鈴木敏夫のジブリ汗まみれを文字起こしするブログ

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東海学園新春互礼の集い 鈴木敏夫トークショー「私とジブリ」 司会:坪内正恭さん

2015年4月14日配信の「鈴木敏夫ジブリ汗まみれ」です。

http://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol365.mp3

 

ーナレーションー

 

鈴木敏夫ジブリ汗まみれ。今週は1月にウェスティンゴヤキャッスルで行われた東海学園新春互礼の集い鈴木敏夫トークショー 「私とジブリ」の模様をお送りします。

 

東海学園で学生時代を過ごした話から、スタジオジブリでのエピソードなど、この4月から新たなチャレンジをする方には何か参考になる話が詰まっているかも?

 

インタビュアーは、同じく東海学園卒業生の東海テレビ放送元アナウンサーの坪内正恭さんです。

 

 

 坪内:皆さんに鈴木先輩に質問を募集したんですけど。

 

鈴木:あ、そうですか。

 

坪内:山ほどあったんですが、それを挟みながら私からの質問を含めて。

 

鈴木:わかりました。今日こうやって見回すとですね、よく若い方の前で話をするんですけど、大先輩の方もいらっしゃって、今日はちゃうとした態度で臨もうと思ってたんですが、喋り出すと失礼千万なんでご容赦下さい!

 

坪内:ということでございます。まず1つ。東海中学、東海高校でどういう生徒でしたか?

 

鈴木:目立たない子だったんしゃないですかね?

 

坪内:そういうことをおっしゃる方もいらっしゃるんですが、浅尾さん。一番仲がよろしかったということなんで、どんな生徒さんだったのかマイクを浅尾さんのところにお渡しいただけませんか?ご本人は目立たないとおっしゃっていましたけども。

 

浅尾:私は非常に仲が良かったんですけども、なぜ仲良かったかというと家が近くて、あと彼は自分の家の庭の中のプレハブで1人で住んでたもんですから、、

 

坪内:そうなんですか!?

 

鈴木:そうなんですよ。

 

浅尾:非常に行きやすかったもんで、しょっちゅう行って一緒に漫画を読んだりして。そこからずっと何十年の付き合いなんですけど。

 

鈴木:幸せの日々だったんですよ。

 

坪内:羨ましいですね〜〜。

 

浅尾:それで目立たないと言ってるんですが、本当に目立たないですね。元々彼って表に出る人間じゃなかったから、ナウシカの頃から本当は彼が裏で牛耳っていたんですけど(笑) そういう話は全部聴いてるんですけど、ほとんど表に出ないで宮崎さんとか高畑さんを表に出す。

 

さすがにスタジオジブリという会社を作ってからは前面に出るようになったんですけど。それまでは目立ちたがらない人間だったんですね。

 

坪内:全然いまと違いますね。

 

鈴木:黙って聞いてたら、失礼ですねあなた。

 

坪内:(笑)

 

浅尾:彼が有名になりだした頃に、東海の同級生だっていうことを周りに言っても誰も知らないんですよ(笑) 東海ではそういう存在でした。

 

坪内:そうでございますか。ありがとうございます。おっしゃってましたが、その通りですか?

 

鈴木:本当にその通りですよ。勉強も出来なかったですからね。

 

坪内:え?

 

鈴木:僕中学1年のとき忘れもしないんですけど、クラス67人だったんですけど67人中63番なんですよ。

 

坪内:あ、そうですか。

 

鈴木:本当に1年のときはひどい成績。2年生になったら、ちょっと諸般の事情で勉強したんですよ。そうなると自慢話になっちゃうんですけど、すごい成績上がったんですよ。

 

坪内:どれぐらい上がったんです?

 

鈴木:全校生徒六百何十人でしたっけ?

 

坪内:鈴木先輩の頃は、、

 

鈴木:六百人くらいだっけ?

 

坪内:中学?高校ですか?

 

鈴木:中学。

 

坪内:中学は五百か五百五十ぐらいじゃないですかね。

 

鈴木:400番くらい上がったんですよ。

 

坪内:え?

 

鈴木:ほんとに。これ自慢話になっちゃうんですけど。

 

坪内:てことは、二桁?

 

鈴木:そうなんですよ。それで忘れもしないんですけど、2年生終わるじゃないですか。先生に呼び出されたんですよね。呼び出されてそこに行ったら、あなたの成績は1年生と比べると、400番くらい上がってる。東海中学はじまって以来でそんなことを成し遂げた人はいないんだと。なぜだ?って訊くんですよ。ほとんど取り調べだったんですよね。

 

坪内:絶対訊きたがると思いますよ。

 

鈴木:忘れちゃったけど、1時間とか2時間とか先生たちに責められて、困ったことを覚えてますね。秘密を言いますと、2年生になったらクラス替えがあってみんな変わるじゃないですか?

 

坪内:はい。

 

鈴木:周りに新しいクラス仲間いるじゃないですか?この人たちが1年と違ってみんな勉強してるんですよね。挙げ句の果て、予習してきてる。よせばいいのに僕に訊くんですよね。で、僕はそれに答えれないでいると、仲間外れにされそうで実は勉強したんですよ。しょうがないから(笑)

 

坪内:ええ、ええ。

 

鈴木:で、やってたら出来るようになっちゃったんですよ。

 

坪内:ここで質問したいんですけど、高校2年3年のときってA軍B軍分かれますよね?

 

鈴木:僕はもちろんB軍ですよ。

 

坪内:さっきの成績はどうなったんですか?

 

鈴木:見事に毎年100番ずつ落ちてくんですよ。

 

坪内:(笑)

 

鈴木:それで最後740名中680番まで。中学3年の夏かな?馬鹿馬鹿しくなったんですよね、勉強するのが。それよりもっとやるべきことがあるだろうと思ってね。

 

それで映画好きとか本好きとか色々あって、そちらの方を頑張ろうって(笑)シフトを変えたんですね。

 

坪内:なるほどね。鈴木先輩は慶応の文学部に入学されてるんですけども、目的っていうのはあったんですか?

 

鈴木:何にもないですね。あったのは東京行ってみたい。それはありましたね。東京へ行くか京都へ行ってみたい、夢としてあったんですよね。本当は京都が良かったんだけど、諸般の事情で東京へ行きました。

 

坪内:文化的なセンスだと京都なのかもしれませんね。

 

鈴木:お寺が好きだったんですよ。僕ら中学、高校のとき京都・奈良に何回も行かされたじゃないですか?最初のうちはうんざりしてたんですよ。何でお寺なんか行かなきゃいけないんだっていう。ところが、大学に入る頃から気がついたらお寺が気になって、東京行ってもすぐ鎌倉行っちゃったりしてね。記憶に染み付いたんですね。

 

坪内:だいたい女性、女の子と行くといいですね。あそこは。

 

鈴木:あ、そうですか。

 

坪内あじさい寺とか。

 

鈴木:何でそんなこと知ってるんですか!?

 

坪内:いやまぁ色々と(笑)で、鈴木先輩は徳間書店にお入りに。

 

鈴木:そうですね。

 

坪内:これは出版とかそちらの方に進みたいという意識があったんですか?

 

鈴木:いや何の興味もなかったんですよ。というのか、今となっては古い言葉なんですけどモラトリアムっていう言葉があって、猶予期間ですよね。チャップリンという人が色んな映画を作ってると思うんですけど、あの人の作る映画の主人公ってモラトリアム人間だと思うんですよ。自分が何をやるかまだ定まっていない。

 

僕は自分自身のことをいうのはなんなんですけどそういう状態で、色んなことがあったんでしょう。大学を卒業してどういうところに働くかっていうときにも自分がなにをしたらいいかって真面目に考えたら、何もなくて。やりたい仕事をやれっていうのが出始めた頃でしたけど。

 

それである人が「出版社どうなの?」っていって「何でですか?」っていったら「書いたら上手いじゃん」と言われて、それで行くことにしたんですけどね。

 

坪内:で、徳間書店で一番はじめに芸能週刊誌。

 

鈴木:そうですね。週刊誌の記者をやりましたね。

 

坪内:で、そのあとアニメージュじゃないですか?

 

鈴木:そうですね。

 

坪内:全然畑違いじゃないですか?

 

鈴木:そんなの関係ないですよね。

 

坪内:その時は嫌だなーとかそういう気持ちは全然なかった?

 

鈴木:いや全然。ぼく週刊誌で2つやったんですよ。記者をやって自分で記事も書くっていう。もう1つは編集者をやったんですね。誰かに原稿を書いてもらうとか。

 

雑誌を作るっていうのはその2つの側面があって、どんな雑誌であれ、やることは同じなんですよね。それが大人ものであれ子供ものであれ同じだっていう意識はどこかにあったんで。特に出版社へ入ってこういうものをつくりたい、ああいうものを作りたいっていう夢があったわけでもないし、大人ものをやってていきなり子供ものって言われたときもあまり違和感感じなかったんですよ。

 

どうしてもこれをやりたいっていう仕事が僕になかったっていうんですかね。

 

坪内:そのアニメージュの編集に携わっていて、それからですよね?宮崎監督と出会われたのは。

 

鈴木:本当不思議なことなんですけど、アニメージュの創刊号で初めて電話で喋ることになるんですよね。人間の出会いなんて不思議なもんですよね。

 

坪内:そうですよね。

 

---

 

鈴木ナウシカを作ってその次に『天空の城ラピュタ』っていうのを作ったんですよね。雑誌を作りつつ映画を作ったわけじゃないですか?映画を作ることが楽しくてしょうがない。徳間書店というところがお金を出していてその会社がナウシカラピュタのあと、もう一本作れって言い出したんですよ。興行的にも成功していたので。

 

で、宮崎駿がトトロという企画を抱えていたので、「宮さん、トトロやりましょうよ」と。そうしたら宮さんが「やりたいけど、大丈夫かな?」みたいな話で。そうこうしているうちに、会社に『となりのトトロ』をやりたいって言いに行くんですよ。したら会社が徳間書店の偉い人なんですけど、説明も良くなかったんでしょう。昭和30年の日本を舞台にお化けと子供たちの交流を描くって。で、絵はこれですって言った途端顔が曇るわけですよ。これで商売になるか!ってことですよね。

 

僕としてはそのとき商売のことを考えてたかっていうと、今だから言えるんですけど、何にも考えてないんですよ。作れたらいいなってなもんで(笑)

 

映画の方の責任者も渋い顔をするわけですよ。「トトロだめなんですか?」って訊いたら、「ナウシカとかさラピュタとか、ああいうのを作ってくんないかな?」って言うんですよね(笑)要するに活劇をやれってことですよね。

 

そうすると、こちらも意地になってね、いま振り返るとジブリにとってトトロって大きかったんですよね。

 

結果として確かに色んな人に愛されるようになる。『火垂るの墓』という作品と同時公開なんですけど、ナウシカやったときは92万人かな?たしかラピュタが80万くらいかな?トトロと火垂るって、いっぱい人来ると思ってたんですよ。作れば来るって、あり得ないぐらい素朴なもので。ところが、封切ってみたら本当に来ないんですよね(笑)

 

東宝で邦画系で4週間って決まってたんですけど、未だに忘れません。日本全国の映画館で4週間やって45万人。これはどういう数字かというと、ペイラインに達しないんですよ。

 

一番わかりやすいのは、後に『千と千尋の神隠し』っていうのがおかげさまで大ヒットをすると。これの1日目の動員数が45万人なんですよ(笑)

 

坪内:さっき何週間でしたっけ?

 

鈴木:4週間です。

 

坪内:4週間とたった1日ですか。

 

鈴木:人間って複雑なんですよ。何が複雑かというと、千と千尋そりゃあ頑張りましたよ。1日目で45万人来て、2日目も同じくらい来るわけです。ところが僕45という数字が頭にこびりついていて、トトロのとき45だったなって。そうすると何が起こるかというと、千と千尋がヒットしても喜べないんですよ、なぜか。思い出したのはやっぱりトトロですよね。トトロは4週間やっても45万しかいかなかった。で、やっててそんな簡単じゃないんだなっていうことを初めて知るというのか、思い知るというのか、色々あったんですけれど。

 

でも一個だけ言えるのは、その後トトロをテレビで放映するっていうことがあって、そうしたら日本テレビであり得ないぐらいのお客さんが観てくれた。結果としてはそれが大きかったのかなと。

 

トトロというのは、その後ビデオになったりDVDになったり、これも業界の人でないとその数字の持つ意味ってなかなかピンとこないんでしょうけど、トトロってDVD発売したじゃないですか?発売をして最初に100万が150万か売れたんですけど、その後約10年間、毎月最低1万出てるんですよ。

 

坪内:1年間で12万ですね、最低でも。

 

鈴木:10年で120万。今となってはトトロがあったから、ジブリが助かってるというのか。でも何故そういうことが起きたのか、未だに不思議な気持ちなんですよ。ほんとに。なぜヒットしたんでしょうか?

 

坪内:鈴木先輩でもわからないと。

 

鈴木:ほんとにわからなかったんですよね。何か事件があると刑事の人って色んな証拠を集めて推理するわけなんだけど、僕が覚えてることでいうと、宮崎駿っていう人は非常に真面目な人でモノを作るとき本当に真剣で、神経質と言っていいくらい頑張る人なんですよ。作品を作ってるときでも決して楽しい感じじゃないんですよ。いつも苦しそう。それを見てて、ほんとこの人は真面目でいい人だなーと思ってたんです。

 

その彼がジブリで作った色んな作品の中で、唯一楽しそうに作ったのは、トトロでしたね。何でだろうと思って、僕もそうだったけど宮崎駿もこの作品が大ヒットするとか、そういうことが飛んでたんですよね。それが結果としては売り上げと結果をもたらすんでね。本当に何が何だか未だに僕の中では大きな不思議の1つとして残ってます。

 

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坪内:「これから鈴木先輩が挑戦したいことは何でしょう?」という質問です。

 

鈴木:これ前段の説明が必要なんでしょうけど、あんまりチャレンジってしたくないんですよ(笑)

 

坪内:またそれはどうしてですか?

 

鈴木:僕ね自分の人生振り返ってみると、受け身でやってきたなっていう部分があるんですよ。宮崎駿と出会って映画を作る。そしてジブリを作ることになるんですけど、これを作ることによってアニメーション界に旋風を巻き起こそう、なんて考えはカケラもなかったんですよ。というより、目の前のことをコツコツやる。コツコツやっていく中で開かれる未来もある、なんてことをずっと考えてましたね。

 

だからそんな自分の人生だったから、常々思っていたことは、人の生き方は2つあるのかなと。常に目標設定してそれに到達すべく努力していくっていう考え方もありますよね。だけれど、もう1個。繰り返しになりますけど、目の前のことをコツコツやってたら、自分でも想像すらしなかった未来が開けることがある、なんて体験を僕自身がしちゃったんですよ。

 

坪内:それは人との出会いですか?

 

鈴木:なんかやってるうちにそうなるんですよね。これ今思いついたから言っちゃいますけれど、ジブリの作品っていまや世界70カ国くらいで公開されて、特にフランスだとかアジアで好評を得てるんですけど、これなんかもひょんなキッカケなんですよね。

 

だってそういうことをやるからには、そういう野心を持って頑張ったのかっていう話があるじゃないですか。だけどこれ本当にひょんなことでそうなったんですよ。

 

いまジブリで社長をやっている星野っていう人がいるんですけど、この人は何者かというと日本のディズニー立ち上げを頑張った人で、最後は会長までおやりになった人なんですけど、今この人にジブリ来てもらってます。僕ら色んな作品をつくってきて、『もののけ姫』のときですよね。星野さんが訪ねてきたんですよ。何かなと思ったらいきなり、「ジブリの作品をディズニーで扱わせてくれないか」って。 

 

坪内:え?

 

鈴木:そう言ってきたんですよ。その頃こちらも色んな事情があって、色んな会社にジブリの作品をビデオ化しようっていう話があって、その中の1つとしてディズニーも現れたんですよ。この星野さんっていうのが本当に面白い人でおっしゃったことを整理すると、まず1つ。なんでこれディズニーで売りたいんだ?って訊いたんですよ。したらその星野は非常に正直な人で、日本のディズニーは非常に上手くいっているんだと。更なる大きな売り上げと利益を上げるためには、このジブリを我が物にすればすごいんだと。

 

坪内:直球ですね。

 

鈴木:そう。で、僕はそれに対して「そんなのアンタの勝手で俺には関係ないだろう」と。したら、何が何でもお願いしたい、みたいなこと言うんですよ。色んな会社からジブリの作品をビデオにしたいっていうお話があったんで、いろいろお話きている訊いていったら、皆さんどうしてもジブリの作品を自分のところで出したいから、かなりの好条件をお出しになるんですよ。1番悪かったのはディズニーなんですよ(笑)

 

坪内:(笑)

 

鈴木:しかも半端な悪さじゃない。要するに皆さんがおっしゃってる数字の半分以下。それきいてね、僕は心動いたんですよ。だってコイツね、最低なこと言ってるわけでしょ。挙げ句に自分の出世のためにジブリの作品を犠牲に使っていこうっていう男でしょ?(笑) 何か信頼できるなと思ったんですよ。

 

それで色んなことがあったんですけど、これ僕知らなかったんですけど、世界中なんですね。それでフランスだドイツだイタリアだ、挙げ句はアメリカだ、アジアは全域でやらなきゃいけない。ディズニーがそれに全部関わってくる。わかりました?

 

坪内:マーケットをおさえてますもん、ディズニーは。

 

鈴木:これがジブリが世界へ出ざるを得なかった原因なんですよ。僕そんなこと何にも考えてなかったですよ。ジブリが世界進出なんて。というのか、そんなところ行ったらめんどくさいって思ってたんですよ。ほんとに。

 

坪内:でも結局、高畑監督、宮崎監督、そして星野さん、やっぱり人との出会いじゃないですか。

 

鈴木:僕やりたくなかったんですよ?ついでだから言っておきますけど、ナウシカって当時徳間書店に海外の変なことをやってる人がいて、非常にひどい形でナウシカアメリカへ売られちゃうんですよ。その結果ジブリ作品は海外とは一切取引しない。これは宮崎駿と当時の社長との間で取り決めが行われたんですよ。その結果何が起きたかというと、ジブリ作品は鎖国。日本の中だけでやっていくって。

 

それに対して、僕自身がどう思っていたのか。ああ、楽でいいなと思っていたんですよ。だってこちら英語が出来るわけでもないし、海外と何で仕事をしなきゃいけない。日本だけで日本の人のために作るんだから、それが日本人にウケればいい、そう思ってたんですよ。

 

その色々あったところに星野さんが登場して、気づいたら全作品余ってたんですよ。それを全部ディズニーがやりたい。そんなとこを色々やってるうちに、気がついたら世界中でジブリがワーワーワーワーってことになって。

 

坪内鎖国のままだったら、赤絨毯を、、

 

鈴木:あんなもの僕行きたくなかったんですよ。

 

坪内:(笑)

 

鈴木:ほんとに。ほんとに行きたくなかったんですね。アカデミー賞。何であんな赤絨毯みんな踏みたいんですかね?

 

坪内:我々からすると、鈴木敏夫とんでもない方だなって思いましたもん。

 

鈴木:僕現場の人なんですよ。だから賞を貰うとかね。。賞とか貰ったってしょうがないじゃないですか?

 

坪内:貰えるものは貰えば、、

 

鈴木:いや。僕は現金の方がいいです(笑)

 

坪内:(笑)

 

ーナレーションー

 

今夜の鈴木さんのお話、いかがだったでしょうか。この4月から社会人になる方や、新しいことに挑戦する方など何か参考になるキッカケが散りばめられていたのではないでしょうか。

 

来週は、「私を変えた出会い」をテーマにお送りします。お楽しみに。