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ポッドキャスト版「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」「未来授業」の文字起こしをやっています。「未来授業」は2020年4月分からです。文字起こししてほしいものがあれば、ツイッターのDMに連絡下さい→https://twitter.com/hatake4633

鈴木敏夫のジブリ汗まみれ:鈴木敏夫が語る宮崎駿とジョン・ラセターの交流と友情

ラジオ音源

http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol324.mp3

 

2014年6月28日放送の「鈴木敏夫ジブリ汗まみれ」です。

 

この回では、6月18日に発売される宮崎駿監督作品のブルーレイ版「風立ちぬ」を記念して、宮崎監督とウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオとピクサー・アニメーションスタジオのチーフ・クリエイティブ・オフィサーであるジョン・ラセターの20数年来にわたる交流を、鈴木さんの視点で語ってくださっています。

 

・世界で通用することが証明された高畑勲作品

鈴木敏夫宮崎駿がロサンゼルスで仕事をしていたことがあって、結構な期間いるんですよ。何でかというと、藤岡豊さんっていう人が考えたんですけど、日本でアニメーションを作っても中々良い環境の中では作ることができない。例えば、日本では制作費安いから良いものが作れないとか。それで考えたのがアメリカで映画を作っちゃおうということ。彼がウィンザー・マッケイという人の「リトルニモ」を企画するんですよ。アメリカの新聞漫画で、それをアメリカで作る。監督、主要スタッフは日本人。ただしプロデューサーはアメリカ人。でないと、アメリカでの成功は難しいから。というので彼が交渉したのが「スター・ウォーズ」のプロデューサーで、彼の存在が後に宮崎駿を変えるんですよね。で、そのプロデューサーが日本に来たんです。最初に始まったのが監督選びで、京王プラザに籠もりきりになって、日本のアニメーション映画を次から次へとビデオで観まくるんです。日本の長編アニメーション映画はたぶん良いものは揃っていたでしょう。この中で誰がアメリカで通用するものを作れるのかというので、選ばれたのが高畑勲だったんですよ。

柳橋:そうだったんですか?

鈴木敏夫:そうなんですよ。その時に観た作品が「じゃりん子チエ」。大阪のホルモン焼きの女の子の話でしょ?藤岡さんをはじめ皆んなビックリしたらしいんですよ。他に違う作品って色々あるじゃないですか。理由は「じゃりんこチエ」が、西洋的考え方で作られてるから。

柳橋:なるほど。

鈴木敏夫:論理的だってことなんですよ。宮さんの「カリオストロの城」は面白いシーンがメチャクチャ多い。しかし、欧米人には日本の情緒的なものをわからない部分がある。で、監督は高畑さんだと。高畑さんは当然宮さんの力を借りたい。それから「耳をすませば」を作った近藤喜文。高畑さんの元でずっとやってた友永さん。それから二人のことをずっと支えてきた大塚康生。そういう人たちがアメリカに渡るわけです。そしてそのプロデューサーのもと制作が始まるんですけど、アメリカと日本の違いがあって最初から衝突するんです。今まで作ってきたやり方と違うから。メジャーリーガーか日本にやってきて困るのと同じなんでしょうけど(笑)やってるうちに宮さんは「パクさん、申し訳ない。やってられない」と。それで彼は先に帰っちゃうんですよね。確か半年ぐらいロスにいたんじゃないですかね。で、残された高畑さんたちが色々やってたんだけど、最後の最後問題が出てきたんですよ。パイロットフィルム、試作の作品を作ったりしてたんだけど、最後の編集権は誰にあるのか、ということ。アメリカでは当然プロデューサーにあるわけです。そこで高畑さんが「日本ではそういうことはあり得ない」と、そこでぶつかるんです。結局、編集権の問題で高畑さんが降りるということになる。つまり宮さんも降りるし高畑さんも降りる。それで近藤喜文さんが次の監督に選ばれるとか、そんな事件があったんです。

 

宮崎駿ジョン・ラセターの出会い

鈴木敏夫:じゃあ嫌なことだらけだったのかというと、嫌なことだけじゃなかったんですよ。というのは彼らはディズニー作品のことについて色々知っていたんです。と同時にその作品を作っていたアニメーター達の勉強会っていうのがあったんですよ。オールドナイン(とラジオでは仰っていましたが、正しくはナインオールドメンと言うようです)っていうアニメーションをやってる人には夢のような人達がまだ生きてらっしゃって、その人たちから色んな講義を受けるなんてことがあって、そのスタッフの中の一人がラセターだったんですよ。当時から彼はコンピューターで絵を描くというのをやってて、特に宮さんとラセターはアニメーター同士でしょ?それである関係が出来てくるんですね。ものの考え方以前のところで絵を描くということでは、コンピューターで描こうが手で描こうがそれは変わらない。というのがまず最初なんですよね。

 

・再会

鈴木敏夫:ラセターが宮さんと再会を果たすのは、宮さんが「となりのトトロ」を作っているときなんです。スタジオジブリは当時吉祥寺にあって、東急デパートの裏だったんですけど、そこに二つのスタジオを構えて。ある部屋があって宮さんがいて僕がいてもう一人いて、三人で色々話してたんですよ。そこへ突如アメリカ人の登場なんですよ。宮さんも会ってもわからないじゃないですか?よくよく見たらジョンラセターだった(笑)何で日本に来てたのかというと、広島でアニメーションのフェスティバルがあって短編を持って一人で来てたんです。 電車で中央線に乗って吉祥寺まで来て、ジブリまで辿り着くんですよ。そのラセターがのちに「トイストーリー」を作るなんてことは、思いもよらなかったことですよね。そして三回目の出会いは「トイストーリー」を作ってそのキャンペーンで日本にやってくるとき。その時にスタッフだけでなく家族も連れてきたんです。お子さん達もいっぱいいて。で、宮さんが人一倍喜んだんですよ。要するに、机を並べた仲間が長編を作る機会を与えられて、それがアメリカで成功する、それを非常に喜んで。それが日本でも成功するといいなっていう。それと宮さん、子供達が好きなんですよ。ラセターと子供達連れて「江戸東京たてもの園」に行くんですよ。その近くに子供の遊戯施設っていっぱいあって、子供達が本当に楽しそうにその日を過ごしていましたね。その後、ラセターとの関係はどうなるかというと、ラセター自身が監督した作品だけでなくピクサーのピート・ドクターとかいろいろ監督がいますが、彼らが作るたびにジブリを訪ねてきてくれて、僕らもアメリカに行ったときは必ずジョン・ラセターのところへ行くようになったんです。

 

・ラセターが宮崎駿へ熱い友情を持つ理由

鈴木敏夫:アメリカで大成功させようってことで、ジョン・ラセターが先頭に立ってアメリカ全土キャンペーンというのを実行するんです。それがなんと二週間あったと思うんですけど、最初から最後まで彼が付き合ってくれるんです。そこでアメリカ流のキャンペーンのやり方をやって、一番驚いたのがテレビの取材が1日に60個あるんですよ(笑)

柳橋:ええ!?60!?

鈴木敏夫:これが3日間続くんですよ。ジョン・ラセターは頑張るんですよね。実は僕らは交渉して60個を45個にしたんですけど、本当に大変だったですね。ジョン・ラセターは色んな作品で慣れもあるから、同じことを判で押したようにポンポンやってくわけです。ところが宮さんは違ったことを言おうとして(笑)これドツボにはまるんですよね。それでドンドン疲れていく。そんなこんなでサンフランシスコに戻って、全て終わったから飛行機に乗ったりしようってことになる。つまり、ジョン・ラセターの宮さんに対する熱い友情が尋常じゃないんですよ。だって宮さんが作った作品をアメリカで成功させるために、彼が頑張ってくれるわけですよ。で、次にラセターが来るとき皆んなで考えたんですよね。どうやってそのお礼をしようかって(笑)で、これ宮さんのアイディアなんだけど、温泉に連れて行こうと。日本では裸の付き合いが基本だと(笑)ラセター一家を招いて子供たちと一緒にお風呂に入って、出てきたら昔の温泉街にあったピストル打つやつとかなんとかボールとかを一緒にやったり。そしたらラセターが本当に喜んでね。

 

鈴木敏夫:彼が宮崎作品のアメリカでの成功を誰よりも願ってくれたんですよ。最初ディズニーと契約してやっていくってときに、ディズニーの中では誰も宮崎駿ジブリについて知らないわけでしょ?そういう時に先頭に立ってジブリの紹介役になってくれたのが、ラセターだったんですよ。彼の熱い友情を見ててちょっと思ったのが、スピルバーグとルーカスが黒澤さんを尊敬してたでしょ?もしかしたら、ジョン・ラセターにとってそれが宮崎駿。アメリカで働いてたとき、彼が「カリオストロの城」を観るんですよ。で、アメリカのアニメーション映画って基本的にはミュージカルなんだけど、一般映画を作っていいんだっていうことを、教えられたのは宮崎駿らしいんですよ。

柳橋:なるほど。

鈴木敏夫:そして、宮さんの作品の中で一番好きなのが「となりのトトロ」。彼が作品を作っていて行き詰まると、全スタッフを集めて、ピクサーの試写室で何回もトトロの試写をやってるんですよ。原点はあそこで、そこへ戻ろうと。

柳橋:いわゆる表現手法だけでみると、3Dと昔ながらのセルアニメっていう全く違う手法を持つ二人がそれだけ、、

鈴木敏夫:よく誤解されるんですけど、手で描くこととコンピューターで描く、実は同じなんですよね。手で描こうがコンピューターで描こうが絵心がなかったら下手ですよね。でも二人ともそれを持ってるんですよ。と同時にピクサーってコンピューター使ってますけど、長編映画を作るときに、手で描くものは八万枚くらいあるんです。八万枚って下手なアニメーションの長編映画よりも多い絵を描いてるんです。ラセターはそこに力点を置いてやってますよ。彼は宮崎駿にコンピューターではなくて手で描いたアニメーションを作れって言い続けたんですよ。どうしてかというと、自分は残念ながら手で描くのは上手じゃないと。ところがコンピューター使うと上手いんだと。だから宮さんは上手いんだから、それを続けてほしいってずーっと言ってましたけどね。

柳橋:宮崎さんのラセターの仕事への評価というか感想というのは?

鈴木敏夫:一番作品を観てガーンと来てたのは「カーズ」ですよね。これはラセターの自叙伝だろうと。観ながら泣いてましたよね。