2008年7月22日配信の「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」です。
http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol42.mp3
(記者会見のシーン)
司会者
宮崎駿監督からご挨拶をお願い致します。
宮崎
今日はどうもありがとうございます。さっき地震がありまして、震源地は海底らしいですけど、津波を警戒しろってニュースで流れたらしいんですけど。あ、ポニョがいるのかなっていう。
(会場、拍手)
宮崎
どうしたらいいんだろうっていう巨大なものがドカーンと残ったんです。つまり魔法というのはこういうもので、こういうルールで動いているんだっていうね。そういうことを映画の中で説明していけば、観客は理屈でわかるわけです。理屈で語られていると、その理屈がどんなものであれ受け入れるんです。でもそれはゲームのルールに過ぎないんですよね。違うんです。大事なことは。
ですから、ルールを語るんじゃなくて、その世界の捻じ曲がった局面局面を貫いていって、ルールはともかく大事なものはルールではなく、人生というのはこっちにあるっていう風にやろうと思って努力したんですよね。今度こそルールが何にもわかんなくてもわかる映画を作ろうと思ったんです。
なぜポニョが人間になっちゃったのか。説明してないんですよ。勢いでどんどんなっていくだけでね。ただ、そういう風に変化していく過程を見せることによって、とにかく世界はこうなっちゃったっていう風にね。やれるものかどうかやってみたんですよね。
ーナレーションー
この番組は、ウォルト・ディズニー・ホームエンターテインメント、読売新聞、"Dream Skyward"JAL、"街のホットステーション"ローソン、アサヒ飲料の提供でお送りします。
宮崎
次の作品にかかるまで、かなり深刻にオロオロしました。結構オロオロし続けるんですよね。そうやって半年。
それは自律神経失調が回復するのに、軽いやつでも最低でも半年という話なんだそうなんで。自律神経失調になるんですね。ひたすら使い過ぎるからですね。頭の一部を。加熱するんです。年々、そのフィラメントが燃えて細くなってるから、すぐ加熱しちゃうんです。
それでもう今はスイッチを切り替える方法が非常に上手になりまして、行き帰りにバスを数えてるっていうね。バスが一定の台数を超えると「今日はいいぞ」と思い、「今日はよくやったんだ」っていう(笑)今のバスはね、発光ダイオードが行先表示灯に使ってあるから、はるか彼方から見えるんですよ。
僕は10年以上同じ道を通ってるのに、道がこんなに上り下りしてるっていう。ただオロオロと不機嫌に通ってただけでね。バスを探すと、はるか彼方に行先表示灯がチラッと見えて「あんな遠くの交差点まで実は見えてたんだ」とか、表示灯が一回地面に消えて、また上がってくるとかね。武蔵野台地はこんな波打ってるんだ、とかね。結構面白かったですよ。今でもやってますけど。話が全然逸れましたね。
宮崎
面白かったですよ。海をどういう風に人が扱っているとかね。ひどいもんだと思いましたけどね。こんなことをする権利は人間にないんじゃないかなと思いながら(笑)
漁師だけじゃないですね。色んな貨物船も含めて、プレジャーボートも含めてね。ある限界を超えてから、不遜になってるんじゃないかと思いましたけど。それは色んな理由があるんだろうと思いますけど、それは海だからそう見えただけで、山の中にも町は典型的にそうですけど、極めて人間は不遜に生きているっていう、そういう気持ちになってくるんです。
宮崎
神経衰弱ですよ。昔でいえば。夏目漱石風に言わせれば。明治時代に文明は進めば進むほどみんな孤立する、神経衰弱にならざるを得ないっていうようなことを漱石が書いてますけど。
1人になる時間がいるんですよ。人の渦の中にいますからね。本当に1人になって単純な生活をしていると随分回復してくるんです。単純な生活っていうのは、自分でご飯を食べて、洗濯をして、歩いて、またご飯を食べて、ゴソゴソと何か読んで、また寝てまた起きてっていうのを延々と繰り返していくと。で、なるべく知らない場所の方がいいんです。
崖の上に建っているお屋敷に社員旅行で泊めてもらって、「お金はいらない。しばらくいてもいい」っていう返事が来たものですから。2ヶ月いたかな。女房には毎日絵手紙を出すっていう。
ところが、おかしいんですよ。どうも毎日回収してないみたいなんです。ポストが。4日分まとまって行ったりね。訳わかんない。
男性
宮崎さん、なんてお書きになるんですか?手紙は。
宮崎
僕は風景だけ描いてたんです。自分の食卓とか自分の座っているところから見える風景とか。町とか全然描かなかったですね。その屋敷の自分の周辺から描いていったんです。それで家の屋根ぐらいまで描いたかな?瓦が面白いとか。そこら辺で時間切れになっちゃいましたね。
男性
それは鉛筆で?
宮崎
いや色も付けて、ちゃんとそれなりのものを作って。
鈴木
いいやつなんですよ。
宮崎
いや見せてないじゃないですか!
鈴木
僕、見たんですよ(笑)
宮崎
え!女房に見せてもらったんですか?
鈴木
(笑)
男性
鈴木さんには出さなかったんですか?
宮崎
出さないですよ。電話はあったんですけど、心配しますからね。だからとにかく生きてる証拠を送り続けないといけないと思って。ただ、とにかく歩く。お昼はアンパン2個が最良であるってことがわかったんですけどね。
同じ道を毎日歩いてました。そのうちに違う道を歩いたりもしたけど、そう何本もあるところじゃないんですよ。なんせ階段だから。
そういう状態の時って、風景をよく見るんですよ。春になってきたらウグイスがいっぱいいましてね。昔の段々畑だったところが林に戻りつつある、森に戻りつつあるんですかね。で、聞こえてくるのは、木立越しの向こうにいる海で動いている船のエンジンの音だけなんですよ。船は一艘一艘エンジンの音が違うんでね。これがまた本当に個性的なんですよ。本当に静かでウグイスが僕がタバコを吸ってると怒るんですよね。俺のテリトリーだって。目の前に飛んできて怒ってたウグイスいましたから。
普通ここら辺にいては体験出来ないことをいくつか体験しましたね。面白かったですよ。それで、追い詰められてる方が風景がキレイに見えますから。追い詰められてると、神経がそのまま空気に触れるようになってくるんですよ。そうすると、景色ももキレイに見えてくるんですよね。直に触れてるっていう。神経がね。
だから、追い詰められてる時こそ、夕焼けなんかも染みるんですよ。崖の上から何か知らないけどそれを見ているっていう。誰が見ているかもわからないですよ?そういう情景はあったんです。それがずっと頭にあって、それがどこにはめ込まれるジグソーパズルのピースなのかわからないけど、それが出てくるような映像を作りたいとは思ったんです。
ーナレーションー
『ポニョ』の制作が始まりました。
宮崎
はじめからポニョはいなかったですから。なんか子供が1人いて、その子が見ている。崖の上の家に誰かが来た。ずっと空き家だったのにね。不思議な人たちが現れるようになった。すごく変なおじさんがいた。その時からフジモトは出てたんですけど、もっと上背高くてね。「君はここら辺で変なものを見つけなかったかね?」とか訊かれるんですけどね。その時は宗介っていう名前さえないですよ。そこからです。
本当に何が起こるんだろうって考えて、ブリキのカエルかな、とかね。しばらくブリキのカエルでやってたんですよ。
というのは、『かえるのエルタ』っていう中川李枝子さんの本がありましてね。なんかそれが下敷きにならないかなと思って。何度も繰り返して読んだんですけど、ならないことが分かったんですよね(笑)それを持って行った記憶がありますね。あっちにね。でも結局これはお手本にするのは断念せざるを得ないなって辞めたんです。
中川さんのやつはね、もっとすごく理屈がすっ飛んでるんです。それで中川李枝子さんという人は辻褄が合える人なんです。どうしてそれ以上いるの?っていう人ですからね。ルールいらないっていう人なんです。
男性
ルールとか、ある物語の背景をすっ飛ばすみたいなことっていうのは、宮崎さんどの辺から意識なさったんですか?
宮崎
何が起こってどういうのって、順番通り描いていくと、とても何時間の時間に収まらない。どうしたら良かろうって思い切ってすっ飛ばすっていうね。
起承転結とか話の活法っていうのがあって、なんか出会って、事件が起きて、小山があって、それからなんとかあって、最後に大山があって、それでハッピーエンドになるとかね。チャンバラでも西部劇でも探偵ものでもなんでも大体これに乗ってけば。端折るとしても突然にこっちに持ってきて、それから少し説明してから、ここへ登っていくとか、色々あるんですよ。そうパターンがあるわけじゃない。
それは自分でこういうもんだと思ってそれをやっていくと、どんどん腐っていくんですよ。腐っても平気でやってられる人はいるんですよ。延々と同じパターンをやれる人がね。
でもそれは自分で変えないと、、、つまり、自分の脳みそでこうこうこうやればああいう風になるんだなって朧げにストーリーが展開出来るようなもので映画を作り始めると、たちまち腐臭が漂ってくるんですよ。自分に対して(笑)だから捨てなきゃいけないっていう。それ以上やると退廃になるっていう風に僕は思ってますけどね。
男性
でも今回、過剰なドラマみたいなものは全部削いで削いでっていう意志が感じられたような気がするんですけど。
宮崎
あの嵐はポニョのせいですからね。でもポニョは何も悪いことをしたと思ってないでしょ?それを責めてもしょうがないっていう気になるでしょ?(笑)だってポニョは宗介のところに行きたかったんだから。それで宗介のところに来たんですよ。そういう主人公にしてみようって。真っ直ぐな子って。
最初にポニョに水をかけられた時に「ウェー!」って嫌がって、「何だコイツは!」って言う子も結構多いと思います。大人も含めて。それを水かけられても全然平気で、むしろ「ワハハ!」って笑うような子っていうのが、世界中にいません、っていうやつと、わかりませんよ?いるかいないかは。でもそういう子が成り立つかどうかってことです。色んなものをちゃんと真正面から受け止めていっちゃう子をね。
そのポニョが一瞬半魚人になりながら魔法をかけたのを見て、「すごい!」って思う子ね。「いまお前何になったんだ?」っていうんじゃなくて。「ポニョすごい!」って。
そういう意味では薄氷を踏むような瞬間が何度もあるんです。あの映画の中には。お客がおかしいと思ったら、宗介は崩れていくんですよ。そういう風な一重一重を超えていって、やってかなきゃいけないですから。でも僕はいるって思うようになりましたね。この僅かな間に子供たちを見てて。色んな子供っていってもそう何人でもないですけど、大丈夫だって。この映画は作れると思って。ポニョみたいなのはいる。ポニョみたいなのが入ってる。大人になっても。
(記者会見のシーン)
司会
所ジョージさん。
所
こんにちは。フジモトです。こういうキチンとした格好をしてるんで嫌な大人になっちゃったなと思うんですけど。大人になると、色んな整合性を求めたりするんだけど、その自分が「あ、これはだいぶ私は汚い人間になってるな」っていう反省点になりますんで、そんな感じで大人は見たらいいと思いますよ。
これを観て純粋に「ああー良いな」と思える人は、たぶんキレイな方だと思います。そう思いました。
天海
皆様こんにちは。天海祐希です。観せていただいた時に、最初はすごくウキウキして楽しくて手を叩いて笑いながら観てたんですが、途中から号泣が始まりまして、止めることが出来ないくらい泣いてしまいました。なんかこれが良いキッカケになると良いと思っています。
山口
こんにちは。宗介のお母ちゃんをやらせていただきました。山口智子です。
この映画に参加させていただいて、ちっちゃい頃を思い描いて、世界ってきっと大きいんだろうなーと。なんだかわからないことだらけでちょっと怖いなー。でもいつか見に行ってみたいなーっていう、すごくとっても懐かしい気持ちを思い出させていただきました。
大好きだったシーンは、「宗介のところへ行く!」って言って、純な「会いたい!」という気持ちで大波を起こして突っ走っていく女の本質のような(笑)
司会者
女の本質ですか!
山口
最初の大波の荒れ狂うシーンが大好きでした。
司会者
なるほど。その女の本質というのは山口さんもお持ちなんですか?
山口
もちろん!
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司会者
最後に宮崎監督、劇場にお越しの皆様、そしてこれから劇場へ足を運んでくださる皆様に一言メッセージをお願いします。
宮崎
一言では済まないんですが(笑)鉛筆で映画を作ろうということを改めて仕切り直してやった作品です。これが今後どういう風に発展していくのか、やっぱり無理なのかちょっとわかりませんが、実は日本のアニメーションはほとんどシャープペンシルか電気で描かれてるんですね。僕らはもう一回鉛筆を取り戻そうっていうことでこの映画を作りました。この映画が皆さんにどのように受け入れられるかというのが、自分たちの未来にもつながってることだと思います。
宮崎
いま僕が感じているのは、日本のアニメーションは終わりだなと思ってるんですけど(笑)それは子供たちがバーチャルなもので育ってるからです。
アニメーションっていうのは、自分の体が覚えたことを思い出していく作業なんですよ。確かに映画を観たり芝居を観たり色んなことの経験もその中に入ってるんですけど、自分の肉体的にこうやってバランスをとる、これ以上行ったら落っこちる、落っこちまいとする時に人間の体がどうやって動くかとか、そういうことは自分の体にいつの間にか入ってるんです。普通に成長する過程の中で。それを記憶で思い出していく作業なんです。描いている時に。
それで納得した動きが出来た時に、それは自分の肉体的な経験が脳の奥の方から出てきて、それで納得した自分の動きが出来上がっていくんです。一番基礎になるのが、人間の経験です。重力とか弾力とか意志とか抵抗とか、色んなもののね。それをバーチャルなものを持ってる人間は、ゲームをやってきたとか。ないですね。前頭葉を使ってないんだと思います。
マッチを擦ったことももちろんない。ライターをつけたこともない。なぜなら父親がタバコを吸わないから。それから家庭でガスを使ったことがない。電気のヒートプレートでやってるから。そういう人間が火を描くっていったら、僕は「ここで火を見ろ」って言って若いアニメーターを連れてきたことありますけど。彼は4時間くらい見てましたけどね。初めてなんです。裸火を見るのが。そういう人間に官能的な肉体的な演技を描かせるのは至難の技ですね。
星野
新人を採用っていうのは、毎年やってきたことですよね?
宮崎
この数年やってなかったんですよね。辞めちゃったんです。僕が辞めろって言ったんですね。職場の意見ではなかったんですけど。
星野
どうして辞めて、、、
宮崎
3、4人ずつなんですよね。アニメーターの職場ですけど、アニメーターの職場に関しては3人か4人ずつぐらい入れてたんですけど。何にも雰囲気が変わらないんですよ。職場の。従来の職場の中に飲み込まれて沈没していっちゃうんですね。新人が新人らしく振る舞えないんですよ。少しも清心な風は吹いてこないんですよ。
星野
それはアニメーターの方々?
宮崎
ええ。どうしたらいいだろう、というのと同時に、こんなことしててもしょうがないから、一回辞めてみようっていう風にして辞めたんです。
というのはですね、アニメーション界は外国にいっぱい仕事出すようになりましたから。国内で動画をやってくれてる人とかそういう人たちも必ずしも前みたいに信頼されなくなったんですよ。まとめて中国に出しちゃえば何とかなるとかね。そういう風な扱いをされるようになってきてるから。
そんなに動画を出す先が困るわけじゃなくなったんですよ。求人にだけかき集める、かき集めるって言い方は失礼な言い方だけど、そういうことで何とか自分たちが先に作れるようになったんですよ。
星野
仕事の量が減ったということですか?
宮崎
日本でやる量が減ったということだと思うんです。テレビ単体1本分の動画は、1泊2日とか日帰りで夜に持ってくんですよ?中身はともかく。
鈴木
完成品もあるんです(笑)
宮崎
それがテレビに垂れ流されてるんですよ。それはいくら頭の部分は日本にあるなんて言ったところで、頭っていったってスカスカですよ。
好奇心がないんですよ。今の人間たちの方が。隣に座ってきた人間にどういう人なのか声をかけて聞いて、「今晩飲みに行こう」とか、「ちょっと喫茶店に話に行かないか?」とか、そういうことしないんですよ。なんとなくわかるでしょ?
星野
はい。
宮崎
飲み会ぐらいなら付き合うけど。なんとか自分の影響下に置こうとかっていうこともなければね。影響を受けようとも思わないんですよ。実に冷ややかなんです。放っておけばみんな耳栓して。何聴いてるか知らないけど。最低の人間の集まりになってると僕は思いますけどね。もうちょっと互いに好奇心を持つべきじゃないかと僕は。いや最低っていうのは過激な言い方ですけど。
星野
(笑)
宮崎
充分、爺婆だけではダメだってわかっただろ、と思うから、ここで一気に新人養成に突っ走ろうっていう。
星野
今回もそうですけど、ある程度人数はまとめて。
宮崎
ええ。20人ぐらいの単位でやろうと。10人ぐらいだと薄まっちゃってダメだから。
僕よく言うんですけど、スタジオを構えるって何かって言ったら、胴体なんですよ。腕の良い腕を持ってきて据えればいいんです。胴体に。胴体がないと腕だけっていうわけにはいかないんですよ。胴体は顔がないでしょ?顔も据えればいいんです。頭に。胴体がいるんですよ、据えるための土台が。それはあんまり閃きがなくても、どんくさくても、粘り強い人々の集団がなきゃいけないんです。胃袋も腸もお尻の穴まで開いてるやつなんですよ、これが。厄介なんです。これを維持するのは。
星野
今回の話でいうと新人を雇うのは、新しい胴体を作ろうってことですよね?
宮崎
そうです。劣化してるんです、胴体が。
星野
ですから、単純に第2スタジオみたいなことではなくて。
宮崎
あのね、今までまとめて社員化した時に新人を10人ずつぐらい毎年入れて、その層が育ってきて何人も原画になったり作画監督になったり。実はかけた労力以上のものは僕は返してもらってるんです(笑)
鈴木
元はとったと(笑)
宮崎
ええ。むしろ大根おろし機で擦り下ろすように何度もギューっと絞ってるうちにボロボロになったけど。本当にアニメーションをやっていくと、若い人の生き血を吸ってるようなところがあるんです。
星野
命を削ってますね。
宮崎
もう擦れなくなったんです。胴体が細ってきてこれはもうダメだっていう。生き血も吸えないって。いくら吸っても水が出てくるな、みたいな感じになってきたから、なんとかしてその中から良い頭とか腕が出てくる可能性は充分あるわけですから。
そうすると、従来型に薄まってしまうような何を入れたんだかわからないような定期採用という形じゃなくて、思い切って作品を一緒になって作るお姉様、お兄様はいない。おじさんたちが。そういうところに囲わないと。
しかも、都会暮らしで1人暮らしを始めるほとんどが地方から出てくる人ですから。そういう人たちがある安定した生活で、しかもその1年半の間は余計なものは見ても宜しい。新しい情報もいらない。お前は意志と抵抗という問題で世界を眺めてみろっていう。そうしたら、教材はどんな地方都市に行こうといくらでも転がってるから、この1年半は本当に修道僧になったつもりで修行しろって。そうすれば、あと10年間かかってやるより、遥かに多くのものが手に入るはずだって。
それは僕は確信しているんです。もしそういうことがやれるならね。その時のその時間に見たものっていうのは、生涯役に立つはずだって。
それを教えるから、田舎の街へ来いって。ちゃんと夜は寝ろ。朝は9時から来い。17時までちゃんとやれ。その間は携帯もメールもやるな。耳栓もするな。お前は修行中の身なんだっていうね。その代わりちゃんとした待遇はする。食い物もなんとかする。カップラーメンで3食なんか済ませないようにしてあげる。その代わり、生涯かけてこの時間を真面目に世界を眺めろ。絵を描け。
男性
スタジオであり学校であるっていう感じですか?ある程度やれる人を採用ですか?
宮崎
いや違います。新人です。3ヶ月は従来通りの養成と、それからここまでやればいいだろうっていうところまでは僕も週1回行って、正味1日ですよね。実技の講義をするつもりです。実際にやってみせてて、やらせてみせる。それが最終的に美術館にかかった時に小さな子供たちが喜ぶのを見たら、それは1つの達成になるだろうって。それから初めて出発ですよ。
鈴木
僕らはその中で出会えるかもしれないんですよね。秘めた才能に。
宮崎
そうですね。凄い願望でしょ?僕ね、イギリスで粘土アニメを作ってるアードマン(スタジオ)。粘土アニメはすでに3Dのアニメーションになりつつありますけど。ニック・パークっていう『ウォレスとグレミット』っていう作品なんかを作ってるスタジオって、ブリストルにあるんですよ。田舎町なんです。ロンドンからは1時間はかからないか。
鈴木
いや、かかるんじゃないですかね。意外にあるんですよ。
宮崎
田舎町ですよ。で、社員食堂しかないんですよ。周りは緑と工場がポツンポツンと建ってますけど。町にいけば店はいくらでもありますけど、町まで行くのに結構時間がかかったり。社員食堂が良い社員食堂なんですよね。別に立派なんじゃないんですよ?大体コックが大男なんですよ。ものすごいおっかない顔でジャーってやってるんですよ。
男性
何もないんですか?
宮崎
2人しかいないんです。最盛期に200人くらいいても4人で賄えるって言うんですよね。そのコックのお兄さんを見ているとね、これは絶対週末サッカー場に行って、フーリガンやって暴れてるに違いないって感じなんですよ。賄いのおばさんじゃないんですよ。
鈴木
そういうことやったら、ジブリも変わるかなって。
宮崎
わからないですよ。わからないですけど、このままいくと手描きのアニメーションって絶滅するんですよ。絶滅するっていうのはいい加減ですけど。絶滅はしませんけど、要するに、自分たちが時代と一緒に何かを描き上げながらいかなきゃいけないっていう、そういうところにいなくて、なんかズルズルとした消費行動の中に組み込まれて、自分を消費者の一部として消費されながらズルズルいくっていう生活はありますよ。消費者ですよ。いまはスタッフはほとんど。僕は痛切に感じるんです。
鈴木
消費をやってたら、送り出せないですよね。
宮崎
ええ。消費者の生活なんていらないんですよ。
鈴木
そういうものを楽しんでたら、絵なんて描かないですよ。
宮崎
過激なことを言ってるんですけど、自分たちが進路に責任を持つんだっていう風に自ずと思ってる連中のいるところは、その分はストイックにならざるを得ないですよ。その時に必死に努力したっていう共通体験で、その時に爺が来やがって、散々威張り放題威張りやがってっていう共通言語になるような組織を作らないと。
鈴木
だけど、年代は近いんですよ。18から22で募集しますから。その人たちが集団で先生がいるとはいえ、ある生活をしていく、そして仕事をしていく。それはね、貴重な体験ですよね。
宮崎
この修行期間は本当に死んだ気でやれって古典的な言い方ですけど。そうすると、アニメーションはその期間にチラッとでも、これはひょっとしたら世界の秘密かもしれないって出会ったら、アニメーターをやっていける。それはどんな職業でもそうだと思うんだけど、その職業のある部分にチラッと針の穴からでも世界の秘密みたいなのが見えると、やれるんですよ。
---
(レコーディングの時の音声が流れる)
ーナレーションー
そんなわけで新しい船が出航しようとしています。あなたも乗り込んでみませんか?
出演は、崖の上のポニョの製作に関わった皆さんでした。
最後に、宮崎さんにポニョが生まれた港町を紹介したこの方からメッセージをお伝えたしたいと思います。
世界の災害の現場や戦場で、ボランティア活動を続けるピースウインズジャパンの大西健丞さんです。
大西
ピースウインズジャパンの代表理事をやらせてもらってます大西健丞といいます。
最初の成り行きはですね、宮崎駿監督が前の『ハウルの動く城』を作られて、精神的に疲れてらっしゃるので、風光明媚なところで休むところはないか、という風に鈴木敏夫当時社長から言われまして。で、ある瀬戸内の小さな崖の上の一軒家をキレイにして提供させていただきました。
そこで監督は2ヶ月半くらいおられたと思うんですが、毎日毎日海を見てですね、絵を描いてらっしゃいました。
そこで印象的だったのも海面上昇もあって、長い長い地球の歴史の視点で見た場合には海面の下に行ってしまうことも仕方ないねっておっしゃってまして。僕らも現地で切羽詰まって、今の目の前の現象しか見えないような時に、よくそういった長い地球的に考えたらどうのこうのっていう話はやっぱり必要で。
宮崎さんの作品は、実はうちのスタッフもですね、アフガニスタンの事務所の下に防空壕があるんですけど、その防空壕の中で毎日DVDをよく観ています。そういった広い視点とか、今まで気づかなかった視点に現場で癒されてるんだと思います。
また瀬戸内海でゆっくり過ごしていただければと思います。またぜひ来て下さい。よろしくお願いします。