりたいことが山ほど出てくる。面白い話もいっぱい出てくるし。だけど、『パト2』って色んなところに取材に行ったりロケハンしたり、本も集めたし。映画に入れた情報量ってたぶん10%もない。やっぱりやり残した感が残るんだよね。色んな監督さんと話しても、そういうことがどうもあるみたいで。映画の準備の方が、映画より遥かに好きだっていう人もいたし。

 

---

 

押井

僕も準備が大好きだから。準備と仕上げ以外、ハッキリいって興味がない。

 

山下 

この映画を作っている時の調べたことが楽しかったなっていう作品はありますか?

 

押井 

あるよ。

 

山下 

どれが一番ですか?

 

押井 

結局、映画の中に入りきらなかったから小説にしようと思ったのが最初のキッカケ。自分の本が刷り上がって、形になるっていうのが思いの外嬉しかったんだよね。自分一人で仕上げた表現って、今までなかったから。映画って基本的に集団作業なんで。これだけは自分で作ったっていう思いがあったんだよね。映画のノベライズみたいなことを離れて、最初に書いた時はかなり消耗した。例えば、『ガルム戦記』っていうのを書いた時は、ミリタリーなファンタジーを目指したんだけど。これは誰も書いてないだろうっていう。戦車が走り回るようなファンタジー。しかも異世界。その異世界の中での、ものの重さとか距離とか名前とかルールを全部決める。それを考えることの面白さがファンタジーを書く面白さなんだよ。普通の小説を書く数倍のエネルギーがいるんだよね。日本では売れないんだよ。特にファンタジーは。剣と魔法の世界ですら売れない。それが戦車とライフルの世界なわけだ。こんな報われない仕事もないって思ったね。ものすごいエネルギー使ったのに、全然売れない。

 

竹森 

じゃあもう小説を書きたい、とかそういう気持ちはもうないですか?

 

押井 

もうスッパリない。

 

佐藤

言葉というと、『立喰師列伝』で吉本隆明さんの言葉を入れておられましたね。

 

押井 

あれは偽ドキュメンタリーっていうやつなんだよね。原作本もフェイクだし映画ももちろんフェイク。ものの見事に結構な人間を騙せたから。ベネチアの審査員まで騙したからね。あれはドキュメンタリーってみんな思い込んでたからね。危うく賞まで貰うところだったの。戦後の日本の匂いをたっぷり嗅がせたわけだよね。イタリアの映画人って、日本の映画って戦後の映画だと思い込んでるから。「最近、日本映画がなってない。どうなってるんだ」って。戦後のイタリア映画はまさにそうだったから。戦後が映画の近くから消えたわけだよね。で、久しぶりに戦後映画の匂いがプンプンしたって。ああいうフェイクドキュメンタリーって、形式として興味があったの。人を騙すっていうことが好きなんで。基本的に映画を作るって、その気にさせるとか、騙すっていうことが必ずあるんですよ。上手く騙してやらないと怒られるっていうか。当たり前の話を当たり前に作って、何が面白いんだって。上手く騙してほしいっていうのは言葉にしないだけで、みんな思ってるんだよね。上手く騙してくれれば満足だし。その裏をかけば、今度は怒るわけ。自分の許容範囲の中で上手く騙してほしかったのに、その虚をつかれてもっと本質的なところで騙された。そうすると、恨まれる。僕の場合は、それが半々くらいかな。騙し方っていうのは世の暗黙の了解があるわけで、映画の中のリアリズムっていうのは、現実のリアリズムと違ってていいんだけど、あえていうと一貫してないといけない。映画の中でメタの次元のことを断言するな、とか、夢撃ちはダメよ、とか。確固としたルールを定めて、それを動かしてはならない。やってる途中でその基準を変えるなって。でも、それも映画の魅力だと思ってる。主人公が途中で変わって何が悪いって。ヒッチコックだってやったぞって。やったことはみんな忘れてるわけだよね。

 

麻実子 

何でやりました?

 

押井

『ファミリー・プロット』だったかな。途中で主人公変わるんですよ。『サイコ』だって変わるといえば変わるし。最初の30分ぐらいで殺されて、そこに来た妹が主人公になる。それは色んな手があるし、男だと思ってたら女でした、みたいなこともやった。映画って騙し騙され、手練手管そのものが楽しかったりするわけだよね。だからミステリーがみんな好きなわけで。謎解きのないミステリーとか意外性のないミステリーなんて有り得ない。あったとしても、それは誰も面白いと思わない。それが文法上のミステリーなんだよ

 

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佐藤 

以前、2016年の『ガルム・ウォーズ  』の公開特番の時に、押井さんは「時代ものを撮ってみたい」とおっしゃってて、今もその気持ちは?

 

押井 

あるよ。

 

佐藤

具体的にはどんな作品を?

 

押井 

やっぱり日本の時代劇っていったら、チャンバラでしょ。小説でそれに近いことはやったけど。剣術とか剣道とかじゃなくて、操刀術っていうのをやってみたいと思ってたの。それは刀の世界っていうのは鉄砲と同じくらい好きなんで、それなりに勉強もしたし、日本刀ってどういうものなのかってかなり勉強させてもらった。時代劇そのものにああいう時代を描いてみたいっていう根拠は、何一つないんだよ。日本刀を振り回しても違和感ない世界を作ってみたいっていうのはある。『キル・ビル』っていう映画は、飛行機に乗るにも日本刀を持ってたりさ。あれは漫画だから。空港の中で日本刀をぶら下げて、平気で歩いてる。昔の侍みたいに。それを誰が見ても嘘だってわかって作ってるから。そうじゃなくて、ある程度「あ、これなら」っていう納得づくの世界で日本刀を振り回す世界はやってみたいと思ってる。

 

山下 

実写映画に以前、敏夫さんを登場させてらっしゃいましたけど、このチャンバラ映画には敏夫さんは出しますか?

 

押井 

鈴木敏夫っていう人間も、独特のフェティッシュを持ってる男で、仕込み杖とかも持ってるよね。なんか知らないけど、昔から仕込み杖が好きなんだよね。たぶん『座頭市』の影響だと思うんだけど。『座頭市』の最大の功績は、仕込み杖っていうのを日本の一般の人に認知させたっていう。それまではマイナーな世界だったからね。主人公が振り回すものじゃなかった。『座頭市』は一気にポピュラーにした。たぶんそれに痺れてるんだよ。それこそフェティッシュを根拠にしないと、現実から飛躍出来ないっていうか。それは映画独特のものだと思う。時代劇であろうが近未来を舞台にしたSFだろうが、そこをどうやってジャンプするかって。地上から離脱するか。日常の重力みたいなもの。それはフェティッシュを武器にするしかないって。自分のフェティッシュをどうやったら納得づくで強引に認めさせることが出来るかって。それはSFから学んだ一つでもある。SFってまさにそうだから。自分が見たいものを可能にするために、世界をどうやって歪ませるか。SFの醍醐味はそこにある。

 

(了)