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映画「ドライブ・マイ・カー」について語る(前編)

2021年9月19日配信の「鈴木敏夫ジブリ汗まみれ」です。

https://podcasts.tfm.co.jp/podcasts/tokyo/rg/suzuki_vol702.mp3

 

ーナレーションー

今週は、オンラインサロン『鈴木Pファミリー』のメンバーをゲストにお招きして、鈴木さん、鈴木さんの娘の麻美子さん、そして小松季弘さんと、映画『ドライブ・マイ・カー』について語る映画談義(前編)です。

 

村上春樹の短編を映画化した濱口竜介監督最新作『ドライブ・マイ・カー』は、第74回カンヌ国際映画祭で日本映画としては史上初の脚本賞を受賞。加えて、ほか4冠獲得の偉業を果たしました。

 

出演者は、飯野洋平さん、小崎真寛さん、谷口真彦さん、野口智代さん、沖田知也さん、石川智優さん、町田有也さん、新井美穂さんです。まずはこんなお話から。

 

小松:僕は今回、本当度肝を抜かれたというか。

 

麻美子:あ、そうなんだ!

 

小松:相当ショックでしたね。「バーニング」も村上春樹原作で、あれもとても良かったですけど、今回もそれ以上に村上春樹の世界とか、深層心理をもの凄い上手に。

 

人間の人と人との間に言葉っていうコミュニケーションがあって、そこの関係性をどうやって深層心理を引き出すかだと思うんですけど。それが演劇の中の音読合わせとかだったり、はたまたは車の中の2人だけの密室の話だったり、家の中の夫婦間の話だったり、その音っていうのが主人公の奥さんの名前も音でしたけど、それが巧みに描かれていて。それの中心っていうのが人の心のポッカリと空いてる穴みたいな暗闇があって。村上春樹って結構人間の心のドス暗い、言葉に出来ないようなことがあるんですけど、それを題材にして描かれていて。それは僕も常日頃すごい共感して。やっぱり上手く言葉にして表せないし、理解もまだ出来てないですけど、それを巧みに心理描写で描かれてたっていうのが今回の映画かな、と思って。

 

夫婦間でも掛け合いで出てこなかったことを、自分でもう一回再生して、自分で夫婦の間のコミュニケーションというのをテープを通して録ってるみたいなのが、絶妙に間があって良いなと同時に、これって収録一発撮りしてるんじゃないかっていうくらい、籠った音と車の外の風景の音とかも入ってきたりとか、これは編集で作ってるものじゃないんだなって臨場感があったんですよね。

 

麻美子:へー。

 

小松:主人公の西島さんが台詞として演技やってますけど、あれも全部一発で撮ってるんじゃないかっていうくらい、凄い緊張感があって台詞を喋りながら、音読しながら運転してる。それが凄い良かったです。

 

鈴木:まめ(麻美子さんのこと)はどうだったの?

 

麻美子:私はね、この歳になってるとこういう映画が違うなって思った(笑)なんかもうちょっと若い頃だったら、小松さんみたいに感じれたのかもしれないけど、少年じゃん?小松さんって(笑)

 

小松:すいません(笑)

 

麻美子:私、大人だから。本当ただただ虚しかった。家福と奥さんの関係ってさ、奥さんが生きてるからこそ成り立つ一人芝居みたいなところがあって。それが奥さんがいなくなったことで、ただの一人芝居になっちゃって。車の中でそれを聞いてるのとかも、本当に最初から最後まで彼は一人だったんだなみたいな感じに思っちゃって。

 

印象的だったのは、運転手の子に「奥さんがただの浮気女だったとは思わないですか?」みたいなに言われたじゃん?そこがもう大共感だった。結局そうだったから彼は全て一人芝居だったんだなっていう感じで終わった。

 

小松:あの奥さんもベッドシーンのところも、最初の冒頭のところも暗い存在で。ここに実体があるのかどうかもわからないみたいな、ちょっと虚な感じで撮ってたじゃないですか?

 

麻美子:そうだね。

 

小松:あれも結局奥さんは一緒にいたのかどうかもわからないみたいな危うさがありましたよね。

 

麻美子:なんかそういうのをずっと見させられるっていう感じだったな(笑)

 

鈴木:せっかくみんないるから、訊いてみたら?じゃあまめが中心になって訊いてみて。

 

麻美子:じゃあ、飯野さんからどうですか?

 

飯野:私はとても素晴らしい映画だと思いました。この映画は主人公の内面の世界を描いた作品だと思いました。

 

登場人物っていうのは、主人公が内に持つ色んな人格で穏やかな人もいれば、高槻みたいな人を殴って殺す衝動的な人もいたりとか、そういう、人格が中に出てきていて。その話す言葉とか会話っていうのは、主人公の自問自答に聞こえました。

 

何を自問自答してるかっていうと、真実と向き合いたいっていうことなのかと思いました。心に残ってる台詞があるんですけど、それは「真実は恐ろしくない。一番恐ろしいのはそれを知らないでいること」っていう台詞で。それが映画の中で二回くらい出てきて。なおかつ、高槻が別の表現ですけど、同じようなことを言ったいたんですね。なのでこの映画っていうのは、監督の言いたいことの一つは、それなのかなって思いました。

 

主人公は自問自答をしながらも、最後ワーニャっていう役を演じたんですけども、それは主人公が真実と向き合うっていうことを決断したんだなと私は思って、そこは凄く感動しました。

 

麻美子:じゃあ小崎さん。

 

小崎:私はこの映画を観て、テーマはなんだろうっていうところと、何でこのテーマの映画をここで作ったのかっていうのが気になったんですね。

 

概要は、喪失と立ち直りだと思うんですよ。前半部分は家福がメインで、子供だったり妻だったり、車のドライブも喪失してしまうみたいな喪失から、その後、色んなことがあって立ち直っていくっていうのがあって。特にラストのシーンでワーニャに対してソーニャが「辛いこともあるけれど、生きていかないといけないですよね」という諭すっていうのか、手話で話してましたけど。

 

というのは、この映画の結構核かなと思っていて。そういう意味でいうと、土台は「ドライブ・マイ・カー」なんだけど、その上にはワーニャ伯父さんがあって。二つの構造になってるのかなという風に思ってました。原作って、「女のいない男たち」ですよね?

 

鈴木:そうそうそう。

 

小崎:これって10年前くらいに刊行された小説なんで。じゃあ濱口監督がなぜそれを持ってきたのかっていうのが凄く気になっていて。今って、男が女をなくしちゃってるんだろうな、とか、あるいは今の男性の強さっていうのが相対的に下がってきてるのかな、みたいなことを言いたかったのかな。だけど、生きてかなきゃいけないよねっていう、最後希望に持っていったのかな、とか。

 

3時間あって色んなディテールがあったんで、オーバーオール何が言いたかったのかなっていうのがちょっと気になったって感じですね。

 

麻美子:じゃあ次谷口さん。

 

谷口:はい。谷口真彦です。僕は韓国手話を使う女優のユナの演技が非常に素晴らしいなと思っていて。映画の途中からは、ついつい彼女がどこかに映ってないかなっていうのを常に観ながらずっと最後まで観ていたんですけど。

 

この映画って基本的に会話劇だと思うんですよね。台詞が非常に多い。台詞で間を埋めていって映画にどんどんテンポをつけていって展開していくような作りだったと思うんですけど。

 

ユナの手話のシーンになると、台詞がないので一瞬映画が静かになるんですよねそこで観ているお客さんの方にある緊張が生まれて、映像の方にどうしても集中せざるを得ない。というところで、映画館全体の雰囲気がそのシーンだけフッと変わるっていうのが印象に残りました。

 

麻美子:凄い感想だね。確かにって思うね(笑)

 

谷口:あとユナと旦那のユンスの夫婦と、主人公の家福と音の夫婦、2組の夫婦が映画に出てくると思うんですけど、ユンスの方はユナに対して、日本に来るって決めた時に「僕が100人分彼女の言葉を聞こうと思いました」っていう台詞を言うんですね。

 

対して家福の方は「僕は彼女の言葉を何も聞いてこなかった」っていうことを終盤の方で気づいて、すごい後悔するわけなんですけど。この2つの対象的な台詞が結構映画全体のテーマに通じてるかなと思っていて。

 

中々、日本だと言葉にしない美徳みたいな、空気を読む美徳みたいなのがあるかと思うんですけど、ちゃんと言葉にして伝えないといけない。受け取る側もそれをきちんと受け取らないといけないっていう。監督がそこにあるメッセージを込めたのかなと僕は思いました。

 

麻美子:じゃあ、次はトモさんどうですか?

 

野口:私はこの3時間という長い時間が人生の寄り道の長さだったのかなって思って。それは自分自身もそういった経験があったので、すごく自分と重ね合わせて観る部分があったんですけど。その中で、自己との対話とか他者との関わり方の表現が、音を使った表現がすごくインパクトが強いと感じたんですね。

 

例えば、本読みの感情のない台詞。ここでいう音っていうのは声とか言葉も、意志とか意味を含まない場合は音っていう風に私は考えていて。そういった感情のない本読みとか、理解出来ない外国語の言葉だったり、本読みの後に「コン」と机を叩く音だったり、最後の演技の場面で手話で手を叩いて出す音だったり、そういう音の使い方が凄く面白いなという風に感じました。

 

特にインパクトが強かったのが、音のない時間だったんですね。無音の時間と無声の時間があるなと思って。自然の音が流れているけれども、誰も話してない無声の時間と後半でみさきの故郷に向かう時に、全く音のない時間があったんです。その時間がすごい圧力を感じて。

 

麻美子:車の中で?

 

野口:車の中だったり、雪の中で車が到着した瞬間。なんであの時に無声でもなく無音を選んだのか。無声と無音の違いがなんだったのかなって、すごい疑問に残って映画を観終えました。

 

小松:あのシーンもそうですよね。雪景色のまっさらの中で無音で着いて、そこが実家と思いきやお花の直売所だったりして。

 

麻美子:なんなんだろうね。

 

---

 

沖田:僕はこの映画は、自分がかけた呪いを自分で解く、そういう映画だと思ったんです。この場合の呪いっていうのは、自分に対して嘘をつき続けること。その呪いによって映画には複数の自分が登場するようになると思うんですけど、現代なのにそこにネットの世界が登場しないっていうのが逆に面白いなって思いました。

 

僕はこの映画を観ながら「魔女の宅急便」が頭の片隅に浮かんでいまして。「魔女の宅急便」は思春期に分裂したもう一人の自分がジジとしたて登場しますけども、この映画でも同じように車とドライバーの渡利と、あと岡田将生が演じた高槻というのが分裂した自分として登場すると思うんです。 

 

例えば、ドライバーの渡利は序盤の方ほとんど存在感がなかったり、男っぽい見た目とか喫煙シーンというところに家福とシンクロする部分がかなりあると思ったんです。

 

一方で高槻の方は、妻の不倫現場に立ち会った時に高槻の顔が最後まで見えなかったと思うんです。ずっと背中しか映ってなくて。それも家福とシンクロしてる、重なってるというのを象徴してるのかなっていう風に思いました。

 

結局、三者三様の分裂した自分たちっていうのは、それぞれ最後は家福から去っていくわけですけども、その時に初めて呪いが解けたっていうので映画が終わっていく、ということなんじゃないかなってことをこの映画を観て思いました。

 

麻美子:じゃあ次石川さん。

 

石川:はい。石川です。まず映画を観て、非常に面白いなと思いました。3時間って結構映画の中でも長いと思うんですけど、あっという間だったなと思っていて。終わった後に「なんでこんなに面白いと感じたんだろう」って。「この映画のテーマなんだったんだろう」って考えた時に、一つ「人生を共有する」っていうのがあったのかなと思いまして。

 

「人生を共有する」ってどういうことかというと、過去の自分の嫌な部分を相手にさらけ出して知ってもらうとか、今自分が不幸が起きてるけれども、それを共有する。これ人間って躊躇うと思うんですね。そういう躊躇いとかも、最初は主人公の家福さんが色んな不幸が同時に起きたじゃないですか。緑内障が発症して、事故が起きて、妻も浮気していてとか。起きたけれども、それを何事もないかのように平静を装って過ごしていく。この部分を最後はドライバーのみさきに共有していく、みたいなことが一つあったなと思って。

 

それってすごい人間的で、自分もよくあるなと思うんですよね。この人には中々共有出来ないけれども、ちょっとずつ共有出来る。過去も。今も。将来のことも。それが各登場人物にそれぞれで起きていたのかなっと思って。そこにすごく共感したのかなと思って、非常に面白いなと感じたんだろうなと自分では分析したといいますか。なので、「人生の共有」っていうのが一つテーマとしてあったのかなって感じた次第です。

 

細かい心情を言葉じゃなくて、表情とか所作、機微で表現されてるのがすごいリアルだなと。例えば、ドライバーのみさきが運転褒められるじゃないですか。あの時って、「やったー」って言わないけども、嬉しいのがすごい伝わってくる、とか、一度に色んな不幸が起きた家福さんも、微妙な表情をするんですよね。辛いとか言わないですけども、何となく噛み締める表情をする。これを全部言葉じゃないので表現するのってすごいなと思いましたね。

 

麻美子:じゃあ、次町田さん。

 

町田:町田です。僕はすごいこの映画好きだなと思ったんですけど、理由としては、自分の感じとしてはハッピーエンドで終わったなと思いました。で、とても希望のあるお話なんだなと思いました。

 

というのは、色んなものを喪失してる家福っていう主人公と、車を介してみさきという女の子と出会うわけですけど、そこから車の中とか二人で移動したりとか、話をしている中で徐々に引き継ぎみたいなことを行われていって、最後には家福からみさきへバトンを渡すような。みさきはみさきで家福と出会ったことでたぶん色んな希望を受け取って。

 

最後すごい疑問だったのが、なぜ韓国のシーンで映画終わっていくと思うんですけど、数年後みたいなイメージで。急にマスクしていたりとか、急に現実に映画から引き戻されたみたいなシーンが加わってたと思うんですけど、あれはあれでみさきがあの車に乗っているということと、ユンスの家にいた犬が車に乗ってたような感じだったようなところで、すごい不思議な感覚を受けたんですね。

 

というのは、家福が車に乗ってないことは、おそらくですけどみさきに何かを託して、出会いのきっかけを作った韓国の方にみんなで何かを求めて出かけて行ったのかなっていう風に、その辺にすごい希望を感じて。個人的にはすごくしっくりくるというか、頑張って生きなきゃなと思った映画でした。

 

鈴木:なんか大ファンの。

 

新井:そうです。

 

鈴木:聞いてると面白い(笑)

 

麻美子:面白いよね。

 

新井:そうですね。濱口竜介監督の5年前くらいからのファンで、過去作を色々観てるんですけど。濱口監督作品は尺が長い作品がすごい多いんですね。皆さんも長尺があっという間だったとか、色々おっしゃられてたと思うんですけど、それは監督の意図というか、一番野心を持ってやってるところかなと思ってまして。

 

この「ドライブ・マイ・カー」だったら、3時間っていう長尺が、例えば、倍速で観たりとかスキップでハイライトだけ観るみたいな、そういう見方をする人がいるとか言って話題になってるんですけど、そういう見方を絶対に許さない映画なんだなと思ってまして。

 

しかも、映画館で観るということなら意味があると思っていて。映画館で映画を観る時って、スマホもいじれないし、暗闇の中で3時間椅子に座って拘束されて、スクリーンを観ることしか出来ないっていう、ある種、体験として観客に3時間を与えるっていうのが、たぶん監督の意図としては強いし、かなり新しいというか。他に中々出来る人はいないことだなというのは思ってまして。

 

たぶん過去にはタルコフスキーとかエドワード・ヤンとかすごい長い映画をやってる人はいると思うんですけど、現代でここまで退屈させないで観客の注意を引いて、3時間。過去には5時間の映画とかも撮ってるんですけど(笑)そういう作品を作り続けているのは、濱口監督だけだろうなと思って、すごい私は濱口監督が好きです(笑)

 

メッセージが気になるとか何が言いたかったのかみたいなことを疑問に持たれてる方が多かったかなと思うんですけど、メッセージとかは皆さんが考えれば良いとは思ってて。それよりも一歩引いて、映画として3時間の映画っていうのが新しいというか、この時代に作る意味だったのかなって私は思ってはいるんですけど。

 

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麻美子:じゃあ次、ちひろさんお願いします。

 

中村:よろしくお願いします。新潟の中村ちひろです。私は観て、あまり皆さんの思ってるほど感動とかはなくて、ここが面白かったとかもなくて。

 

鈴木:すごいな(笑)

 

中村:でもつまらないわけでもなかったんですね。3時間すごく引き込まれて観てることが出来て。ちょっと悲しい人の物語で最初から最後まで終わったなって。そんな人生じゃなかったと思うんです。楽しいこともきっとあったと思うんですけど、家福さんという男の人の人生の一番辛い部分というか、暗い部分だけを映画にした3時間の映画だったんじゃないかなって。

 

麻美子:私と似てるわ、感想が。じゃあ、みずきさんお願いします。

 

山下:映画の映像がずっと美しくて。テキスト付きの写真集を見てるみたいだなと思いました。そのせいか、家福さんとかみさきたちの独特な話し方でもしっくりきて、映像とか台詞とかを楽しみやすかったなと思いました。

 

みさきさんと家福さんがタバコを持った手をサンルーフに突き出すところとか、北海道に向かうトンネルのところが綺麗だったのと、私がめっちゃジブリファンなんで、瀬戸内の海が見える宿で家福さんが仕事をしているところ、あったじゃないですか。そこが広島でポニョを作ってる時の宮崎駿さんとちょっと重なって、めっちゃテンションが上がりました。

 

いくら親しい人でも、家族でも、他人の心は全部覗き込むのは無理だよなって改めて思いました。劇中だったら、他言語の演劇とか手話とかで伝えあってたんだし、周りの人たちと言葉が通じる私は尚更、これから伝えたいと思ったことを伝えていきたいなって思いました。

 

気になったのが、高槻さんが終盤の車の中で家福さんに、「自分の心と折り合いをつけて、自分自身を深く真っ直ぐ見つめるしかないんだ」っていうことを語ってたと思うんですけど、私は「え!あなたがそれ言う?」と思って。結構引っかかってて。高槻って、自分が全然出来てなかったと思うんですけど(笑)それを言うんだと思って。鈴木さんとか麻美子さん、小松さんはそこの場面どう思ったのかなって気になりました。以上です。

 

鈴木:小松くん、どうなの?

 

小松:確かにその通りですよね(笑)突っ込みどころはありますよ。でもそれは自分で自分自身に戒めてる言葉ですよね。きっと。

 

ーナレーションー

濱口竜介監督最新作「ドライブ・マイ・カー」についての映画談義、いかがだったでしょうか。来週もお楽しみに。