鈴木
依田っちさ、泣いちゃったの?
依田
ちょっと不覚にもっていうか(笑)もう今思い出すだけでもヤバいんですよ。
鈴木
え?なんで?
依田
僕は早くも2回目なんですけど、1回目はとにかく圧倒されて、正直何がなんだかわからないまま終わっちゃったんですよ。実は。で、整理出来なくて、どこかで早く2回目を観たいなと思ったのが1回目の後の状態だったんです。これは鈴木さんの宣伝お陰というか、せいで、とにかく何の情報もないじゃないですか。いっぺんに色んな情報が押し寄せてきたわけですよ。あれが。
それで2回目を観て。宮崎さんって、ずっとおっしゃってることがあるわけですよ。それはですね、、、
依田
『トトロ』を何回観ました?みたいなことを宮崎さんが言われた時に、そんなのは何回も観ないで外で子供には遊んでほしいっていうことをずっと言ってきたわけですよね。今日僕は2回目を観て、あれは宮崎さんの本心なんだなって思ったんですよ。
何で思ったかっていうと、これ人によって色んな見方があると思うんで、あくまでも僕の見方なんですけども、こっち側とあっち側ってこの映画に出てきますけども、あっち側っていうのは、宮崎さんが作ってきた世界、それが凝縮されてるわけですよね。そして考えてきたこと、出会ってきた人とか、そういうものの縮図みたいなものがあっち側にあるように見えたんですよ。
鈴木
あっち側に?
依田
あっち側に感じましたね。それは過去に宮崎さんが作ってきた作品の表現も垣間見えたし、世界観というか、そう言ったものが散りばめられてると僕は感じたんですけど。そこから後半で「君はこっちの世界にとどまって、この世界が居心地が良くなるように力を尽くせ」って言われるわけですよね。それを主人公の眞人くんは拒否をするじゃないですか。拒否して、自分の悪意っていうものも受け入れて、より厳しい現実の世界に戻ろうとするわけですよね。現実の世界に戻ってきた時に、眞人くんのポケットにはある人形があるんですけど、その人形に対して「これはお守りだ」って言うわけですよ。つまり、映画の世界あるいは非現実の世界にとどまらないで、現実の世界で生きてほしいっていうのが宮崎さんの心からの願いですけど、「自分の作ったものはあなたのお守りになります」っていうメッセージだなって思ったんですよ。それを感じてしまったんですよ。2回目観た時に。宮崎さんは「あなたが現実で生きていくためのお守りを作ってきました」って言ってくれたような気がして、実際にそうだと思うんです。多くの人にとって。なんかそれを感じたら、ちょっと堪らない気持ちに。
今日たまたま宮崎さんにお会い出来たっていうことも影響してる気はするんですけど、宮崎さんがなんで「トトロ100回観るなら、外でちゃんと遊んでください」って言ってたのかって、それ自分の作品のことを否定してたように聞こえてたんですけど、そうじゃないんですよね。それはお守りになってるっていうことを宮崎さんは知ってて。それを思ったら、ちょっと「あーー!」ってなっちゃったんですよ。凄い作品だなって思って。
鈴木
感極まったんだ。
依田
はい。
磯部
私はいま1回目なので、先程言われたみたいにまだ情報処理が出来ていない状況なんですけど、いま依田さんのお話を聞いて「ああ、そういうことか!」って思って、ちょっとウルっときました(笑)今日、宮崎さんにもお会いさせていただいて、今日いらっしゃったところがなんとなく映画の中にも垣間見れますし、今まで宮崎さんが作ってこられた作品が、映画の中の非現実の世界の中で今までのキャラクターっぽいものもたくさん凝縮されていたので、でもみんなの心とか頭の中にはその作品は残ってるし、非現実の世界で生きていくんだよっていう力強いメッセージをもらったような気がしましたね。
依田
「お守りだよ」っていう言葉で僕ちょっと壊れちゃったですよね。涙腺が(笑)
凄い凶暴な作品じゃないですか。本性を現したというか。宮崎さんがね。それに最初圧倒されちゃうんですけど。だから1回目は何がなんだかわからないままだったんですけどね。
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磯部
青サギがはじめは憎いようなキャラクターだったのに、段々愛着が湧いてきて、憎めない凄く良いキャラクターだなって思うと同時に、私も鈴木さんと10年ちょっと知り合ってるので、本当に似てるなって思いました(笑)
今回の映画で思ったのが、最初の眞人が学校に馴染めないという時に、自分を傷つけるようなのがあるじゃないですか。そういう葛藤のシーンが、私もちょうど小学校に入った息子がいるので、こういう葛藤というのがわかるので、リアルに描けてるなと思って。
今までの宮崎さんの映画とは違うというのは思ったんですけど、その中で非現実の世界に行った時に、あっジブリの映画だっていうのが出てきたなって思いました。
依田
以前、NHKの荒川さんがドキュメンタリーで追ってる時に、宮崎さんがポロッて言ったことを覚えてるんですけど、周りは続編とか『トトロ』みたいなものとかやらないんですか?って訊かれることがあると。それは『トトロ』があるからそれでいいじゃんって。これ宮崎さんの作家としての本質だと思うんですよね。要するに、毎回新しい表現を見つけようとする。起承転結がはっきりしていたり、エンターテインメントになったりとかは、もう散々やったわけですよね。宮崎さんはアニメーションでしか出来ない表現で自分の考えてること、感じてることを表現していこうっていう時に新しい方法でそれをやってるっていうのが、普通は成立しないと思うんですよ。失敗することは簡単だと思うんですけど。それを宮崎さんも久石さんも、もっといえば鈴木さんもそこに加担して。
特に印象的だったのは、情感が薄いんですよ。久石さんでいうと、メロディーを多用していないですよね。ないと言ってもいいくらい。宮崎さんの作品にきっとみんなが求めるであろうものを封印して。
僕は久石さんとずっとお仕事をさせていただいてるんで、よく久石さんから聞くお話として、久石さんってミニマルミュージックを学生時代からずっとやっていて、それは同じパターンを繰り返しながら、音の運動性に注目しながら音楽を作っていくっていうのが久石さんの一つの本質としてあるんですけど、「それで映画音楽は作れないんだろうか」っていうのが久石さんの中でずっと夢としてあるんですよね。それはリスクが高いわけですよ。情感が薄いから。それを今回、真正面から取り組んでいる作品ですよね。宮崎さんにしても久石さんにしても、鈴木さんは鈴木さんで全く宣伝をしないっていうことをやるじゃないですか。このキーマン3人がこの期に及んで、全く新しいことをやって、不覚にも僕はその深いところ刺さってしまったわけですよね。それは本当に自分でも驚いてます。
いやー2回観てほしいですね、できれば(笑)そう思って、さっきのような見方をしちゃったので、主題歌もそうやって聴こえてきちゃうんですよ。ちょっと正確に覚えてはいないですけど、「風を切って」とか「誰かに会うために」みたいな。それは現実の世界に降りていった時の話ですよね。そこも繋がってるなって思っちゃって。
鈴木
原作を尊重した主題歌だよね。
依田
はい。主題歌らしい主題歌だと思いました。
鈴木
絵コンテの中から、それらしい言葉をいっぱい引っ張り出したんだなって思って。米津くんは。
依田
それにも拍手を送りたくなるような。
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櫻井
宮崎さん自身も何回も何回も聴いてましたよね。音楽を凄い気に入ってらっしゃって。その音楽を聴きながら、部屋で読書をしていたり。
依田
今まで色んな名監督といわれる人たちが、年齢を重ねてから撮る作品って、ちょっと難しいものが多いじゃないですか。若い頃に作ってた作品でみんなが喜んでたものとは良くも悪くも明らかに違う。その違うっていうのはどちらかというと、「なんでこういうのを作るようになっちゃったんだろうな」って思っちゃうことがどちらかというという多いんですけど、宮崎さんの本性をまだ剥き出しに出来ること。
生理的にうわっと思う表現が多いじゃないですか。そういうことも厭わずにやってくるでしょ。だってああいう表現をいっぱい入れたら、お客さんがどう思うかなんて一番知ってる人じゃないですか。でもやるわけですよね。それが凄いんですよね。例えば、カエルがドドドドっと来たり、ペリカンたちにグアーって囲まれたり。思い切り魚を捌いてみたり。血の量だってちょっと多めじゃないですか。そういう表現をしたら、どうなるかわかってる上でやってるわけでしょ。凄いですよね。
磯部
最初、そっちも凄くインパクトが強くて。でも依田さんの2回目の話を聞いて、それが消されるくらいの中身の深い、今までの作品の集大成じゃないですけど、すごい詰まった素晴らしい作品だなっていうのが。
依田
僕の見方は一個なんで、これは全く違う感じ方もする可能性のある作品だなって気がしましたけどね。僕は正直1回目観た時は、生理的にキツいかもしれないっていう表現は、やっぱり抵抗はありましたもん。何のためにそれをやるんだろうとか、考えながらどんどん翻弄されていくわけですよね。
だって、ストーリーを説明してもしょうがない映画じゃないですか、これ(笑)良かったですよね、鈴木さん。宣伝しなくて。
鈴木
え?なんで?
依田
見方を宣伝する側が決めるのは良くないですよ。
鈴木
なるほど。
依田
キャッチコピー1つとったって。だってこんな映画ないんですから。
鈴木
ない。ポスター1枚だけ。
依田
今見れば、これだって情報量多いと思っちゃう(笑)それによって、僕も色んな人とこの映画どう思ったかって語ってみたくなりますもん。きっと全否定する人もいますよ。そのくらい衝撃度がある。最後じゃないかもしれないですけど、、、
鈴木
最後にして欲しい(笑)
依田
最後にして欲しい(笑)年齢を考えると、現実的にあるかもしれないですけど。これは鈴木さんに感謝しなきゃいけないのは、宣伝していただかなくて良かったなと思いますけどね。
鈴木
そう言っていただけると嬉しいです。だってそれが目的だもんね。余計な情報を入れないで観ていただくって。内容は事前に一切伝えない。
依田
やっぱり予告編の作り方一個とっても、この映画の見方って方向性示されちゃうと思うんですよ。どこのシーンを抜き出すかにもよるし。たけど、それが全部フラットに押し寄せてくるわけだから。だってワッて思いましたよね?
磯部
思いました。最初に見終わった直後の感想は、もう一回観ていいですか?って思って(笑)もう一回観たいですって思って。
依田
特に制作に携わってなかったジブリのスタッフの人、つまり作画とかやってる人じゃなかった人って、僕の仕事相手として多いので「どうでした?」って訊くことがあるんですけど、みんななんとなく口を閉ざすんですよ。なぜかっていうと、「ちょっと説明できないんですよ」って(笑)
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磯部
お母さんからのメッセージってあったじゃないですか。あの中身をもう一回観たいんですけど、手紙の内容がまた再会した時にもう一回観ると、母親が観てもグッとくるんだろうなっていうのは凄く思って。子供は子供で違う衝撃がたくさんあると思いますし、大人は大人であって。子育て中のお母さんが観ると、また考えが違って。
依田
要するに、宮崎さんの作品における「母と自分」っていうテーマって、ずっとありますよね。これは『トトロ』から始まって。「母性と自分」みたいなところがあるじゃないですか。ある距離感がずっとある中でそれをどうにか縮められないかっていうもがきみたいなものが通底してるような気がするんですよ。僕の印象でいうと、『ポニョ』で解決を試みたんじゃないかって思ってるんですけど、『ポニョ』は最終的にはちょっと宗教的な感じになってしまって、決着がついてないなって思ったんですよね。
でも今回、別々の扉に戻っていくじゃないですか。お母さんと。あれちょっと感動的だったんですよ。お別れじゃなくて、また会うために別れるっていう。一個決着を見たような気がして。宮崎さんの「母と自分」シリーズの。こんなこと他人に語られるのあれだと思うんですけど(笑)人って自分の中にあるわだかまりとかに決着をつけたいって、どこかでずっと思ってたり、スッキリしたいって思ってることに対して、それをやったのかなって。
あれ、なんなんですかね?鈴木さん。宮崎さんの母親像みたいなものにずっと執着して描いているっていうのは。
鈴木
色んな理由は言えるんだけど、何しろ宮崎家って子供は、男4人。
磯部
何番目の、、、
鈴木
彼は2番目です。次男。もちろん、お父さんとお母さんがいたんだけど、お母さんが彼が本当に子供の時、病気になっちゃうのよ。それで長い入院生活。家のことを全部やらなきゃいけなかった。兄弟で分担して。そこで何となく気になるのは、一体この人はこの4人の中で誰が好きだろう、とかね(笑)どうもそういうことが気になったんだね。たぶん。それがまず一つ。
それからもう一個は、これは本人も言ってるんだけど、「エディプス・コンプレックス」っていうやつだよね、
依田
何ですか?それ。
鈴木
フロイトがそういうことを言い出したんだけど、ギリシャ神話を持ち出して、その神話っていうのがお父さんを殺してお母さんと一緒になっちゃうっていう物語があって、多感な時期、多くの男の子たちはそれを経験するものだろうと。やっぱり宮さんはそういうものに惹かれた人だから。それはたぶんお母さんが病気だったことと関係がある。そこら辺が現代の色んな人にある説得力があるんじゃない?この映画の中でもちょっと匂わせるじゃない?だってお母さんを抱きしめちゃうわけでしょ?2人で好き同士になっちゃったら、眞人は生まれないんだよね。だからお母さんはそれを口に出して言うわけじゃない。たぶん、そういうことと関係あるんじゃない?
(了)