鈴木敏夫のジブリ汗まみれを文字起こしするブログ

ポッドキャスト版「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」の文字起こしをやっています。https://twitter.com/hatake4633

ゲスト:土屋敏男さん 今振り返る第2日本テレビ・土屋編集長との対談

2008年11月4日配信の「鈴木敏夫ジブリ汗まみれ」です。

https://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol57.mp3

 

ーナレーションー

「野球はもう終わった。中日が出ない日本シリーズは意地でも見ない」

 

退屈な三連休の夜に、一人ギターを掻き鳴らしていた鈴木さんは、ふとこう呟きました。

 

第2日本テレビでも見るか」

 

鈴木

あのね、確かにその通りなんですけど、もうすぐ出来ちゃうわけでしょ?大概そうなんですけど、辛いんですよね。完成して欲しくないっていう気持ちがどっかにあるんですよ。

 

土屋

え?

 

鈴木 

僕、いつもそうなんですよ。だって終わっちゃうわけでしょ?この間が。それが終わることはわかってるんだけれど、それを迎える日までは辛いんですよ。いま0号っていうのが六月二十三日。数えたら、もうあと一ヶ月ちょっとでしょ?本当にこの間をどうやって自分を充実させて生きるかっていうことをいま一生懸命考えてるんですけどね。なんか死を宣告された気分みたいなんですよね。出来たものを人に見せないといけないでしょ?これは辛いですよね。どっかにあるんですよね。それ。見せたいっていう気分と見せたくないっていう気分、両方あって。いまはどっちかっていうと、見せたくないっていう気分(笑)何でですかね?毎回そうです。何でもそうなんじゃないですかね。楽しみに待ってることって、そこへ辿り着くまでは楽しいけれど、もう始まっちゃうと「あれ?こんなんだっけ?」ってよくあるじゃないですか。

 

土屋

完成しちゃったら、ゴールですもんね。

 

鈴木

見ちゃったら終わりだもんね。

 

ーナレーションー

それは日本テレビの動画ポータルサイト第2日本テレビ」のジブリチャンネルから、この六月配信された『ポニョ』を巡るインタビュー。第2日テレの土屋敏男編集長と、鈴木さんの対談です。

 

鈴木

この間、宮さんの奥さんと会ったんですよ。奥さんは宮さんに早くアニメーション映画から引退して、家へ帰ってきて欲しいと、そういうことをずっと考えてきた方で。一回、『紅の豚』が終わった時に、実は奥さんから連絡があって二人きりで会ったんですよ。その時に喫茶店で会ったんですけど、コーヒーの注文もして、すぐに奥さんの方からいきなり、「鈴木さん。宮崎を返してください」。

 

土屋

なんか愛人から妻が夫を取り返すみたいな(笑)

 

鈴木

「もう充分ですよね?」って。で、それから随分経ったんで。この間奥さんのところに行って喋ってたら、奥さんの方から「死ぬまで作りますよね?あの人」って(笑)僕も「まあそうでしょうね」って。それで僕が別れ際、「奥さん。しょうがないから死ぬまで付き合いますから」って(笑)

 

ーナレーションー

鈴木さんはなぜいま、このインタビュー取材を振り返ったんでしょう。

 

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インタビュアー

どうでした?『ポニョ』。

 

女の子

なんか小ちゃくて可愛かったです。

 

女性

子供が気に入っていってたみたいなので。

 

男性

基本的にファンタジーなんで、まあ面白かったです。

 

女性2

すごい可愛くて、あったかくなる部分がいくつもあって、何回も泣きそうになっちゃいました。

 

女性3

面白かったです。また二回三回観たくなるような感じではあります。

 

男性2

コンピューターグラフィックの映画が流行ってますよね?ハリウッドなんかで。それを超えるようなのを、ああいうアニメでやろうとしているダイナミックなものは感じました。面白かったですよ。

 

男性3

創作意欲という点でですね、新しい斬新なやり方だとは思いましたので、固定観念に囚われずに色んなものを作れるかなっていう感じはしました。

 

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土屋

それは挑戦し続けているっていうかね。

 

鈴木

宮さんがですか?

 

土屋

ええ。今回、CGを使わない。全部描くっていうことっていうのは、挑戦ですよね?これは挑戦じゃないんですか?大体これは誰がどんな風な理由で言い出したものなのかっていうのは、、、

 

鈴木

それはこういうことなんですよ。僕らも『もののけ姫』の一部からCGっていうのを使い始めたんですよね。やってきて約10年。色んな新しい技術が開発されるじゃないですか。そうすると、一度やったことがやる度に古くなってくるんですよね。そのことに対して矛盾感じてたんですよ。

 

CGがダメだって言ってるんじゃないんですよ。CGだって絵心がないと出来ないですから。だからCGがあってもいいんですけど、全部手描きのものも見てみたいっていうのが、なんとなくあるんですよね。

 

土屋

どちらかというと、鈴木さん発というか。

 

鈴木

というか、話してるうちにそうなって。だからチャレンジしたいわけじゃないんですよね。気分なんですよね。

 

土屋

気分?

 

鈴木

飽きたって。

 

土屋

飽きた時に素直に、世の中の流れっていうとおかしいですけど、みんなそういう作り方にどんどんなっていって、いかにリアルな現実をアニメーションの中に作るかっていうことではなくて、富嶽百景のように絵で描くことの、、、

 

鈴木

物語そのものもそうなんですよね。よく映画その他で原作っていう言葉があるじゃないですか。あれ宮崎駿っていう人は、抵抗があるんですよ。なんでかっていったら、そんなの大家の昔から物語なんていくらでもある。それが『古事記』になったり『日本書紀』になったり、そういう色んなものを読んできたものの影響を受けて、自分はある種の再構成をしてるわけだから。人間が歴史の中である種の物語の骨格は知識の下でずっと受け継がれてきてるんじゃないかなって。表に出てきてるものもあるけれど。物語そのものだってそういう部分がある。自分が作ってるのかっていったら、一種作らされてる部分もある。

 

彼はよくこういう言い方をするんですよ。「脳みその蓋を開けないといけない」って。要するに、頭で考えてるうちはダメなんだと。脳みその蓋を開けると、その意識下にあるものに出会えたりするから。それを映画にすればいいんじゃないかって。

 

で、質問はなんでしたっけ?(笑)

 

土屋

宮崎駿が進化してるってことと、絵を全部手描きにしていったっていうことが関係あるのかっていう。

 

鈴木

だからお話はまずそうでしょう。もう一つの絵の方だってそうですよね。太古の昔からみんな絵を描いてきた。そういうことでいうと、日本の歴史もあるし、ヨーロッパの絵の歴史もありますよね。そういうのを全部見ることができるのが現代なわけで。どうしてもあっちから引っ張ってきて、こっちから引っ張ってくるとある種のコラージュになるから、それは良くないと思ってるわけで。さっきのお話の方と同じで、意識の下にある繋がってるもの、それを絵に出来ないかなって、彼は思ってて。

 

今回のは特にイギリスに行ったのが大きかったですね。ある時、夏目漱石に凝ったんですよ。

 

土屋

宮崎さんが?

 

鈴木

そう。これは瀬戸内海のある街に行った時に、何にもやることがない時に本がないとダメな人で。で、夏目漱石全集を手に入れて。なんで夏目漱石に興味を持ったかっていうと、誕生日が同じなんですよね(笑)で、漱石を読んでみたら、「面白いよ、鈴木さん」って。『崖の上のポニョ』も、そのある本から取ったんですけどね。

 

土屋

へぇーー。

 

鈴木

そっちの話しちゃうと、また元の質問忘れちゃうかもしれないけど先に言うと、『門』というのがあって。僕も読んでみてハッと思ったんですけど、「崖の下に住む宗介」っていう言葉が出てくるんですよ。これ東京の話なんですけど、上に大家が住んでる。で、やっていくうちに「鈴木さん、『崖の下の宗介』ってどうかな?」って。で、またやっていくうちに「下じゃなくて上だよ」って。それで宗介はそのまま使うことになるんですけど、それを「ポニョ」にして『崖の上のポニョ』っていうタイトルが出来るんですけどね。その漱石ついでに『草枕』とか暇だからいっぱい読んだんですよ。その中で漱石ってイギリスへ留学して、日本初の神経衰弱になるわけじゃないですか。日本の中で暮らしてる時はいいんだけれど、そのストレスの中で一種、近代の自我の目覚めとぶつかって悩むわけでしょ?それにちょっと同調したんですよ。

 

土屋

同調しちゃったんですか。

 

鈴木

そう(笑)

 

土屋

かなり年がいった状態で自我を目覚めさせようという意志が。

 

鈴木

日本人って、西洋の黒船以来、みんなそのコンプレックスがあるじゃないですか。文化のぶつかり合いっていうか。その『草枕』の中にイギリスのロンドンにテート・ミュージアムでしたっけね?そういうのがあって、そこになんとかさんが描いた「オフィリア」っていう絵があったわけですよ。水の中に住んでいるあるお姉さんの絵なんですけど、それについて漱石が書いてたもんだから、「ちょっとあれ見なきゃいけない」って、イギリスに行くんですけどね。それを見て、ガーンときちゃったんですね。何がガーンときたかっていうと、テーマもさることながら、絵の描き方。これは色んな言い方があると思うんですけど、自分たちが目指してきたアニメーションの理想がそこにあった。そうすると、自分たちか今までやってきたことって何なんだろうって。それである種のカルチャーショックを受けて日本に帰ってきて、、、

 

土屋

色んなものを自分で作られてるし、色んなこともやられているしっていう中で、そこでガーンときちゃう宮崎さんっていうのが、ガーンとくる感受性を持っているのが凄いなって改めて思うんですけどね。まだ先があるっていう。

 

鈴木

自分たちが目指してきたものがそこにあったっていうことですよね。わかりやすく言っちゃうと。それでもう一回諸元に戻るっていうのか、プリミティブなところに戻ってやるとしたら何だろうって。そうしたら、キャラクターの方は動かせるだけ動かそうって。それで背景に関しては、ジブリの歴史って美術が緻密になってきた歴史なんだけど、それをもう一回元へ戻してみようって。本来の絵の。だからいつもと違いますよね。何しろこの間、緻密さで売ってきましたからね(笑)

 

土屋

今も全国でやってる男鹿和雄展のああいった背景っていうものも含めて、風の感じとか、、、

 

鈴木

それは宮さんが男鹿さんと共に作ってきたジブリのセールスポイントですからね。それを捨てるわけですから、これは不安になりますよね。皆さんが思う以上に本人は吉と出るか凶と出るか、丁半博打だってドキドキしてます。

 

土屋

そうですか。それはどう言ったらいいんだろうな。

 

鈴木 

だって、あとは責任は全部星野さんだもん。

 

土屋

そういうわけには、、、

 

鈴木

だって社長なんだもん。僕はあとは知らないですよ。関係ないもん。

 

土屋

ジブリという会社で責任を持つ人が星野さんであって、作品に対する責任は鈴木さんでしょ?

 

鈴木

でも大きく言えば、全部の責任は星野さんじゃないですかね。僕、責任取りたくないんですよ。責任って簡単に持つものじゃないと思ってるんですよ。こうやって決めてるんですよ。生涯に責任を取るって、おそらく死ぬまでに三回あると思ってるんですよ。

 

それでいうと、一つは宮崎駿ですよね。初めて一緒に映画を作ろうって思った時に、『ナウシカ』の途中で本人に言ってるんですよね。自分でよく覚えてるんですけど、宮さんがある時落ち込んでたからね、「宮さん、落ちぶれても付き合いますから」って(笑)これって、責任取るってことじゃないですか。だからさっきの奥さんに「死ぬまで付き合いますよ」って言うのは、それを込めてるんですよ。僕。どうせどっかでこの人気が落ちてくる日があるでしょ?そうすると、寂しいもんでしょ?僕はその日が楽しみで(笑)

 

土屋

でも俺は付き合ってるよ、という。

 

鈴木

そうそう。そこで初めて存在価値がわかるわけでしょ?そうしたら、僕に対する大きな感謝が生まれるんじゃないかなって。

 

土屋

そうですよね。良い時はみんな黙ってたって寄って来るから。

 

鈴木

それである時にみんな離れていくわけじゃないですか。で、残ったのは僕だけだったって言ったら、美しいでしょ?これをやってみたいんですよ。これ夢。

 

土屋

それが本当の、、なんていうのかな。友達じゃないな。なんですかね?

 

鈴木

宮さんね、未だに人に紹介する時に「友人の鈴木さんです」って言ってるんですよ(笑)言われるたびに僕、違和感があるんですよね。何で友人なんだろう、俺は思ってないぞっていうね(笑)

 

土屋

え、鈴木さんは何て言われたいんですか?

 

鈴木

そうすねー。まあ何でも良いんですけどね。

 

土屋

でもそう言われたくないっていうのは、、、無二の親友。

 

鈴木

いや、そこまであなたと親しいかな?っていうのがあるんですよ。

 

土屋

じゃあ「知り合いの」ぐらいの?

 

鈴木

ある良い距離があったらいいと思ってるんですよ。僕、宮さんと喋る時に心がけてることは、タメ口きいちゃいけないってことなんですよ。お互い未だに「鈴木さん」「宮さん」。なるべく丁寧語を喋りますよね。これは宮崎駿高畑勲、この二人の関係性を見てて、そう思ったんですよ。長く続ける秘訣って、これだなって。近づいちゃいけないって。だから未だにちゃんと改まっていつも話しますよ。

 

土屋

変な話ですけど、いわゆる仕事以外の話以外って、ほとんどされない?

 

鈴木

いや、そうでもないですけどね。というか、ほとんど仕事以外の話ですよね(笑)

 

土屋

じゃあ、やっぱり友人なんじゃないんですか?

 

鈴木

最近また、向こうが暇だから一日で喋る時間が長いんですよ(笑)

 

土屋

間のエアーポケットみたいな。

 

鈴木

昨日も話したよそれ、みたいな(笑)

 

ーナレーションー

映画『崖の上のポニョ』は今、アメリカやヨーロッパ、アジアでの公開に向けて動き出しています。

 

マネーの津波が押し寄せた世界各地へ、ポニョと宗介は、また小さなボートで漕ぎ出して行きます。

 

そして、鈴木さんはこの土屋さんとの対談を、海外で『ポニョ』を理解してもらうためのプロモーションツールにするそうです。

 

土屋

宮崎さんっていうのは、鈴木さんから発注を受けて作る人なんですか?

 

鈴木

基本はそうですよ。僕が何も言わないと「鈴木さん、そろそろ早く言ってよ」って言うんですよ。「何ですか?」って言ったら、「作れって言ってよ」って(笑)

 

土屋

それは面白いなー。

 

鈴木

この間も、この後美術館アニメ作ることになってるんですけど、向こうはイライラしてるんですよ。僕は宮さんに「宮さん、どうしたんですか?」って言ったら、「鈴木さん、美術館アニメどうするの?」って言うから、「宮さんに作ってほしいんですけど」って言って、「俺は注文を受けてない」って(笑)「じゃあわかりました。いま注文します。三本作ってください」って。「ダメだよ。二本にしてよ」とか言って(笑)そういうやり方なんですよ。

 

土屋

そうか。面白いなー。

 

鈴木 

「だって、注文がないと俺出来ないもん」って。だから注文するんですよ。

 

土屋

アーティストって、自分の作りたいものを作って、それが世間にどう評価されようとっていうところが、、、

 

鈴木

というのかね、僕もう一つ思うのが、アーティストっていつ生まれたんだろうって考えるんですよね。例えば、ミケランジェロとかレオナルド・ダ・ヴィンチとか、みんな雇われ仕事じゃないですか。そうすると、職人さんでしょ?本来そこにあったわけですよね。ところが、ある時期から自己表現だの自己実現が始まって。さっきの夏目漱石の自我と関係あるのかもしれないですけど。そこら辺から作るものつまらなくなったでしょ?それでいうと、宮さんっていうのは、歴史上の人に匹敵する素地を持った人じゃないかな、と思ってるんですけどね。だって注文がなきゃ出来ないもん。ラーメンと同じ。

 

土屋

注文は例えば、「とにかく作って」なのか「塩味作ってくれ」とか「大盛り作ってくれ」なのか。

 

鈴木

それはね、アピールしてるんですよ。普段から。何かの時にひょっと「鈴木さん、ねずみが相撲とるやつ知ってる?」「ああ、昔話でしょ?」「あれ、良いよね」って。これってアピールなんですよ(笑)こうやって話したんだから、これを作れって言って欲しいんですよ。

 

土屋

今回の『ポニョ』もたくさんのキャッチボールの中で、、、

 

鈴木

いや、そんな数は多くないですけどね。大概、トイレで決めることが多いんですよ。でも今回は珍しく、二馬力でストーブに手を当てながら決めましたね。

 

(了)